【白銀の砦4】 ゼクセン連邦の南方、ロッテン地方。その中心となる村、ゴア。 この村を通り抜けた先にある森の奥に、貿易商であり評議会議員であると同時に領主としてこの辺り一帯を治めるブルムシュタイン家の屋敷が存在する。 「…うわ。これは見事と言うべきか…凄いな。」 「そうだな…。わたしも話には聞いていたが、ここまでとは思わなかった。」 村を南北に走る土を踏み固めただけの簡素な道で。 馬を降りてかぽかぽと歩かせながら、ナッシュが呟いた言葉にクリスも素直に頷いた。 目の前に広がるのは、イクセの村のような一面を埋め尽くす黄金の麦畑……ではなく、バラ園。 いや、ここまで来るとバラ畑と表現した方が近いだろう。 たまたま開花の季節だったのもあるだろうが、赤、白、黄色といった目がちかちかするくらい派手な色合いの大輪の花からピンク、オレンジ、紫といった淡い色合いの中輪の花まで村中に咲き乱れる様は、強烈な独特の香りと相まって壮観である。 「ここは年間を通して温暖で、ゼクセンの花屋が扱うバラの8割を生産している土地でもあるんだ。バラを使った香水や化粧品なんかも作っているらしい。この村の最大の収入源だという話だ。」 ゼクセンの知識人としておぼろげに知っていた情報を外国人の同行者達に説明しながら、クリスも馬の手綱を引いてバラ畑を見渡した。 評議会がどんなに貪欲で傲慢で理不尽でも。 生花が商品として成り立つのは、ゼクセンが物に溢れた豊かな国であるという事実を物語っている。 綺麗だとは思うものの男社会で生きてきたが故に世間一般の女性よりも花への執着心が薄いのを自覚しているクリスは、そのバラの種類や生態や価値は皆目見当も付かない。 だが本当に貧しい国なら食べる事もできない花などに、誰がわざわざ金をかけるだろうか。 そう考えると、少々複雑な気持ちにもなる。 非生産的な代表である軍隊で団長なんてものを務めているクリスが言うのもおこがましいとは思うが。 しかし。 「……だけど、なんだか暗いな。」 ぽつりと零されたエッジの感想は、他の二人にも共通するものであった。 バラは一面に咲き誇っている。 花屋に商品として卸す花はおそらく蕾の状態だろうから、現在ここで咲いているものは後で何らかの商品に加工されるものなのかもしれない。 果物や野菜と同じで花にも収穫時期というのがあるのだろう。 そうだとしても、やけに人影が少ないのだ。 バラ畑の方にも、メイン通りと思われる道にも、ぽつぽつと見える粗末な造りの家の方にも。 これは単に人口密度が低いというだけではないだろう。 この時間ならもっと人が行き来していても可笑しくないのに、村人の大半は家に閉じ篭っているかのように閑散としている。 看板によって辛うじて商店だろうと判別できる建物ですら窓を閉め切っている為に、営業しているかも怪しい。 バラを手入れしているらしいごく僅かに見える村人も尽く老人ばかりで、この村には明るさや活気といったものが全くと言ってよい程なかった。 なまじバラが派手なだけに、いっそうその静けさが不気味に感じられる。 それは村の奥、ブルムシュタイン家の屋敷に近付くにつれて顕著に現れているように見えた。 物影から微かに感じる村人からの視線も余所者に対する警戒心と何かに対する怯えが感じられ、決して好意的なものではない。 尤も、普段から戦い慣れて気配に敏感なクリス達だからこそ分かるものではあるが。 「なぁクリス。そのブルムシュタイン家ってのは確か無名諸国の出身だったよな。だとしたら昔からここを治めていた訳じゃないだろう?」 「ああ。サロメによるとブルムシュタイン家現当主バルト卿がこの土地にやって来たのは貿易商として成功し貴族階級を手に入れた頃、つい20年ほど前の事らしい。その時に今の屋敷ごとこの一帯を買い取って領地としたらしいが…それまでこの地は長い間領主不在だったそうだ。」 「20年ねぇ…その前からこうだったのか、最近になってこうなったのか…」 それともやはり、あの噂は本当だったのか。 口には出さずともナッシュの言いたい事はクリスにも分かった。 不自然な死者。行方不明者。戻らぬ者。正確な数と時期は不明だが、いずれも若い男女ばかりだったという。 そしてそれらが真実だったとしても、今やブルムシュタイン家に生活の全てを握られていると言っても過言ではない村人達に、何ができるだろうか。 基本的に領地内で起こった事件は領地内で解決させるのが決まりである。 その上に騎士団や評議会があるが、仮に娘が消えたと訴えたところで、ブルムシュタイン家を恐れる評議会の者がたかが一村人の意見をまともに聞くとも思えない。 下手をすれば逆に口封じされる事だってあるだろう。 いや、その可能性の方がずっと高い。そうなると後は悪循環だ。 密告者の汚名を着せられぬよう、ひたすら隠れて耐える事が唯一の身を守る方法となってしまう。 「ふん。ろくでもない者に権力を持たせるとろくな事にならぬ。人間はそれすら分からぬ愚か者が多いからな。わたしに対しての扱いも、本当にわたしを理解しておるならもっと…」 「…煩い、星辰剣。静かにしろ。」 エッジの背中で彼のものではない低い声が響き、それを青年が無表情に遮った。 真の紋章のひとつである夜の紋章の化身──星辰剣は世界で唯一意思を持つ剣でもあり、よく見れば結構目立つ造詣をしている(人の顔がくっ付いた剣などそうあるものではないし、趣味が良いとも言えない)。 よって村に入る直前から極力目立たぬようぐるぐると布に巻かれてエッジに担がれていたのだが、それがプライドの高い剣のご機嫌を損ねていたらしい。 ここで更にきつく布を締め付けられ、当然の如くもごもごと抗議の声が上がった。 だがそれも青年にあっさり黙殺され、やがて諦めたかのように静かになる。 エッジをビュッデヒュッケ城にスカウトしたのはクリスではなく、今まで彼と共に戦闘に出る機会もなかったが、クリスも城で青年の噂を少しは聞いていた。 そして彼が同行者と決まった時に改めて星辰剣の正体を知らされ、旅の中で実際に彼の剣が喋るのを何度も目撃しているので今更驚きはしない。 …が、大層な由来の剣であり、「大切な人から預かっている」と主張する割に、どうもこの一人と一本(?)の力関係はエッジの方が上のようである。 これがアップル曰く「エッジは大物」なのだと、この2日ばかりでクリスもなんとなく理解できた。 エッジのすぐ前を歩くナッシュはそれ以前から星辰剣の事を知っていたようだが、彼と剣のやり取りに声を殺して笑っている。 それが余計に剣の機嫌を損ねているようで、静かになっても星辰剣が憮然としているのは明らかだった。 …これからが本番だというのに、緊張感が一気に削げる。 それはそれで有難いような気もするが、それもどうかと思うクリスは間違ってはいまい。 と。 「!?」 たたたっと、道のすぐ脇のバラ畑から軽い足音がしたかと思うと、先頭で馬を引くクリスの前に小さな影が飛び出してきた。 「おひめさまぁ!」 「な、なに…?」 ぽすんと体当たりするようにクリスに抱きついて来たのは、4、5歳くらいの幼い少女である。 田舎の子供らしい質素なスカートと栗色のおさげ髪が弾みで揺れた。 殺気を感じた訳でもなかったので自分の太ももの高さにも届かない少女を思わず抱き止めてしまったクリスだが、見知らぬ子供にいきなり抱きつかれても目を白黒させるしかない。 物心ついた頃には騎士の道を目指し、士官学校から騎士団にそのまま移動したクリスには幼い子供に免疫など全くないのだ。 「………お譲ちゃん、お姫様ってなんだい?」 逸早く状況を把握したナッシュが袖の隠し武器から手を離し、少女に目線を合わせるようにして膝をついた。 よしよしと安心させるように少女の頭をなで、人好きのする笑顔でにこりと微笑んでみせる。 「………………」 「………………」 呆れて半眼になるクリス。やっぱりノーコメントのエッジ。 …このパーティメンバーでこういう事が得意なのは彼しかいないというのは頭では分かっているが、この女ったらしは年齢制限なしかとついツッコミを入れたくなる手際の良さだ。 もしくは、実際に己の子供がいて幼子の扱いに慣れているか。 ナッシュに子供がいると聞いた覚えはないが、「カミさん」が本当にいるのだとしたら充分それも考えられる。 ビュッデヒュッケ城で一時は金髪のナンパ師と呼ばれた男なら、隠し子の可能性も否定できない。 そういえば先日、少年探偵の調べでビリーに隠し子がいるのが判明し、大騒ぎになっていた。 彼も妙に自分に話しかけてくる事が多いが、まったくお調子者でいいかげんな男ほど裏で何をやっているか分かったものじゃない……… (……ってそんなのはどーでもいい!!) この間約0.5秒。思わず脱線しかけた思考に自らツッコミを入れるクリスである。 騎士団長の密かな葛藤はともかくナッシュの作戦は成功したようで、少女はクリスから身を離すと、男にあどけない笑顔を向けた。 「だって、おひめさまでしょ? おしろにもどってきたんだよね?」 舌足らずな少女の言葉はやはり意味不明だが、彼女はどうも本気のようだ。 その証拠に少女の目はきらきらと心底嬉しそうに輝いている。 よくナッシュもクリスの事を「お姫様」と揶揄し、クリスも散々それはやめろと言ってきたが(あまりに頻繁に使われるのでそのうち訂正するのも面倒になって、最終的には聞き流す事にした)、この場合そういう意味合いとも違うだろう。 ナッシュは少女を警戒させないよう質問の方向を変えた。 「どうしてそう思ったんだい?」 「だってすごくきれいで、ぎんのかみで、むらさきのめをしているもの。おばあちゃんにきいたのとおんなじだもん! おひめさまがもどってきたなら、きっといまのわるいおうさまなんかおいだしちゃうよね! おばあちゃんもおじいちゃんもげんきになるよね!」 「今の悪い王様…」 「────ミリィ!!」 ナッシュが単語を口の中で繰り返したところで、引きつったような甲高い女の声が響いた。 やがてがさがさとバラの枝を掻き分けてやって来たのは、70歳は越しているだろう、貧しい身なりの老婆である。 無理して走ってきたらしく、ぜいぜいと荒い息を吐く顔は蒼白だった。 白髪の混じった頭に巻いたスカーフが半分ずれ落ちている。 「おばあちゃん! やっぱりおひめさまだよ!」 無邪気に主張する少女を、しかし老婆は乱暴に自分の元へと引き寄せた。 「そんな訳ないだろう、あれはもう何百年も前の話なんだからね! さぁ行くよミリィ!」 「すみません、少しお話を…」 「余所者には関係のない事さ。悪い事は言わない、さっさとこの村を出て行くんだね!」 「あん、まってよ、おばあちゃん〜!」 取り付くしまもないとはこの事だろう。 老婆はこちらを剣呑な顔で睨み付けると、少女の細い手首を引いてさっさとバラ畑の向こうに姿を消してしまった。 どうやら歴戦の勇者たる熟女にはナッシュの必殺笑顔もまるで効果がなかったらしい。 残された三人と三頭はただ唖然とそれを見送る事しかできなかった。 季節風がバラの香りを乗せてひゅるりと通り抜け、ぶるる…とクリスの馬が低く唸る。 「……どういう事だ?」 「本当にな。このおれの魅力が通じないとはクリス並に鈍いのかな、あのご婦人は。」 ばき。 すかさずクリスの拳が未だ地面に膝をついていた金髪中年の頭上に容赦なく落とされた。 …やはりグラスランドを旅した時よりもドツキ漫才の頻度が上がっているような気がする。 「少しは真面目にやれ!!」 「…取り敢えず、あっちはクリスが騎士団長様だという事に気が付かなかったようだな。まぁ、ゼクセンでもある程度の地位にある奴か、ゼクセかブラス城の人間でもなければ鎧姿じゃないクリスを見てすぐに分かる奴もいないだろうが。有名な美貌の女団長たって肖像画が出回ってる訳じゃないしなぁ。あ、案外サロメ卿がその辺りも仕切っているのかもな。クリス様ファンクラブの会報とか…」 「だからそうじゃなくて! お姫様、ってのは…」 「…分かってるって。妥当なセンだと何百年か昔…ブルムシュタイン家よりずっと前にここを治めていた領主の娘、だろうなぁ。実話が御伽噺みたいに民間で語り継がれるってのは結構あるし。領主が王、娘が姫って置き換えられるのも昔話にはよくある事だ。その娘が銀髪に紫の目の美人だと伝えられていたんだろう。ゼクセンでは珍しい組み合わせだしな。しかし娘は何らかの理由でここを出て行った、と。今の悪い王様ってのはまず間違いなく現領主の事だろうな。」 眉をしかめるクリスの言葉に、ようやく立ち上がって膝の土を払い落としたナッシュが軽い調子で答えた。 それはクリスが少女の話で漠然と感じたのとほぼ同じ内容である。 なんだかんだ言っても、この男もしっかり考えているのだ。 ふざけた台詞も多いのであまりそうは見えないが。 「ま、御伽噺は長い年月の間に変形する事も多々あるから一概にそれが真実だったとは言えないけどな。子供の勘違いや覚え間違いってのも充分考えられる。例の噂にも関係しているのかいないのか…もっと詳しく村人に聞いて回ればはっきりするかもしれないが。」 「………あの様子じゃ無理だろうな。」 「だな。」 エッジの冷静な言い分に、ナッシュも頷く。 村に入った時から感じていた警戒心や非難が入り混じった視線は、やはり気のせいではなかったらしい。 推測通りと言うべきか、子供の「お祖母ちゃんもお祖父ちゃんも元気になる」という言葉から村人達が現領主を快く思っていないのは間違いないだろうが、あの老婆の様子を見る限り村人から直接情報を得るのはかなり難しいだろう。 それでなくても時間は足りないのだ。 あまり派手に動いて領主に警戒されても意味はない。 「…結局、ブルムシュタイン家に乗り込んでからが全てという事か。」 クリスは顔を上げて前方に目をやった。 村の周辺を取り囲むバラ畑を除くとそう広くもないゴアの村は、目の前の簡素な木製の門を抜ければ終わりである。 そして門から続くのはまるでこの先を隠すようにそびえる常緑樹の森と細い小道。 その森の奥、木の隙間から微かに建物らしきものが覗いていた。 あれが───ブルムシュタイン家の屋敷。 緊張か、それとも予感か。 クリスの背を何か冷たいものが走り抜ける。 「じゃ、行きますか。」 それを和らげるかのように。 軽い声と共にぽん、と肩が叩かれた。 「…ああ。」 振り返らずともその手の持ち主がどういう顔をしているのか想像つく。 ゆっくりと頷くと、クリスは銀の髪を翻して再び馬に跨った。 そして三人が騎乗して数分後。 森を抜けた先に姿を現したのは、まさしく「お城」と表現するにふさわしい、白く美しい建造物だった。 どんどこ話がややこしくなります。 |