【コンビニおにぎり】 それは、ほんの偶然。 ほんの気まぐれ。 だけど私にとっては───── 「あかり?」 いきなりかけられた声に、私は視線を這わせていたコンビニの棚からパッと顔を上げ、同時に目を丸くした。 「…ヒカル!?」 本当は、声を聞いただけですぐに彼だと分かった。 私を名前で呼び捨てにする男の人は、お父さんとお祖父ちゃん以外では一人しか心当たりがない。 何より小さい頃から聞き慣れた声。幼馴染みの少年の声を忘れる筈がない。 でもこんなところで逢えるなんて予想もしてなかったから、実際にヒカルの顔を見て私は思わず大声を上げてしまった。 それは狭いコンビニ中に響き渡り、店内の視線が一斉にこちらに集まる。 「バカ、声が大きいっ!」 「ご、ごめん…」 慌てて口に手をやったものの、もう遅い。 周りの反応に焦ったように私の方に走り寄ってきたヒカルは少し顔を赤くして私を睨むと、がくりと肩を落とした。 「ま、いいけど…何してんだお前、こんな時間に。って買い物に決まってるか。」 別に何事もなかったのが分かり、徐々に店内の空気が戻る。 集中していた視線が拡散されたのに安堵の息を吐くと、私もヒカルに向き直った。 今の私は普段着の半袖ワンピース、ヒカルもラフなジーパンにTシャツ姿だ。 ───最後に逢った時は、どちらも学生服。 中学の卒業式の時だから…まともに彼と言葉を交わしたのもかれこれ3ヶ月振りになる。 普通の高校生である私とプロ棋士であるヒカルの生活時間は全く違う。 ヒカルは手合いや研究会で毎日が忙しいらしく、お母さんに頼まれてたまにヒカルの家にお裾分けに行ってもいつも彼は留守だった。セミナーなんかの泊まりがけの仕事も多いらしい。 (…あれ? もしかしてヒカル、また背が伸びた?) 間近で向かい合ってふと気が付いた。 見上げる角度が3ヶ月前と微妙に違う。 よく見れば顔立ちも心持ちオトナっぽくなったような気がする。 私なんか、全然変わってないのに。 これが高校生と社会人の差というものなのだろうか。 (う。…カッコイイ、かもしれない…) 中学2年生までヒカルは同級生の中でも小柄な方で、私の方が背が高かった。 すぐに抜かしてやるからな!がヒカルの口癖だった。 そして3年生になって。 急に背が伸び出したヒカルは本当にあっという間に私を追い越してしまった。 私はそろそろ身長が止まりかけてるから、この差はますます広がっていくのかもしれない。 密かに動揺しているとヒカルが怪訝そうに眉をしかめた。 「おーい、あかり?」 もう一度声を掛けられてやっと我に返る。 「あ、うん。数学の宿題やってたらノートが切れちゃって。明日授業で当たるから、今日中に欲しかったんだ。夜と言ってもまだ9時だしね。」 「ふーん。」 いけない、いけない。ここで変に意識してみせるのは不自然過ぎる。 極力わざとらしくならないようにまくし立てると、ヒカルはそれで一応納得したようで気のない返事を返して寄越した。 「ヒカルは?」 「夜食の追加。今日、オレん家で院生時代の仲間達と研究会やってんだよ。今、親2人共いないから。」 言いながら、ヒカルは両手に下げていた重そうなコンビニ袋を振ってみせた。 もうレジを済ませたらしいそこには、お菓子やサンドイッチやペットボトルなんかがぎっしり詰まっているのが半透明のビニール越しに窺える。 「そういえば、おばさん達は夫婦水入らずで伊豆旅行だっけ? うちのお母さんが言ってた。」 「まーな。予定がないならどうかって最初オレも誘われたけど、このトシで家族旅行もねェだろ。それくらいなら碁打ってたいしさ。で、いっつも和谷…あ、和谷ってのはオレと同期でプロになった奴な、そいつのトコばっかだから、たまにはオレん家でってなったんだ。あいつのアパート、大人数が泊まるには狭いしなー。」 「そっか…」 「にしてもあいつらも人ん家で騒ぐならもうちょっと気を使えってんだ。ジャンケンに負けたとはいえ、何でオレが買い出しに出なきゃなんねーんだよ。伊角さんまでさー。」 ぶつぶつと愚痴をこぼすヒカル。 だけどその表情はどこか楽しげで柔らかい。 なんだかんだ言っても、その人達と思いっきり碁が打てるのが楽しくて楽しくて仕方ないんだろう。 ───ヒカルは私を置いて私の知らない世界へとどんどん進んでいく。 と。 「ほら、早くしろよ。」 「え?」 唐突に促されて、私は首を傾げた。 ヒカルの言ってる意味が分からなくて、目を瞬かせる。 そんな私にヒカルは当たり前のように言葉を続けた。 「だから、ノート買うんだろ。外で待っててやるから、さっさとレジに並んで来いよ。」 9時ったって女がうろうろするには遅いし、どうせ帰り道は同じだし。 そう、なんでもないように付け足すヒカルの表情は見えない。 さっさとこちらに背を向けてコンビニの出口の方に向かってしまったからだ。 (…それって…) とくん、と胸が鳴る。 「わ、分かった!」 私は大慌てで目の前の棚からB5の大学ノートを1冊選び取ると、小走りでレジに向かった。 分かってる。 こんなの、ヒカルにしてみれば全然深い意味はないんだって事くらいは。 …分かってるのに、自分の頬がやけに赤くなるのをどうする事もできなかった。 「お待たせ、ヒカル。」 「おう。しっかし外はあちぃ───…」 「もうすぐ7月だもんね。」 「早いよなぁ。」 クーラーの利いたコンビニを一歩出た途端、むっとする夏の香りが私達を包む。 なんとなく空を見上げれば、雲ひとつない夜空には月がひとつ。 東京の夜空は満点の星とは程遠いけど、ぽつんと空に浮かぶ月の光は街灯なんかよりずっと綺麗だ。 昼間ならともかくこんな時間にヒカルと歩いたのは、考えてみれば初めてかもしれない。 幼稚園からの通学路でもあった通い慣れた道が、なんだか知らない道のように感じる。 「そうだ私ね、高校で囲碁部に入ったんだよ。」 「囲碁部あったんだ。良かったじゃん。」 「うん。結構部員も多いんだよ。全部で15人くらいかな。」 「へー。」 「……………」 「……………」 どうしよう。 変に緊張しちゃって、上手く言葉にならない。 もっといっぱい、話したい事はあったのに。 もっともっとヒカルの事も聞きたいのに。 コンビニ袋を下げて私の斜め前を歩くヒカルとの距離は、2歩分くらい。 手を伸ばせば届きそうだけど、ぎりぎり届かない距離。 小学校の中学年くらいまでは一緒に歩くのもすぐ隣を歩いていたけど、いつからかヒカルは私の少し前を歩くようになった。 前を歩くと言っても、別にヒカルは私の存在を無視する訳じゃない。 歩きながら話しかければちゃんと答えるし、向こうからも普通に話しかけるので特に不自由はないけど、真横を歩くのとでは心理的に微妙に異なるのは仕方ないだろう。 たぶん、最初のきっかけは同級生にからかわれたから。 幼馴染みとはいえ、苗字でなく名前で呼び合い、一緒に並んで登下校する男女が学校でからかいの対象になるのは今思えば至極当然の成り行きだった。 そしていつの間にやらこの位置が自然になり、定着した。 隣を歩けなくなった当初、寂しくなかったと言えば嘘になる。 それでも私はヒカルの背中を見るのが好きだったから問題なかった。 例え、迷っても躓いても苦しんでも。 最後には自分の目指す道を真っ直ぐに突き進んでいくヒカルの背中を見るのが好きだった。 だいたい、ヒカルはいつだってマイペースで強引で。 他人の歩調に合わせて歩くなんてタイプじゃないのだ。 この距離が───ひどく遠く感じるようになったのはいつからだろう。 「指導碁。」 「え?」 僅かな沈黙の後。 前を歩くヒカルがぽつりと言葉を紡いだ。 「言ったろ、指導碁に行ってやるって。手合いの日は無理だけど、いつがいい?」 「嘘っ、本当に来てくれるの!?」 思わず声を張り上げてしまう。 確かに卒業式の時にそんな話はしたけど、ヒカルは忙しいから当分無理だと思っていた。 ヒカルは先月開催された日中韓ジュニア棋戦に出るくらい有望な若手棋士で。 毎日が手合いと碁の勉強で忙しくて。取材なんかもあったりして。 …とても私なんかの我侭に付き合わせられる人じゃなくなってて。 私の素っ頓狂な声に気分を悪くしたのか、ヒカルが足を止めた。 街灯の下でこちらを振り返った顔は、やっぱり不機嫌そうに歪んでいる。 「あーのーなー。もともと言い出したのはあかりだったろーが。」 「だってだって! ヒカル、忙しいんでしょ!?」 「そりゃ忙しいと言えば忙しいけどさ。前もって予定合わせれば、それくらいの時間はあるぜ。」 あっさりと言うヒカル。 その顔はその場の気休めを言ってるようには見えなくて。 嬉しいのと同時になんだか信じられなくて。 「……絶対、ヒカルは忘れてると思ってた。」 つい、私の口をついた言葉にヒカルが更に口を尖らせた。 「なんだよそれ! 確かにオレ、勉強苦手だったけどそこまで物忘れひどくねーぞ。」 「オレがお前との約束を忘れる訳ねェだろ。」 …あまりにも普通に言い切られてしまい、一瞬、聞き間違いかと思った。 固まってしまった私の姿に、ヒカルが「あ」と我に返ったように口を噤む。 「ほら行くぞっ!」 再び私に背中を向けて歩き出すヒカル。 怒ったようにずんずんと先に進む後姿。 だけどそれが照れ隠しなのは、幼稚園からの長い付き合いの私には分かってしまった。 たった一言が、凄く嬉しい。 「待って、ヒカル!」 ぱたぱたとヒカルのすぐ後ろ、2歩分のところまで走る。 ヒカルの歩調は変わらない。だから早歩きのまま、その定位置で話しかける。 「先輩達、すっごく喜ぶと思う! えっと、もうすぐ期末テストだから、それが終わった頃でもいい? それならみんな部活に出て来れるし、後はヒカルの都合のつく日でいいから!」 「…じゃ、テストが終わったら電話しろよ。スケジュール見とくから。」 「うん!!」 ぶっきらぼうに。 でもちゃんと答えてくれたのが嬉しくて、満面の笑顔になるのを止められない。 「そっかテストか…もうそんな時期なんだな。」 独り言のように呟くヒカルの声には、今は昔となった学生時代を懐かしく思い出すような色が含まれていて。 かといって後悔しているような素振りは全然なくて。大人びた雰囲気さえ漂っていて。 本当にヒカルは私とは違う道を歩いているのを感じさせる。 それでも、ヒカルはヒカル。 私の大切な幼馴染み。 ───そう、思っていてもいいのかな、と思った。 それからヒカルは私を家まで送ってくれた。 コンビニから住宅街のほぼ真ん中にある私の家までは歩いて約10分。 本当は私の家の前を通らずにひとつ先の角を曲がった方が、ヒカルの家は近い。 だけど当然のように、先を歩くヒカルは遠回りである私の家に近い方の角を曲がった。 私が何も言えないうちに。何も言わさないうちに。 …ほんと、ズルイ。 碁しか興味なくてマイペースで恋愛とか女心にはてんで鈍いくせに、たまに無意識にこういう事するんだから。 門の前で一度振り返り、それじゃな、と軽く片手を上げるヒカル。 そのまま通り過ぎようとする背中。 2人の距離が、2歩から3歩。3歩から4歩へと、どんどん開く。 「ヒカル!」 彼を呼び止めたのは殆ど条件反射だった。 お願い。 一番でなくていいから。 時々でいいから、私があなたの後ろにいる事を思い出して欲しい。 この位置にいる女の子は私だけだと、もう暫くの間、思っていたい。 「頑張ってね。私、ずっと…ずっと、応援してるから。これからも。」 本当は、もっと早くちゃんと言いたかった。 「週刊碁」でヒカルの記事を見る度に、嬉しいのと同じくらい胸が締め付けられた。 ヒカルがどんどん遠くなっていくのを嫌でも思い知らされたから。 その気になれば電話だってなんだってできたのに、どうしても自分から電話できなかった。 完全に拒絶されるのが怖かった。 置いて行かれるのが怖かった。 でも、やっぱりヒカルはヒカルで。 そして、私の前を真っ直ぐに進むのがヒカルだから。 ───そんなヒカルが好きだから。 立ち止まって振り返ったヒカルに、できるかぎりの笑顔で笑ってみせた。 暗い夜道の街灯に照らされて、ヒカルの金色の前髪が揺れる。 なんだか分からないけど、泣いてしまいそうになるのを精一杯堪えた。 次の瞬間。 「あかり!」 抱えたコンビニの袋の底をがさごそと漁ったヒカルが、私の方に何か黒いものをぽんと投げて寄越した。 「え? わわわっ!?」 緩いカーブを描いて私の掌の上に落ちてきた物体を、慌ててキャッチする。 「……おにぎり?」 そこにあるのは、何の変哲もないコンビニおにぎり。 透明のセロファンに包まれた三角形のそれ。コンビニ世代の現代人には珍しくもないもの。 お弁当を用意できなかった時とか友達と遊びに行った時とか、私も何度か食べた事がある。 どうにかアスファルトの道路に落とさずに済んだ事にホッとしつつ、なんでこんなものを渡されたのか分からない。 そう、疑問符を浮かべたところで気が付いた。 「あかりも、頑張れよな!」 返事も聞かずに駆け出したヒカルの背中がどんどん暗闇に溶けていく。 私の瞼に、月のように眩しい笑顔を残して。 ───ほんと、ズルイんだからヒカルは。 掌に残されたものをそっと包む。 何の変哲もないコンビニおにぎり。 ───私が一番好きな、おかか入り。 私達がうんと小さい頃。 運動会か何かでお母さん達が作ってくれたお弁当を一緒に食べていて、残ったシャケ入りのおにぎりとおかか入りのおにぎりを、私とヒカルのどちらが食べるかで喧嘩した事があった。 子供同士の他愛ない我侭。微笑ましい思い出。 その時はヒカルが勝って、おかか入りを取られちゃったんだけど。 ───ヒカルは、ヒカルの道を行く。 私は、私の道を行く。 それでもどこか根っこの部分で繋がっていると思っていてもいい…よね? いつの日か、この気持ちを伝えられるその時まで──── 【ヒカ碁WJ連載終了ヤケ記念(え)座談会】 作者「…という事で、100企画第7弾は何故か「ヒカルの碁」ネタとなりましたぁぁぁぁ!! いやぁ、GBAのヒカ碁2に嵌ったとはいえまさかこのジャンルで出す事になるとは 企画発足の時点では思いもしなかったよ。勢いって怖いねぇ。(他人事のように)」 佐為「………本当に無責任な方ですね………」 作者「まーね。それが私だから。しかも王道なのにマイナーな(苦笑)ヒカル×あかり。 肝心のお題も殆どムリヤリの付け足しなのがバレバレだね☆」 佐為「……開き直りましたね?(溜息)」 作者「おう。やっちゃったもんは仕方ないしさ。まぁ、もともと土台はあったんだよ。 特にキャラ萌えはしてなかったけど昔からヒカ碁の漫画もアニメも好きだったし。 それがゲームで碁を覚えて、CPUのトロさに怒りつつもムキになって余計にのめり込んで、 数少ない「ひかり」サイト巡りで思いがけずこのカップリングに惚れたという…。 ここんとこ胡散臭いおじさんとお姫様のオトナの恋愛(?)ばっかり書いてたから、 あまりの初々しさと新鮮さに目から鱗状態になったね。 で、その直後に連載終了して、これで書かずにいられるかー!!となった訳よ。 原作がやってくれないなら自分で続きを書いてやるって感じ? だからこの話は北斗杯終了後って設定なのさ。コミックス買って時期確認までしちゃったよ。」 佐為「例え原作が続いていても、またあかりちゃんが登場したかどうかは怪しいですけどね。(にこ)」 作者「………………(素か?これがこいつの素なのか?こんなキャラだったっけ?)」 佐為「ヒカルもあかりちゃんも、勿論私も偽者臭いのは貴女の文章力不足のせいですよ?(更に爽笑)」 作者「………………(心読んでるし─────!?)」 佐為「神の一手…なんと遠く険しい道か……(遠い目)」 作者「………………(最後だけそれっぽくするなぁぁぁぁ──────!!!!)」 あわわ。結局何が書きたかったのかいまいち分かりません。 |