【愛の証】 ロイアイ バレンタインデー。 それは遥か彼方の国で生まれた記念日だという。 拷問の末に撲殺された牧師の名前に因み、男女問わず大切な人に感謝の気持ちを込めて贈り物をするのが始まりだったとか。 だがいつからかそれは商魂逞しい製菓会社の戦略によって、女性から男性へチョコレートを贈るという名目で愛を告白する日となって。 そんなの、馬鹿げているとは思うのだが。 いい大人が踊らされてなるものかとも思うのだが。 「───どうぞ、大佐」 「…………これは何だね、中尉」 「本日が提出期限となっている書類ですが、何か?」 「……いや、何でもない……」 ロイ・マスタングは小さく首を振ると渡された紙切れに目をやった。 微かに見覚えのある案件は1週間ほど前に上層部から押し付けられ…依頼されたものだったか。 リザ・ホークアイ中尉──有能な副官殿はロイの机の端に山と積まれた未処理の書類の束から期限ギリギリのものをわざわざ発掘しておいてくれたらしい。 こんなに溜めるのが悪いんですよ、と幾分冷ややかな彼女の目が語っている。 それにしたって。 今日この日に彼女から受け取るのが、こんな紙切れ(それも1枚や2枚ではない)とは悲しいものがないだろうか。 なんだか今日に限って、至急の案件…それも面倒なものばかり持ち込まれているような気もする。 案外、軍司令部の中でロイにチョコレートが集中するのを妬む男どもの陰謀も入っているのかもしれない。 半分冗談、残り半分は本気でそう思う。 ──実際、ロイは今日1日で軽く紙袋2つ分のチョコレートを手に入れていた。 当然ながら「くれくれ」と言って回った訳ではない。 朝方、司令部の門からこの執務室まで普通に歩いて来ただけで自然と集まったものである。 それでなくても仕事柄、女性職員及び軍人は男に比べて圧倒的に少ない。 本命にせよ義理にせよ、その中でこれだけ戦利品を集められる男は軍の中でもロイ・マスタングくらいのものだろう。 容姿もそれなり。若くして大佐にまで上り詰めた将来有望な独身国家錬金術師の成せる業である。 尤も、ロイ本人が菓子屋の陰謀に興味はなくとも常日頃から女性に対してマメだった──いろいろな意味で──のも大きいのだろうが。 どっちにせよ、モテない男の遠吠えなどロイには知った事ではない。 しかし。 「………はぁ」 乱暴にペンを走らせながら、本日何度目かの溜息が零れる。 先程から有名俳優のサイン会よろしくサインを書きっ放しで肩が凝って仕方ない。 どんなに童顔と言われようとも流石に三十路も近くなると限界も近……… ……じゃなくて。 本当のところは、ショックなのだ。 軍内部でろくに話すらした事のない女性だってチョコレートをくれたのに、一番身近な筈の女性がくれない事が。 街中がこんなにピンク色に染められていて、浮き足立っていて、彼女がバレンタインデーを知らないという事はいくらなんでもないだろう。何度もチャンスはあったのに彼女がそんな素振りを微塵も見せない事が、少なからずロイの気落ちの原因となっていた。 かの美しき副官殿がちゃらちゃらと義理チョコを大量に配って回るようなタイプでないのは分かっている。 だが……せめて自分にはチョコレートのひとつくらいくれてもいいのではなかろうか。 彼女の上官として。同じものを目指す、同志として。仲間として。 勿論、本命であるのが一番望ましいのだが。 ───自惚れではなく。全く望みがない訳ではない、とは思うのだが。 しかし相手は難攻不落のリザ・ホークアイ。 これだけ一緒にいて義理を渡す価値すらない男だと見られているとすれば、ちょっと……いやかなり、泣ける。 一瞬浮かんだ嫌な想像に、ずーんと気持ちが沈みかけ─── 「大佐───お疲れでしょう。少し休憩して下さい」 ことん、と何かが机に置かれた音に我に返り、そしてロイは目を瞬いた。 そこにあるのは淹れたてのコーヒー。軍の備品の為、決して上等とは言えない豆だがリザが淹れるとそれだけで何倍も美味くなるのはいつもの事。いつもと違うのはその隣に掌に乗るくらいの小さな袋が添えてあった事だった。 透明のセロファンの中に見えるのは茶色の丸い固形物が数個。 袋の口は食べ易いように細い青いリボンで控えめに閉じられていて。 「お疲れの時は甘いものがいいそうです。よろしければ、どうぞ」 ごく普通に差し出されたもの。 差し出した本人の顔には照れも気負いもなく。 まるでそれが当たり前のように。 ───ああそうだ。これが、私と彼女の関係だった。 何かが心の中で解けたような満足感が広がる。 自分は何をつまらない事を気にしていたのだろうか。 彼女を真に理解していなかった自分が情けない。 「…………有難く、戴くよ。これからまだまだ頑張らなければならないようだしね」 ロイは本日一番の笑顔を浮かべると、セロファンから取り出したチョコレートを口に放り込んだのだった。 ───リザがロイに渡したのと同じチョコレートの包みをハボック、ブレダ、ファルマン、フュリーら部下達のみならず、たまたまレポート提出で司令部に立ち寄った最年少国家錬金術師の少年まで貰っていたのを知り、ロイが人知れず涙を流す事になるのは翌日の事である。 但し、ロイの包みの中身だけリザの手作りだったと知る者は作った本人以外にいない────。 05年バレンタインデー当日に唐突に思い付いて日記に書いたネタ。(またか) |