【鬼ごっこ】





「鬼だ───────!!」



 突如背後から響いた甲高い声に、着流しの男──蓬莱寺京梧は目を見開いた。

そのまま一瞬の躊躇もなく、声のした方角へと走り出す。

炭だの桶だの積まれた障害物を軽々と飛び越え、時には刀の鞘で強引に振り払い、人ひとり歩くのがやっとだろう狭い長屋通りをすり抜ける。

そして目の前に広がったのは内藤新宿の外れにある河川敷。



「待て─────」

「やーい、のろま────」

「そんなんじゃ、捕まんないよ───」

「鬼さんこちら───」



 同時に、五、六人の童子の姿が目に入る。

粗末な着物を纏った小さな影。

からかうような、楽しげな笑い声。

ここから百歩ばかり離れた河原で繰り広げられているのは、どう見ても────



「なんでぇ…鬼ごっこかよ…」



 あまりに平和な景色に、京梧は思いっきり脱力した。

肩で息をつき、呼吸を整えながら自嘲とも呆れとも言えない笑みを浮かべる。

生まれつき色の薄い髪を束ねた頭に手をやり、無造作にかき混ぜた。



 よくよく思い出せば、先程聞こえた「鬼」という声には緊張の欠片もなかった。

本物の「鬼」に出くわした──生命の危機に瀕した人間はあんな声は出さない。

そんな事にすら気付かなかった己の未熟さが痛い。

龍泉寺の同居人にこんな失敗がばれた日には、何を言われるか分かったものじゃない。

 だいたい、「鬼」と言ってもその存在を知るのはごく僅かだ。

杏花が瓦版で騒ぎ立ててはいるが、殆どの者は信じてもいない。

それはそうだろう。

御伽噺でもあるまいし、大の大人が信じるにはどう考えても無理がある。

京梧だって実際に自分の目で見なければ、まず信じなかった。



「くそ…」



 それなのに。

なんだって自分はこんなにも焦っているのか。

この江戸に確かに存在する「鬼」を退治する為か。



その、「鬼」は────



「……久しぶり。」



 何の前振りもなく頭上から掛けられた声に、背筋が凍る。

次の瞬間には腰の刀を抜きながら二歩分、後ろに飛び退った。



「てめぇは…っ!」



 京梧のすぐ傍、五歩ばかり離れた場所で。

今にも崩れそうな掘っ立て小屋の屋根の上に危なげなく立つ人物に、確かに見覚えがあった。

腰まで流れる黒髪を首の後ろでひとつに纏め、武道着にも似た短い着物を纏った若い娘。



「緋勇───」



 顔を合わせたのは偶然を含めたほんの数回。

数ヶ月前、「鬼」も何もまだはっきりしていない頃に九桐から堂々と紹介されたのが最初だった。

彼女は特に美人という訳ではない。

格好こそ少々変わっているものの、見た目はその辺の町娘と大して差のない娘である。

可愛らしいと言えない事もないが美人度で言えば美里や時諏佐の方が余程目立つだろう。

おそらく年は京梧より一つ二つ下くらい。

着物の裾から覗く健康的な手足のせいか、何処か幼い雰囲気すらあった。

 しかし。

間違いなく、緋勇は強い。

少しでも武道を齧った者なら嫌でも判る。

両手に嵌められた篭手からして、彼女が使うのは無手の技。

だがそれだけじゃない。

彼女にはもっと大きな何かがある。



───今現在も、これだけ近くにいながら「京梧に」全く気配を感じさせなかったのだ。

意図的にこんな事ができる人間は江戸広しとは言え、片手で数える程もいない。

刀の柄を握る掌に、じわりと汗が滲む。



「…何故、ここに。」

「偵察。連れと逸れちゃって。」



 押し殺した京梧の声に返ってくるのは簡潔な答え。

屋根の上から京梧を見下ろす娘の目には、何の気負いも敵意もなくて。

京梧は僅かに逡巡した後、刀を鞘に納めた。

この娘は油断させて不意打ちを仕掛けるような人物ではない。

それなら対等に向き合うのが武道家の筋というものである。



「…《鬼道衆》は何を企んでいる。」


 
 幾度となく、彼女達の《仲間》と合間見えては交わした問い。

今まで誰一人として肝心な事は洩らさなかったが、彼女に直接聞きたかった。

緋勇は奴らとは違う。

何処がどう違うと説明はできないが、そんな気がしてならなかった。



───江戸には、「鬼」がいる。

正真正銘の妖しとしての「鬼」と。

その「鬼」を操り、幕府と敵対する《鬼道衆》を名乗る奴らと。



「私からは言えない。私が言うべき事じゃない。」

「お前なぁっ!」



 対する答えは当然、こちらの満足するものではない。

思わず声を張り上げる京梧に、娘の静かな視線が突き刺さる。



「だったら。何故、あなたは《龍閃組》なんてやっているの?」



 予想外の問いに、今度は京梧が口を噤んだ。

いつもの自分なら「売られた喧嘩を買ってるだけだ」とでも啖呵を切って誤魔化すところだが、彼女に対してそれは何故か躊躇われた。



───秘密裏に江戸を護るべく結成された《龍閃組》。

京梧がそこに名を連ねるようになったのは、元々単なる偶然だった。

ふらりと腕試しがてら江戸にやって来て。

人が「鬼」に変わる瞬間を目の当たりにして。

時諏佐に誘われて。

正直、京梧には命懸けで徳川幕府を護るなんて使命感はない。

それだけの価値があるとも思えない。

皮肉にも、鬼道衆絡みの事件を追う事によって腐敗した幕府の実態をも思い知らされた。

 きっと。

聡いこの娘は京梧のそんな思惑など、とっくに気が付いている。



「……お前は。緋勇は何故、《鬼道衆》にいるんだ?」



 だから、質問を変える。

───いや。これこそ、京梧が一番彼女に訊きたかった事。

無意識にごくりと喉が鳴った。

そんな京梧を見据える娘の目が、ふっと緩む。



(……こいつ、笑うと可愛いじゃねーか。)



 思いがけない笑みに、心臓が跳ねる。

娘はこちらの動揺など全く気付かない様子で、すとん、というごく軽い音と共に京梧の頭二つ分程高い位置にあった屋根から飛び降りた。

そして京梧に並ぶ位置まで来ると、真正面から向かい合う。



「大切な人達を護る為。もう二度と、失くさない。」



 きっぱりと。

黒曜石の瞳に強い意志を込めて放たれた言葉。



(───ああ、そうか……)



 ふいに納得する。

この瞳に自分は惹かれたのだ。

たぶん、初めて会った時から。

まるでずっと昔から知っていたような。

大切な何かをやっと見つけたような。

言葉にできない痛みが胸の奥で広がる。



───自分が探していた「鬼」は、彼女。



「───蓬莱寺? 見回りをさぼってこんな処で何をしているんだ。」



 その時。

よく知る気と聞き慣れた声が京梧の背後、先程通ってきた通りの角から近付いてきた。

京梧と向かい合う娘の存在に気付いたのだろう、声の主──醍醐が息を呑む気配がする。



「行けよ。」



 それに背を向けたまま、目の前の娘に告げる。



「私を捕まえなくていいの? 二人掛かりなら捕まえられるかもよ?」

「お前、その気になれば俺に声を掛ける前に殺す事もできただろ。借りは作らねぇ主義なんだ。」

「そっか。」



 深く追求もせずに。

娘はくるりと向きを変え、京梧に無防備な背中を見せて走り出した。

そして一度だけ、振り返る。

絡み合う互いの視線。



「死なないで。」

「死ぬなよ。」



 ほぼ同時に発せられたのは同じ言葉。

敵対する者同士の会話としては矛盾極まりない。

娘は口元に笑みを刻むと、今度こそ風のように走り去った。

その姿はあっという間に小さくなる。

後に残されたのは風に揺れる長い黒髪の残像だけ。



「おい、蓬莱寺。今のは…」



 走り寄ってきた醍醐の手が京梧の肩に置かれる。

それに振り返る事もなく。

ふと思い出して河原に目をやると、いつの間にやら幼子達の鬼ごっこは決着がついたようだった。

さっきまで追いかけ、逃げ回っていた彼らは今は一緒になって同じ場所で笑い合っている。



「………馬鹿だな、俺も。」



 呟いた言葉に醍醐が首を傾げているのが分かったが、説明するつもりもない。



「行こうぜ、醍醐。そろそろ百合ちゃんが戻る頃だろ。」

「おい───」



 彼女が走り去ったのと逆の方角へと、足を向ける。

醍醐はまだ何か言いたげに口を開いたが、ひとつ息を吐くとそれ以上の追及はせずにその後を追った。

伊達にこの数ヶ月京梧と寝泊りを共にしている訳ではない、という事なのだろう。





 もう、この足を止める事はできない。

だが自分がこの道を進む限り、また遭う事になるのは間違いないだろう。

ならばその時を待つだけだ。





───「鬼」を追いかけるのも、悪くない────。







              【うわぁどれだけ久しぶりなんだよ魔人(しかも外法帖)座談会】

作者「ふはー。やーっと終わったよ100企画第8弾!!

   だいぶ前にお題キープしたのに全然完成しなくて企画仲間の皆さんにはご迷惑をば…っ(土下座)」

京梧「しかしなんでそんなに遅くなったんだ?」

作者「お題をキープしたはいいけど、ネタが固まらなかったから。(ズバリ)

   鬼ごっこで最初に浮かんだのは魔人だったんだよ。つーか連続で幻水やったもんだから、

   いいかげん魔人でやらなきゃという強迫観念みたいなのがあったというか…。 

   でもその後ネタが幻水になったり遥かになったり剣風帖になったり男主になったり、

   本当にコロコロ変わってねぇ…どれも頭の中でぐちゃぐちゃになって形にならなかったけどさ。」

京梧「…頭で考えただけかよ。それじゃ遅れた言い訳にもならねぇだろーが。」

作者「いや、外法の男主でワード3頁までは書いた。が。視点をオリジナルの子供にしたもんだから、

   すげーややこしくなって何の話だか分からなくなっちゃってさぁ…。(遠い目)

   キーッとなっていっそ女主にしてやれ!だったら噛ませ犬は京梧でいいや!ってね。

   それでネタを150度変えて(←微妙)どうにか纏まって日の目を見たという訳だ。」

京梧「おい!!俺は噛ませ犬だったのか!?」

作者「うん。だってこの娘、敢えて説明してないけど前に出した外法女主の緋勇麻希だもん。

   この娘は最終的に御屋形様とくっ付くのが前提だからさー。風祭の時と同じやね。」

京梧「チクショウ、やっと登場したってのにそんな役割なんて聞いてねェぞ!!

   そもそも陽→陰の主人公なら俺の方が先にあいつとは出会ってんだ!!

   こうなったらゼッテェ邪魔してやる─────!!」

作者「ほほほ。無駄無駄〜♪(今後も外法話を書く機会があるか分からないし←殴)」  








やっぱり単純木刀馬鹿…じゃない京梧は書き易い。
なんでもっと早くこいつでやろうと思わなかったんだろう。
つーか剣風帖であれだけ京一SS書いたのに、
まっっったく外法の京梧SSを書いていなかった事に今更ながら驚きました。
ゲームプレイ当時、俺のココロはいつも鬼道衆だったからなー…(笑)。
でもまぁ、ラブもギャグもオチもない小話は書く分には楽しかったです。ハイ。

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