【白銀の砦3】 昨日とはうって変わって今にも雨の降り出しそうなどんよりとした曇り空の下、ブラス城に程近い草原沿いの道に合計6人分の影が立つ。 全員慣れた様子で馬に騎乗していたが、その半分はゼクセン騎士団でも誉れ高き6騎士と称される者達にのみ許される特殊な装飾の鎧に身を包み、残りの半分はマントを羽織ったこれと言って特徴のない旅装束であった。 ただ、その中心となる長い銀髪を風になびかせた若い娘のマントの下の衣装は丈の長いドレスではないものの見る人が見れば生地も仕立てもかなり良いものであり、控え目に付けられたアクセサリーも見事な細工であるのが分かるだろう。 尚且つその細い腰に下げられた長剣も決して飾りではなく、数刻前に草原で遭遇したモンスターも難なく剣の錆となっているのがこの「お嬢様」の凄いところである。 「───では、クリス様。どうかお気をつけて。」 「ああ、そちらもな。あとを頼む、サロメ。」 「万が一クリス様に何かあってみろ、命はないと思え!」 「はいはい。まったく、旅も2度目だってのに信用ないなぁ。ボルス君、男はどんな時も余裕を見せなきゃダメだよ?」 「貴様にだけは言われたくないっ!!」 「……いいから、ボルス。お前はサロメを助けてやってくれ。ロランも騎士団の方は任せたぞ。」 「は、はい…クリス様、くれぐれもご注意下さい。特にこの胡散臭い男には!!」 「どうか頼みます、エッジ殿。あなたが最後の頼みの綱ですから。」 「…………そうか。」 「……おい、そこの青年。少しは否定してくれよ。」 「…………否定する根拠も義理もない。」 「…あのなぁ…」 「……ぐずぐずしていると日が落ちる、そろそろ行くぞ。お前達も急いだ方がいい。」 友好的なのか非友好的なのか。 いまいちよく分からない会話が交わされ、クリスは馬上で密かに溜息を落とした。 昨日の会議で同行者の人選が決定してから一部で起きた騒動に加え、これと似たような会話が今朝方ビュッデヒュッケ城を出た際にも留守を預かった部下達との間で交わされたのだ。 心配してくれる彼らの気持ちは嬉しいが(なんだか別の心配をされているような気もするが)、いいかげんうんざりするのも仕方ないというものだろう。 いつまでも名残を惜しむ部下をブラス城へと追いやり、今回の旅の連れとなった男達を促してクリスはようやく馬の足を進めた。 「うん? お姫様はご機嫌ナナメですか?」 三人の部下と別れ。 南を目指して黙々と馬を操っていたクリスだったが、すぐにその隣に金髪の男が馬を寄せてきた。 緊張感の欠片もない顔と呑気な声は、これから自分達が何をしに行くのか分かっているのかと問いたくなるくらいだ。 以前もこの男とグラスランドを旅した事があったが、飄々とした態度は歩きの旅だろうと馬での旅だろうと変わらないらしい。 しかも。エッジの馬術も予想以上に様になっているが、この男の馬術は更にその上を行った。 パーシヴァルのように速駆けさせるとどうかまでは不明だが、技術だけなら正騎士に引けを取らないだろう。その手綱さばきからして実際に馬上での戦いを経験した事もあるに違いない。 …かつての経験からある程度の予想はしていたが、ここまで何でも器用にこなされると半ば呆れ、半ばやっかみたくもなるのが人情というものだ。 華々しい『銀の乙女』という名の影で知る人ぞ知る『不器用王』の異名をもつクリスだからこそというのもあるかもしれないが。 …いや、問題はそこではなく。 「……別に、機嫌も何もない。お前もボルスで遊ぶのはいいかげんにしておけ。あいつも気が短いから、そのうち痛い目を見るぞ。烈火の騎士の名は確かだ。」 「別にボルス君で遊んでるつもりはないんだけどねぇ。やっぱどうせ遊ぶなら夜に美しいお姫様を相手にした方がいいし? あーあ、これが二人っきりの旅行だったらなぁ…」 チャッ。 「………すみません、もう言いません。」 馬に乗ったまま、咽喉元にむき出しの剣を突き付けられてナッシュがあっさり引き下がる。 クリスは無言で剣を腰の鞘に戻すと小さく息を吐いた。 因みに二人のすぐ後ろで馬を走らせているエッジは一連の漫才に対し、ノーコメントのままだ。 彼の背中に背負われた「剣」も同様に沈黙を守っている。 この程度のやり取りは昨日クリスの同行者の一人として指名を受けてからだけでも何度も目撃しているので、慣れてしまったからだろう。 最後の頼みの綱としての期待を一方的に背負わされてはいるが、エッジという青年は生来無口で他人に無関心だ。 騎士団の連中ほどクリスに肩入れしている訳でもなく、ナッシュを敵視してもいない。 しかし、もし万が一ナッシュが無理矢理クリスに迫っている場面にでも出くわしたら(クリスにその危機感があるかという事と、実際にそうなったとして大人しくしているかはまた別として)、道徳的理由によりナッシュに天誅を下すくらいは躊躇なくやってのけるだろう。 そういう意味ではサロメ達の期待を裏切らないと思われる。 それに。 口ではふざけた事を言っているが、今のナッシュの台詞が本気でないのはクリスから見ても明らかだった。 何故なら、昨日の会議に突然現れてクリスに同行を申し入れたのはナッシュ本人だが、もう一人の候補者としてエッジを推したのも彼なのだ。 同行者の条件としてナッシュ・クロービスはほぼ完璧だった。 生粋のゼクセン人ではないが、金髪碧眼のゼクセン人だって全くいない訳ではない。 飛び道具を扱う後方支援の戦士としての腕は勿論、口も達者で咄嗟の状況判断にも優れている。 服装さえ少し変えれば、仮にライトフェロー家の従者だと言い張ってもまず見破られる事はないだろう。 クリスと旅をした事もあり、少人数で旅をするならあらゆる面で彼以上にクリスのフォローができる人間がいないというのは大きかった。 エッジの場合、口に関しては大きな期待はできないが、無口な分ボロを出す事も少ない。 賭け試合で生活費を稼ぐ程度には剣士としての腕が立ち、クリスやナッシュは苦手とする雷と風の紋章もそこそこ使える。 少々変わった剣を持ち歩いているが、金髪の中年男と同じく無骨な職業軍人タイプには見えない。 それでいて結構怖いもの知らずで、彼の持つ剣を知るアップルに言わせると「エッジは大物」という事になるらしい。 何より彼は騎士団やグラスランド、他のどの組織にも関わりがない。 改めて言われてみればこの青年は同行者としてかなりの好条件であった。 ───ナッシュがハルモニア上層部の誰かに仕えるスパイだという事実を知るのは、本人から直接聞いたクリスとサロメだけだ。 シーザーやアップル辺りも、彼がハルモニアに何らかの関わりがあると気付いているだろう。 そしてそれが今のところ『炎の運び手』にとって損にはならないと、判断された。 ゼクセンの評議会と同様…いやそれ以上に、ハルモニアの権力層にも派閥がある。 もし彼が本当にゼクセン及びグラスランドの敵ならば、彼がビュッデヒュッケ城から一度姿を消す前にいくらでも『銀の乙女』や『炎の英雄』を陥れるチャンスはあっただろう。 本気で命を狙うつもりならば今ここで再び堂々と姿を現す必要もない。 それでも『炎の運び手』の立場としてはここでゼクセン騎士団のトップとハルモニアのスパイを二人きりにさせる訳にはいかないのは当然で。 ナッシュは第三者であるエッジを「戦力」としてだけではなく「自分の監視役」として推薦する事でそれを証明しているとも言える。 結果としてナッシュとエッジの二人がクリスの同行者として首脳陣の支持を受け、クリスもそれを断る理由を見つけられず、こうして並んで馬を走らせる事になったのだが。 「………どういうつもりだ?」 「ん? 何が?」 「あちらに帰ったんじゃなかったのか?」 「そうだねぇ。でもおれの特技って家出だし。」 「………それでは奥方も大変だな。」 「まったくだ。旦那の顔が見たいね。」 「………………」 物は試しとストレートに訊いてみたところで、案の定まともな答えが返ってくる事もない。 一応気を利かせて昨日のうちではなく城の者の目が届かなくなってから尋ねたというのに、これではその意味すらなかった。 クリスは溜息をつく気力もなく会話を打ち切ると、目線をただ前方に向けた。 ───こういう男だと前から知っていたのに。 一瞬でも、再び逢えた事を嬉しいと思ってしまった自分が。 答えてはくれないだろうと分かっていても、彼の事を知りたいと思ってしまった自分が。 ひたすらに悔しい。 (…わたしは何を考えているんだ! 今はこんな奴の事なんか気にしている場合じゃないのに!) この胡散臭い男の真の目的は分からなくても、彼が同行者となってくれたおかげでクリスが目的地に向かう事ができたのは事実。 ならばこちらも彼を最大限に利用してやればいい。以前の旅と同じだ。 ───それだけの、関係なのだ。 これからの事を考えると、ナッシュの事など取るに足りない。 そのはずだ───きっと。 なのに、この胸に残るしこりは何だろう。 クリスはひとつ頭を振って強引に気持ちを切り替えると、隣の男へ…というよりも後ろを走るエッジに向かって声を掛けた。 「急げば日没前には小さな宿場町に着く。雨も心配だ、少しスピードを上げよう。」 簡潔な了解の合図を受け、先頭を切って馬を早足にさせる。 銀の髪が風に遊ばれて大きく揺れ、そのすぐ後ろを2頭が続いた。 ゼクセン連邦を東西南北に貫くこの街道を途中何事もなく真っ直ぐに南下すれば、明後日の日暮れ前にはゼクセンの南方、ロッテン地方へと辿り着く。 この旅の目的地であるブルムシュタイン家の広大な屋敷はその奥にあった。 サロメの調べでは、今頃ノーゼンハイム家の長女ローザも婚約者としてブルムシュタイン家に到着しているはずだ。 正確には、正式な結婚まで余計な介入を受けないよう軟禁させられていると言うべきか。 次女リディアは半ば浚われるようにノーゼンハイム家の屋敷から連れ去られた姉と入れ違いにビュッデヒュッケ城を目指したのだと、昏睡状態から一度目を覚ました本人の言葉で確認が取れている。 『───有難うございます、クリス様。』 ベッドの脇で「やれるだけの事はやってみる」と告げた時の、少女の涙が思い出される。 たった一人の家族を失いたくないというそれだけの想いは、痛いくらい分かった。 ───クリスも、つい最近。 ずっと行方不明だった父と再会し、それとほぼ時を同じくして父を失ったから。 この旅でクリスが自由に動ける期限は1週間。 クリスがいない間はサロメが代わりにブラス城での事務仕事をさばいてくれるが、評議会の目を誤魔化せるのもそれが限度だろう。 ヒューゴ達に任せてはいるものの、あまり長い間ビュッデヒュッケ城を空ける訳にもいかない。 往復の時間を考えると、ブルムシュタイン家を探れるのは上手くいっても2日。 途中で厄介なモンスターに出くわしたり、悪天候に足止めされる可能性も全くない訳ではない。 グラスランドでの旅と違って鍛えられた軍馬での移動であり、街道沿いに宿場が点在しているので余程の事がない限り野宿する必要もないはずだが、本当にぎりぎりの日程だ。 そもそも辿り着いたところでクリスにどうにかできる確証もない。 一番望ましいのはブルムシュタイン家がハルモニアと手を組んでいる証拠となる文書か何かを見つける事。 もしくは黒い噂の真相を探り、それが事実ならばその現場をクリス自身が抑えるか圧力を掛けても握り潰せないだけの決定的な証拠を固める事。 そうなればいかにブルムシュタイン家とて評議会の刑事裁判から逃れる事はできず、状況は変わるはずだ。 ライトフェローの名を使って屋敷に潜り込めたとしても、どれも簡単な事ではない。 しかしクリスが自ら望んでここまで来た以上、やるしかないのだ。 「───大丈夫。おれが、君を助ける。それだけは信じてくれ。」 馬の蹄の音にかき消されそうな静かな、しかし力強い確かな口調で。 まるでタイミングを計ったように背後から声を掛けられて、クリスは内心飛び上がりそうになった。 馬を走らせたまま思わず後ろを振り返ると、クリスのすぐ後ろを走っていたゼクセン風の上着に長いマントを羽織った金髪の男と目が合う。 童顔の男はクリスに向かって何事もなかったかのように、にこりと微笑んでみせた。 ───本当にこういう男なのだ。ナッシュという男は。 だから、余計に分からない。 だからこそ、余計に気になるのか。 クリスは前方に視線を戻すと、人知れず苦笑を浮かべ。 再び馬の腹を蹴ってスピードを上げたのだった。 そして。 幸いにもその日、日没直後に降り出した雨は宿で一晩明かす頃には(当然クリス一人で一部屋、ナッシュとエッジで一部屋である)すっかり晴れ上がり。 その後もたまに襲い掛かってくる命知らずな低級モンスターを順当に蹴散らし、こちらの力量も量らずに手を出してきた愚かな盗賊もどきを軽く取り押さえたりしたが(これは縄で縛り上げて近くの村に匿名で身柄を預けた。クリス達がブラス城に戻る頃には騎士団に引き渡されるだろう)、それ以外は特に大きなハプニングもなく。 予定通り2日後の昼過ぎには、クリス一行はロッテン地方と呼ばれる土地に無事辿り着く事となった────。 うっきゃー。なんかもう、強引さも極まってます。 |