【闇夜の戦い】




 
 湖に浮かぶ古城が『炎の運び手』の本拠地となって数週間が過ぎた頃。


───銀の乙女が、倒れた。


その知らせに、ビュッデヒュッケ城が震撼した。






 トウタの診察するところ、風邪のひき始めに今までの過労が重なったとの事だった。

丸1日ベッドでゆっくり休めばほぼ回復するだろうとの見解である。

朝方、会議室に向かう彼女…ゼクセン連邦騎士団長クリス・ライトフェローの顔色が極端に悪いのを騎士見習いの少年が見咎め、平気だと言い張る彼女をどうにか説得してトウタの診療所に向かわせた結果、判明したのだ。

 当然の如く、そんな彼女に無理をさせるような神経の持ち主はこの城にはいない。

軍師シーザーも新たな炎の英雄となったヒューゴも快く彼女の休息を認め、相変わらず「この忙しい時期にわたしだけが休む訳には…」と堅苦しい事を言う団長にサロメは絶対安静を言い渡した。

もし、そんな状態でふらふらと出歩けば逆に他の騎士達の不安を煽るだけだと釘を刺すのも忘れない。

そう言われてしまうと彼女とて逆らえないのは計算の上だ。

長年騎士団の参謀を勤めるサロメにしてみれば強情なクリスの性格などお見通しである。

現に一度、無理して倒れた事があるのだから彼女に弁解の余地はない。

 そんな訳で、クリスはしぶしぶながらも1日の養生を余儀なくされた。

因みに彼女が倒れて最も騒ぎそうなボルスはサロメの使い兼評議会への牽制でレオン、ロランと共に昨日からゼクセへ向かっており、帰還は明日の予定だ。

直情型のボルスとは少々違った形で警戒が必要だと評されるハルモニア人工作員ナッシュと騎士団でもスマートな役どころながら侮れない存在として名高いパーシヴァルは、それぞれシーザーに任されている外せない用事があり、昼間からクリスの私室に入り浸る時間的余裕などない。

仮にクリスが心配だと無理に時間を作って訪ねたところで、苦りきった顔で「そんな事より仕事をしろ」と彼女自身に追い返されるのがオチである。

そもそも、病気で眠っている女性の部屋をむやみに訪問するほど彼らは無神経ではなかった。

タイプに差はあれど、どちらも伊達に女性に人気がある訳ではない。その辺りは心得たものだ。

───比較的静かにクリスがその日1日を過ごせたのは、日頃いらぬ苦労を背負い込んでいる(本人にその自覚は全くないが)彼女を神様が哀れんだ、ほんのささやかな幸運なのかもしれなかった。








 そしてその日の夕食時も何事もなく無事に過ぎ。

酒場に入り浸る一部の夜更かし連中を除き、城に住む殆どの人間が休息の為に自らがあてがわれた部屋に戻る頃、ひとりの男がある部屋を目指して薄暗い廊下を歩いていた。

その手には温かそうな湯気の立ち込める特製スープの皿が乗ったお盆が抱えられている。

 その男の名はパーシヴァル・フロイライン。

イクセの片田舎出身ながら実力で騎士階級まで上り詰めた男である。

重い甲冑をものともせず颯爽と歩く彼が目指しているのは勿論、彼の上司であり敬愛する人物でもあるクリスの私室だ。

スープ片手に彼女を訪ねたところで本人が眠っていては意味がない。

部屋の扉をノックして起こすのは忍びないし、夜も更けたこの時間に無断で入ろうものならそれこそ大問題である。

よって当然、今現在彼女が目を覚ましているのは彼女の従卒である少年からチェック済みだ。

密かにこのチャンスを待ち続け、ついさっき洗面器の水を取り替えに行って戻ってきたばかりのルイスを捕まえたのだから間違いない。

ルイスの言うには、1日ゆっくり休養したおかげで我らが女神はもう殆ど熱も下がり、退屈すぎて仕方ないと不満をこぼしているらしい。大量にある書類だけでも目を通したいと言ったのを宥めたところだという。




(まったく、あのお方は……)

 ルイスとの会話を思い出しながら階段を上るパーシヴァルの顔に苦笑が浮かぶ。

皆まで聞かずともその時のクリスの表情や言葉を簡単に予想できる。

誰よりも誇り高く。強く。何事にも一生懸命で。

それ以上に不器用で。強情で。損な生き方しかできない女性。

銀の乙女、白き英雄と謳われる美しい女性の本当の姿は、こんなにも人間臭い。

だからこそ騎士達は───パーシヴァルは、クリスを放っておけないのだ。

少しでも彼女の役に立ちたい。

彼女の喜ぶ顔がみたい。

この気持ちは、少なくとも「彼女が上司だから」というだけではない。

それだけで彼女に命を預ける事などできない。

こと恋愛に関して人の十倍は鈍い女神にこの気持ちが伝わっているとは言い難いのが難点だが。



───ならば態度で示すまで。



 幸い、今日は『敵』が少ない。

このチャンスを逃すほど、パーシヴァルは甘くはなかった。








「───でも、あなたがいたのでしたね…」

「…なーにかなぁ、その冷たい声は。」

「気のせいでしょう。」 

 古びた城の廊下に、幼い子供が聞いたら泣き出しそうな氷点下の声と、それとは逆にこの場に場違いなくらい明るい声が響いた。

───ここは、クリスが私室として与えられている部屋に程近い、廊下の角。

この角を曲がればすぐそこに彼女の私室がある。

つまり格好悪くも、ものの見事に彼らは鉢合わせした訳である。

その男のひとり、パーシヴァルは大きく溜息をついた。



「やはりというか、なんというか…女性の寝込みにどうにかしようというのがあなたらしいですね。」

「聞き捨てならないな、パーシヴァルくん。オジサンがそんな事をするとでも?」



 もう片方の男、ナッシュはこれ見よがしに肩を竦めてみせる。

彼もまた、パーシヴァルと同じく何やら湯気のたつ物体を片手に携えている。

ナッシュと名乗るこの男は、37歳・妻帯者という自己申告のわりに全くそうは見えない。

外見においても言動においても、全てが胡散臭い男なのだ。

そのせいもあって目下、騎士団(クリス親衛隊とはリリィの談だが、それを否定できるのは何も知らないクリスを含めた騎士団の人間のみである)の中で最も危険だとされている人物でもある。

上層部の者しか知らない事だが団長と二人旅などという美味しい役割を掻っ攫ったうえ、この男の何がそうさせるのか、クリスは彼をそれなりに信頼しているように見えるのだから面白くない事このうえない。

剣と飛び道具という得物の差はあれ、下手な騎士より余程腕がたつのだから尚更だ。

尤も、あからさまに彼を嫌ってみせるような子供っぽい真似をするのは一部の人間だけだが。

パーシヴァルはその顔にいつもの涼やかな笑みを浮かべてみせた。

内心はともかく形だけは『立派に友好的に』振舞える男の一人が彼である。



「なんとなくあなたならやりかねない、と思っただけですよ。もし本当にそうなら今すぐ切り刻んで湖の魚の餌にして差し上げますが。」

「…なんとなくで魚の餌にされては堪らないんですがね。」

「それなら疑われるような行動は控えて下さい。」

「疑われるような?」

「こんな時間に眠っている女性の部屋を訪ねる事です。」

「それはきみにも当て嵌まると思うが。」

「わたしはクリス様が起きておられるのを確信したから来たのです。下心はありません。」

「うーん、だったらおれもそういう事にしておくかな?」

「………………」




 カキーン。

鋭い金属音が闇に響く。

さり気なくお盆を右手から左手に持ち替え、勢いよく抜かれたパーシヴァルの剣が、ナッシュの短剣によって受け止められた。



「待て待て、本当だって!! ルイスとお前さんの話を聞いてたんだよ!!!」

「それならそうと最初から言って下さい。」

「……無茶するなぁ、パーシヴァルくんは。」

「あなたがふざけ過ぎなんです。」



 何事もなかったように腰に剣を納める騎士に、ナッシュは苦笑を禁じえない。

今のパーシヴァルの剣は、本気とまではいかずともナッシュの反応が少しでも遅かったら洒落にならないレベルの一撃だった。

世間ではクールで通している男の熱い内実を垣間見れるのは、あるいはナッシュくらいなのかもしれない。



───その内面は誰よりも熱いものを持っているのに、愛しい女性を前にすると素直にそれを表現できない。

たとえその耳に甘い言葉を囁いても、何処か冗談っぽくとれるように逃げ道を作ってしまう。

片方は『妻帯者』、片方は『上司に仕える部下』としての仮面を完全に拭い去る勇気がない。



彼女を永久に失うのが怖くて。

影ながら彼女を支える事しかできない。



それなのに、気づいて欲しいと心の底で願っている。



───要するに根底の部分で似ているのだ、ナッシュとパーシヴァルは。

だからこそこの二人が顔を合わすとタダではすまない。

今のように剣が飛び交う事は滅多にないものの、なまじどちらも口が達者だから限りなく舌戦が繰り広げられるのは日常茶飯事。

………本人達は否定するだろうが、判る人はそれを同属嫌悪と呼ぶ。







「…それはそうと。なんだい、それは?」

 取り敢えずアイサツが一通り済み。

自分も短剣を腰に仕舞いながらナッシュが指差したのは、パーシヴァルの左手に移ったお盆の上の物体である。

「スープです。それともこれが机にでも見えますか? 老眼にはいくらなんでもお早いと思いますが。」

「……言ってくれるね、きみも。」

「ちっとも自分をトシだとは思っていないくせに、オジサンオジサンと年長者ぶるのが悪いんです。」  

「実際きみより随分年上だと思うけどなぁ。おれが成人した頃は、きみはまだ
鼻水を垂らした少年だったよ?」

「だったらクリス様は
幼女ですね。それで手を出したら間違いなく犯罪ですよ。」

「だがこの年になると女は
成熟した男の色気ってものに惹かれるものさ。」

「………………」

「………………」



…このままでは話が進まない。

こほんと、ひとつ咳払いが放たれた。



「で。もしかしてそれは……」

「ええ、わたしが作りました。レストランの厨房を少しお借りしたんですよ。病気の時は栄養のあるもので体力をつけるのが一番ですから。以前クリス様にも好評だったんです。」

「へぇ…旨そうじゃないか。お堅い騎士様にそんな特技があったとは意外だな。」

「今の世の中、男でも料理くらいできないと情けないですからね。将来結婚しても女性にばかり家事をさせるつもりはありません。特にあまり家事に携わったことのない女性にはわたしのような伴侶が必要なのだと思います。」

「それは良かったな、その腕があれば騎士団をクビになっても
家政夫として食いっぱぐれることはないぞ。」

「そうですね。少なくとも、
何処でのたれ死ぬか分からない怪しげな仕事より余程賢い職業だと思いますよ。」

「………………」

「………………」



……またひとつ、咳払い。



「ところで、ナッシュ殿の持っているのは?」

「ああこれか? 特製スープってほどのもんじゃないが、効くんだよこれが。」

 にやりと笑ってナッシュが差し出したカップに、パーシヴァルは眉をしかめた。

熱によって飛ばされたようだが微かに残る、この独特の香りは。

「これは…お酒ですか?」

「ただの酒じゃないさ。玉子酒と言って、遥か東方の国に伝わる風邪の特効薬だ。酒に生卵を落として沸騰させてある。下手な薬草よりずっと効くのは保証するよ。」

「……それでも、お酒なんですね。何か余計なことも考えていませんか?」

「ん? 例えば、酔っ払ったクリスの寝巻きを取り替えてやろうとか?」

「だとしたらやっぱり魚の餌ですね。」

「そこまでおれは信用ないんですかねぇ。酒ったって、これは殆どアルコール分は残っちゃいませんよ。子供でも酔えないさ。」

「…ナッシュ殿、わたしが浅慮でした。申し訳ない。」

「いやいや、その手は
今度の機会に使わせて貰いますよ。後で酒を足せばどうとでもなる。」

「面白い冗談ですね。
あなたに次の機会があるとでも?

「………………」

「………………」



………今度は、二人同時に咳払い。

これではきりがない。



───女神の部屋に入れるのはナッシュとパーシヴァルの、どちらかひとり。



 暗黙のうちに決められたものの、どちらのけん制も決定打とならない。

かといってお互い腕にものを云わせるというような子供じみた事はできないのだ。

大体先程の分かりきった『アイサツ』はともかく、パーシヴァルは理由もなく剣を抜くのを禁じられた誇り高き騎士であり、ナッシュは奇術めいた暗器がその主な武器である。

実は剣…それも二刀流を得意ともしていたのだが、むやみに手のうちを見せるのは損でしかない。

よって一般的に色男と評されるどちらの男も笑顔を浮かべているのに、周りの空気は極寒である。

ひゅおぉぉお、と木枯らしの音まで聞こえそうなのは気のせいか。

緊張の糸がぴんと張り詰める。






「お二人とも、こんなところで何をなさってるんですか?」




 その緊張を破ったのは、意外にも問題の部屋から出てきた少年の声だった。

幼さの残る顔にきょとんとした表情を浮かべる騎士見習いの少年の手には、やはりお盆と質素な服らしきものが抱えられている。

「ル…ルイス…」

「どうして、ここに…」

 そういえば彼女の部屋には廊下の反対側の階段からも来れたんだっけ、と今になって思い出すパーシヴァルである。

ルイスはさっき彼女の部屋から戻ったばかりだとすっかり油断していたのだ。

隣の男を見ると、ナッシュもパーシヴァルと同じような顔をしている。

毒気を抜かれて目を瞬かせる大人達に歩き寄ると、ルイスは満面の笑顔をみせた。

本当の笑顔というのはこういうのを言うのだろう。



「クリス様の食器を下げに来たんですよ。回復してお腹が空いてたらしくて、
ぼくの作ったおじやを美味しいって全部食べてくれました。汗をかいた寝巻きも着替えられたので、今はまたぐっすりとお休みになってます。大丈夫ですよ、明日にはすっかり元気になられてるでしょう。」

「………………」

「………………」



 ぺこりと頭を下げ、足音も軽く目の前の階段を下りて行く少年に男二人が掛けれる言葉など、ない。






「お二人とも、まだまだ甘いですよ?」






───階段を下りきった少年が振り返りながら放った極めつけの台詞に、いい年した男二人が撃沈したのは言うまでもない。








「………一番の敵は、一番近くにいる…って本当だな………」

「………そうですね………」



 ふと気が付けば、スープも玉子酒もすっかり冷めている。

己の決心や多くのライバル達や彼女の鈍さを片付ける前に。

とてつもなく大きな壁があるのを実感した男達の目は、何処か遠くを見ていたとかいないとか────。










 因みにクリスは本当に翌朝にはすっかり回復し、元気な姿を見せて城の住人を安心させたという。

─────知らぬは、女神ばかりなり。








                  【幻水でギャグをやろうとして玉砕したよ座談会】

ルイス「(コンコン、と扉をノックする)ただいま戻りました───サロメ様。」

サロメ「ご苦労でしたね、ルイス。」

ルイス「サロメ様の仰ったとおりでした。お二人とも、びっくりした顔をなさってましたよ。」

サロメ「ふふ…これでもわたしは軍師ですからね。抜かりはありません。

    これからも頼みますよ、ルイス。」

ルイス「はい!! クリス様はぼくが護ります!!」

サロメ「あの二人は要注意人物です。くれぐれも油断なきようお願いしますよ。」

               …男達の戦いはまだ始まったばかりらしい(笑)








黒ルイス&策士サロメ…ではなく
パーシヴァルとナッシュの舌戦が書きたかっただけです(笑)。
この二人って笑顔でさらっと凄い台詞吐きそうな雰囲気ないっすか?
なんか似てると思うんですよ。好きな人への態度も。
でもこのクリスさんは今現在どっちにもなびかれていません☆