【理想と現実】 「ふう……」 夕餉から数時間。寝る前に風に当たりたくなって、自分に宛がわれた部屋から隣接するテラスに出たアルフォンスは大きく息を吐いた。 2階から見下ろす庭園は明かりも落とされてあまりよく見えないが、黒塗りの柱に金の細かい細工が施された欄干に肘をついて見上げる夜空はアメストリスのロックベル家から見上げる夜空とさほど変わらない。 何もかもアメストリスと異なる遠い異国の地において、それがなんだか不思議な感じがする。 柔らかな初夏の風が心地よく頬を撫でた。 過酷な砂漠超えを経てアルフォンスがジェルソ、ザンパノと共にシンの地に足を踏み入れたのが10日前。 それから皇宮のある首都に入り、マスタング准将からの親書を手に前以て連絡してあった皇帝リンとの謁見を済ませたのが3日前。 公式には優秀な錬金術師の派遣によるアメストリスとシンの外交強化及び錬金術と錬丹術の共同研究という形だが、かつて共に戦った旧友リンとメイの協力によってアルフォンスはここで暫く錬丹術の勉強をする事になる。 (……その筈、なんだけどね) 空気が澄んでいるのだろう。降るような星空にくっきりと浮かぶ月を見上げながらもう一度、溜息。 3日前に皇宮に入ってからはアルフォンスだけではなくジェルソとザンパノにも皇帝の友人として大層立派な個室が与えられ、長旅を労う心尽くしのもてなしを受けているが、肝心の錬丹術の勉強は何の進展もないのが現状だ。 それというのも、錬丹術の勉強をするうえで一番頼りにしていたメイと未だ再会を果たしていないからである。 リンが忙しいのはまだ分かる。賢者の石を手に入れて後継者争いを勝ち抜いたばかりの若き皇帝にはやるべき事が山盛りで、アメストリスで腹を空かせては行き倒れていたのが嘘のように昼夜を問わず真面目に働いているらしい。 それでも毎日の夕餉の時間だけは護衛のランファンと極少数の信頼のおける臣下以外の殆どを下がらせてアルフォンス達と共に大きな円卓を囲んで過ごすのは、外国との友好を深めるという建前だけでなく彼なりの友情の証兼息抜きなのだろう。 最初の謁見では多くの臣下の目もあってリンもこちらも畏まって挨拶したものだが、その日の晩餐で相変わらずの大食いと人懐っこい明るさを見せた皇帝の姿にラッシュバレーで初めて会った時の事を思い出してアルフォンスもつい笑ってしまった。 そのリン曰く。彼が全ての部族を纏め上げるのにチャン族代表として協力したメイもその功績を認められる形でそれなりの地位を手に入れ、今は皇帝の私室とそう離れていない別棟に仕事部屋と私室を与えられているらしい。 50の部族を束ねる皇宮には多くの建物が存在するが、セントラルの中央図書館のような巨大な書庫と膨大な蔵書と立派な研究施設もあり、「東の賢者」が残したと伝えられる錬丹術書の分析や新しい術式の開発が彼女の主な仕事なのだという。 アメストリスでも国家錬金術師クラスの優秀な錬金術師は少ないが、シンにおいても優秀な錬丹術師は極少数だ。 皇族は古くからの慣わしとして生まれた時から森羅万象の気を読む鍛錬を積む為に一般人よりは錬丹術への理解が早いが、実はメイはその中でもとんでもなく優秀な部類に入る錬丹術師だったらしい。 そもそもそうでなければあの年頃の少女が賢者の石の存在など気付く筈もなく、不老不死の法を求めてたった一人で砂漠を越えて異国の地にやって来る事もなかっただろう。 そんな彼女だったからこそ、あの時───アルフォンスの魂とエドワードの右腕を繋ぐ道を作るなどという、とんでもない無茶振りを成功させる事ができたのだ。 あの場にはエルリック兄弟と同様に「人柱」に選ばれたロイ・マスタング、イズミ・カーティス、そしてヴァン・ホーエンハイムという規格外レベルの錬金術師もいたが、人間2人を錬丹術による遠隔錬成で意図的に繋ぐなんて離れ業はメイ以外の誰にもできなかったに違いない。 この2年の間にマスタング准将経由でミスター・ハンを通して数回手紙のやり取りはしていたのでメイがここでリンの協力者として働いているのはアルフォンスも知っていたが、リンの口調から察するに思っていた以上に彼女は優秀であり、共に国を作る「仲間」として彼に認められているようだった。 蹴落とすのではなく全ての部族纏めて面倒みるという新しいシンの時代を作ろうとしている彼にとって、最下層出身とはいえれっきとした皇族であり優秀な術師でもあるメイが味方であるのは大きな武器でもあるのだろう。 ───そして。それほど優秀な錬丹術師であるメイだが、ここ最近は何故かリン以上に仕事が忙しくてほぼ一日中仕事場の奥に閉じ篭っているのだという。 ……それこそ、アルフォンスがここに到着しても丸3日挨拶にも出て来られないくらいに。 今日も夕餉の席でメイの様子を遠回しに尋ねたアルフォンスに対しリンは「まぁ、時間制限はないんだし暫くは許してあげてヨ。彼女にも何か考えがあるようだからサ」と豪快に笑っていた訳だが。 (………要するに、メイは僕を避けてるって事だよなぁ) あからさまに言われはしないが、リンの様子からするとそういう事だとしか考えられない。メイは仕事に没頭しているように見せて意図的にアルフォンスを避けている。これは完全に想定外だった。 リゼンブールでのリハビリ中にシンで錬丹術の勉強をすると決めた時から、アルフォンスは色々準備をしてきた。 アルフォンスのボディーガードとして旅についてきたジェルソとザンパノはシン語が殆ど理解できないし、リンやランファンとの会話は以前の気安さもあってアメストリス語を使っているものの、アルフォンスのシン語は日常会話程度ならほぼ完璧だ。 先駆者であるマリア・ロス中尉から直接シン語を教わり、自分でも多くの文献を取り寄せて勉強したので辞書なしで簡単な文章も読み書きできるようにまでなっている。 ジェルソ達は「噂通りシンは食い物が旨いな」「シンの体術は面白いからこの機会に習ってみるか」などとシン滞在を満喫しながらも独特な言語に四苦八苦しているようだが、アルフォンスにとっては難しい錬金術書の解読に比べれば外国語を1つや2つマスターする事など容易いものだった。 メイとの微笑ましい文通は勉強の為にお互い拙い異国語を使ったものだったので、そのおかげもあるだろう。 (手紙では、そんなに嫌われてるとは思わなかったんだけどな………) 文通期間の最後にメイから返事を貰ったのは3ヶ月くらい前だろうか。その前の手紙で近いうちにシンに渡る予定だと書いたのだが、メイはとても喜んでいたように思う。 アルフォンスのシン語解釈が間違っていなければ確かに「嬉しい、早く会いたい」と書いてあった筈だ。 その後は出国準備やら外交上の軍との兼ね合いやらでバタバタしていたので具体的な日程をメイに直接知らせる事もできずにアメストリスを出てしまったが、いつシンに到着するかなどは軍を通して正式な知らせがリンに届いている筈なので彼女にも伝わっているだろうと特に心配もしていなかったのだ。 手紙に書かれていたようにメイはアルフォンスとの2年振りの再会をとても喜んでくれるだろうと。 昔のように「アルフォンス様ー!」と明るい笑顔で飛びついてくるだろうと何の疑いもなく思っていた。 ───だが、現実はこれ。 いざシンに到着してみればメイは明らかにアルフォンスと接触するのを避けている。 (理想と現実、か………) 溜息の次は苦笑いが出た。どれだけ自分は考えが甘かったのだろう。おめでたかったのだろう。 相手は一国の皇女様。手紙は社交辞令の可能性だって充分あったのだ。 2年も会わずにいれば心変わりもするだろう。成長した彼女にアルフォンス以外の想い人がいたって何の不思議もない。元々が、恋に恋するような少女特有の勢いと勘違いからスタートしたものだったのだから。 (───そうだ。僕は、知っていた) 2年前、異国の少女が「一緒に戦った仲間」や「友人」としてではなく男女の意味で自分を好いていてくれた事を。 鈍感な兄じゃあるまいし、あれだけ分かり易い態度をとられればどんなに鈍い男でも気付く。 彼女の恋のきっかけが最年少国家錬金術師として有名だった兄への期待と失望に対する勢い的なものであったのに気付いたのは初対面から少し過ぎてからの事だったが、それ自体は些細な事だ。 幼く夢見がちではあったものの、メイは全力でアルフォンスに恋心をぶつけてきた。 それを知りながらさらりとかわし続けたのは他でもない自分。 メイが嫌いだった訳ではない。他に好きな娘がいた訳でもない。 ウィンリィは今でもアルフォンスにとってとても大切な女の子であり特別な人であるのに変わりはないが、幼き日の初恋は彼女と兄の態度を間近で見ているうちに2人を応援する気持ちに切り替わっていた。 本人達が自覚していたかは大いに怪しいものの、ウィンリィが兄を選び、兄がウィンリィを大切にする限り自分の出番はないだろうといつからか理解していた。 幼い頃はいつも3人一緒だったから寂しさを全く感じなかったと言えば嘘になるが、2人とも決してアルフォンスを邪魔者扱いするような事はなかったしそんな二人が大好きだったから納得していたのだ。 しかし可愛い彼女が欲しいと冗談混じりに言い続けながらも、実際問題としてあの頃のアルフォンスは己の身体を取り戻す事に精一杯でそれどころではなかったというのが本当のところだ。 賢者の石の材料を知り、バリーの結末を見てしまい、北での初めての意識消失はアルフォンスに大きな不安を呼んでいた。 本当に生身の肉体を取り戻す事ができるのか? 鉄の鎧にいつまで魂を定着させていられる? ……メイのストレートな体当たりに引いてしまったというのも多少あるが、彼女の気持ちを真剣に考えるまでの心の余裕がなかったというのが一番近いかもしれない。 自分を慕ってくれるメイを純粋に可愛いとも思ったが、それは恋愛対象としてではなくシャオメイと同レベルで小動物を愛でるのに近い気持ちであるのは自分でも分かっていた。 だからアルフォンスは彼女の好意に敢えて気付かない振りをした。それがベストだと判断した。 気付かなければ、彼女を拒否する事にもならない。 下手に拒否してギクシャクする事もなく、皆と同じ「仲間」のままでいられる。 メイはキラキラした理想の男性像を鎧の内側に夢見ているだけだから真剣に考える必要もないんだと、己を納得させた。 あげくの果てには彼女の気持ちを知りながら最も残酷な事を彼女に頼んだ。 ───アルフォンスの魂と引き換えに、エドワードの右腕を取り戻す手伝いを彼女にさせた。 あの場には彼女しかいなかったから。優秀な錬丹術師である彼女にしかできなかったから。 自分を好いてくれている彼女なら断らないだろうと踏んだうえでその好意を利用した。 あの時は他に方法がなかったとはいえ、本当になんて残酷な事をさせたのだろう。 メイはただの夢見る少女ではない。 並外れた錬丹術使いというだけでなく皇女としての強い責任感や判断力もある。 だからこそ彼女はあの戦いの状況を把握し、アルフォンスの狙いを瞬時に理解した。 涙を流しながらも決断し、アルフォンスの「お願い」に応えた。 だけどそれは客観的に見れば好きな男の命を自らの手で絶つのを強制したも同然だ。 結果的にアルフォンスはこっちに戻ってくる事ができたものの、そうでなければ彼女の心に生涯大きなトラウマを残したに違いない。 期間を置いて冷静になれば、そんな最低な事を頼んだ男に愛想を尽かしても何の不思議もなかった。 (ほんと……最低過ぎるじゃないか、僕……) 考えれば考えるほど、己の最低男っぷりに頭を抱えるしかない。 昔はよく兄の不甲斐なさに憤慨したりやマスタングの女タラシな振舞いに呆れて「自分はああはなりたくない」と思ったものだが、全くもって他人の事を責められない。 何がジェントルマンだ。スキッと爽やかだ。 よくもまぁ、メイがまだ自分に好意を持ってくれていると今の今まで楽観視できたものだ。 今でこそアルフォンスも人並みに健康的な体格に成長したが、2年前肉体を取り戻した直後のアルフォンスは長年の栄養失調と運動不足によってガリガリのひょろひょろで、当事メイが想像していた「アルフォンス様像」と掛け離れていたのも想像に難くない。 あれだって夢見る少女の恋心をぶち壊すのには充分だったのではないか? 3日間避けられてやっと思い当たった可能性に愕然とし、よろよろと欄干に縋るように寄り掛かったところで。 ───がさり、と微かな音が階下から響いた。 咄嗟に凝らした目に入ったのは、逃げるように木陰から走り去る小柄な人影。 次の瞬間にはアルフォンスは2階の欄干を飛び越え、庭に飛び降りた。その影を追って駆け出す。 「───待って!! メイ!!!」 さっきまで雲ひとつなかった夜空にいつの間にか出現した雲は月を覆い隠してしまい、視界は悪い。 立派な筈の庭は森の中のように暗く、距離もあって相手の顔は見えなかった。ついでに言うとアルフォンスはメイやリンのように気配で人を特定する事もできない。それでも何故か確信できた。 案の定、メイと呼んだ一瞬だけ相手の足音が暗闇の中で乱れた。その隙に一気に距離を詰める。 いつだったか兄とパニーニャがラッシュバレーで派手な追い駆けっこを繰り広げた時のように錬金術で捕獲する方法もちらりと考えなかった訳じゃないが、相手も錬丹術で応戦されてはそう効果は期待できない。 何よりここはシン国皇帝の皇宮だ。夜中に私情で物騒な騒ぎを起こすのは避けるべきだろう。 その点はあちらも同様に考えているらしく、自分から錬丹術を仕掛けて足止めする気はないようでひたすら走り続けている。そうなると後は地の利があるメイが有利か、アルフォンスの体力が勝つか。 メイは錬丹術だけでなく体術にも長けていて並の男より運動神経がいいが、幸いにもここはアルフォンスに分があるようだった。 身体を取り戻してから必死でリハビリに励み、その後も師匠の教えを守って兄と共に鍛錬を積んだ成果は確実に出ている。もしくは絶対に追いついてやるというアルフォンスの気合の賜物か。 庭木や東屋の間を駆け抜ける間にぐんぐん相手との距離が縮まり、相手の背中にもう少しで手が届きそうだというところで息を大きく吸う。 「メイ、ごめん!!!」 予想外に響いた声に驚いたのだろう。 目の前を走っていた小柄な人物の肩がびくっと震え、アルフォンスから3、4歩離れた場所で足が止まった。 これもまた卑怯だという自覚はある。自己満足と言われればそれまでだ。だけどまず謝りたかった。 あの日あの時も身体を取り戻したアルフォンスに泣きじゃくりながら抱き付いてきたメイに謝ったが、あれだけで足りるようなものではなかったのだ。 走り回って乱れた息を整える暇もなく腰を曲げて深く頭を下げると、頬を伝った汗がぽたりと足元に落ちた。 そのまま荒い息遣いと短い沈黙が暗闇を支配する。 「……どうして、謝るんですカ……」 やがて双方の息が落ち着いた頃にぽつりと落とされたシン訛りのアメストリス語は、確かにメイのもので。 だけどほんの少しだけ大人っぽくなっていて。 「お願いでス……顔を上げてくださイ、アルフォンス様」 戸惑うように。一歩、足音がこちらに近付く気配がする。 ゆっくりとアルフォンスが顔を上げるタイミングを計っていたように再び雲が切れ、明るい月と星空が少女を照らし出した。 長く細い三つ編みは左右ではなく頭の後ろで1つに纏められ、身長も手足もいくらか伸び、子供っぽい幼いイメージの強かった昔より随分少女らしく……綺麗になっているけども、懐かしいメイの雰囲気はそのままだ。 なんだか彼女が眩しく思えるのは月明かりのせいだけだろうか。 メイの肩口からひょっこりと顔を出したシャオメイが「きゅ〜…」と鳴きながら心配そうにメイとアルフォンスを交互に見やる。どうやら彼女の大切な友達もアルフォンスを覚えてくれていたらしい。 「止まってくれて有難う、メイ。そして…ごめんなさい」 胸元で拳を握り締めていつになく不安そうな表情を向けるメイに、アルフォンスは改めて言葉を続けた。 「2年前。僕は酷い事をした。君の気持ちを知りながら気付かない振りをした。気持ちを利用して無茶なお願いをした。そして今また、君を当てにして錬丹術を勉強しようとした……全部僕のエゴと我侭だ。君が怒るのも当然だ」 だからもうメイに迷惑は掛けない。錬丹術も他でなんとかする。 今後君の前に現れないから、どうか僕の事は忘れて幸せに───そこまで言ったところで。 「ごめんなさいアルフォンス様ぁ!!」 「うわぁ!?」 体当たりするように勢いよく自分に抱きついてきた少女に、アルフォンスは目を白黒させた。 昔の鎧姿だったならこれくらいではびくともしなかっただろうが──いや、初対面の時にメイの強烈な蹴りで思いっきり倒されたからそうとも言い切れないか──彼女を支えきれずに尻餅をついてしまったのは男として情けない事この上ないが、全力疾走後に不意を突かれたからだと思いたい。 それでも自分が下敷きになってメイと小さな友達を潰さずに済んだ事にホッとする。 「メイ、シャオメイ、怪我は──」 「もう現れないなんて言わないでくださイ、アルフォンス様っ…」 至近距離で。自分を押し倒すような形で圧し掛かった少女の目からぽろぽろと大粒の涙が零れているのを見て、アルフォンスは絶句した。やっと落ち着いたばかりの心臓が跳ね上がる。 そんな顔をさせるつもりはなかったのに。また自分は彼女に対して酷い事をしてしまったのか? 細い肩を小刻みに震わせるメイはやけに儚げで頼りなくて、守ってやりたいと思わせて。 無意識に背中側に伸ばした手を慌てて下ろす。自分には彼女を抱き締めるそんな資格など、ない。 メイはそんなアルフォンスの葛藤に気付く様子もなく、アルフォンスのシャツに顔を埋めた。 そのまま震える声で言葉を続ける。 「…謝らなければならないのは私の方でス。あの時、アルフォンス様が私を『仲間』以上に見ていなかったのは分かっていましタ。それでもアルフォンス様は優しかったから甘えてしまったのでス。物心ついた頃から命懸けの権力争いの中にいた私には、例えオママゴトのような恋でも楽しかったかラ……諦められなかっタ」 それに、とメイが顔を上げた。まだ涙の残っていた漆黒の目が微かに細められる。 「あの時、私に命を預けたアルフォンス様は確かに酷い殿方ですけド………それでも、異国の他人でしかない私をそこまで信じてくれた事がとても嬉しかったのでス。好きになって貰えなくても、私はそれ以上のものを沢山アルフォンス様に貰いましタ。他の誰でもない私がアルフォンス様とエドワードさんの身体を取り戻す切っ掛けを作れた事は、私の誇りでス。自分が生き残る為に学んだ錬丹術ですガ、錬丹術をやっていて良かったと初めて心から思いましタ。そして錬丹術を学びにアルフォンス様がシンにやって来ると知って、飛び上がるくらい嬉しかったのでス。ずっとずっと、再びアルフォンス様にお会い出来る日が来るのを心待ちにしておりましタ」 「え…?」 思わぬメイの告白に、アルフォンスは間抜けな声を出してしまった。 かつてアルフォンスが彼女にやった事は消えはしない。彼女がそれを許しても、その事実は変わらない。 だけどメイは自分が考えていた以上に大人で、アルフォンスがやってきた事を承知の上で本当にアルフォンスとの再会を楽しみにしてくれていたというのは嬉しい誤算だった。 しかしそれならば何故3日間も避けられ続けていたのか。 アルフォンスの疑問が顔に出ていたのだろう、メイはひとつ頷いた。 「だから誤解させてしまって私の方がごめんなさいなのでス。実は、アルフォンス様達が皇宮に到着してすぐ……謁見の控え室でお待ちになっている間に私もすぐ近くまで来ていましタ。皆様をリン・ヤオ…陛下と一緒にお迎えする為に仕事場から駆けつけたのでス。そしてちょうど扉から出て来られたアルフォンス様を物陰からお見掛けして……私は逃げ出しましタ」 「…はい?」 話が見えない。心待ちにしていたのに、逃げた? ……アルフォンスを見て逃げ出したという事は、この容姿がまずかった……? やっと取り戻したこの肉体が本来の自分の姿とはいえ、それはちょっと……悲しいかもしれない。 ショックを受けるアルフォンスに対し、メイは一呼吸置き……そして意を決したように身を乗り出した。 「だって、アルフォンス様ってば物っっっ凄く素敵になっていたんですもノ!! 金髪金目に均整のとれた長身、案内の侍女への紳士的な立ち居振る舞い、爽やかな笑顔……本当に御伽噺に出てくる異国の王子様みたいデ、それに比べて私はまだまだ小さくて女らしくなくて、きっとウィンリィさんに胸も何もかも勝てなくテ、アルフォンス様に釣り合わない、がっかりさせてしまうって思ったら怖くて会えなくテ! 陛下に我侭を言って今日までアルフォンス様にお会いするのを伸ばし続けましタ。それでも一目その姿を見たくてこんな夜中にアルフォンス様のお部屋を窺うような真似をしテ……本当に私は最低でス……!」 「………………あー……えーと、まずは落ち着こうね、メイ」 いや、王子様というか君の方が正真正銘の皇女様だから。逆だから。 他にも色々突っ込みたいのを飲み込み、苦笑する。どうやらついさっきのショックは丸っきり無駄だったらしい。 興奮して涙目で訴える少女の背中を幼子をあやすようにぽんぽんと叩いてやると、庭の芝生に座り込んだままアルフォンスは夜空を仰いだ。 理想と現実なんてこんなもの。お互い、想像で勝手に相手を誤解して後悔して自己完結して突っ走って。 幼い頃から大人の世界に足を踏み込まざるを得なかった境遇のせいで同年齢の子供より遥かに大人びたところがあると自認していた自分達だが、こういうところは似た者同士なのかもしれない。そう考えるとなんだかおかしかった。 とりあえず、今は彼女の思い込みをなんとかしなければ。 言うだけ言って少女が少し落ち着いた頃を見計らい、アルフォンスはこほんと1つ咳をした。 細い肩を抱くようにしてメイの顔を覗き込み、彼女に、そして己に言い含めるように言葉を紡ぐ。 「僕は、僕だ。鎧でも生身でもただの『アルフォンス・エルリック』に変わりはない。君は鎧の僕を普通の人間と同じように扱ってくれた。だからこれからも僕を僕として見て欲しいんだ。御伽噺の王子様なんかじゃない、ただの人間の僕を見て欲しい。釣り合わないなんて言わないで欲しい」 釣り合わないという言葉は一見すると相手を尊重しているようで聞こえはいいが、要するに拒絶だ。 相手と並んで立つ事すら自ら放棄するも同然だろう。そんなの悲し過ぎるじゃないか。 ───メイが正真正銘皇女様でも、彼女と釣り合わないとは思いたくない。 この気持ちは予感、なのだろうか。 「なんでさっきウィンリィが出てきたのかは敢えて訊かないけど……彼女は昔から兄さんしか見ていないよ。そしてウィンリィにはない魅力が、君には沢山ある。もっと自信を持っていい。……綺麗になったね、メイ」 お世辞ではない。メイは内面・外面含めて充分魅力的な少女だ。 あと2、3年もしたらほっといてもお婿さん候補がわんさか押し掛けるのは間違いない。 面食らったようにボッと頬を染めるメイにやんわり微笑むと、アルフォンスはゆっくりと芝生から立ち上がった。そのまま握手を求めるようにメイに右手を差し出す。 「改めて。『友達』からお付き合いしてくれますか、メイ?」 もう、鎧の身体に不安を抱える事もない。ホムンクルスの陰謀に右往左往する必要もない。 だから今度は「共に戦う仲間」としてではなく、ちゃんと一からメイ個人と向き合いたい。 錬丹術だけでなく、メイの事をもっともっと知りたい。 まだこの気持ちは恋と言うには遠いかもしれないけど、それでもこの予感を大切にしたい。 この先何年掛かってもいい。シンを離れて次の旅に出ても、ゆっくりゆっくりこの気持ちを育ててみたい。 アルフォンスの唐突な申し込みに、こちらを見上げるメイの目が大きく見開かれた。 ほんの少しの逡巡の後、アルフォンスの右手に華奢な手がおずおずと重ねられる。 手を引いて彼女を立たせてやると、その頭はアルフォンスの胸より少し下の辺りにあった。 彼女と初めて出会った時、鎧のアルフォンスに対しメイの背は腰までも届かなかった。 年齢はそう離れていないのに、大人と子供以上の体格差があった。 そしてあの戦いの直後…足を怪我していたメイがリンに抱えられるようにしてシンに帰った時、アルフォンスはメイと並んで一人で立つ事もできないほど衰弱していた。 あれから2年。互いに成長し、距離はここまで近くなっていたのだと実感する。 「ふつつか者ですがこちらこそ宜しくお願いしまス、アルフォンス様」 向けられたのは、花のほころぶような笑顔。繋いだ手が温かく、なんだかこそばゆい。 ──ああ。シンに来て、メイに会えて良かった。そう、心から思う。 自分達の会話が理解できているのか、さっきまで沈んだ表情をしていたシャオメイが嬉しそうに一声上げた。 そして何故かシャオメイの視線が庭の奥の木陰の方に向く。 釣られるようにそちらを見たメイが、ハッと何かに気付いたように繋いでいた手を慌てて引っ込めた。 ………嫌な予感がする。 「やれやれ、だネ。なんにせよ一件落着して良かった良かっタ」 「これぞ青春って奴か」 「というか末恐ろしい天然タラシの本領を見た気がするぞ、俺は」 「陛下、気が済まれたのならそろそろお部屋に戻らないト……」 「ってなんで皆いるんだよ!! リンまで!!」 「そりゃ、自分の家の庭でこそこそされたら家主として気にならない訳ないからナ。2人の邪魔にならないよう、気付かれないように警備兵に指示するのも大変だったんだヨ。まぁいくらアルフォンスでもいきなり妹を押し倒したりしたらすぐに俺自ら一発打ち込んでやるところだったガ、逆に押し倒す逞しい妹で安心したヨ。皇族はそうでなけれバ」 「へ、陛下! 私も時と場所は考えまス!!」 「………何か間違ってるよ、メイ………」 こちらに気付かれて開き直ったのだろう、わらわらと暗闇から出てきた見知った顔ぶれにアルフォンスは脱力するしかない。龍脈を読める皇族とその護衛、野生の勘が働くキメラが相手ではこちらに分が悪過ぎた。 シンで錬丹術を学びながら、気配を読む訓練も本気でやるべきかもしれない。 ともあれ。 「──行こう、メイ」 少女を促し、彼らの元へ合流すべく足を踏み出す。 自分にはこんなに素敵な仲間が、友人がいる。今は互いに遠く離れていても、とても頼りになる兄がいる。 それはなんて素晴らしい事なのだろう。 だから自分は自分に出来る精一杯の事をしよう。まずは錬丹術を身に付け、錬金術の可能性を広げよう。 ニーナのような不幸な錬金術の犠牲者を一人でも救えるように。 ジェルソやザンパノを元の人間に戻せるように。 ───その為に、アルフォンスはシンに来た。メイも……メイならきっと分かってくれるだろう。 「明日からは今日までの分もビシバシ、錬丹術をお教えしますネ。覚悟なさって下さイ」 アルフォンスの決心に応えるように、傍らの少女がにこりと微笑む。 アルフォンス・エルリックのシン滞在日記は漸く本格的にスタートしようとしていた────。 アラカワキヨさんとこに提出した宿題です。 |