【きょうだい】 フュリーとアル (うーん……どうしよう) 中央病院のとある病室の前で、ケイン・フュリーは手に提げた紙袋を見下ろして途方に暮れた。 こちら方面に来る用事があったので様子見に寄ったのはいいが、この二人部屋の利用者のうち一人は本日外出許可が出て外出中。そしてもう一人の利用者は就寝中だと、先程廊下ですれ違った看護師に聞いたばかりなのだ。 実際、扉の前まで来ても室内で人が動いたり話したりしている気配はない。 どちらか片方だけでも話ができればいいかと約束もせずに軽い気持ちで来てしまったのだが、相手がぐっすり眠っているとなれば無断で部屋に入って荷物だけ枕元に置いて帰るというのも憚れた。 軍の中でも若造の部類に入るフュリーより彼らは更に年下だし、それなりに親しく話す間柄ではあるからそれを実行したところで怒ったりはしないだろうが、何事にも礼儀というものはある。眠っている入院患者を起こすのは論外だ。 かといっていつ外出先から戻ってくるか分からない一人を外でぼーっと待つのもどうかという気がする。 (やっぱり、受付にお願いしてお見舞いだけ預かって貰って出直した方がいいかな) そう自分の中で結論付け、くるりと踵を返そうとして。 「……誰? 御用ならどうぞ」 部屋の中から響いた声にフュリーは息を呑んだ。 声変わり前の少年特有の少しトーンが高い声。確かに聞き覚えのある声だけど、それでも明らかに以前とは雰囲気が違う。──金属の鎧によって覆われたくぐもった声ではなく、よく通る澄んだ声だ。 「──アルフォンス君? 起きてたのかい?」 声に誘われるままガチャリとドアノブを回して病室に足を踏み入れると、薄いカーテン越しの夕陽で紅く染まった室内に溶け込むように鎮座するベッドが2台、目に飛び込んできた。 廊下側、手前のベッドは空。看護師がベッドメイキングしたのだろう白いシーツと毛布は丁寧に畳まれている。 その隣には分厚い本が山のように積まれたサイドテーブルがあって、奥の窓際のベッドには金髪の小柄な少年が横たわったままこちらを見て微笑んでいた。 彼の兄を通して顔見知りになってからもう4年になるが、最後に会った半年前とは大きく異なるその姿。 そういえば最後に彼と会ったのもこの病院だったっけ、とフュリーは今更ながら思い出した。 入院中のハボックの見舞いとしてここを訪れた少年は鎧の腕やら顎やらが洒落にならないくらいボロボロで、病院の廊下を一緒に歩いていたフュリーも注目の的になってしまったものだ。 今度は見舞いでなく少年自身が入院してしまった訳だが、たった半年前の事が随分遠い昔のように思えた。 「フュリー曹長。お久しぶりです」 「あー起きなくていいから! 無理しないで!」 よっこいしょとベッドから上半身を起こそうとする少年を慌てて制し、ベッド脇に駆け寄る。 少年──アルフォンス・エルリックは小さく笑うと、自分で枕を背もたれのように後ろに移動させてベッドに深く腰掛ける形で座り、大きく息を吐いた。 その頬はげっそりと痩せこけ、病衣から見える白い腕は棒のようにガリガリだが、短く切った金髪の下で金色に輝く目には明るい生気が宿っている。顔色も悪くない。 半年前エルリック兄弟がセントラルを離れて北に向かい、フュリーも南に飛ばされ、つい先週の「約束の日」に再びセントラルに兄弟とマスタング組が集結してから色々あって軍も引っくり返って。 また上司となる事が決定した男から大まかな経緯は聞いていたものの、約束の日当日含め事後処理でバタバタして今までエルリック兄弟の顔を見る事すらできなかったフュリーだが、思っていた以上に元気そうな少年の様子にほっと胸を撫で下ろす。先週までの彼の身体を考えると、入院しているという事実そのものが嬉しいというのも珍しい話だ。 「ちょっとくらいなら平気ですよ。ボクの意思とは別に身体は睡眠と休息を欲しがってるみたいで、うっかりすると1日中眠っちゃうんですけどね」 「そうなんだ……もしかしなくても眠ってるのを起こしちゃった? 悪い事したなあ」 「ああそれは曹長のせいじゃないです。どっちにせよもうそろそろ目が覚める頃合いだったし、気配がね」 「気配?」 「えーと、人のいる空気を感じるというか。前にメイ…シンの錬丹術師の娘に錬丹術を教わった事があるんですけどね。シンでは龍脈と呼ばれる、自然や人の中に流れる気の力を全身で感じ取るんです。教わった時ボクは鎧の身体だったせいか、どうしてもその感覚が掴めなかった。──だけどやっと生身の肉体を取り戻して。今まで閉ざされてた分、反動で全身の感覚が前より鋭くなったっぽいんですよ。…いやそれだけじゃないかな。鎧の間は臭いや痛みを感じる事ができなくて物音や視界だけが頼りだったから、そっちに意識を集中するのが癖になっちゃってて。だから生身に戻っても、無意識に全身をセンサーみたいに極限まで張り巡らせてしまうみたいなんです。戦場で修羅場を潜った人が殺気を感じ取るって話は聞くけど、それよりもっと自然な感じ…ハインケルさん達みたいな野性の勘が強くなってるって言った方が近いかな。それで扉の前に曹長がいたのもなんとなく分かったんです。ウトウトしてたら看護師さん達みたいに通り過ぎないで立ち止まる気配があったから、ボクに用があるんじゃないかって」 「なるほど、それは凄いなぁ。あ、でもそれって眠ってても全然落ち着かないって事じゃ…」 「そうなんですよねぇ。多分、肉体が馴染むまでの過剰反応みたいなものでそのうち気にならなくなるとは思うんですけどね。流石に兄さんや看護師さんがその辺りをうろうろするのはここ数日で慣れてきたんで、極力気にしないようにしています。落ち着かなくても本当に眠たい時は眠気に勝てないしね。せっかくなのでこの感覚を覚えておいて次に活かせればいいなって」 「次?」 「ええ。──具体的な方法は考え中だけど、改めてちゃんと錬丹術の勉強をしたいなって。リハビリもあるし、まだ当分先の話になりそうですが」 「そうかぁ……うん。君達の人生はまだこれからなんだから、どんどん新しい事にチャレンジするのはいい事だと思うよ。頑張って」 「はい。有難うございます」 にっこりと笑う少年の声は、未来への希望に満ち溢れていて。 少年の兄より優しげな顔立ちの中、金の瞳には兄とそっくりな確かな力があって。 幼くして母を失い、禁忌に触れた彼らがその報いを受けてからここに辿り着くまでどれだけの苦労があっただろう。辛酸を嘗めただろう。錬金術師ではないフュリーにはエルリック兄弟が何をどうやったのかもよく分からないというのが正直なところだが、それでも彼らがとてつもない事をやり遂げたという事は知っている。 最後まで諦めなかった彼らは本来の身体を取り戻すのと同時に、ホムンクルスに牛耳られていたアメストリス国をも救ったのだ。 「ほんっっとうに良かった、アルフォンス君〜〜〜〜」 「わわっ、泣かないで下さい曹長! ほんともう大丈夫ですから! そうだ、軍服って事はお仕事中なんですよね。そちらの方こそお時間大丈夫なんですか?」 「ご、ごめんつい……ああ、今は移動と休憩時間も兼ねてるから少しくらいなら平気なんだ。アルフォンス君だけでも会えて良かったよ」 感極まって涙目になったフュリーだが、アルフォンスに促されて本来の目的を思い出す。 「そうだった。これ、ゼリーなんだけどこれくらいならアルフォンス君も食べられるかと思って。二人でどうぞ」 「わあ、有難うございます! そろそろ病院食も飽きてきたので嬉しいです。兄さんも喜びます」 差し出した紙袋を両手で受け取ったアルフォンスが幼い子供のように目を輝かせる。 どんなにしっかりしていても、こういう表情は年相応で微笑ましい。 「この辺りのお店は僕もあんまり知らないんで、味は保証できないのが申し訳ないんだけどね」 「サウスパーク通りのマチルダカフェのフルーツゼリーですね。食べてみたかったんです、嬉しいなぁ」 「アルフォンス君、知ってたの?」 東部から中央に移動してすぐ南方勤務になった為にセントラルに詳しくなる暇がなかったフュリーだが、エルリック兄弟がセントラルに滞在した期間は彼らが旅に出てからの全てを合わせても更に短い。せいぜい数週間分あるかないかだろう。それにしたってのんびり菓子店を探索したりするような余裕が彼らにあったとは思えない。 病院に来る途中たまたま目に入った店で購入した訳だが、紙袋のロゴを見ただけで所在地まで当てた情報通っぷりに驚くフュリーに少年が頷く。 「2年前から1年半くらい前かな……雑誌の特集で紹介されてたんです。このお店の記事は2つ読みました。こう見えてボク、美味しいと評判のお店とかデートスポットとか結構詳しいんですよ。何しろ、時間だけはたっぷりあったから」 「え?」 「ホテルには大抵新聞と一緒に娯楽雑誌や地方の情報誌が置いてあるから。朝まで時間を潰すのにちょうどいいので、片っ端から読み漁ったんです。逆に言うと、それくらいしかやる事なかったんですけどね」 「あ…そうか、睡眠…」 「ええ。眠れないからって何もしないでいると、悪い事ばかり考えてしまう。それなら少しでも面白く思える事を詰め込む方が気が楽だったんです。こういう情報だって知ってて損はないですから。最初のうちはその時間を元に戻る方法の研究や賢者の石の手掛かりを探す事に使おうとしたけど、それもすぐに止めました。そういうのは兄さんと一緒に昼間にしようって」 「…うん。なんとなく分かるよ」 ここまで聞けば、フュリーにも想像はつく。 眠る事のできない弟が夜通し研究しているのに、自分だけ休むという事態にあの少年は納得しないだろう。 この場合、弟の実力を信頼してないとか任せられないとかそういう問題ではないのだ。 エドワードならばアルフォンスの目を盗んで己の睡眠時間を削ってでも研究に明け暮れようとしたに違いない。 それがアルフォンスにとって喜ばしい筈もなく、おそらく度重なる協議の結果、エドワードが就寝中はアルフォンスも研究を休む事にしたのだろう。 かといって店も全て閉まっている夜中に大きな鎧が一人で外をフラフラ出歩いても不審者として通報されかねない。 だから兄の睡眠の邪魔にならないよう、部屋で静かに雑誌類を読む事に落ち着いたといったところか。 「そういえばエドワード君、外出中なんだよね。何処に行ったか知ってる? 図書館とか?」 ベッド脇に腕を伸ばしてサイドテーブルに積まれた本の位置を軽く直し。 開いたスペースに紙袋を丁寧に置くアルフォンスを手伝いながら問うと、少年は目を細めて窓の方を見やった。 いつの間にか夕焼け空もだいぶ色褪せている。もう数分もしないうちに完全に日は落ちるだろう。 「そろそろ電気点けようか」「お願いします」との遣り取りを経て壁のスイッチを入れると、紅く染まっていた室内が一気に蛍光灯の光で白くなってここが病室なのだと改めて認識させられる。 「昨日外出許可を貰ったのはボクも聞いてたけど、眠ってる間に出たみたいで行先までは知らないです。図書館は…読みたい本や生活必需品はブロッシュ軍曹が届けてくれるので急ぐ必要はないし、ボクに行先を告げない理由はない。それでこの時間まで帰ってないとなると…」 「となると?」 「ヒューズさんの、お墓だと思います。セントラル墓地。あくまでボクの予想だけど、まず間違いないんじゃないかな」 ほんの少し声を落として答えるアルフォンスに、フュリーの方が息を呑む。 マース・ヒューズ准将。彼の人とエルリック兄弟の繋がりをフュリーも知っている。知っているからこそ、無責任な事は言えない。咄嗟に反応できず固まってしまったフュリーに、アルフォンスは困ったように眉尻を下げた。 「すみません、曹長を困らせるつもりはないんです。その、気にしないで下さい…ってのも変か。そうじゃなくて…」 「ああ、うん、僕の方こそ上手く言えなくてごめん……君達の方が辛いだろうに」 「そんな…どっちが辛いとかないです。ええと、そうですね、もし良かったら少しボクの独り言を聞いてくれませんか?」 「独り言?」 「予想の整理と、愚痴と、ボク自身の心の整理を兼ねて。ちょっと、誰かに聞いて貰いたい気分なんです。本当は地面に穴掘って叫べばいいんだろうけど、生憎まだ穴掘るまでの体力は回復してないので」 せっかく兄さんがいないチャンスだし、と悪戯っ子のように口角を上げるアルフォンス。 重くなりかけた空気を和ませようという少年の気遣いに、フュリーは有難く乗る事にした。 国家錬金術師の兄に負けず劣らず頭が回り、大人顔負けの度胸も実力もある少年の本音に多少興味もある。 「了解。たまには吐き出したいだけ吐き出したらいい。それくらいは僕でも役に立てるから」 「有難うございます。じゃあ、お言葉に甘えて。────兄さんの、バカたれ!!」 ベッドに座ったまま背筋を伸ばし、一呼吸して。 少年の口からゆっくりと紡ぎ出されたのは、ある意味予想通りでもある言葉。 張り上げるような大声ではないものの、なまじ笑顔で声に重みがある分、病明けとは思えない凄みがある。 「大体さ、兄さんは兄貴面し過ぎるんだよ。たった1年早く生まれただけでどんだけ兄が偉いんだよ。喧嘩じゃボクに勝った事ないくせに笑っちゃうね」 「………………」 いきなり核心である。先に独り言と宣言しただけあって、容赦ない。 瞬間湯沸かし器なエドワードと違って温厚で礼儀正しい少年だと軍の中でも認識されているアルフォンスだが、気の置けない相手…特に実の兄に対しては結構きつい毒舌も吐くのだ。 それはフュリーも何度となく現場に居合わせた事があるので知っていたが、彼がここまではっきり口にするのを見たのは初めてかもしれない。 こちらの反応を待つでもなく、少年は更に続けた。 「今日だってどうせ、退院後にボクと一緒に行くより一足先にヒューズさんに謝っておこうとか何とか思ったんだろうけどさ。リゼンブールに帰るのはボクの退院待ちしてるくせに、それってやっぱりボクより兄さんの方が責任が重いって考えてるって事なんだよね。グレイシアさん家に説明に行った時も最初兄さん一人で行って責められようとしてたし、その後だって独断で母さん…ではなかった生き物のお墓を掘り起こしたり、あげく自分の真理の扉をあっさりボクの肉体と引き換えに差し出して、おまけに自分だけ自戒とか言って左足置いてきちゃって、ほんっと何度ボクも同罪だと言えば分かるんだよあのドMバカ兄は─────!!!」 「あ、アルフォンス君落ち着いて! 息上がってる!」 ガトリングガンのように一気に捲し立て、ふー……と大きく息を吐くアルフォンス。 ハラハラするフュリーに目線だけで問題ないと伝えると、3回ほど深呼吸して少年は苦笑を浮かべた。 「………なんて言っても、これだけ長く一緒にいると兄さんの考えもそこそこ分かっちゃうから嫌なんだよなぁ。弟に弱みは見せたくない。心配を掛けたくない。辛い事は自分が矢面に立てばいい。だから可能な限り一人で抱え込む。 今でこそ前よりはボクに打ち明けてくれて大人にも頼るようになったし、そうやって守る者がいる事で力が湧くってのもあるんだろうけどさ。なんかもう、母さんを錬成しようって言い出した方とか家長としていいカッコしたいとかじゃなくてそれが素で当たり前になっちゃってるんだよなぁ。 ───あの時は扉とボクの肉体を引き換えにするのが最善且つ唯一の方法だった。錬金術師が真理の扉を失うって事は鳥が空を飛べなくなるのに等しいのに、兄さんは笑ってボクを迎えにきた。もっと言えば…帰り道を考えなくていいのなら、例えば死に掛けてたのがウィンリィやばっちゃんだとしても兄さんは迷わず自分の扉を差し出した筈だ。 もしボクが兄さんの立場で、それしか方法がなかったらボクも同じ事をしたとは思う。錬金術と大切な人の命、どっちが大切かなんて考えるまでもない。それでも多分………その方法に気付いて決断するまでの時間は兄さんより0.5秒は遅くなる。そこがボクと兄さんの差なんだよね」 ウィンリィ、ばっちゃんとはエルリック兄弟の幼馴染の少女とその祖母ピナコ・ロックベルの事だろう。 兄弟と一緒にセントラルに滞在していたポニーテールの少女にフュリーもちらりと会って挨拶した事があるが、明るく可愛らしい娘だった覚えがある。 エドワードの機械鎧整備師でもある彼女らは肉親の縁薄い兄弟にとって家族も同然の存在だという。 無意識なのか。膝に掛けた毛布を両手でぎゅっと握り締め、天井を見上げてアルフォンスは続けた。 「本当は左足だって取り戻せた筈なんだ。ウィンリィが嘆くからなんて尤もらしく惚気てたけど、ウィンリィだって兄さんの手足が完全に戻るならその方が喜ぶに決まってるんだよ。だけど兄さんはボクの分の自戒もひっくるめて左足をあっちに置いてきた。…なんだろう。それが兄弟の1年の違いなのかな。それとも持って生まれた資質かな。喧嘩っ早くてトラブルメーカーで一緒にいると苦労が絶えないのに、やっぱり兄さんには敵わないって思い知るんだよなぁ。 迷っても躓いても兄さんがボクを引っ張ってくれたから、ボクも最後まで諦めずに信じる事ができた。大好きな人達を守る為に闘う事ができた。もし兄さんに『ごめんなさい』とか『ボクのせいで』とか言ったら殴られるだろうから言わないけど、本当に感謝してるんだ。───あの人が兄で良かった」 「以上。独り言終わり!」と区切りを付けるように少年の声が放たれる。 姿勢を正してこちらに向き直ったアルフォンスの顔は穏やかで、何かを吹っ切ったかのように清々しい。 フュリーは漸くひとつ、腑に落ちたような気がした。 「ああそうか。アルフォンス君はエドワード君を尊敬してるんだね」 「兄さんには内緒ですよ。調子に乗らせるのも癪だから」 憎まれ口を叩きながらも、フュリーの言葉を否定はしない。 この年頃の子供が年の近い同性の子供を全面的に信頼し、尊敬するのは案外難しい。どうしても自分と比較して嫉妬してしまうからだ。兄弟でも友人でも、それが身近な存在であればあるほど内心の評価は辛くなる。勉強やスポーツなど得意分野が重なれば尚の事だ。 同じ錬金術師として冷静に分析し、その上で兄を尊敬できるアルフォンスの器も相当大きいと言えるだろう。 捻くれてるようで真っ直ぐで。素直なようで素直じゃなくて。そしてとても賢く、誰よりも優しい。 ベッドの上で微笑む少年の顔に、三つ編みの少年の勝気な表情が重なった。 「───君達はよく似ていると思うよ。多分、君達が自分で考えている以上に」 それが共に苦難を乗り越えてきた兄弟の絆というものなのか。おそらく共通遺伝子の為せる技だけではあるまい。 思わずしみじみと呟いたフュリーに、アルフォンスはあからさまに眉を顰めた。腕を組み、なんとも複雑そうに苦笑する。 「それって褒め言葉なのか微妙だなぁ。後先考えず行動するな、もうちょっとボクに頼れって腹立たしく思う事も多いんですけどね。あと、恋愛面では兄さんと同じレベルになりたくないかな。兄さんの場合、あれだけバレバレなのに誤魔化せてると思う方がおかしい。ボクへの罪悪感とヘタレは別物だ」 「はは…厳しいね」 「そりゃあ、早々に吹っ切ったとはいえ初恋の女の子を嬉し泣き以外で泣かせたくないですからね。恋じゃなくなっても彼女は一番大切な女の子で家族なんです。だけど誰がどう見ても両想いで、おそらく本人達もぼんやり気付いてはいるのに気付かない振り…って傍で見てる方がもどかしいったらないですよ。その要因の1つが自分となれば余計に。 これでやっと遠慮するなって背中を突き飛ばせるようになった訳だけど、兄さんの事だからまだ暫く時間掛かりそうなのがなぁ……ほんっとデリカシーないくせに無駄に律儀だから」 座ったまま伸びをしながら「あーボクも可愛い彼女欲しいー!」とぼやくアルフォンスの声は話の内容に反して明るい。 これまでの話から察するに初恋の女の子とは幼馴染の少女の事なのだろうが、強がりではなく本当に兄を応援しているように見えた。ずっと傍で見てきて、兄と幼馴染どちらも大切だからこそ二人に幸せになって貰いたいという気持ちは分からなくもない。 身体を取り戻す旅が終わってやっと彼らも年相応の恋話ができるようになったのだと思うと感慨深く微笑ましいが、フュリーとてその方面は決して百戦錬磨ではないので少年に的確なアドバイスもできないのが悲しいところだ。 ……というかマスタング隊にいる限り、少年達よりもいい歳をした大人達の方が彼女を作るのが厳しいのではなかろうか。東部務めの頃からハボックの辿った道を思い出すに、大佐の呪いなのか男連中は総じて女運が逃げて行ってる気がしてならない。有能な上司の下で働けるのは光栄だが、彼が女神を射止めない限り下っ端に幸せは来ないのだとすると……ちょっと本気で泣ける。 「曹長? どうかしました?」 「あ…いや、なんでもないよ、あははは…」 不穏な予感が顔に出ていたのか、少年が特別鋭いのか。 きょとんとこちらを見上げるアルフォンスにぎこちない笑みを返したところで、壁に掛かった時計の針がだいぶ進んでいた事に気付いた。カーテンの隙間から見える窓の外もすっかり暗くなり、道沿いに設置されたガス塔の明かりがぽつぽつと自己主張を始めている。 「ってごめんアルフォンス君、休んでいたところ随分長居しちゃったね。そろそろ僕も帰らないと」 「ああ、こちらこそ引き止めちゃってすみません。聞いて貰えてすっきりしました」 「それなら良かった。じゃあ、エドワード君にもよろしくね。お大事に」 「はい。ゼリーも有難うございました。夕食後、兄さんと一緒に戴きます」 どうせ今日も残業だろうと分かってはいるが、中央司令部への帰りがあまり遅くなるのも好ましくない。 脱走兵として処罰を受けてもおかしくなかったのを辛うじて回避できたのと引き換えに、やる事はいくらでもあるのだ。 勤勉に頑張っていればいつか自分にも自分に相応しい女神が微笑んでくれる……と信じよう。 諦めず信じる事が大切だと。そうすればどんな困難も乗り越えられると、目の前の少年が証明してくれたではないか。 気持ちを切り替え、会釈する少年に軽く手を振って病室の扉を出ようとしたところでフュリーは大切な事を思い出して振り返った。 「そうだ言い忘れてたよ。今度また、皆一緒にマスタング大佐の下で東方司令部勤務になったんだ。当分移動はないだろうから、退院したらまたあっちに顔を見せにおいで。───君達ならいつでも歓迎するよ。皆もきっと喜ぶと思う」 先程のアルフォンスの話にも出てきたが、エドワードが錬金術を使えなくなった件は大佐も知っている。 元々賢者の石の手掛かりを探す為に軍の狗と呼ばれる覚悟で国家錬金術師の資格を取得したらしいが、石を探す必要もなくなった今、エドワードが軍に残る理由はない。そうでなくても人柱選出が目的であった国家錬金術師制度は今後大きく変わっていくだろうというのが新上層部の見解だ。 錬金術がなくてもエドワードの知識や度胸は充分活用できるし本人が辞めたいと言わない限りなんらかの形で軍に残る事もできるだろうが、まだ年若い少年は軍を離れて改めて生きる道を探す事もできる。 寧ろ少年の性格的にその方が自然かもしれない。 それでも。フュリー個人としてはこれでエルリック兄弟との付き合いは完全にお終い、はいサヨウナラ…というのはあまりにも寂しいと思う。 ホムンクルスとの戦いにおいて重要な役割を担っただけでなく、軍隊という荒みがちな世界の中で眩しい理想を掲げる少年達の姿は一筋の光であり、癒しでもあった。危なっかしいがほっとけない。彼らが頑張るのなら大人はもっと頑張ろう。それは兄弟に関わった多くの大人達の共通認識だったように思える。 例えエドワードが軍属でなくなっても、この縁を失いたくはない。友人として彼らの力になれるならなりたい。この兄弟はそう思わせるだけの人物だった。 「…有難うございます。じゃあ、今度伺った時には東方司令部名物のまずいコーヒー奢って下さい。一度飲んでみたかったんです」 「うん、それくらい何杯でも。色々近況報告してくれると嬉しいよ」 「勿論。兄さんの恋の進展も報告しますね。皆さんにはとっっってもお世話になりましたから」 「それは楽しみだなぁ」 ふわりと笑うアルフォンスに釣られてフュリーの顔も緩む。聡明な少年はこちらの意図などお見通しなのだろう。 ホークアイ中尉の腕をもって淹れてもまずいと評判の安物のコーヒーは、マスタング隊にとって東方司令部における思い出の1つだ。査定やら何やらで東方司令部を訪れていたエドワードもたまに飲んでは微妙な顔をしていたのをアルフォンスも覚えていたらしい。中央に移動になってからあの味もすっかりご無沙汰していたが、初心な少年の恋話に花を咲かせながら飲むコーヒーは2割増しで美味く感じるに違いない。嬉々としてその談笑に参加してきそうな上司や同僚、それに対して顔を真っ赤にして暴れる少年の姿が容易に想像できる。 ……吹っ切っても応援していても。信じていても。 可愛い娘と既に両想いの少年をからかって遊ぶくらいは許されるだろう。 そうして確かな共感を胸に、少年達との再会を願ってフュリーは病室を退出した。 面会時間も終わって人も少なくなった建物を一歩外に出ると、まだ少し寒さの残る春の夜風が頬を撫でる。 ───頑張ろう。少年達に負けてはいられない。 通信機くらいしか得意分野のない自分にできる事は本当にちっぽけだけど、彼らと一緒に守ったこの国とこの国の人々を次の世代に渡すまで。 その為に自分はこの道を選び、残るのだから。 命を預けてついていこうと思える上司と頼もしい同僚に巡り合えたのだから。 問題は多々あれど、尊敬できる人物が身近に何人もいるというのはかなり幸せな事なのかもしれない。 「…あのゼリーのお店、まだ開いてるかな」 偶然見つけたとはいえアルフォンスのお墨付きの店だ。 自分も小腹が空いてきたし、今頃司令部でデスクに噛り付いてるだろう仲間達に差し入れするのも悪くない。 一番星が瞬くセントラルの夜空の下、壮大な目標の前にまずはささやかな目的を果たすべくフュリーは走り出したのだった。
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