【手を繋ぐ】





───たぶん、最初の記憶は父。そして母。



『父さま、母さま。こっちこっち!』 

『ほらクリス、ちゃんと前を見て歩かないと転ぶぞ』

『クリス、転ばないもん! すっごく綺麗なお花だったの! だから早く行こ!』

『ふふふ。そんなに引っ張らなくてもお花は逃げないわよ、クリス』



右側に父。右手を握る大きくてごつごつした戦士の掌は、子供心にとても力強く、誇らしく思えた。

左側に母。左手を包むのは父よりずっと細く、しなやかな指。綺麗で柔らかくて温かくて、安心した。



───そしてそれが、最後の記憶───だった。









「う…ん……」

「…おや、麗しき眠り姫のお目覚めですね。」

「…………もう、朝?」

「ああ。でもまだ早い、もう少し寝ていても大丈夫だよ。」

「そうか……」

 大丈夫と言われても、はいそうですかともう一度眠る気にはなれない。

さり気なく軽口を受け流し。

とろとろとした眠りから意識を浮上させてどうにか瞼を押し上げると、すぐ目の前にここ最近やけに見慣れた男の顔があった。

自室の同じ寝台の上で、枕に片肘をついた男の翡翠色の瞳がクリスをさも面白そうに見下ろしている。

どうやらとっくに目を覚ましていたらしい男は、断りもなくクリスの寝顔を堪能していたようだ。

…いやこういうのは早い者勝ちというか、断るも何もないのは自分だって分かってはいる。

それでも見られる方としては、未だ慣れない行為後の気恥ずかしさも手伝ってはっきり言って面白くない。

「…………癖、だな。」

「……何が……?」

 恥ずかしさと気だるさに加え、もともと寝起きが良い方とは言えないクリスである。

独り言のように呟かれた言葉に返す声が、少々不機嫌に聞こえたとしても仕方ないだろう。

ぼんやりと焦点の定まらない目をしたまま、半ば条件反射のように男に視線を戻す。

まだ起床時刻には余裕があるとはいえ、この時期の日の出は早い。

窓からは微かな光が差し込み、男の金の髪を淡く照らしていた。

「ん〜…お姫様は自覚なし、ですか。」

 男──ナッシュが更に楽しげな表情でとんとん、とクリスの手の甲を右手の指先で軽く突っついた。

そこにあったのは、ナッシュの左の掌を両手で包み込むようにして握り締めている自分の手。

「…っ!!」

 がばっ。

ようやく己の状態に気付いて、クリスは一気に目を覚ました。

薄いキャミソールだけを身に纏った上半身を寝台から起こすのと同時に慌てて両手を放すと、よほど長い時間そうしていたのか、掌にしっとりと汗が滲んでいたのが今になって分かる。

「え、えっと、これは、だな…」

 床を同じにしていた以上、今更手を繋いだくらいでどうこういう事はない。

しかし、それは別としてこれはこれでなんだか物凄く恥ずかしい。

完全に無意識、自覚がなかっただけに余計に。

これではまるで赤子というか幼子というか。

寧ろ、この男から片時も離れたくないと自己主張しているみたいではないか。

顔を赤くして口をぱくぱくさせるクリスに、肘をついた姿勢のままナッシュがくすりと声を出さずに笑う。

「知ってた? 君は手を繋ぐのが凄く好きなんだよ。あの最中だって可愛いらしい声を上げながら───」

 ぼすっ。

ニヤニヤとスケベ親父そのものといった感じで続けられそうになった台詞を、神業的スピードで男の肘の下から抜き取った枕を顔面に叩きつける事によって遮る。

…もしクリスの手の届く範囲に剣があれば躊躇なくそっちを使ったのは間違いない。

不幸の代名詞でもある一言多い男は、本人の知らぬところで珍しく幸運だったと言えるだろう。

「ぶはっ。…可愛いって褒めてるんだから、そんなに照れなくても…」

「煩い、それ以上喋るな口を開くな! これは不可抗力だ、これ以上言ったら二度と部屋に入れないからなっ!」

「それは困るなぁ。夜這いも結構大変なんだ、出来れば今度はお姫様から誘って欲しいねぇ。」

「〜〜〜まだ言うか!!」

 でも、と。

唐突にナッシュの翡翠の瞳が細められ、未だ頬を染めて肩で息をするクリスを見返した。

実年齢よりも若く見られるその顔にはいつもの飄々とした笑みではない、慈しむような柔らかな微笑みが刻まれている。




「………人の温もりを求めるようになったのは、いい事だよ。おれが初めてクリスの手を握った時とは違う。」

「…………………」

 不意打ちの言葉に、クリスは思わず咽喉を詰まらせた。




───それは、今となっては遠い昔のように思えるほんの些細な出来事。

炎の英雄を求めて二人でグラスランドに入ってすぐの事だった。

クリスにとって当時のナッシュは「胡散臭い不可解な男」でしかなかったし、ナッシュにとってもクリスは「騎士団から護衛を頼まれた団長殿」でしかなかったはずだ。

今でも何故こんな関係になったのか不思議に思う事があるが、要するに野営とは違う形で共に夜を過ごす様になるとは露ほども予測出来なかった頃である。

 よって当然、手を握ったと言っても恋人同士が手を繋ぐとか、そういった甘い雰囲気は一切なく。

単に足場の悪い山道を歩いていてクリスの肩くらいの高さの岩場を登るのに、先に上ったナッシュの手を借りたというだけだった。

どちらかと言うと「手を握った」と表現するよりも、散々クリスが一人で大丈夫だと辞退したのを「強引に引っ張り上げられた」と言った方が近い。



───お互い皮手袋をしていてもその体温をじわりと感じ、強張らずにはいられなかった手。

細身の外見から想像したよりもずっと大きな掌と強い力に驚いた記憶がクリスの脳裏に蘇る。




「おれがロクに知らない男だったから警戒していた…と言うより、あの頃のクリスは人と触れるのを極端に避けていただろう。誰かの温もりを身近に感じて──それを失うのを怖がっていたんだ。だから騎士団でも表面上は適当に付き合いをこなしながらも、必要以上に他人に関わるまいとしていた。自分一人の殻に閉じ篭っていた。違うかな?」

「……どう、して……」

「これでもクリスよりずっと長く生きてるんだ。おじさんを甘く見て貰っちゃ困るよ。」

 静かな笑みを浮かべて何でもないように言ってのける男に、返す言葉もない。




───幼き日の美しい思い出は、無意識のうちにクリスを縛り付けた。



 あの優しい日々は父の失踪と共に消え去った。

生来身体の弱かった母も病床につき、クリスだけが残された。

もう、あの手の温もりは何処にもない。

もう───こんな想いはしたくない。

失う苦しみはもう嫌だ。

それならば最初から温もりを知らなければいい。

大切なものを持たなければいい。

この手に馴染むのは、血の紅と剣の柄の冷たい感触だけでいい────。




「でもまぁ、結果として初心で強情なお姫様の隣に最初に潜り込めたのがわたしだったのは光栄の至りですが。」

 クリスと同じように上半身を寝台から起こし、すぐ傍にあった銀髪を一房つまんで口付けながらナッシュが囁く。

口では軽い事を言いながらも、その瞳には年齢以上の深みが湛えられているのをクリスは知っていた。




「あの頃の君と今の君は違うよ。───本当に、強くなった。」




───だから、失う苦しみも乗り越える事ができる。




「…だとしたらお前のおかげかもしれないな。───お前といると、父と手を繋いで歩いていた昔を思い出すよ。」

 ナッシュの言葉に含まれた意味を正確に読み取り、クリスはようやく笑ってみせた。




───笑えるだけの強さを、手に入れた。

クリスと母の幸せを願って姿を消し、命懸けで紋章を──世界を──引いてはクリスを守ろうとした父。

その父から受け継いだ真の紋章と目の前のこの男がそれを教えてくれた。

心から大切に思う事。

守りたいと思う事。

───人を愛する、という事。




「おいおい〜。おれは親父さんの代わりか? いくらなんでもそれはないぜ。そりゃ確かに不可能じゃないけど、でもなぁ…」

「…馬鹿。父の代わりと思うような奴とこんな事ができるか。」

 心底情けなさそうな顔でぶつぶつと不満の声を上げる男の首に両腕を回し、その唇を自らの唇で塞ぐ。

クリスの後頭部に手を添えてそれに応える長い長い口付けは、身体の芯を火照らすほどで。

「…確かにそうだ。」

「……ってうわっ!?」

 やっと唇を解放した男がにやりと笑ったかと思うと。

次の瞬間にはクリスの視界は一転し、逆に寝台に押し倒されていた。

その勢いでぎし、とマットがしなる。

今の二人を阻む唯一の存在であるキャミソールはあっさりと剥ぎ取られ、紅い花弁の痕が残る白い肌が露になった。

…腐っても特殊工作員と言うべきか。

逃がれようにも何気ない動作に全く隙がない。




「ちょっ、こら待て、もう朝…!」

「まだ大丈夫だって言っただろう? ここは積極的なお姫様にぜひとも応えないと。」

「だ、誰が積極的だ────!? ゃ…あ…っ…」

 そしてささやかな抵抗も男の手腕に掛かればあってないようなもので。








 繋いだ手は、そのままに。

睫毛を濡らす雫は、そっと優しい口付けによって拭われる。

そんな記憶が新たに増えるのも悪くない。








───いつか、本当の思い出に変わるその時まで────。










              【またまたやっちゃったよ梨栗事後シリーズ(待て)座談会】

作者 「…と言う事で40000HITのキリ番と100企画第11弾を兼ねた『手を繋ぐ』はこんな感じになりましたー!」

ナッシュ「……それは手抜きと言わないか?」

       スパーン。←スリッパ

作者 「細かい事は気にしない! 有難くもキリリクでお題ネタを提示して頂いただけよ♪」

ナッシュ「………どーでもいいが、なんでそんなにハイテンションなんだよ。」

作者 「ふっ…こうなりゃ開き直るしかないっつーの。この前作った梨栗ノベルゲームで

    うっかり手を繋ぐ場面を入れちゃって、しまったネタが被る!と後悔しても後の祭り。

    仕方ないからゲームの初々しい雰囲気とは違うネタでやろうとしたら、

    何故かR指定もどきになっちゃってさぁ…。(遠い目)

    しかもハッピーエンド主義の私には珍しく、最終的に別れるのが前提だよこの二人。

    たまには割り切って来るべき未来を見据えたネガティブなクリス(?)を書きたかったんだけど、

    これってラブラブと言えるのでしょうか。あははははは。」 

ナッシュ「………ダメだこいつは………(溜息)」

作者 「ていうか事後ばかりでいつになったら事前及び本番(死)シーンの話が書けるんだ私―─!?(叫)」

ナッシュ「だからそれはこっちの台詞だ!! もっとこう、クリスの可愛い乱れっぷりを──」

       バキッ。←鉄拳

クリス「真面目な顔でヘンな事を喚くなこのエロ中年───!!!(真っ赤)」









ぐはっ。キリリクは「ラブラブな梨栗」だったのにそうは見えません。
やる事ちゃんとやってるのに(爆)何故私が書くと甘くならないんだろう…。
ま、まぁ、こんなバージョンの二人もたまにはあるさという事で
どうかご容赦下さいませ…っ!(平伏)

………ところでこれってR指定っすか? 18禁じゃない…よね?(笑)



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