【二人の剣士】 ───おれは。 これから何処へ向かうのだろう。 何をしようとしているのだろう。
「まいどぉ! 見ない顔だね、兄さん。観光かい?」 「まぁ、そんなとこかな。」 人の喧騒の他にざざーん、と波の音が混ざる賑やかなバザール。 さすがに一国の首都なだけあって品数、特に食材の種類は豊富だ。 時刻はちょうど昼過ぎ。 ふらりと立ち寄ったその街でおれは手頃な値段の肉入り蒸しパンを購うと、露店の親父に背を向けて歩き出した。 油紙に包まれた出来立てのそれを何処か適当な場所で頬張るつもりで辺りを見回す。 「……ん?」 その時、曲がり角の方からばたばたと人が石畳を駆ける音がこちらに向けて一直線に近付いてきた。 子供が…二人、か。体重と歩幅からいっておそらく10歳前後。 後ろを走っている一人はもっと年下かもしれない。 革靴、しかもわりと高価なものを履いているようだ。育ちのいい坊ちゃんだろうか。 いや、この衣擦れの音は…スカート? 女の子か? …商売柄とはいえ一瞬でここまで分析してしまう自分に呆れてしまう。 「へへーん、ここまで追い付いてみな!」 「待ちなさい!! それを返して!!」 案の定、続いて甲高い少年と少女の声が響いた。足音がここに辿り着くまで後わずか。 (……………お子様に関わるとロクな事はないんだけどな……………) ほんの1年ばかり前にひょんな事で関わった摩訶不思議な少女達(いや年はもう少しいってはいたが、おれから見ればあいつらも子供だ)との出遭いは、はっきり言っておれの中でトラウマとなっている。 だが、そこで敢えて無視できないのも長年の性分で。 そういえば、とある街で出遭った地図職人の少年にも呆れ顔でお人好しだと言われたっけ。 そんな事を思い出しながらおれはひとつ溜息をつくと、右手に蒸しパンの包みを抱えたまま無造作に左手を突き出した。 「う、うわッ!?」 「……え!?」 角から飛び出してきた少年のシャツの首根っこをすれ違いざま、むんずと掴む。 すぐ後ろを走ってきた少女がびっくりしたように目を丸くして立ち止まった。 「だ、誰だお前! なにすんだよ放せよッ!!」 「お前さんが彼女から奪ったものを返せばな。…女の気を惹くのにそのテは男として情けないぜ?」 おれの手から逃れようと暴れる少年に、諭すように忠告してやる。 最後の部分は少女には聞こえないよう心持ち小声で。 「!!!!」 どうやら図星だったらしく、いかにもガキ大将といった感じの少年がトマトのように顔を紅くする。 次の瞬間。 カラン、と『それ』が石畳に落ちたのと同時におれの脛を思いっきり蹴り上げられた。 「〜〜〜〜〜ッッッ」 しまった、油断した…。 予想外の反撃に思わず声を詰まらせる。 …確か、無敵を誇った英雄が脛を矢で射られて死んだという神話が何処かの国にあった。 それくらい脛は人体の急所であり、尚且つ鍛えようと思って鍛えられるものではない。 よって普段は絶対にこんなヘマはしないのだが、気を逸らされたとはいえ子供相手に完全に隙を突かれてしまった自分が恨めしい。 人目がなければのたうち回りそうな痛みで揺るんだ手をすり抜け、少年はあっという間におれから距離をとった。 「ま、待てこの坊主…ッ」 「へん、ざまあ見ろ!!」 そのまま捨て台詞を吐くと、それこそ風のように走り去ってしまう。 「…………………おじさん、大丈夫?」 「お・に・い・さ・ん・だ!!!」
風が去った後には未だ膝を抱えたままのおれの顔を心配そうに覗き込む少女と、蹴られた弾みで中身が石畳にぶち撒けられ、無残な姿になった本日の昼飯が残されたのだった…。
「もういいさ、気にするなって。油断したおれが悪かったんだから。」 過ぎた事を言っても仕方ないし、被害者でもある少女を責める訳にもいかない。 おれは空腹を敢えて無視して苦笑を浮かべると、海に面した石段になんとなく並んで腰を降ろした少女を改めて見やった。 年の頃は7、8歳くらい。先程のガキ大将と違い、仕立てのいい服装と丁寧な喋り方は育ちの良さを感じさせる。上流階級の娘なのは間違いないだろう。 その顔立ちも10年後にはさぞ男どもが放っておかないだろうというのが予想されて、なるほど高嶺の花に憧れるあの少年の気持ちも分からなくはない。 「………なに?」 「あ、いや、なんでもない。」 少女にきょとんとした目を向けられて、おれは慌てて誤魔化した。 …何度も言うが、おれに怪しげな趣味はない。 少なくとも、現時点でどうこうというレベルじゃないのは確かだ。 誰に言うでもなく心の中で弁解すると、おれは目線を彼女が大切そうに抱えるものに移した。 先程少年が落とし、俺が気をとられたもの。 「…それ、お前さんのなんだよな?」 「………どういう、意味?」 「いや、深い意味はないんだが…君みたいな女の子が持つのがちょっと意外でね。」 それは、一振りの剣。 ただし本物ではない。刃もない、実戦では何の役にも立たない練習用の剣だ。 騎士見習いを夢見る少年が一番最初に手にする剣でもある。そう高価ではないだけあって、おもちゃと大差はない。 だがこの年頃の少女…それも上流階級の娘が好んで手にするようなものでもなかった。 生まれた国こそ違うがあのレナにしたって、本格的に剣の勉強を始めたのは一通り学校を出てからであり、散々周囲に止められたのを半ば強引に説き伏せて脅迫まじりに納得させたのをおれは知っている。 と。おれの言葉を聞いた途端、それまで比較的友好的におれに接していた少女の目が剣呑な気配と共に細められた。 「…おじさんも、そういう事を言うんだ。」 「ちょっと待て。だからおれはまだ23になったばかりでおじさんって年じゃない!!」 「そういう頭の硬さがおじさんだって言うの。」 石段から立ち上がった少女がおれの前にゆっくりと回り込む。 ヒュッと音をさせて振り下ろされた模造剣はおれの鼻先でぴた、と正確に止まった。 「学校の先生も爺もそう。誰もがわたしが剣を振るうのを止める。女の子がする事じゃないって言う。女の子は黙って作法や習い事をしてればいいって。でないと、お嫁に行けないって。だからこっそり剣を隠して見つからないように練習しようとしたら、アベルに発見されてからかわれる始末だし。」 少女の苛立ちを表わすかのように、剣先がきらりと鈍い光を放つ。 アベルというのはさっきの少年の名前だろう。
おそらく先に剣を取られたか、ふいを突かれたか。 少年にしてみればちょっと気を引く為の悪ふざけだったにせよ。 だからこそ、彼女にとっては最大の屈辱にもなる。
しかし次の瞬間には剣を引き、少女はおれに頭を下げた。 あまりにもあっさりと自分の非を認めた潔さに内心おれの方が面食らってしまう。 少女は年齢に似合わない自嘲めいた笑顔と共に大きく息を吐くと、おれの隣に再び腰掛けた。 「でも、どうして避けなかったの? あなた、本当は強いでしょう?」 驚いた。なかなかどうして、この少女には本当に素質があるようだ。 自慢にもならないが、おれは腕の立つ人間に見られる方ではない。 もちろんわざとそう見せている面もある。背中のグローサー・フルスを表に出さないのも、自らを戒めると同時に余計な警戒を相手に抱かせない為だ。 「まぁ、ね。その剣じゃ斬れないのは一目瞭然だしちゃんと止めるのは分かってたしな。」 おれは少女を安心させるように、笑ってみせた。 何故だろう。さっき逢ったばかりのこの少女ともっと話をしてみたいと思った。 「おれも短慮だった。確かに女の子が剣を持つのがいけないって法はないな。」 至極なんでもないように言ったおれに、今度は少女が目を瞬く。 こんな答えが返って来るのは稀なのだろう。 「やっぱりあなた、面白い人ね。」 くすくすと笑う少女はやっと年相応に見えた。 「よく言われる。なぁ、なんでそんなに剣にこだわるのか聞いてもいいか?」 「騎士になるには剣を扱えないと話にならないでしょ?」 即座に答えが返って来る。迷いのない声。 それから彼女はぽつぽつと語った。 父親がこの国でも名の知れた騎士だった事。 しかし彼女がもっと幼い頃、隣国との戦争に向かったまま行方知れずになった事。 残された母(幸いにもこの母親が上流階級でも上の方に属した祖父の遺産を受け継いでいたらしい)も病に倒れ、今は屋敷で執事と暮らしている事。 「それで、自分も騎士に?」 正直、少女の気持ちはおれには分からなかった。 いくら名の知れた騎士で、この国に多くの利益をもたらした男だったとしても。 酷な話だが、生きているにせよ死んでいるにせよ…彼女の父が娘と妻を残して去った事に変わりはない。 なのに何故、敢えてその父と同じ道を進もうとするのか。 この年頃の子供なら、父を憎んでも可笑しくはないのに。 「確かに、父さんのせいでわたしも母さんも辛い思いをしたわ。今だって友達が両親と仲良く出掛けるのを見たりすると、堪らない気持ちになったりもする。有名でなくてもいい。一緒にいてくれるだけで、どんなにいいかって思ったりもした。」 まるでおれの心を見透かすように、少女が言葉を紡ぐ。
誇らしげに笑う少女の笑顔に………いつか見たユーリの笑顔が、重なった。
「なに?」 「今、君の父さんが現れたらどうする?」 「そうね…まずは大切な家族をほったらかしにした事を思いっきり怒って。それから、お帰りなさいって抱き付く、かな。」 「……そう、か……」 「???」
任務なんてのは言い訳に過ぎない。 ハルモニアから遠く離れた国ばかり選ぶのは結局のところ、妹から逃げているのだ。 どんな理由があれ、あいつの愛する人を二度までも奪ったおれを許す筈はないと。 でも。 あいつも、この少女のように……おれを待っていてくれるのだろうか。 まだ、おれを家族だと思ってくれているのだろうか。 いつの日にかユーリのもとに戻る事ができるのだろうか。
この少女のおかげでほんの少し、気持ちが楽になったような気が………した。
「ははは、早く立派なレディになれよ。そしたら騎士でもなんでも嫁に貰ってやるから。」 「よ……わたしにだって選ぶ権利はあるもの!!」 なんだかやけに嬉しくて。 くしゃくしゃと少女の頭を撫でてやると、彼女は真っ赤な顔で飛び退った。 大切な剣を抱えて勢い良く立ち上がり、おれから数歩離れたところで振り返る。 そしてびしっとおれに指を突き付けた。 「だいたい、名前も名乗らないで失礼よ!!」 「おっと、それはそうだな。申し遅れたがおれの名はナッシュ・ラトキエ。それで君は?」 「…クリス。クリス・ライトフェローよ。」 「了解。未来の騎士殿の名を、この胸に刻むとしよう。」 「………馬鹿にしてない?」 「とんでもない。10年後か、20年後か…美しき騎士となった君に再び出遭えるのを楽しみにしているよ。その時一人身だとなお嬉しいけどね。」 「もう!! やっぱり馬鹿にしてる!!」 「だから本心だって。君なら立派な騎士になれるのは『本当は強いおれ』が保証するよ。そして美人になるのもね。」 「……ッ!! 例えそうだとしても、その頃は『お兄さん』も本当に『おじさん』でしょ!!!」
ゼクセン連邦の首都である海辺の街に、再び顔を紅くした少女の声が響く。 彼女の長い銀髪が風に煽られてふわりと舞った。 おれは笑いながらそれに手を振り。 少女に別れを告げて、次の街を目指してゆっくりと歩き出した。
あの日から死に場所を求めるような生き方をしてきたおれだったが、遠い未来を楽しみに生きるのも悪くない。
クリス(15年後バージョン)「………勝手な話を………」 ナッシュ(同じく15年後)「まぁそう言いなさんな。創作小説なんてこんなもんだろう。 おれもハイランドに行ってたくらいだからゼクセンに寄っても可笑しくはないしな。」 クリス「それにしたって…というか、性格変わってないな誰かさんは…。 幼女に手を出すのは犯罪だろう。(ジト目)」 ナッシュ「手を出してないだろうが!! おれはそこまで落ちてない!!!(力説)」 クリス「だが、幼い少女にあの台詞は結構犯罪だぞ。本気にしたらどうするんだ。 ずっと待ってた相手が妻帯者になってたら泣くしかないだろう。」 ナッシュ「おやおや、銀の乙女ともあろう者が怪しげな男を本当に待っていたのですか?」 クリス「誰が!!!!」 ナッシュ「……そんなに力いっぱい否定しなくても……。 ま、おれが妻帯者かどうかはさて置き。おれの予想は見事に当たった訳だ。」 クリス「………………。ちょっと待て、『さて置き』って違うのか!?」 ナッシュ「どうだろう。おれも年かな、物忘れが酷くなったようだ。 仮に違うとしたら君を改めて口説いてもいいのかな?」 クリス「…………………………」 ヒュンッ。カカカッ。←矢と槍と剣が何処からか飛んできた音 ナッシュ「…………どうやら、誉れ高き騎士の皆さんがお待ちのようだ。また次の機会にするよ。」 ナッシュ、逃げるように退場。 クリス「………わたし、普通に結婚できるのだろうか………(涙)」 難しいよナッシュ!!!(叫) |