【逆転事務所】前編





 5月8日 午後2時45分 成歩堂法律事務所。


「………あ───────!!!!」


 ガッシャン。

何処からか突如湧き上がった大声に、デスクでうたた寝していた成歩堂龍一は見事椅子から転げ落ちた。





「な…な…何が…?」

「真宵さまの声ですわ!」

 机に肘をつき、どうにか体勢を整えようとする弁護士。

はっきり言ってかなりマヌケな姿である。

その後ろの部屋から飛び出してきた綾里春美が、真っ青な顔で先程の声の主を言い当てた。

同時に、バタバタと足音を響かせてドアが開け放たれる。

「あ。お帰り、真宵ちゃん。お使いご苦労さま。」

「なるほどくん!!」

 案の定、そこに現れたのはコスプレもここまでやるかと言わんばかりの風変わりな和風衣装を身に纏った少女。

弁護士・成歩堂の助手にして修行中霊媒師でもある綾里真宵である。

最寄りの郵便局に切手を買いに行っていたはずの彼女は、何故か怒りも露に成歩堂を睨み付けていた。

「ど…どうしたの、真宵ちゃん?」

 さっきまで寝ていた(依頼人が来なくて暇なのは成歩堂の責任ではないだろう…たぶん)成歩堂にしてみれば、彼女の怒りの原因が全く分からない。

ここは『ゆさぶる』コマンド…もとい事情徴収が先決だろう。

「どうしたもこうしたもないよ! あたし、なるほどくんを見損なったからね!」

「おいおい…」

 だがしかし、真宵は一方的に成歩堂を責めるばかりで埒が明かない。

と。背中に刺すような視線を感じて振り返ると、自分の身長の半分くらいしかない幼い少女が成歩堂を凝視していた。

たまたま倉院の里から遊びに来ていた彼女だが、真宵とそっくりの突飛な衣装に身を包んだこの少女のこんな表情を見たのは初めてだ。

「…春美ちゃん?」

「………真宵さまがなるほどくんを見損なうなんて……もしや、真宵さまがなるほどくんをお慕いしているのをよい事に、こんな昼間から無理やり真宵さまを押し倒…」

「ちょっと待ったァァァァァ!!」

 小さな顔を赤く染めて頬に手をやる少女に指を突き付け、心の底から叫ぶ。

未だ且つて法廷でもここまで必死に叫んだ事はないだろう。

人里離れた特殊な環境で育った為に春美は初めて会った時からかなり世間ズレしているところがあったが、どうも最近偏った知識を吸収したらしい。

なまじそれまでが純粋培養だった分、性質が悪いようだ。

それ以前に彼女の言うお慕い云々も世間一般での恋愛感情とは微妙に違うという気がするが、説明すると長くなりそうなのでこの際そこは黙殺する事にする。

「───そうか、君達はそういう関係だったのか。」

「異議あり!! ていうかなんでここにお前までいるんだ、御剣ィィィ!!」

 これが成歩堂でなければ血管が切れていたかもしれない。

弁護士という職業で血管を鍛える男も珍しいだろうが。

───なんの前振りもなく事務所に入ってきたのは、御剣怜侍。

トレードマークのひらひらスカーフをなびかせた検事局きっての敏腕検事であり成歩堂の幼馴染み兼友人でもある男だ。

だが一応友人とはいえ、その性格上平日の昼間から気軽に事務所に遊びに来るような男でもないのも確かで。

成歩堂に指を突き付けられた御剣は「フッ」と鼻で笑うと、B5サイズの封筒を応接テーブルの上に叩きつけるように置いた。

その目は心なしか成歩堂を見下しているようにも見える。

「欲しがっていた資料だ。こっちに来る用事があったついでに持ってきてやったのだ、感謝しても罰はあたるまい。」

 警察と弁護士は敵対関係にあるように見えるが、実際はそうでもない。

直接裁判で対決しない限りは、こうして情報のやりとりをするのはごく当たり前の事だ。

「あ…そういや警察に頼んでたな。それは悪かった、御剣。お茶でも飲んでいけよ。」

「ところで被告人。婦女暴行罪の刑期は知っているか?」

「待ったァァァァッッッ!! だから其処から離れろォォォ────!!」

 なんだか半泣きが入っている成歩堂。

つくづく大声の似合う男である。

とにかく後から来た御剣に弁解しても仕方ないと視線を二人の少女に移し、必死で証言する。

「真宵ちゃんもぼけっとしてないで否定しろよ! 大体ぼくはついさっきまでそこのデスクに座って寝てただろう。春美ちゃん、ぼくが椅子から転げ落ちたのを見たじゃないか!」

「…あ。そういえばそうでしたわね。凄く大きな音がしました。」

「フン、相変わらず情けない男だな。」

「そんな事より、もっと重大な事があったんだよ! あたし、怒ってるんだから!!」

「………………」

 事実を述べただけなのに、三種三様の反応にどっと疲れを覚えるのは何故だろうか。

というか真宵にとって、自分とあらぬ誤解をされるのは「そんな事」で済まされるようなものなのか。

つくづく彼女のベクトルが普通の娘とズレているのを実感させられる成歩堂である。

 しかし。

「…重大な事?」

 相変わらず成歩堂が真宵に不信を抱かれているという事実には変わらない。

勿論、全く心当たりはない。

成歩堂の視線を受けて真宵は力いっぱい頷くと、ようやく本題に入った。




「なるほどくん、あたしが大切にとっておいた冷蔵庫のプリン、食べちゃったでしょ!!」




「………………」

「………………」

「まぁ! それはなるほどくんが悪いですわ!」

「でしょでしょ!? はみちゃんならきっと分かってくれると思ってたよ!!」

 一瞬言葉に詰まった男二人とは対照的に、少女二人は両手を取り合って床をぴょんぴょん跳ねている。

もともと仲の良い二人だが(真宵の精神年齢が春美並みとも言う)、美しき従姉妹愛を再確認したらしい。

やがて御剣はゆっくりと髪を掻き上げ、呆然と隣に立つ男の肩にぽんと右手を乗せた。



「成歩堂。」

「御剣…」




 遥か昔。16年前の記憶が鮮やかに蘇る。あの、学級裁判を。

あの事件があったから弁護士としての成歩堂龍一が生まれたのだ。

やっぱりお前だけは分かってくれるか、と不覚にも涙ぐみそうになった成歩堂に、御剣はなんとも言えない微笑を見せた。



「……今ならまだ罪は軽い。自首したまえ。」

「お前もかよ!!!」



 こんな時でもツッコミを忘れない自分がちょっと悲しい。

今まで築いてきた人間関係はなんだったんだろう。

本気で人生について考え直したくなった若干25歳の弁護士だが、ここで認める訳にはいかなかった。

あの時と同じ、孤立無援。だけど今の自分は小学生だったあの時とは違う。

例えプリンだろうと何だろうと、自分がやっていないのは自分が一番よく分かっている。

この胸に輝く弁護士バッジにかけて、それを証明してみせる。






 バン。

勢いよく叩かれたデスクの上で、ペン立てが揺れた。

「被告は、対象物の存在すら知らなかった。弁護側は被告の無罪を主張する!!」

───これこそが、弁護士・成歩堂龍一の証し。






 突如生き返ったように目を輝かせた男に、その場の三人は息を呑む。

そして。

「フッ…面白い。」

 御剣は不敵な笑みを浮かべた。それは、法廷で彼が浮かべる表情になんら変わりはない。

そのまま振り返って背後に立つ少女達に声をかける。

「もう一度確認するが、本当に犯人は成歩堂しかあり得ないんだな?」

 天才と呼ばれた検事の言葉に、真宵は彼の真意を悟ったようだ。

思いっきり頷くと、声高々に宣言する。

…相手が職場の上司だろうと想い人(?)だろうと、食べ物が絡むと容赦ないのが彼女だ。

「なるほどくんしか、あり得ません! あたし、証言します!」

「真宵さまが仰るなら間違いありません。わたくしも、証言させて頂きます!」

 そして、そんな真宵を誰よりも信じているのが春美。

「舞台は整ったな…御剣。」

「ああ。始めよう。」









───こうして、『真宵のプリンを誰が食べたか?』という馬鹿馬鹿しくも真剣な戦いの火蓋が切って落とされたのだった。











やたら長くなったのでキリのいいとこで前後編に分けました。
後編はこの倍以上長いです(汗)。
後編も読んでやろうという方はこちらからどうぞ。