【蟹と騎士】





 昼過ぎのビュッデヒュッケ城屋外レストランは盛況である。

たまに突飛なメニューを考え出しては客を実験台にするものの、メイミの料理の腕は確かだ。

よって昼食の時間を一刻ばかり過ぎたこの時間もテーブルは満席となっている。

(さて…どうするか。)

 パーシヴァルは顎に手をやって軽く周りを見渡した。

そろそろ客も退けてきた頃だろうと予想をつけてここまで来たはいいが、この様子ではどれだけ待たされるか分からない。

それを回避するには何処か空いてる椅子を探して相席させて貰うか、諦めて出直すか。

誰と相席になっても適当に話を合わせる自信はあるが、どうせなら顔見知りがいれば助かるのだが────。





「パーシヴァル!」

 と。店の奥の方から自分の名を呼ぶ声がした。

よく知る声に顔を上げると、太陽の光を反射する美しい銀髪が目に飛び込む。

ちょうど死角になっていた為に先程まで気が付かなかったが、気さくに手を振る上司の姿にパーシヴァルは満面の笑顔を浮かべてそちらに歩み寄った。



───今日はツイているらしい。



「クリス様、こちらにおいででしたか。」

「ああ。良かったらそこに座らないか?」

 ゼクセン騎士団の団長は入り口で立ち往生している部下を見かねて誘ってくれたようだ。

勿論パーシヴァルに断る理由などあるはずがない。

「有難く。」

 ボルスが知ればまた煩いだろうな、と思いつつも微かな優越感と共に4人掛けの丸テーブルに向かい合うようにして腰を下ろす。

「いや、これだけ混んでるのに一人でテーブルを占領するのも悪い気がしてたんだ。こちらこそ助かる。」

「では、お互いに助かったという事で。」

 肩を竦めるように笑ってみせるクリスに、パーシヴァルも笑って言葉を返した。

確かにクリスの立場を考えれば彼女に相席を申し出る勇気の持ち主もそう多くないだろう。

誉れ高き6騎士を除くとグラスランドの族長達とハルモニアの傭兵達くらいか。

彼ら以外では下手に彼女から誘ったところで、却って相手に気を遣わせてしまうに違いない。

ならば堂々としていればいいようなものだが、それで甘んじていられないのが生真面目な彼女らしい。

 因みにいつもクリスの周りをうろついていた某金髪碧眼の中年男は真っ先に申し込みそうだが、ここ最近誰も彼の姿を見ていない。

某巨大昆虫が彼を気に入っていたとか何とか噂はあるが、それについてはパーシヴァルの知った事ではないし、このままずっと消えて貰っても一向に構わないと思っていたりする。

 それはさて置き。

ようやく水を運んできたウエイトレスからメニューを受け取ろうとして、パーシヴァルはクリスの前に置かれた器に目をやった。

大皿に残り4分の1となっていたそれはまだ暖かそうな湯気を立てている。

「クリス様、それはピラフですよね。何ピラフですか?」

「ん? 蟹ピラフだが。」

「それでは、わたしもそれを。」

「畏まりましたー。」

 最近入ったばかりなのだろう、見覚えのないウエイトレスが忙しげにテーブルを離れた途端、クリスが呆れたように溜息をついた。

「何もこんなものまでわたしに付き合う必要はないんだぞ、パーシヴァル。」

「わたしも食べたくなっただけですよ。どうぞ、わたしに構わずお食事を続けて下さい。冷めますよ。」

「…それならいいんだが。」

 しれっと答えるとクリスはまだ少し納得していない様子ながらも、遠慮がちに再びスプーンを動かし出した。

そういえばまじまじと彼女の食事の様子を観察した事はなかったが、流石にお嬢様育ちなだけあって綺麗なスプーン捌きである。

それでいて男の目を必要以上に意識するような街娘とは違う、何処か武人らしく豪快な食べっぷりがいかにもクリスらしくて、内心笑みを抑える事ができない。

我らが団長殿は余程この料理がお好きらしい。

「〜〜パーシヴァル! 人が食べているところをじろじろ見るのはやめろ! 恥ずかしいじゃないか!」

「ああ、これは失礼しました。あんまり美味しそうに食べられるので、つい。それだけ美味しそうに食べられれば料理も幸せでしょう。」

 ついに真っ赤な顔で怒り出すクリスがまた、少女のように可愛らしく見えて。

いつもの鎧姿に変わりはないのに戦場での凛々しい彼女とはまるで別人のようだ。

一部の騎士団の人間にはクリスを本物の女神のように神聖化する者もいるようだが、彼女ほど見ていて飽きない人物も珍しい。



───炎の英雄を追う旅を経て、クリスは変わった。

時に重圧に押し潰され、痛々しいくらいに強張っていた表情が格段に柔らかくなった。

グラスランドの地で何があったのか彼女は多くを語らないが、それは彼女の成長を示す、とても良い変化だとずっとクリスを見てきたパーシヴァルは思う。



 当のクリスはパーシヴァルの言葉に意表を突かれたらしく。

僅かに眉を寄せ、それから諦めたように苦笑を浮かべた。

「…そんなに顔に出ていたか?」

「ええ。蟹がお好きなんですか?」

「そうだな。特にここの蟹ピラフは蟹の風味を上手く出してて絶品だと思う。だからつい、ここに来るとこればかり注文してしまうんだ。…どうせ子供っぽいとか思ってるんだろう。」

「とんでもない。クリス様お勧めのピラフを味わうのが楽しみになりました。そして今度はわたしがここに負けないような蟹ピラフを作って差し上げますよ。」

「…パーシヴァルなら本当に作れそうだな。では、その時を楽しみにしとくよ。」

「お任せ下さい。腕によりをかけてみせましょう。」

 他愛無い会話。ほんの些細な約束。

彼女にとっては深い意味もないのだろうけど、この人と先の約束ができるという事が嬉しくて仕方がない。



───結局のところ、自分もこの女神に囚われているのかもしれない。





「…ところでクリス様は蟹の生態をご存知ですか?」

 軽い会話を交わしながらクリスの食事が滞りなく済んだ頃。

ふと思いついてパーシヴァルが問い掛けると、案の定クリスは目を瞬いた。

「生態? そういえば…殆ど知らないな。」

 彼女の生家のあるビネ・デル・ゼクセは港町であり海の食材は豊富だが、漁師や料理屋ならともかく騎士家庭で育ったクリスがそうそう海産物の生態など知るはずもない。

仕官学校は勿論、読み書きを教える幼年学校でもそこまでは教えてはくれないだろう。

大抵の人間がそうであるように食べ物の好みと知識はまた別物である。

素直に首を傾げるクリスに、パーシヴァルは柔らかな笑みを向けた。

「わたしも子供の頃に村の近くの川で沢蟹を獲って遊んだくらいで、それほど詳しくはないのですけどね。蟹も蛇なんかと同じで、硬い殻を脱皮する事によって徐々に大きくなるんですが。」

「へえ…言われれば確かにそうかもしれないな。」

 騎士としては何の役にも立たないが珍しい話に、彼女が興味深げに頷く。

どうやら乗ってきたようだ。

「それでですね、蟹の中には面白い習性を持つものもいるらしいんです。」

 ひとつ、呼吸を置く。クリスの紫水晶の瞳が先を促した。

「脱皮の時期が近付くとオスはメスに覆い被さるように乗って、ぺりぺりとメスの背中の中央にハサミで切れ込みを入れてあげるんです。そうする事によってメスの脱皮を手伝うんですよ。そして脱皮した直後の柔らかくて脆い新しい殻が丈夫な硬い殻になるまでの間、メスに付き添って外敵から護ってあげるんだそうです。」

「それはまた、随分と紳士的なんだな。蟹を見る目が変わりそうだ。」

 さも面白そうにクリスが微笑む。

「では、オスはどうなると思いますか?」

「逆にメスが手伝うんじゃないのか?」

「違いますね。自分の殻が完成するとメスはさっさとその場を離れます。オスはそれから一匹で寂しくこそこそと岩陰で脱皮するしかないそうですよ。」

「はは…それは大変だろうな。全然知らなかった。」

 オス蟹に同情したのか今度は苦笑を浮かべるクリスに向かい、パーシヴァルは悪戯っぽく囁いてみせた。

「何処となく何かに似ていると思いませんか?」

「うん?」

「愛する女にどれだけ尽くしても報われない人間の男のようで、わたしなどはやけに親近感を覚えるんですよ。」

「………しょっちゅう城下町の女達に山のような差し入れを貰ってる男が何を言う。」

「あれはわたしが頼んだ訳ではありませんからね。突き返すのも悪いので物によっては受け取っていますが、その時は必ず『あなたの期待に応える事は出来ない』と断りを入れています。」

「………………」



「わたしが心より尽くしたい女性はただ一人なのですよ。その硬い『殻』を──鎧を外して楽にして差し上げたい。」



 先程までとは打って変わって真摯に目の前の女性を見つめると、彼女の顔が朱に染まった。

いつもの軽口に決まっている。信じられない。だけど本当なら。

そう、クリスの顔には書いてある。

何とも分かりやすい女性である。



「……冗談だろう?」

「まさか。クリス様次第…ですね。」



───けれど決して拒絶ではない。

本人にその自覚はないようだが、だからこそパーシヴァルも行動を起こしたのだ。

こと恋愛に関して自分にも他人にも鈍い想い人にはこれくらいでちょうどいい。



───単に彼女が欲しいというだけではない。

あの旅を経て、彼女は変わった。

しかし未だ彼女の細い肩には誰よりも重いものが乗せられているのだ。

それを他でもない自分の手で少しでも軽くしてやりたいという気持ちに嘘はない。



 賑やかなはずのレストランの一角に奇妙な緊張が走る。

テーブルに置かれたクリスの手にパーシヴァルの手が重なりかけて。



「お待たせしましたー。」

 次の瞬間、絶妙のタイミングでパーシヴァルの注文した蟹ピラフがテーブルに運ばれてきた。

「………………」

「………………」

 ふわりと広がる湯気と濃厚な香りが一気に緊張感を削ぐ。

「あ、えっと、その、パーシヴァル、悪いがわたしはそろそろ戻らないと…」

 ウエイトレスの怪訝そうな視線に我に返ったのか、慌ててクリスが椅子から立ち上がった。



……まぁ、焦る事はない。先はまだまだ長いのだから。



 小さく苦笑を浮かべるとパーシヴァルはクリスに会釈してみせた。

「他愛無い話でお時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした。わたしの事はお気になさらず部屋へお戻り下さい。そろそろルイスが探している頃でしょう。」

「あ…いや、面白い話を聞けて楽しかった。これは本当だ。うん。」

 パーシヴァルの言葉に焦ったように首を振り、後半部分に力を入れて話すクリス。



「──メス蟹だって、オスの存在に感謝してない訳じゃないと思うぞ。オスがいるから安心して脱皮できるんだろう。」



 これが、恋の駆け引きに不慣れな彼女の精一杯の返事らしい。

虚勢のつもりかじろりとこちらをねめつけるものの、頬を染めたまま必死で言葉を紡ぐ彼女が堪らなく愛しく思えてパーシヴァルは微笑んだ。

日頃スマートな男を装っているパーシヴァルであるが、つくづく自分はこの人に参っているのだと思う。

大体こんな表情を見せられて、悪戯心に火が点くのを抑えられる男がいるものか。



「では、いつの日か───メス蟹を代弁してあなたがわたしの『殻』を直に外す気になるのを、心よりお待ちしていますよ。」

 積極的な女性も好きですよ、と片目を瞑ってみせる。








───昼下がりのレストランにて、顔をトマトのように赤くしたゼクセンの騎士団長が疾風の騎士に斬りかかったと壁新聞で騒がれるのは次の日の事である。

 本人達がその時の事を寝室での笑い話にするのはもう暫く先の話────。







                【深く突っ込まないで下さいあくまで小話なんです座談会】  

箸「前作に比べて…というか幻水SSとしてはかなり短いですね、この話。

  予想はしてましたが『木の下〜』と繋がってる訳でもなさそうですし。(←不満そう)」

栗「それはそうだろう。作者がこの前『京都蟹フルコース食い倒れツアー』に行った時に

  バスガイドさんから聞いた話が面白かったというだけで強引にネタにしたらしいから。(スパッ)」  

箸「……あの蟹の脱皮の話ですか。(←言い切られてショックだったらしい)

  自分でクリス様に説明しといて今更言うのもなんですが、本当なんですかね?」

栗「うろ覚えだが、ズワイガニがそうらしい。まぁ、幻水世界にズワイガニがいるかどうかは別だけどな。」

箸「そうでしょうね…クリス様の好物がカニパンチだったらそれはそれで凄いですが。」

栗「あれも結構美味いぞ?(素)」

箸「……………それは置いといて。最初、このネタは別のカップル用に使うつもりだったとか?」

栗「あー…ははははは………そう、らしいな。(引き攣り)

  最初に浮かんだのは…やはりというか何というか、ナッシュとわたしだったようだ。

  …作者の奴最近暴走ぎみだからな、番外でエロギャグ風にするつもりだったらしい。」

箸「ベッドの上で蟹の殻のように服を剥かれるあなたと自分で脱ぐ彼の?(にこり)」

栗「ぐ、具体的に言うな馬鹿っ! ていうかなんか目が怖いぞ、パーシヴァル!!(汗)

  結局お前の方が蟹とかの小動物には詳しそうだとキャスト変更したんだからもういいじゃないかっ。」

箸「……まぁ最終的に勝者になれればいいんですけどね、わたしは。

  では、約束通り美味しい蟹ピラフをご馳走したのですから今度はあなたの殻を剥く番ですね?」

栗「…………ってお前もやっぱりエロ担当か─────!!!(涙)」






…もっとアホなエロトークさせたかったって言ったら怒ります?
本気で小ネタSSSにするつもりだったんすよ。梨バージョンでは。
梨「たまには、君がおれも脱がせてくれる?」栗「………っ」
…みたいな(大笑)。
結局パーシィちゃんにキャスト変更した訳ですが、
こいつももうちょっと弾けさせたかったなぁ。
どうも『上司と部下』は微妙なライン引きが難しくて、
気がつけばエロネタが真面目な(?)口説き文句になっちゃったよ(苦笑)。
結論。梨と同じくらい難しいです箸も。
そして箸に出番を取られたあげく、さり気に思いっきり不幸な梨…。