【轍】
 




 がこんがこん!



「うわわっ!?」



 派手な音と同時に勢いよく荷馬車が跳ねて、焦げ茶色の髪の少年は思わず声をあげた。

慌てて馬車の縁にしがみ付くと、古い木板の冷たい感触が掌に伝わる。

気を抜くと振り落とされそうな揺れは二呼吸分ほど続き、やがてがたがたという小さな揺れに戻った。

それに安堵したように少年──トーマスはほう、と息をつく。



「坊主、大丈夫だったかぁ?」

「あ、はい平気です!」



 荷馬車の前方から掛けられた声に返事をしながら、不恰好に崩れた体勢を整える。



「ちょっとびっくりしたけど、落ちずに済みました。」



 後ろを振り返りながら正直に言うと中年男の豪快な笑い声が返ってきた。

慣れない道をとぼとぼと歩いていたトーマスに「途中まで乗って行け」と声を掛けてくれた気のいい農夫の麦藁帽子が樽の隙間で揺れている。



「ま、この先はさっきみたいな揺れはそうないさ。」

「そうなんですか?」



 この辺りはトーマスにとって初めての土地である。

だから農夫の説明にもピンと来ない。



「坊主は無名諸国から来たって言ってたっけ?」

「あ、ええ、はい。」

「それじゃ分からねぇのも無理ないか。つまりだな、この道の先にはこれから俺が向かう小さな村とお前さんが行くナントカってボロ城くらいしかねぇんだよ。何も面白いもんもないから滅多に人も行き来しねぇ。馬車も通らねぇ。だから轍も殆ど残らないのさ。」

「わだち…って確か馬車の通った跡の事、ですよね。」



 普段あまり使い慣れない単語を口の中で繰り返す。



「おうよ。先週の大雨ですっかり道がぬかるんじまったからな。今でこそ乾いているが、緩んだ土の上を重量のある馬車が通れば当然車輪の跡が残る。そのまま乾けば道はがたがたのままだ。馬車が多く通ればそれだけ溝も多く深くなる。」



 さっきの揺れがそうさ、と言われてトーマスは改めて遥か前方──馬車の進行方向から見れば後方だが──を見やった。

離れてしまった分見え難くなっているが、なるほど、先程通過した場所はブラス城とビネ・デル・ゼクセへと続く道の交差点という事もあって何台もの馬車が通ったようにでこぼこと大きく地面がへこみ、盛り上がっているのが遠目にも分かった。

トーマスは樽やら木箱やら大量に積まれた荷台の最後尾に膝から下を投げ出す形で後ろ前に腰掛けていたので、前以て揺れを予測できなかったのである。

そのまま視線をずらして今現在馬車が走っているすぐ足元を見ると、この辺りには殆ど車輪の跡が残っていないようだった。

農夫が言うようにそれだけ通行量が少ないのだろう。

そういえば彼は農産物や飼料を海産物や日用品と交換売買する為に二ヶ月に一度だけ街を行き来するのだと言っていた。

騎士ならば馬で往復する事もあるのかもしれないが、庶民の移動方法は歩き、良くて荷馬車が一般的だ。

街や村の中ならともかく、魔物が徘徊する草原や森の傍を理由もなく往復する物好きな人間もそうはいない。

加えて近頃はゼクセン連邦とグラスランド間で戦争が頻発しているので別の心配もある。

トーマスだって無名諸国からゼクセンまでの道のりの大半を商人や旅人の隊列に混ぜて貰って、ようやく辿り着いたのだ。



「まぁ、ブラス城やゼクセのように石畳で整備されてる訳でもないから、道が悪いのはどうにもならねぇんだけどな。
なにせ田舎だ。」



 明るく言う農夫の言葉に、トーマスは小さく笑みを浮かべた。



「ぼく、石畳の街ってここに来て初めて見ました。」

「そうか、驚いただろ?」

「はい。…凄いですよね。ゼクセが大きい町だとは聞いてたけど、あんなにとは思いませんでした。」

「ゼクセは特別だ。俺はなんか落ち着かねぇけどな。三日もいれば村の土が恋しくなる。」

「あはは…分かります。」



 トーマスの脳裏に浮かぶのは、ほんの数日だけ滞在した冷たい石の街。

人が溢れ、店には何でも揃っていて、美しく幾何学的で。

だけど見知らぬ他人に無関心で、刹那的で、それが当たり前で。

母と過ごした無名諸国の村よりずっと賑やかなのに…何処か寂しい街だと思った。



───生まれて初めて顔を合わせた父のせい、だけではないと思う。



「…石畳ならどんな雨が降ろうと道が悪くなる事もないんだろうけど…」



 ぽつりと、誰に言うでもなく呟く。

石で造られた街は馬車が通っても轍ができない。

誰が通ろうと足跡を残さない。

何も、残らない。

今まで生きてきた道も。

これから生きていく道も。

人はただ通り過ぎてゆくだけ。



───それはなんだか、とても寂しい事のような気がした。



「───おい坊主、寝てるのか? ほら着いたぜ!」



 突如背後から掛けられた大声に、トーマスは我に返った。

気が付けば馬車は二つに分かれた道のちょうど真ん中で止まっていた。

他愛無い考えに没頭しているうちに、それなりの時間が過ぎていたらしい。

馬の手綱を握ったまま、農夫がこちらを振り返って苦笑している。



「す、すみません!」



 大急ぎで荷台に置いてあった自分の鞄を引っ掴み、よいしょ、と少年らしからぬ掛け声と共に馬車から飛び降りる。

大した高さでもないのに乾いた硬い地面の感触が靴底に響いた。

じーんと痺れる足を苦笑いで誤魔化しつつ、農夫の座る前方座席へと走る。



「本当に有難うございました、助かりました。」

「いいって事よ。どうせついでだったしな。」



 ぺこりと頭を下げると、男は気にするなと言うようにひらひらと手を振ってみせた。



「しかしお前さん、本当にそのナントカ城に行くつもりなのかい。あそこは何年も前から殆ど人の出入りがないんだぞ。行っても仕方ないと思うがなぁ。」

「───はい。それでもぼくは行かなければならないんです。」

「そうかい。ま、止めはしないけどよ。それじゃ気を付けてな。」

「有難うございます。そちらもお気を付けて。」

「おう。」



 簡単な挨拶を残し、再び走り出した馬車が二つに分かれた道の片方に進んでゆく。

小さくなっていくその姿を暫くの間見送った後、トーマスは大きく息を吐いた。

踵を軸に半回転し、もう片方の道へと向き合う。

雑草を刈っただけといった感じの簡素な道には、車輪の跡ひとつ残っていなかった。



(───ぼくは、行かなければならない。)



 それがどんな場所でも。

自分が行く場所は他に存在しないのだから。     



でも。



 行かなければならない、は。

行く事ができる、とも言い換える事ができる。

皮肉な偶然の産物とはいえ、そのチャンスを与えられたのは今のところ自分だけ。

それならば。



「ぼくの道は、ぼくが歩いて作ればいいんだ。」



 一歩。また一歩。

顔を上げ、目的地である城を目指して地面を踏みしめる。

誰かが作った轍ではなく。

通った後ろにしかできない轍ではなく。

不安がまるでない訳ではないけれど。

何もない道を歩くのだって、きっと意味がある筈だ。



「───うん、頑張ろう!」



 トーマスは頭上に広がる青空に宣言すると、これから始まるだろう日々に思いを馳せてゆっくりと進み出した────。






                   【なんだか妙に久しぶりっぽいぞ幻水座談会】

トーマス「え、えーと…そんな訳で、100企画第9弾は珍しくぼくが主役のお話でした。

     ご静聴有難うございましたっ。(ダッシュ)」

作者  「待てーいっ、言うだけ言って逃げるな!!(がしっ)」

トーマス「で、でも、他に何を言えばいいのか…(汗)」

作者  「…………それもそうだな。仕方ない、私が少しネタばらしするか。

     実はこのお題、キープした後にネタがコロコロ変わったんだよ。」

トーマス「そんなのいつもの事じゃないですか。(キッパリ)」

作者  「…………まぁその通りなんだけど。(絶対こいつ、ブラック入ってるぞ…)

     他ネタではセシルと一緒inブラス城とか、絵とSSSのセットになる予定だったりとか。

     絵については本文が予想より増えたんで、もういらないやってなったんだけどさ。(おい)

     ただ珍しかったのは、どれにしても主役はトーマスって決まっていた事かな。

     ふと、今までの幻水話に全然出してなかったのに気付いて吃驚しちゃってねー…。

     破壊者だって出てるのに曲がりなりにも主人公の一人ならそれはアカンやろ、と。

     良かったねトーマス、これでやっとキミもセシルに並んだよv」

トーマス「………………(←喜ぶべきか怒るべきか悩んでいるらしい)」








トーマス君。あんた地味すぎ。(いきなりそれか)
一枚の絵のような、のどかな雰囲気を出したかったんですが
性格のせいか言葉使いのせいか、なんとも味気ない小話に…(苦笑)。
苦労人な彼は周りに振り回されてこそ存在が引き立つんでしょうな。
あ。分かり難かったかもですが、ビュッデヒュッケ城にやって来る直前の話ですよコレ。
これから女の子に護られ、もさもさに瞬殺される超貧乏生活が待ち構えているのです(笑)。
しかし梨栗以外の幻水は久しぶりだったわ…。


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