【賭け】





「───行け、クリス!!」

 いつも飄々としている男の、真剣な声が飛ぶ。




「そんな…できる訳ないだろう!!」

 咄嗟に反論するものの、クリスとて彼の言いたい事は分かる。

だからといって素直に従えるものでもない。




「あんたなら分かるだろう。自分が何をしなければいけないのか。」

 ナッシュは言葉を続けた。

その目はじっと目の前の巨大なモンスターを見据えている。

どちらも、傷を負い。

一瞬の油断も許されない緊張が続いている。

ただひとつはっきりしているのは、圧倒的にクリス達──人間に不利な状況だという事だった。











 事の起こりは、単純な話だった。

カラヤ族の少年ヒューゴが炎の英雄となり、湖の畔に建つ古城が新たな『炎の運び手』の本拠地となって既に2週間が過ぎている。

今はハルモニアの動向を静観している状態…つまり、こちらからは特に動きようがない状態だ。

そうなると、城に待機する者達の中に手持ち無沙汰な輩が出てくるのも当然で。

その筆頭となるのがティント共和国の大統領令嬢リリィであった。

そこが何処であろうと己の道を進みたいように進む彼女には、城主トーマスを助けて城のこまごまとした雑用を手伝うといった観念は最初から存在しない。

他にやる事がないからとジョアンとアーニーの指南を必要最低限済ませてしまった後は、暇でしょうがないと喚くのが彼女の口癖になりつつあった。

専らリリィの犠牲になるのはその付き人であるサムスとリードである。

他人事ながら彼らの苦労を思うと同情を禁じえないというのが城の住人共通の意見だ。

 だが、運悪く今日はクリスも彼女に掴まってしまった。

もともとクリスとリリィは知らない間柄ではない。

出会いこそ舞踏会での大喧嘩という派手なものではあったが、城では数少ない同年齢の女性として、リリィはクリスに親しみを持っているらしく。

クリスも奔放なリリィに呆れ振り回されつつも、何処までも自由な彼女を少し羨ましく思っていたりする。

 そんな訳で、大統領令嬢は強引にゼクセンの騎士団長殿を説き伏せ、昨日からイクセの村の近くで開かれている大規模なバザールに同行させたのだった。

「若い娘がいつも鎧ばかりじゃ勿体無いわよ! 私が見立ててあげるから任せなさい!」というのがリリィの言い分である。

クリスにしてみれば、リリィと違ってゼクセやブラス城から山のように送られてくる書類の処理があるので決して暇ではないのだが、たまには休暇が必要だというサロメの後押しに負けたとも言える。

幸いイクセの村までなら近いし、この辺りのモンスターはあらかた知り尽くしている。

仲間達が何度も往復する間にかなり退治したので最近はめっきり数も減った。

正直、戦士としては心許ないティント組だが、例えモンスターに遭遇しても彼らだけでなんとかなるレベルだ。

後は今までの長旅でそこそこ力をつけた自分がいれば、パーティとして問題はないだろう。

 そして、抵抗を諦めて腹をくくったクリス(堅苦しい鎧姿の騎士がバザールに現れたら何事かと思われるというリリィの意見で剣以外は軽装に着替えさせられた)が城の門をくぐった時に至極普通に現れたのがナッシュだった。

「わたしも御一緒させてもらいますよ。」

 そう、にこりといつもの笑顔を向けて。







 掴みどころのない男。

クリスにとって、それがナッシュという男の第一印象だった。

その印象は炎の英雄を探す旅を経て、ハルモニアの工作員だという正体が解った今でも大して変わっていない。

 強さは認める。

どういう仕組みになっているのか複雑な飛び道具を使うが、彼の身のこなしは一朝一夕で養ったものではないだろう。

37歳とは彼の自己申告だが動きひとつ見てもとてもそのように見えなかった。

仲間達の中でもそう多くない、クリスと同等に闘える戦士なのは疑いようがない。

 知識も認める。

戦闘での咄嗟の判断、機転の速さ、数々の薬の知識、国や軍の内部構造、その裏側。

おそらくクリスの知らないもっといろいろな事をこの男は知っている。

単純に生きてきた年数の差だけとは言えない何かがこの男はあった。



「なぁクリス。こんなのはどうだい?」

「却下。」

「…そんな即答しなくても…。少しくらいオジサンに夢を見させてくれてもいいんじゃないか?」

「その必要はないだろう。」



 特に問題なく辿り着いた賑やかなバザールで、人に溢れるワゴンから取り出した薄手のドレスを手にしたナッシュに、スパッと引導を渡す。

ナッシュの持ってきたのはシンプルで飾りひとつないものだったが、肩を露出して胸を強調するマーメイドラインのロングドレスは少なくとも騎士である自分には現在用のないものだ。

いじけたようにすごすごとワゴンに戻るナッシュの背中を見送りながら、クリスは苦笑を浮かべた。

 本当に訳の分からない男だ。

時々どきりとするくらい真剣な事を言うかと思うと、今みたいにふざけた態度をとる。

いや、ふざけた態度の方が圧倒的に多いか。

ビュッデヒュッケ城内で金髪のナンパ師といえば誰もがナッシュを指名する。

基本的に彼は女性に対して甘く、紳士的だ。

加えて顔の造りが整っているので、妙に女性陣(犬含む)に人気があるらしい。

なのに敢えて彼は女らしさの欠片もない騎士団長にちょっかいを出してくる。

どうも男性に免疫があるとは言い難いクリスをからかって、面白がっているようにも見えた。

かと思えば釘を刺すように「カミさん」という言葉を頻繁に出す。

そのくせ、いつだってクリスの側にいるのだ。

まるでそれが当たり前のように。

しかもクリスはそれをいつの間にか受け入れてしまっている。

これだけ胡散臭い男なのに、我ながら不思議で仕方ない。

何故。

どうして。



「クリス、こっちこっち!! ほらぁ、いいのがなくなっちゃうわよ!!」



 呼ばれて顔を上げると既に大量の荷物を抱えたサムスとリードを従えて遠くで手を振るリリィの姿が見える。

クリスはひとつ溜息をついてさっきまでの考えを一旦忘れる事にした。

おそらくリリィの見立てとやらも自分の好みとはかけ離れているだろうから、なんとか諦めて貰おうと思いながら。









「嘘…、こんなの聞いてないわよ!!」

 行きの道程は何の問題もなかった。

平和なピクニックとなんら変わりはない。

だからといって、帰りも何の問題もないというのは大きな間違いである。

通い慣れた平原とはいえ、そこは頑丈な壁に護られた街中ではない。

何が起きても不思議はないのだ。

ビュッデヒュッケ城まであと少しというところで、サムスとリードのみならずナッシュにまでバザーの戦利品を持たせて上機嫌のリリィとクリスの前に突如現れたのは今まで見た事がないモンスターだった。

巨大な翼、太い尻尾、山のような巨体、鋭い爪と牙。

「フライリザードの一種、か。」

 リリィの叫びを余所に誰よりも早く戦闘体勢を整えた工作員が呟く。

確かにこの平原によく出現するモンスターに似てはいる。姿形だけは。

「だが、この大きさは…!」

「まぁこれだけ立派に育ってれば、体力も力も数倍ってとこだろうな。たまにあるんだよ、そういう事が。最近この辺りのモンスターが減っていたのはこいつのせいでもあった訳だ。」

 隣で剣を抜いたクリスの尤もな疑問に、こともなげに答えるナッシュ。

実際目の前のモンスターはフライリザードの軽く3倍は大きい。

「ちょっとあんた、冷静に言ってる場合!?」

「そうは言っても事実なんだからしょうがないだろう。」

「お、お嬢さん、今はそれどころじゃ…」

「どうする!? おれ達だけでいけるか!?」

(……まずい……)

 仲間達の会話を聞き流しながら、クリスは自分の背中を冷や汗が伝ったのを感じた。

はっきり言って、このメンバーではかなりきつい。

数々の戦いをこなしてきた自分だからこそ分かる。その力の差が。

普通のフライリザード相手ならどうにかなるが、このモンスターは間違いなくボスクラスだ。

完全に予想外の敵。

防御に徹すれば、クリスとナッシュはまだ辛うじて耐えられるかもしれない。

だが職業軍人でもなく、絶対的に戦闘経験の少ないリリィは。

サムスは。リードは。

おそらく───いや、確実に耐えられない。

それどころか逃げる事すらできないだろう。

背中を向けたら最後だ。

「伏せろ!!!」

 ナッシュが叫ぶ。

次の瞬間、モンスターがうなり声を上げたかと思うと、爆風がクリス達を襲った。







「…やれやれ、やっぱりこうなったか。こういう勘は外れないんだよなぁ。」

「……くっ……」

 気が付けば最初の攻撃から半刻ばかりが過ぎていた。

現在、辛うじて立っているのは予想通りナッシュとクリスのみである。

戦闘慣れしていた二人の采配でどうにか今まで持ち堪え、僅かずつではあるがモンスターにもダメージを与えている。

それでも決定的な力不足は補えず、リリィ、サムスに続いてとうとうリードも力尽きて意識を失ってしまった。

こうなると回復薬も間に合わない。

この中には戦闘不能者を復活させる高位の魔法を使える者はいない。

まだ息はあるが彼らを助けるには、傷を受けて更に凶暴になった目の前のモンスターを倒さない事にはどうにもならないのだ。

 しかし、残った二人だけでこの巨大な敵を倒せるのか。

戦闘不能とまではいかないが明らかにクリスもナッシュも体力を失っている。

モンスターの度重なる攻撃によって身体のあちこちを負傷し、服には血が滲んでいた。

そしてクリスは言葉にこそ出さないが、先程の攻撃を弾いた際に利き腕を酷く痛めている。

この腕で剣を振ったところでモンスターの硬い鱗に太刀打ちできるとも思えない。

 ナッシュの方もなまじ武器が飛び道具なだけに、一度に使える数に限度がある。

正確な数は知らないが、クリスの数え間違いでなければおそらく残りは殆どないはずだ。

それでなくてもその小さな武器は素早さでは他の追随を許さないが、硬い鱗で覆われたこのようなモンスターに対して効果は薄い。

体力を削る事はできるがどうやっても致命傷を与えるまではいかないだろう。

今までスパイクは専ら仲間達を直接攻撃させない為のけん制に使われていたのだ。

彼の隠し玉らしい火炎弾や札による攻撃も戦闘が始まって早々に使用されたが、属性の問題なのか派手な煙をあげた割には与えたダメージは微々たるものだった。

 客観的に見てこの状況は絶望的であった。

だが、ここで諦める訳にはいかない。

その瞬間に全てが終わる。




「クリス。」

 モンスターが次の攻撃に移る前の僅かな時間。

ナッシュのいつになく真面目な声がクリスの耳に届いた。

「なんだ。わたしならまだやれるぞ。」

 強がりなのは自分でも承知しているが、ここでこの男に弱みを見せるつもりは毛頭ない。

「それは良かった。なら、お姫様だけでも逃げれるな。」

「な…何を言っている!」

 男の言葉が意味するものに、クリスは目を見開いた。

それは─────。

「言葉通りだ。ここであんたが死んだら、ゼクセンの騎士連中を誰が纏めるんだ。あんたの命は、もうあんた一人だけのものじゃない。」

 目の前が真っ暗になった気がした。

脚が、震える。

つまりそれは─────。

「まぁ多少は相手も弱ってくれた事だし、今ならクリス一人が無事逃げるまでくらいはおれも踏ん張ってみせるさ。できたら城から応援を呼んできて貰えるとありがたい。」

「無茶を言うな!!」

 モンスターとクリスの間に対峙し、クリスに背を向けたまま淡々と語るナッシュに、怒鳴り返す。

確かにここから城へはそう遠くないが、それでも往復している時間なんかある訳がない。

そんなのは、クリスを逃がす為の口実だ。

 ブォッ。

その時、体勢を整えたモンスターの巨大な尻尾が振り下ろされ、短剣で受け止めたナッシュの身体が飛んだ。

そのまま地面を転がって素早く立ち上がり、敵との間合いを図る。

上手い具合にモンスターの興味はナッシュ一人に注がれ、クリスはその死角になった。

どうやらこれを狙っていたらしい。

「大丈夫。おれは往生際が悪いんでね。」

 この後に及んで微笑んでいるらしい、ナッシュの姿がクリスの目に入った。




「───行け、クリス!!」

 いつも飄々としている男の、真剣な声が飛ぶ。




「そんな…できる訳ないだろう!!」

 この男は分かっているのだ。

クリスの右腕がもう使えない事を。

それなら少しでも助かる可能性の高い方法を探す。

それがこの男のやり方だ。

いつだって笑ってクリスを護ろうとする。

それが昔から当たり前のように。




「あんたなら分かるだろう。自分が何をしなければいけないのか。」

 ナッシュを犠牲にして。

リリィを、サムスを、リードを見捨て。

それでも生きなければならないのか。

それが自分の宿命だとでも言うのか。




「わたしは…っ」

 それが、騎士団長の役目だと言うのか。





「おれは、クリスに生きて欲しいんだよ。クリスが好きだから。」






「─────ふざけるなぁっ!!!」

 気が付けば、クリスは思いっきり叫んでいた。

「やぁぁぁぁっ!!!!」

 そのままモンスターの背中に走り寄り、渾身の力で振り上げた己の剣を──左手で構えたそれを分厚い鱗に突き刺す。

ぎゃおぉぉん、と苦痛の鳴き声をあげたモンスターは次には容赦なくクリスを尻尾で叩き落とした。

やはり、左手では致命傷までは到底いたらない。

「ぐっ…!」

「うお、危ないっ!!」

 ズザザッ。

地面に打ち付けられる寸前、クリスの背後に廻ってきたナッシュによって辛うじて直撃を免れる。

しかし二人揃って派手に飛ばされてしまった。

「おいおい…人の作戦を無にしないで欲しいんですがね。」

 慌てて身体を起こすと、すぐ側にナッシュの整った顔がある。

子供に駄々をこねられて困ったような、苦笑。

クリスは悪びれもせずにその男に向かって、言い放った。




「お前は──わたしが大切な人を…仲間達を見捨てるような人間だと本気で思っていたのか? そんな人間をお前は護ろうと思うのか?」




 自分は、弱い。

例え立場的に間違っていようと、己の心に嘘をつく事はできない。

ここで彼らを犠牲にして逃げ出したりしたら絶対に自分を許せない。

それがクリス・ライトフェローという人間だ。

何より──いつの間にか心の奥に入り込んだ不届き者を、このまま見逃す事はできない。

この男に真実「カミさん」がいようといまいと、今は関係ない。




「わたしがいれば、お前も絶対に死ぬ事はできないだろう。」




 地面に座ったまま目をぱちくりさせる男の唇に己のそれを一瞬重ね、真っ直ぐに男の目を見返してやる。

初めて触れた唇は温かく、ひどく乾いていた。

───これは、賭け。

勿論クリスとてそう簡単にやられるつもりはないが、この状況でナッシュの死はそのままクリスの死に繋がる。

もう自分を犠牲にする事は、できない。

それなら彼は何としても生き残ってみせる。

それこそ地に這い蹲ってでも。




「────わたしは、お前を誰よりも必要としているのだから。」

 やっと気付いた。

クリスは────この、金髪の男に惹かれている。

彼と共に絶対に生き残ってみせる。

自分一人が助かるくらいなら、この男と共に死ぬ方がいい。







「………やられたな。」

 やがてナッシュは小さく息を吐いた。

その顔には諦めたような、だけど少し嬉しそうな何かがあって。

ゆっくりと立ち上がり、改めてモンスターに向き合った彼はこの場に不自然なくらい不敵な笑みを浮かべた。

そして敵から目を離さないまま、自分達のすぐ後ろで倒れているリード達に慎重に近付く。

「…ナッシュ?」

 左手で剣を構え、同じくモンスターをけん制したままクリスは疑問符を投げかけた。

彼らはもう回復薬も札の類も持っていないはずだが、一体何をするつもりなのか。

「おれもこっちは久しぶりなんでね。あんまり期待はするなよ、クリス。」

「ナッシュ、お前…!」

 男が手にしたのは、リードとサムスの傍らから拾い上げた剣──それを、両手に1本ずつ。

2本の片手剣を静かに構える動作には、僅かな隙もない。

本能的に何かを感じたのか低いうなり声を発してこちらを睨みつけるモンスターを前にして、ナッシュのエメラルドグリーンの瞳がすっ、と細められた。

「ま、一か八かやってみるさ。…おれの剣じゃないから勝手が違うが、幸いこいつもそこそこ鍛えてあるみたいだし。お姫様の強運も分けてもらった事だしな。」

 そうか。

クリスの頭の中で、ひとつの謎が氷解する。

ナッシュの強さは認めていたが、何処か可笑しいとは思っていた。

とても37とは思えないその身のこなし。

単純にスピードだけでなく、彼は飛び道具を使うくせにやけに懐に入るのが上手い。

下手な剣士よりも剣の動きを読むのが得意でもある。

どうしてその特技を活かさないのかとずっと思っていたのだが、なんて事はない。

彼はもともと『こっち』の武器が本命だったのだ。

しかも余程の腕がないと当てる事はおろか、振り回す事さえ難しい二刀流。

どういった理由でそれを今まで封印していたのかまでは分からないが。

「────行くぜっ!!!」

 鋭い掛け声と共に、男が地面を蹴った。






 その瞬間。

ゴォォォォ、とうねりを上げて巨大な炎の固まりが目の前のモンスターを襲った。

完全に不意を突かれたモンスターが苦悶の雄たけびをあげる。

続いてクリスの背後から駆け寄ってきた者達の剣が、槍が、斧が、次々と突き刺さった。

そうして散々クリス達を手こずらせてくれた強敵は、それでも今までの戦いでかなりのダメージを受けていたらしく、新手の出現で意外なくらい呆気なく地響きを立てて倒れた。





「キュィィィィィン!!」

「良かった、クリスさんもナッシュさんも無事で!」

「クリス様!!」

「クリス様、もう大丈夫ですよ。」

「どうやら危機一髪だったようだな。」

「トウタさん、こっちにリリィさん達が!」

「はい!!」

 ばたばたとこちらに走り寄って来たのは、炎の英雄ヒューゴと彼の相棒フーバー、ボルス、パーシヴァル、ジョー軍曹、セシル、トウタである。

最初の炎の一撃はフーバーに乗って一足先に辿り着いたヒューゴの紋章の力だったらしい。

どうりで半端な威力でないはずだ。

「な……なん、で…」

 呆然と立ち尽くすクリスの隣で、寸でのところで飛び退って炎の巻き添えを逃れたナッシュが小さく口笛を吹いた。

「ふう。どうにか間に合ったな。」

 まるで彼らが来るのが分かっていたかのような口振りに、慌てて振り返ると案の定ナッシュはいつもの飄々とした笑顔でクリスを見返した。

よく見ればついさっきまで手に持っていたはずの剣も、何事もなかったかのように手放している。

「…どういう事だ。」

「煙弾さ。あれが見えたら、応援を連れて駆けつけてくるようにセシルに頼んであったんだ。」

「でも、ほんの一瞬なんですもん! 場所が特定できなくて大変だったんですよー。」

 ナッシュの説明に、セシルが補足する。

セシルは負傷しているクリスとナッシュの為に回復薬を持ってきてくれたのだ。

…なるほど、あの効果が薄いと思われた火炎弾はモンスターにダメージを与える目的ではなく、信号として使われていたのか。

確かにいつも城門にいるセシルに頼んでおけば発見してもらえる可能性は高い。

 傷を治療して納得しかけたところで、クリスはふと疑問を覚えた。

だが…それにしても準備が良過ぎる。

あのモンスターに遭遇したのは、偶然だったはず。

普通はこの程度の道程でそこまで警戒する必要はないはずだ。

だからこそリリィ達でも大丈夫だと出発したのだから。

「………本当に、それだけか?」

 知らず知らず、声が低くなる。

「あ、いや…」

 クリスの迫力に押されたように、ナッシュが一歩あとずさった。

心持ち顔がひきつっているように見えるのは気のせいではないだろう。

「ナッシュ。」

 ずい、と一歩踏み出す。

根負けしたかのようにナッシュは目を泳がせた。

「…まぁ、確かにこの辺のモンスターが減ったという時点であんなのが現れる可能性は考えていたさ。あのくらいになると頭もいい。いかにも強そうな人間を襲おうとはしないから、屈強な奴らで退治しようとウロウロしたところで遭遇する事は少ない。だいたい本当にいるかどうかも分からないのに、おれの勘で下手に騒いで皆を不安にする訳にもいかないしな。」

「……で?」

「………で、ちょうどお嬢さん方が出掛けると聞いてな。おまけにクリスまで行くって言うじゃないか。心配性なオジサンとしてはほっとけなかった、と。確率は本当に少ないが、念の為って奴さ。」

「わたしもびっくりしました! ナッシュさんはたぶん使わないだろうって言ってたのに、本当に煙が見えたんですもん。急いでヒューゴさんを探したんです!」    

「そしてクリス様が危険に晒されていると聞いて、我々騎士団も出動した訳です。」

「こんな事なら、最初からおれ達が同行したものを…」

「とにかく良かったですよ。間に合って。」

 ナッシュに続いて、セシル、パーシヴァル、ボルス、ヒューゴが口々に声を掛けてくる。

その後ろではトウタとジョー軍曹がリリィ達の回復を済ませていた。

どうやら彼らももう大丈夫のようだ。

せっかく買った品物がさっきの戦闘で殆どダメになったと騒ぐリリィとそれを宥めるサムス達の声が賑やかに聞こえる。



「お分かり頂けましたか、お姫様?」

 クリスの顔を覗き込むようにナッシュが言う。



 本当に、この男の考えの深さには驚かされる。

いつものふざけた態度からは想像もできないのに。

クリスも騎士としてそれなりの経験を積んできたつもりだったが、自分なんかこの男の足元にも及ばないのではないか。

なんだか一生掛かっても、ナッシュには勝てないような気がする。

───だが、しかし。



「…という事は、彼らがここに向かっているのを分かっててあんな台詞を言った訳だな?」

 クリスの声色が一気に氷点下まで下がる。

この男の尤もな口振りに騙されてはいけない。問題はそこだけではないのだ。

「あ、はは、は…」

 紫水晶の瞳で睨まれたナッシュはやっぱり気付かれたか、というような乾いた笑いを漏らした。

「わたしが、どんな気持ちで……決心したと思うんだ、ナッシュ?」

「で、でも、クリスに助かって貰いたかったのは嘘じゃ……本当に間に合うかどうかも賭けだったし……」

「それなら最初からわたしにも事情を言えば良かったんじゃないのか…?」

 そうしたら自分もあんな事をしなかったかもしれない。

いやおそらく、絶対にしなかった。

ナッシュは全て分かっていて、自分一人で必死の覚悟で芝居めいた事をしてしまったのだと思うと、悔しくて恥ずかしくて泣きたくなる。

クリスの醸し出す不穏な空気に、城へと帰りかけた救援者達が怪訝な顔を向けた。




「でもそのおかげでお姫様の本心を知る事ができて、おれとしてはもの凄く嬉しかったんだけど?」




 パァァ──────ン。




金髪のナンパ師が片目を瞑って銀の乙女の耳元で囁いたのと、素晴らしく気持ちのいい平手打ちの音が草原に響いたのは、ほぼ同時であった。












───後日、ビュッデヒュッケ城の一室にて。


「…だからぁ、勘弁してくれよ。オジサンには無理だって。」

「わたしの目は誤魔化されない。確かにあの時実際に剣は振るわなかったが、お前は剣の心得があるはずだ。それもかなりの腕だろう。」

「あ、はははは…あれは、ちょっとしたハッタリというか…」

「それで充分だ。ぜひ、手合わせ願いたい。」

「……そんなに目をキラキラさせて言わなくても……お姫様、何処か間違ってやいませんか?」

「騎士団の連中ではわたしの相手は務まらないのだ。すぐに降参してしまう。」

「…………誉れ高き皆さんでも?」

「いや、彼らならある程度までは付き合ってくれるのだがな…どうも最近、手合わせを頼もうとすると逃げられてしまうんだ。この前レオが2日ばかり寝込んだのが悪かったのかも…」

「………………」

「ナッシュが剣を使えるのならちょうどいい。今まで武器が武器だったから頼めなかったんだ。」

「いててて、持病の腰痛が………」

「ナッシュ!!」

「…うーんそうだなぁ、クリスがこれを着てくれるなら腰痛も少しはマシになるかも…」

「……って、これはあの時バザーでお前が持ってきたドレスじゃないか!?」

「そ。実は未練があってこっそり買っちゃってたんだな。リリィ嬢の荷物は戦闘のどさくさで焼けちまったが、運良くこれは無事だったのさ。やっぱりこいつはクリスが着る運命だったんだよ。」

「…………………」

「どうなさいますか、お姫様?」

「う………ちょ、この手はなんだ!」

「なんならわたしが着せて差し上げますが?」

「ば、馬鹿言うな────!!」

「ついでに、無防備なお姫様に男一人の部屋に女性がやってくるのはどういう事か教えてあげましょうかね?」

「な、な、な…っ」

「言っただろう。おれはクリスが好きだってね。」

「………っ!!」


 そんな会話が交わされたのを知るのは、本人達だけである。

真っ赤な顔をしたクリスが部屋から飛び出したところを誉れ高き騎士の一人が目撃し、大騒ぎになるのは数刻後の話─────。







        
               【こいつら結局バカップルかもしれないと思いつつ座談会】

ナッシュ「うんうん、やっとクリスもおれの渋い魅力に気付いてくれたか…。

     地味な努力もいつかは報われるものだなぁ。(しみじみ)」 

クリス 「わ、わたしは別に………こら、肩を抱くな!!(赤面)」

作者  「……このナンパ詐欺男が……(ぼそ)」

ナッシュ「人聞きの悪い。先見の明があると言ってくれないかな。

     それより作者と言えど、恋人達の逢瀬を邪魔するとは無粋が過ぎませんかね。」

作者  「クリス、騙されるな。この男、実は肝心な事を言ってないんだから。」

クリス 「……え?」

ナッシュ「…はっ!! ま、待ってくれ!!(動揺)」

作者  「(無視)あのな、確かにいるかいないか分からないボスに遭遇したのは偶然だよ。

     それで念の為、準備しとくのも普通は『先見の明がある』で済むさ。

     だけど一番の問題は『ナッシュ・ラトキエが同行した』という事なんだよ。」

ナッシュ「わ──────!!(じたばた)」

クリス 「煩いぞ、ナッシュ。どういう事だ? ラトキエ?」

作者  「こいつの本名だ。つまり道を歩けば事件にぶち当たる真の不運の紋章持ち男が

     パーティ内にいるだけで、『偶然』が『必然』になる確率がぐっと上がるんだよ。

     まぁ本人にそのつもりはなくても、これは言わば確信犯だよなー。

     もっと言えば、クリスやティント組を囮に使ったのと変わらないってね。」   

クリス 「……………そうなのか?」

ナッシュ「いやいやいや、決してそんなつもりは!! だからクリス、その剣は……」

クリス 「やっぱり手合わせが必要、だな?(にこり)」

ナッシュ「助けてくれぇぇぇ!!(脱兎)」

作者  「日頃の行いって怖いねぇ…。(ずずずと茶をすする)

     ついでに教えとくが、戦場で愛の芽生えたカップルは長続きしないらしいぞ。

     所詮、死ぬ前に子孫を残そうとする人間の生殖本能がもたらした幻覚だから。

     よってこれからずっとラブ話になると思ったら大間違いってな♪(鬼)」


                  以上。本文に入れられなかった真相でしたv






うーん…。
もともと梨に剣で闘わせたい!という理由で書き始めたのに
結局ポーズだけで終わってしまった(汗)。
本当はグローサーフルス持たせたかったんだけどなぁ。
さすがに今は持ち歩いてないっぽいので(持ってて最終決戦で使ってないならコロス)
片手剣使用キャラ→ティント組出演という事になりました。
実際あの伸びる反則剣と同等に扱えるかはかーなーり疑問です(笑)。
ていうか書いてるうちにどんどん本来の目的からズレるズレる。
結果、アホみたく長くなってラブラブ増量。
こーの美味しいトコ取り男がぁぁぁ!!