【ボスと手下】 日陰組小話16の続きのようなそうでもないような ───我ながら今までよく我慢していたと思う。 年を越して季節は巡り、初春。 最強の盾の通り名を持つホムンクルス──今はシンの皇子の身体を持つ男は、大きく息を吐いた。 そのままつかつかと「手下」に近付くと、無言で右腕を振り上げる。 小さな街の薄暗い路地裏にゴツッと重い音が響いた。 「っでェ!? いきなり何しやがるグリード!!」 「硬化させてないだけ有難いと思え、クソガキが」 頭を抱えて物凄い形相で振り返る金髪の少年にグリードは肩を竦めてみせる。 炭素硬化させていない分力いっぱい殴ってやったが、少年……エドワードがこれくらいでくたばるような柔な子供ならば始めから手下になどしてない。 グリードとエドワードがまともにやりあったのは数ヶ月前にセントラルの地下でグリードが「生まれ変わった」時の一度だけだが、これでもこの少年をそれなりに高く評価していた。 おそらくホムンクルスがただの人間……しかも十代半ばの子供を個人的に評価する事自体かなり珍しいのだろうが、そこは一度ならず二度までも「親父殿」の元を出奔したグリード自身も規格外という事で釣り合いが取れているのかもしれない。 「だからって理由もなく殴るんじゃねぇよ!! 背ぇ縮んだらどうしてくれる!!!」 「知るか。それより行くぞコラ」 「ああ!? 何処へだよ!?」 「決まってんだろが。ソレの整備師の処だ。うっとおしいったらねぇ」 「……っ」 状況を理解していない手下の為にその左脚を指差してやると、エドワードは明らかに声を詰まらせた。 グリードとエドワードのやり取りを呑気に傍観していたハインケルとダリウスも黙って頷く。 どうやら気になっていたのはグリードだけではなかったらしい。 「……これ、は……」 渋い顔で言い淀むエドワードに向け、グリードはぴしゃりと言い放った。 「気付かれてないとでも思ったか? 壊れてはいねぇみたいだが、左右で重心がズレてるだろ。気を付けて歩いていても足音聞けばすぐ分かるんだよ。その様子じゃいざ戦いとなっても本来の力を出し切れねぇ。寧ろ足手纏いだ。これで『約束の日』とやらをどうにかできると考えてるなら、てめぇは手下失格だ」 「………………」 唇を噛むエドワードの様子からして、本人も自覚はあったのだろう。 ───不調の原因はおそらく、急激な成長期。それくらいは人間の身体の現象としてグリードも知っている。 少年の身体の成長と手足の機械鎧の大きさにズレが生じてきているのだ。 実際、グリードの目から見てもセントラルの地下で初めて会った時と今ではエドワードの目線の高さが違う。 元々小柄な少年だったが、昨年秋からこの春に掛けての約半年でエドワードは驚くほど成長していた。 コンプレックスなのかやたら身長を気にする少年にしてみれば背が伸びるのは喜ばしい事だろうに、その彼が今の今まで黙っていたのは。 「ああ、あの機械鎧整備師のお嬢ちゃんか」 思い出したように呟いたダリウスの一言に、エドワードがバッと顔を上げた。どうやら図星らしい。 「お嬢ちゃん?」 「おう。専属の整備師だとかで、ブリッグズまで整備に来てたな。健気で可愛い女の子だったぜ」 「今は弟と一緒にいるんだっけか? ただもうあれから何ヶ月も経つから今何処にいるのかまでは分からないか。無事だといいんだがなぁ」 グリードの質問にダリウスとハインケルが補足する。 ちらりとエドワードに目を向ける男達の顔が心なしかニヤニヤしているように見えるのは気のせいではないだろう。 それでグリードもなんとなく理解した。 「なるほど、こいつの女か」 「おん…ちがっ!! リン、おまえもウィンリィはただの幼馴染だって知ってるだろ!!」 「俺はグリードだっての」 「…っ、とにかくあいつはそういうのじゃねぇ!!」 真っ赤な顔で叫ばれても何の説得力もない。つまりはそういう事なのだろう。 強欲のホムンクルスであるグリードにしてみれば欲しい女を手に入れないエドワードの方が理解不能だが、むさ苦しい大男二人がなんだか懐かしいものでも見るように遠い目で少年を見下ろしているところからすると、人間とは案外そういうものなのだろうか。───だが、今の問題はそこではない。 「………ウィンリィも。ばっちゃんも、これ以上巻き込む訳にはいかないだろ」 ぽつりと吐いたエドワードの言葉が全てを物語っていた。 「ああ?」 先を促すグリードに、意を決したようにエドワードが続ける。 「機械鎧は医療器具で精密機械でもあるから、整備は製作者本人がやるのが望ましいんだ。特に今は北国用の特注品だから、詳細な設計図でもない限りウィンリィ本人にしか完璧には整備できねぇ。ばっちゃん……ウィンリィの祖母で師匠でもある人なら設計図なしでも大方の整備はできるだろうけど……やっぱり、駄目だ。今、リゼンブールに帰ればウィンリィも帰ってるかもしれない。ウィンリィがいなくてもばっちゃんに最低限の整備をして貰う事はできる。だけどオレらは軍に目を付けられてるんだ。下手に接触して、また前みたいに人質に取られでもしたら……」 地面を睨みつけるようにして両の拳を握っていた少年の金の瞳が、不意にグリードに向けられた。 「……ランファンに腕のいい機械鎧整備師を紹介するって言った時。深く考えずにばっちゃんを紹介しようとしたオレに、フー爺さんは情に流されるなって教えてくれた。ここでオレがリゼンブールに帰ったら、爺さんとランファンの厚意を無にする事になる」 エドワードの口からランファンとフーという名前が出た瞬間、グリードの中のもう一人の人物──正確にはこの身体の本来の主がぴくりと反応したのがグリードにも分かった。 だがそれも一瞬の事で、リンがグリードに何かを言うでもない。今は敢えて説明する時でもないという事か。 とりあえず再び大きく息を吐くと、グリードはおもむろに右腕を振り上げた。 その直後、本日二度目の打撃音が路地裏に響く。 ──但し今回は鋭い金属音だったのが一度目とは異なるが。 「……チッ」 「ちょっ…硬化した腕で何するつもりだ、脳味噌潰す気か!?」 「いっそ潰して再構築とやらをした方がいいんじゃねぇのか、馬鹿錬金術師」 容赦ない一撃をぎりぎりのところで右腕機械鎧でガードしたエドワードが吠える。 内心これが避けられなければ本当にここに置いて行くくらいのつもりだったが、そこまで無能ではなかったらしい。 振り下ろした右腕の硬化を解きながらグリードはひらひらと掌を振ってみせた。 「グリードてめ、さっきからオレに喧嘩売ってんのか!?」 「馬鹿に馬鹿だと言って何が悪い。爺さんへの義理だか何だか知らんが、それはいつの話だ? 本気で今でも軍がノーマークだと思ってるのか? そのリゼンブールとやらを」 「………それ、は………」 「おいおまえら元軍人だろ? そこんとこどうなんだ」 言葉を詰まらせるエドワードを無視し、背後のハインケルとダリウスに話を振る。 二人はほんの僅かに視線を交わすと、見た目は異国の少年の姿のボスに問われるまま応えた。 「まぁ……全くのノーマークって事はまずないだろうな。仮にも国家錬金術師の身内みたいなもんなんだろ? 住所も家族構成も最初から軍に筒抜けだ。国家錬金術師本人が行方不明となれば真っ先に逃亡先としてチェックが入れられるだろうし、きっと定期的に報告も入ってる」 「その気になればすぐにでも関係者全員確保ってのも可能だろうな。小僧が今帰ろうと帰るまいと関係ない」 「整備師のお嬢ちゃんをわざわざブリッグズに呼んだのはエドに対する分かり易い見せしめだったんだろうが、何も目に見える場所で拘束するだけが人質じゃないからなぁ……」 「自分の命もヤバイって時についさっきまで敵だった俺らを助けるくらいの甘ちゃんだからなこの小僧は。別に身内でなくても少し関わった人間全てが人質になり得るんじゃないか、こいつの場合」 「もし人質を取ってそれを盾に俺らを牽制するつもりなら、こっちに知らせる方法はいくらでもあるしな。適当な罪状をでっち上げて新聞やラジオにタレ込むのが一番簡単か」 「ていうか死人扱いの俺らやグリードはともかく、普通にエドを重犯罪者に仕立て上げて写真付きで全国指名手配する事もやろうと思えばできるよな。未成年でも国家錬金術師の資格がある時点で大人と同じ扱いだろう」 ここで楽観的な気休めを言っても仕方ないと判断したのだろう。 この元軍人のキメラ達もグリードの考えていた以上に手下として優秀だと、これまでの隠密行動の中でグリードは評価している。 彼らのオブラートに包まない物言いに、エドワードの眉がきつく寄せられた。反論はない。 それを見下ろしながらグリードは静かに言い放った。 「おまえもとっくに気付いていた筈だ。軍はいつでもこっちに対して最終勧告ができる。やらないのはその必要がないからだ。軍の奴らは敢えておまえらを……俺を泳がせている。計画とやらの妨げにならないと踏んでいるからか、もしくは俺らが邪魔しに入るのも計画に含まれているかのどちらかだ」 正直なところ、軍が何を考えているのか──そして彼らに人柱と呼ばれるこの少年にどんな役割があるのかまではグリードにも分からない。中央にグリードが居たのは数ヶ月にも満たず、計画の詳しい全容は「親父殿」からも知らされなかった。それは既に一度離反していた強欲を警戒しての事だったのだろう。その点、奴らの予測は正しかった。 だが、奴らがこちらを今すぐ捕らえる気がないという予測もあながち外れてはいないように思う。 勿論、グリード達がなるべく人目に付かないよう隠れて行動しているから軍に発見されていないだけだという見方はできる。それも間違いではないだろう。しかし人質を大っぴらにちらつかせればこの少年はノコノコ出頭するだろう事も簡単に予測できるのに、奴らは敢えてその手を使って来ない。今に至るまであくまで放置されている。 となると、約束の日当日までこちらが派手に動かないよう形だけは指名手配して牽制しつつも、本気で捕らえる気がないと考えるのが自然だろう。グリードがラース……憤怒の名を持つホムンクルスでありこの国の現最高責任者でもあるキング・ブラッドレイと会話を交わしたのは決別した日を含めて片手で数えるほどだが、あの男はホムンクルス側でありながら「予測外のトラブルがある状況」を楽しんでいる節すらあった。 尤も、中央を脱出したグリードが現在この少年と組んでいる事まであの男が把握しているかは微妙なところだが。 「ついでに言うと、おまえが整備に行くのを渋るのは奴らに全てを握られているのを認めたくないからだ。自分が関わろうとしない限り、そことそこにいる人間が安全だと思い込みたい。それは事実に反したてめぇの希望であり、ただのエゴでしかねぇ。違うか?」 ビシッと少年の鼻先に指を突きつけてやる。 強欲のグリード様はいつからこんなにお節介になったのか。 「ふざけんなよ。そんな甘い考えで奴らに勝てるとでも思ってんのか。離反した俺が言うのもなんだが、奴らはどんなに万全の状態で俺らが立て付こうとも勝てるだけの自信があるんだ。だったらこっちも乗ってやろうじゃねぇか。奴らのお望み通り万全の状態で本拠地に乗り込んで、吠え面かかせてやらなきゃ男じゃねぇ!!」 軍の人間が何を考えているのかは分からない。だが、「親父殿」が何を最終目的にしているかは感覚で分かる。 グリードはそこから生まれた強欲なのだから欲するものの本質は同じ。 奴らがこっちを過小評価しているのなら、油断に乗じて奴らの目の前でそれを奪ってこそ強欲。 「…つー訳で、これからそのリゼンブールとやらに行くぞ。そのややこしい機械を少しでもマシにして、おまえにはその分しっかり働いて貰う。これはボス命令だ、手下に文句を言う権利はねぇ!!」 一気に捲くし立て、呆然と立ち尽くす少年に背を向けて返事も待たず歩き出す。 クククッと押し殺した笑い声が身体の内側から聞こえたが、それには気付かない振りをした。 往生際の悪い持ち主のおかげでこの身体を手に入れた時から妙な違和感があったが、過去のグリードの記憶まで蘇ってきて以来、どうにも調子が狂う。それともこれも含めて強欲の本質なのだろうか。 背後で二人の男が次々と少年の頭を小突いている気配と、痛いヤメロと叫ぶ声が響いた。 やがて。 「───有難うな、グリード!」 「ボスと呼べと言ってるだろうが、クソガキ」 背中に掛けられた少年の声は、先ほどまでとは打って変わって力強い。 それに対してグリードは軽く手を上げてみせたのだった。 ───まぁ、いい。たまにはこんな関係も悪くない。
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