【白銀の砦2】





 数ヶ月前まではがらんとして人影ひとつなかったビュッデヒュッケ城の1階大広間は現在、『炎の運び手』首脳陣の会議室として使用されている。

そしてこの日もシルバーバーグの血を引く軍師シーザーを中心に炎の英雄ヒューゴ、ジョー軍曹、トーマス、アップル、サロメ、ルシア、デュパ、クリスが集まる事となった。

本来なら傭兵隊の隊長であり真の雷の紋章を持つゲドもそこに加わるのだが(ゲドの性格上あまり積極的に発言する事はないが)、彼はフランツの救援要請を受け、ハルモニアの偵察を兼ねて十二小隊のメンバーと共にルビークに赴いている為に欠席である。





「で? 彼女は?」 

 シーザーは机に行儀悪くもたれたまま、面白くもなさそうな目をクリスに向けた。

彼を知らない者が見ればふざけているのかと思われそうだが、少年の性格と実力を知るこの場の者達は今更彼の不真面目な態度に目くじらを立てたりはしない。

「トウタ先生によると命に別状はないそうだ。今は医務室で眠っている。極度の精神的、肉体的疲労とで当分起き上がる事はできないだろうが。どうやら元来身体の丈夫な方ではなかったようだな。乗ってきた馬の方はキャシィーが責任もって面倒をみてくれるそうだ。」

「ふうん。」

 対する答えも気のないものである。シーザーは両手を組むと天井を仰いだ。

「この時期に、ねぇ…。ルビークの件と関係があるのか、単なる偶然なのか…」

「クリスさんを訪ねてこられたそうですが、彼女をご存知ないのですか?」

 ぶつぶつと呟くシーザーに代わり、アップルがクリスに問いかける。

クリスはそれに対し小さく首を振った。

「彼女はリディア・ノーゼンハイムと名乗った。わたしと直接の面識はないが…」

「おそらく、ノーゼンハイム家のご息女でしょうね。」

 クリスの視線を受け、その言葉をサロメが補う。

「4年程前の建国記念パーティに父親に連れられてきた少女に微かに覚えがあります。そのパーティにクリス様は欠席されましたが、わたしはガラハド様の側近として少し顔を出しましたから。彼女の身に付けていた指輪の裏に家紋が彫られていましたし、間違いないでしょう。ゼクセンでも特に古い家柄の貴族です。評議会でもかなりの発言権を持っていました。」

「過去形かい?」

 ルシアの指摘に、ゼクセン髄一の頭脳と記憶力と情報網を有する男が頷く。

「半年前にご当主のカール卿が突然亡くなられましたからね。その1年前に跡継ぎのご子息も事故で亡くなっており、双子の姉妹である長女と次女だけが残されました。もともと身体の弱かった奥方は姉妹を出産された時に亡くなっています。おそらく数年以内に有力貴族から婿を取るつもりだったのでしょうが、貴族の娘としての教養しか受けてこなかった彼女達には評議会を相手に世間を渡り切る実力はなかった。この半年で多くの領地を手放し、このままでは家が潰れるのも時間の問題だというのが上の方の見解でしたね。」

「ま、ありがちな話だな。」

「情けないねぇ。女だってその気になれば家を守る事はできるし、戦う事だってできるものさ。」

「それはグラスランドとゼクセンの違いってもんだろう。ここで言っても仕方ないさ。」

 カラヤの女族長の容赦ない言葉に肩を竦めるシーザー。

それにサロメは微かな苦笑を浮かべ、クリスも頷かざるを得なかった。




 クリスが現当主を務めるライトフェロー家もノーゼンハイム家と同様にゼクセンでは古くから名の知れた家であり、階級としては上流貴族に当たる。

その点ではクリスもノーゼンハイム家の令嬢のようにお嬢様教育のみを受けてぬくぬくと育っていても可笑しくはなかった。

だが幸いと言うべきか、ライトフェロー家は評議会との折り合いは決して良好とは言えないものの、代々続く騎士の家系として有名である。

婿入りした父ワイアットも優秀な騎士として名を馳せ、その一人娘であったクリスも女がてら仕官学校に入学する事を許された。

勿論本人の希望や素質や努力あってこそ成り立つのものではあるが、結果的にそのおかげでクリスは前当主の母亡き後もライトフェローの名に恥じない当主となれたと言っていい。

ビネ・デル・ゼクセの生家の留守を預かってくれている忠実な執事の働きも大きいだろう。

もし万が一、何らかの理由でライトフェロー家が上流階級としての地位を失ったとしても、今のクリスの実力なら一人の職業軍人として充分に食い扶持を稼ぐ事だってできる。

 これらの事からしてクリス・ライトフェローは極めて珍しい「上流階級の娘」であった。

クリスがもしただの令嬢だったとしたら、父が失踪し、母が亡くなった時点で家を継ぐ為だけに誰か適当な有力者の息子と結婚させられていた可能性もあったのだ。

しかし普通、ゼクセンの上流社会で女が何不自由ない生活を保障されるという事は、人生を他者──父なり夫なりに委ねるという事だ。

これといった力も知識もなく、後ろ盾も失ったノーゼンハイム家の娘が辿る道はほぼ決まっていると言えた。




「───で、その貴族のお嬢さんが言う『姉を救って』ってのは大方、望まない結婚をさせられる哀れな姉さんを助けて欲しいってところか?」

「そうでしょうね。まだ公にはなっていませんが、ノーゼンハイム家を継いだ長女ローザ殿が近々ブルムシュタイン家ご当主と結婚するという話がわたしの耳にも入っています。」

 シーザーの半ば確信を込めた質問にサロメが神妙な顔で答える。

「ブルムシュタイン家ってあの?」

 口を挟んだのはこの場でサロメに次いでゼクセン事情に詳しいはずのクリスである。

サロメの情報網が優れているというのを差し引いても、ノーゼンハイム家とブルムシュタイン家の婚姻話はクリスにとって初耳だった。

 尤もクリスの場合は上流階級に属するとはいえ騎士団の仕事が忙しいのもあって、今までそういった権力闘争には無関心だったせいもある。

そして関わらずにいられたのは、クリスに余計な気苦労をさせまいとするライトフェロー家執事の影の支えと腹心サロメの情報操作のおかげでもあった。

本来ならば一家の当主として頻繁に開催される社交界にも出席しなければならないのだが、それらは何かしらの理由をつけて巧みに回避され続けていたのだ。

クリス本人がそういった派手な催しを心の底から嫌がっているというのもある。

 そんなクリスでも、ブルムシュタイン家の名には単なる貴族とは別の意味がある事は知っていた。




「ブル…なんだって?」

「何にせよ、あんたらゼクセンの上の連中の話じゃないのか? ハルモニア本国との戦いや仮面の男には無関係だろう。『銀の乙女』に助けを求めてどうにかなるってもんでもなさそうだしな。」

 目をぱちくりとさせて『炎の運び手』のリーダーとなった少年がようやく会話に混じり、その教育係のダックが至極当然と思われる意見を述べた。

ルシアやデュパもそれに黙って頷く。

各国の文化や歴史に詳しいシーザーやアップルと違い、こういった権力闘争や貴族の家の結びつきといったドロドロしたものはグラスランドの民には馴染みのないものであり、彼らが俄かには理解しがたいのも無理のない話だろう。

 グラスランドのクランでは基本的にひとつの家系が男女の区別なく代々族長を継ぎ、「クランで一番偉いのが族長で他は皆同列」といった単純明快な体制がとられている。

その分、ヒューゴのように将来族長となるべき者は幼い頃から徹底的に心得を叩き込まれる事になるのだが。

ヒューゴらとは微妙に異なる複雑な表情を浮かべているトーマスにしても、ゼクセンの上部層について詳しく知るはずもない。




「ブルムシュタイン家。ゼクセンに古くからある家ではなく、近年になって金で貴族階級を買い取った実力者だ。現当主一代でそれだけの財産を築き上げた。確か、元は無名諸国出身の商人だったかな。だが問題はそこじゃないんだ。…サロメの方が上手く説明できるだろう。」

 クリスは微かに眉をしかめ、隣に立つ参謀を改めて見やった。

サロメはひとつ頷くと会議室に集まった面々に向き合う。

「ブルムシュタイン家は無数の船と交易ルートを有し、今ではゼクセンでも1、2を争う貿易商となっています。そしてそれは商人ギルドからなる評議会での発言力が誰よりも強いという事と同義なのです。あまり大きな声では言えませんが…もし彼がその気になれば、『炎の運び手』となった騎士団への援助を打ち切る事もできる。それどころか騎士団をゼクセンの敵として追いやる事も不可能ではないでしょう。」

「はぁ!? なんだそれは。」

 呆れたように目を丸くするジョー軍曹。

クリスも気分的には彼と同じだが、それが冗談ではない事を騎士団団長である自分は知っていた。

「そもそもゼクセン騎士団は評議会の決定した予算…税金と議員の援助によって運営されています。評議会が必要ないと判断すれば、兵個人の給料はおろか装備や兵糧といった必要最低限の経費でさえ削る事ができる。そうなるともはや軍は軍として運営する事ができなくなり、解体するしかありません。」




 ハルモニア本国軍に対抗する為に前線基地であるビュッデヒュッケ城に集められた兵数はグラスランドとゼクセンを合わせて約一万 。

今では城内に収まりきれず城下町にも兵の為の仮宿舎が建設されている。

 勇気と知恵だけで戦争ができると思っている愚か者はこの場にはいないだろうが、彼らの滞在中の食料だけでも毎日どれだけ必要とされているのか、正確に知る者は軍の中でもいったい何人いるだろうか。

これが進軍するとなると更に物資が必要とされるのは自明の理。

騎士団用としてブラス城に貯蓄されていた物を運搬するだけでも大事だ。

矢や薬などの消耗品、兵一人ずつに与える武器防具も揃えるとなるとそれこそ莫大な金が動く事になる。

当然、もともと貧乏城である(だからこそ自由商売の地として土地を貸し出す事になったくらいだ)湖の古城に全てを賄えるはずもない。

苦肉の策として劇場の収入を軍費に充てたり、食料調達隊として狩りに出たり、近隣の村から保存用穀物を借り受けたりもしているがそれだけでどうにかなるレベルではないのだ。




「軍ほど国家予算を無駄に消費するものはないわ。維持費だけでも馬鹿にならない。ハルモニアとは最近まで休戦協定が組まれていたけど、それ以外にもグラスランドやティントという目に見える間近の敵…そして手に入れたい領土があったから、存在意義があったというだけね。軍隊を有する国家では当たり前の仕組みよ。ただ、ゼクセンの場合それを決定するのが王や民に選ばれた役人ではなく、商人ギルドというのが問題だとは思うけど。」

 15年前の統一戦争で副軍師を務めたアップルの冷静な声に、サロメも溜息をついた。

「ええ。評議会は何よりも個人の利益を優先します。…今、このように『炎の運び手』の一員として騎士団が動けるようになるまでも紆余曲折がありました。何せ、チシャでの戦闘からして強引に事後承諾させたようなものですからね。評議会にしてみればこのままハルモニアに屈するのは面白くない。かといってグラスランドと協力してハルモニアを追い払ったところで、領土のひとつも増える訳でもない。寧ろ、こうして我々が協力し合う事によって今後のグラスランドとの戦いで兵に気後れや躊躇いが出るかもしれない。…評議会の苛立ちが目に見えるようですよ。」

「……それで結局、どういう事なのだ?」

 長くなりそうな話に苛立ったように、デュパが先を促す。

己の身体ひとつで戦うリザードクランの新族長にしてみれば、命令ばかりで安全な屋敷の奥に隠れているゼクセンのトップの話には不快感しか抱けないのだろう。 




「ブルムシュタイン家が旧家ノーゼンハイムと婚姻を結ぶ。これはブルムシュタイン家の力を評議会で一層強化させる事になるのは間違いないでしょう。新参者だという唯一の負い目がなくなる訳ですから。今のノーゼンハイム家には自力で拒否する力はありません。」

 サロメは言葉を区切り、考え込むように顎に手をやった。

「そして…ブルムシュタイン家には表の権力者としての顔とは別に、何かと黒い噂があるのです。実は現当主であるバルト卿は既に壮年で、過去に2度結婚されています。どちらの奥方もゼクセンの有力商人の娘でブルムシュタイン家が力を蓄える礎となった。そして相次いで不自然な亡くなり方をしています。本来なら貴族として大々的に葬儀が行われていたはずですが、それすらなかった。」

 騎士団参謀の声は事実を告げる淡々としたものだったが、それが却って重みがあるように思えた。

「他にも交易品と一緒に輸入した若い奴隷が消えたとか、ブルムシュタイン家に雇われたメイドは二度と戻らないとの噂もありました。どれも確かな証拠はないので糾弾する事ができず、ゼクセの南方、ロッテン地方にある広大な屋敷には誰も近付かないそうです。この頃にはあまりにも評議会での力が強くなっていた為に表沙汰になっていないというのもありますが…」

「それで、『救って』か…分からないでもないけどな。」

 シーザーが大袈裟に息を吐く。

「ブラス城の『騎士団』には助けを請えない。常に評議会の監視がつくからな。だが、『炎の運び手』として一時的に評議会の監視が緩くなっている今なら、なんとかしてくれるかもしれない。『炎の運び手』は正義の味方だから。何より『銀の乙女』がいる。新しい『炎の英雄』の顔は知らなくても、間違いなく『銀の乙女』はゼクセンの英雄だ。有名なライトフェロー家のご当主なら分かってくれるだろう。…そんなところか。」

 苦笑混じりに放たれた言葉に、サロメも黙って頷いた。




───やはり、『銀の乙女』としての偶像か。




 クリスは自分でも予想していた考えを突き付けられ、密かに唇を噛んだ。

ぼろぼろになってこの城に辿り着いた華奢な少女の姿が瞼の裏から離れない。

己の命を懸けて護ろうとしたものが彼女にはあった。

ただの保身ではない。リディア・ノーゼンハイムという少女にとって、家柄を失う事よりも何よりも、たった一人残された家族である姉がそのような悪い噂のある男の所へ嫁ぐのは耐えられない事だったのだろう。

だからほんの僅かの希望を胸に、ここまでやって来たのだ。




「…すみません、ちょっといいですか?」

 ずっと黙って話を聞いていたトーマスが遠慮がちに声を紡いだ。全員の視線が城主である少年に集まる。

無言の肯定で発言許可を受けると、トーマスは続けた。

「えっと、そのお姉さんの事情とか悪い噂はちょっと横に置いといてですね。仮にそのブルムシュタイン家がノーゼンハイム家を吸収して評議会での力を付けたとしても、今この時期に騎士団に何らかの圧力を掛ける事はないんじゃないですか? それで『炎の運び手』がハルモニアに負けたりしたら損をするのは評議会でしょう?」 

「評議会としてはそうでしょうね。だけど、ブルムシュタイン家が個人的にハルモニアと手を組んでいたとしたらどうですか? 補給を遮られた『炎の運び手』が敗退し、ハルモニアの支配下となった元ゼクセン領と元グラスランド領。その代理首相としての椅子が用意されていたとしてもわたしは驚きませんね。」

 スパッ。そう擬音が聞こえそうなくらい容赦のないサロメの意見に、発言者トーマスだけでなくその場の何人かが息を呑む。

その答えを予想していたらしいシーザーは驚く素振りも見せずにやれやれと首を振ると、あっさりと恐ろしい事を言ってくれた男に目をやった。

「確かか?」

「生憎ブルムシュタイン家との確証はありませんが、この戦いが起きる以前から評議会の誰かがハルモニアと通じていたのは間違いありませんね。自国の恥を晒すのはわたしとしても心苦しいのですが。」

「何にせよ、危険因子は全て考慮しとくべきだな…」

「…………おれ、グラスランドに生まれて良かったとつくづく思うよ。」

「おいおい、『炎の英雄』が情けない顔するんじゃねぇよ。気持ちは分かるけどな。」

 シーザーの呟きを受けてヒューゴがぽつりと零し、ジョー軍曹がふかふかの羽毛で突っ込みを入れる。

だがここにいる誰もがヒューゴと似たような気持ちだろう。

清廉潔白な権力など現実問題としてそう多いものではないだろうが、あまりにも殺伐とした駆け引きの話はまともな神経の持ち主なら嫌気が差して当然だ。




───それでも、あの少女がこの城にやって来たのは。




「───わたしに、行かせてくれないだろうか。」

 静寂に包まれた大広間に、凛とした女の声が放たれた。

全員の視線が自分に注がれているのを感じながら、クリスは拳を握る。

いつもいつも。

この掌に納まる以上のものを乗せられ…必死で溢さないように足掻いてきた。

『銀の乙女』『白き英雄』と呼ばれる、偶像の自分。

だけどもし、そんな自分にでもできる事が本当にあるのだとしたら。




「しかし、クリス様…!」

「わたしが介入したところで、何かが変わるとは限らない。ゲド殿もいないこの時期に城を離れる事のデメリットも分かる。だけどここで何もせずに、彼女を見なかった事にはしたくないんだ。」




 偽善者だと思う。団長として間違っているとも思う。

ここで何を言っても、クリスが今まで多くの人の命を奪ってきた事実は消えないのだ。

所詮は自己満足かもしれない。

だけど今、この時。

クリスを信じて命懸けで助けを求めに来た少女一人救えないで、クリスを信じる事はできない。

他の誰でもない、クリス自身が。




 じっとクリスの横顔を見つめていたサロメは、やがて大きく息をついた。

その顔は困ったような諦めたような、だが少し安堵しているような複雑な色を含んでいるようにも見える。

尤も、必要とあればいくらでも己の感情を殺してみせるサロメの心理をはっきりと読み取れる者はそう多くはないが。

「………評議会の目がありますから騎士団の者は連れて行けませんよ。勿論、余計な警戒を抱かせないようグラスランドやティントの者も同行できません。あくまでライトフェロー家当主個人としての行動となります。」

「サロメ…!」

「それでいいですか、シーザー殿?」

「どっちにしてもゲド殿がルビークから戻って来るまではこちらから動けないんだ。だったらせいぜい、背後の危険因子を牽制しておくべきだろう。」

 サロメの何処までも事後承諾的な物言いに、正軍師シーザーが口の端で笑う。

不遜を絵に描いたような少年でも、年長者で長年騎士団の参謀を務めてきた男にはこれでもそれなりの敬意を払っているつもりらしい。

「それにそろそろ、ゼクセンの狸親父達が何か言ってきている頃じゃないのか?」

「ええ。実は今朝、ブラス城への一時帰還命令が出ています。今日の合同会議で近日中に出発する許しを頂くつもりでした。クリス様にはブラス城の手前でロッテン地方に向けて別行動して頂く事になるでしょうが。」

 クリスもまだ聞いていなかった事実とそれすらも予想していた少年の会話に、当事者達以外の皆が目を丸くした。

「…それはそれは、タイミングのいい事で。」

「力が強くなれば強くなるだけ、反対勢力も強くなるものですからね。」

「狸が狐に化けるだけかもしれないけどな。」

 この二人が言うと、いっそ状況を楽しんでいるようにも取れるのは気のせいだろうか。 

眠そうな目を隠そうともせず、最初から最後まで緊張感の欠片も見せない軍師の姿は配下に余計な心配を掛けまいとする計算のうちなのかもしれないが、シーザーの場合は半分以上地に違いない。




 サロメは再びクリスに視線を移すと、その瞳をひたと見据えた。

もう一度、最後に確かめるように言葉を紡ぐ。

「今ブルムシュタイン家を抑える決定的な証拠を見つければ、少女の為だけではなくこちらにとっても大きな切り札となるでしょう。しかしあの家で実際何が行われているのか分からない以上、危険なのに変わりはありません。それでも自ら行くと仰いますか?」

 対するクリスの答えは既に決まっている。

クリスは静かに頷き、そして周りを見渡した。

「ああ。…我侭言ってすまない。」

「…いいえ。クリス様が炎の英雄を探しにグラスランドに向かわれた時から、団長の我侭にも耐性ができていたようです。」

「……違いない。」

 珍しく冗談めかしたサロメの台詞に、どちらからともなく苦笑を浮かべる。

大広間に充満していた重苦しい空気が、ふっと緩んだ。

「ま、後の事はわたしらに任せるんだね。あんたがいない間くらい、どうにかしてみせるさ。」

「そうだな。こっちには新しい『炎の英雄』もいる事だし。なぁ、ヒューゴ。」

 ルシアの明るい声とデュパの力強い声が。

「…うん。おれに何が出来るか分からないけど、頑張るよ。」

「ぼ、ぼくも出来る限り頑張りますからクリスさんも頑張って下さい!」

 『炎の運び手』のリーダーであり同時に一人の戦士として立つヒューゴが、城主トーマスが、後押しをする。

シーザーとアップル、ジョー軍曹も無言で頷いてみせた。

「…有難う。頼む。」

 クリスはそれらに自然と笑みを浮かべた。

ゼクセンとグラスランド、周辺諸国の連合軍がビュッデヒュッケ城に滞在するようになっておよそ2ヶ月。

それまで敵としてのお互いしか知らなかったのが不思議なくらい、彼らを信頼できるのが今は有難かった。




 しかし。

「さしあたって一番の問題は、誰を同行させるかですね。騎士団の者は使えないにしても、いくらなんでもクリス様お一人を危険な場所にやる訳にはいきません。腕に覚えがあるとはいえ途中の道程で厄介なモンスターに出くわさないとも限りませんし。かと言って相手が相手なだけにいかにも武装した者を連れて行く訳にも…」

「あ……」

 ここに来て提示された最大の問題に、クリスは思わず頭を抱えた。

サロメの言う事は至極当然だろう。何しろ相手はゼクセンでも強大な力を持つ貴族である。

ライトフェロー家として屋敷に出向くからには当主一人で赴くのも変だし、逆に無骨な鎧姿の戦士をぞろぞろ連れて行くのも不自然だ。

そんな事をすれば油断させて尻尾を掴むどころか、こっちに叛意ありと見なされて評議会に突き付けられるのがオチである。

しかも後で同行者がグラスランドやティントの出身だとバレたりしたら、何を言われるか分かったものじゃない。

クリスに同行できるのはライトフェロー家の従者として2名くらいが限度だろう。

 とはいえ、黒い噂のある場所に女子供を連れて行くのは論外。

この城にはメルやベル、エミリーやメルヴィルといった戦闘メンバーとなり得る少年少女もいるにはいるが、例え本人達が大丈夫だと言い張ったとしても、それくらいならクリス一人の方が余程気が楽というものである。

だいたい子供にスパイの真似事をしろとも言えない。

 この城に役職を持たず、ここを離れる事ができて、騎士団員ではなく、ぱっと見だけでもゼクセン人に見え(グラスランド人の褐色の肌は誤魔化せない。リザードやダックは言うまでもなく)、充分戦士としての腕が立って、でもあまりそうは見えなくて、貴族の屋敷でも従者としてボロが出ない振る舞いができて、クリスもサロメも信頼できる男(いろんな意味で)。

…そう細かく考えると本気で適格者が少ないのだ。






「───お困りのようですね?」

 その時。

前置きもなく大広間に響いた声に、その場にいた誰もが目を見張った。

いつからそこにいたのか。

両開きの扉の前に悠然と立つ男に一斉に視線が集まる。

少しばかりくすんだ金の髪、翡翠の瞳、自己申告の年齢よりずっと若く見える整った顔立ち。




「……ナッシュ……」




 クリスの口から零れ落ちた呟きは、果たしてどういう意味をもつのか。

それはまだ、クリス本人にも分からなかった。

























せ…説明が…台詞が長い…っ!
かつてない長台詞満載で読み難くてすみません。
これからもこんな感じで思いっきり捏造です。オリジナルです。
1で登場しなかった分、意地でもナッシュを出そうとしたらやたら長くなるし。ひー。
今まで書いた事のないキャラも大量に登場しましたが
ここまで一気に出す事はもうないだろうなぁ…。


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