【月と太陽】 ランファン&エド 星もない漆黒の闇が徐々に藍色に変わってゆく。 東の空は朧ながらも遠くの山の形が分かるくらい視界が開けてきた。 ───もうすぐ夜が明ける。 様々な覚悟を決めてこの異国の地に足を踏み入れた筈だが、こんな気持ちで朝を迎える事になるなど1年前は思いもしなかった。 「ランファン」 不意に足元から掛けられた声に、仮面の下で眉を顰める。 本当に、何故こんな事になったのだろう。 ランファンが腰掛けている木の下から見上げてくる少年の声は己の主のそれではない。 片時もお傍を離れず、お守りすると誓ったのに。 「……なんダ」 勿論、この少年が悪いのではない。それくらいは理解している。 それでも応える声が不機嫌になってしまったのは半ば八つ当たりに近いだろう。 彼と向き合うとなんとなくイライラして落ち着かない気分になるのは今に始まった事ではない。 つい先程まで作戦会議に参加していた少年はランファンの態度を気にするでもなく、真っ直ぐにこちらを見返してきた。 「腕。本当に大丈夫か?」 「だから平気だと言っていル。おまえが気にする事じゃなイ」 「気にする事だから言ってるんだよ。これでも機械鎧についてはずっとセンパイなんだ。手術して半年やそこらのリハビリでどうにかなるもんじゃないってのは誰よりも分かってるつもりだ」 「…………………」 返す言葉がない。実際、数時間前のホムンクルス達との戦いでは接続部の痛みに気を取られて危うかったところをこの少年に救われたばかりなのだから言い訳したところで何の説得力もないだろう。 本来、機械鎧の手術とリハビリには大人の体力でも3年掛かるのだという。 敵の目を欺くべくランファンが自らの手で左腕を切り落としてから約半年。 やっと見つけた機械鎧整備師の反対を押し切り、それこそ文字通り血の滲む思いで手術とリハビリに耐えてきたが、やはり根性や努力だけではどうにもならない肉体的な限界というのはあるようだった。 時間が過ぎてさっきの痛みはだいぶ落ち着いてはいるものの、また強引な扱いをすれば痛みが再発するのは火を見るより明らかだ。リハビリでは誤魔化せても実戦はそうもいかないのだと嫌でも理解せざるを得ない。 黙り込んでしまったランファンに対し、エドワードが苦笑を浮かべる。 彼の弟が言うにはエドワードは1年で右腕と左脚両方のリハビリを終えたらしいが、それだって相当無理をしたのは想像に難くない。幼い子供時代ならば尚更だ。 「まぁ、気にしたところで今はゆっくり休んでてくれなんて事も言えないんだけどさ。だからこそ、今できる事くらいはしといて貰いたいんだよ」 「……どういう事ダ」 「専門家じゃねぇから接続部の細かい部品の修理や調整は無理だが、機械鎧自体の大きな歪みや変形ならオレの錬金術でも多少は直せる。自慢じゃないが武器への変形は得意だ。あと、ここにはマルコー先生もいるから肉体の方の怪我は看て貰えるだろ。リハビリ期間が短いから根本的な解決にはならないが、気休めくらいにはなるかもしれねぇ。何かオレに手伝える事はないか? 痛みは?」 「……………………いや、本当にいらなイ。機械鎧の調子も悪くないし痛みは…治まっタ。看て貰う事はなイ」 「……そっか。ならいいんだ。頼むから無茶だけはするなよ」 「…………………」 ランファンの言葉を完全に信じたかどうかは微妙なところだが、ホッとしたように小さく笑うエドワード。 どうやらこの少年はかつて無茶しまくった自分を棚に上げて、至極大真面目にランファンを心配していたらしい。 その事にランファンは少なからず驚いた。 もともとエドワードとランファンの接点は少ない。出会ってからまともに会話を交わしたのも両手で足りるくらいか。 そもそも最初の出会いからして最悪で、命掛けの戦闘から始まっているのだ。 脅して賢者の石の情報を聞き出すのが目的だったとはいえ、少なくともランファンは相手の骨を1本や2本折っても構わないくらいの勢いだった。予想以上にエドワードが強かったので手加減する事ができなかったとも言えるが、これがエドワードでなければ冗談抜きで死んでいてもおかしくない。 その後もリンに不遜な態度をとる彼に対して問答無用で剣を突き刺したり、ホテルのルームサービスを食べまくって主従揃って部屋から蹴り出されたり、決して友好的な間柄ではなかった筈だ。 今は利害の一致という事で協力関係にあるとはいえ、それもあくまでエドワードからリン、リンを通してランファン・フーといった形であって直接的なものではない。そういう相手に対してそこまで本気で心配できるものなのだろうか。 だが、よくよく思い起こせばランファンが腕を失ったばかりの時もエドワードは心から心配しているように見えた。 何かできる事はないかと。腕のいい技師を紹介すると親身になって言ってくれた。 アメストリスの人間とは皆こんなにお人好しなものなのか、彼が特別お節介なのか。 ランファンとしては片時も面を手放せない生来の人見知りに加え、主に敵対する者は全て排除すべしという生活を長く送ってきたが故に、身内以外の人間──しかも同世代の少年にこうも普通に友好的に接して来られるとどう反応すべきか迷うところだ。 「それとな。これから忙しくなるだろうから今のうちに言っとく」 「……?」 未だ戸惑うランファンを余所に、エドワードが顔を引き締める。 「有難う」 思いがけなく強い声と強い視線に、自然とこちらの身も引き締まった。 「……何ヲ……」 「ランファンもフー爺さんみたいに偵察…リンを探しに行きたかったんだろ? 爺さんと違って敵に顔が知られてると言っても、ランファンなら人の気配を避けて闇に紛れ込む事も可能な筈だ。そもそも、シンの人間であるおまえ達がオレらに付き合ってこの国のゴタゴタに正面から突っ込む必要はないんだ本当は。軍が賢者の石を持っているというのは判明してるんだし、リンやシンの事だけを考えるのならもっと安全で確実な方法はあると思う。だけど、オレ達は色々ギリギリだから。ランファンみたいにホムンクルスの気配を読む事も追う事もできねぇ。キメラのおっさん達もランファンほど確実に広範囲は感じ取れねぇしな。だから──危険を承知でここに残ってくれて有難う」 飾らない感謝の言葉。真っ直ぐに前を見据える金の瞳に気圧される。 そして、理解したと思った。何故、この少年の周りに人が集まるのか。リンが彼を信頼したのか。 ───利害が一致しているからと自分を納得させて、ここに留まる気になったのか。 エドワードはただお人好しなだけの人間ではない。 こういう人間だから、自分はここに残る気になったのだ。 「……もし若がここに居たら、そうしろと言っただろうからナ。別におまえ達の為ではなイ」 「そっか」 それ以上は言わず、ニカッと。 白々と夜が明け始めた空の中で一瞬早く顔を出した太陽のように笑うエドワードに、思わず仮面の下の目を細める。 ───ああそうか。似ているのだ。 リンが静かに闇夜を照らす月ならば、エドワードは眩しい金の太陽。どちらも人の道標に成り得る器。 未熟な自分を正しく理解し、それでも前に進もうとする。だから人が集まる。彼に賭けてみようと思わせる。 誰もが彼の為に力になりたいと思わせる何かを持っている。 ランファンがエドワードと向き合うと何処か落ち着かない気分になるのは、シンの皇族たるリンに対して敬意を全く払わないエドワードが気に入らないというだけではない。彼がリンと似過ぎているからだ。 どうあっても仲間を見捨てられない、主導者としては優し過ぎるところも含めて彼らはとてもよく似ている。 ランファンにとってリンは唯一絶対の存在なのに、よく似た男が近くに突然現れたら混乱もするというものである。 尤も、既に国と民を背負っているも同然のリンと違い、エドワードはまだまだ甘い青二才といったところだが。 いくら根っこの部分が似ていても、ランファンにとってリンの遥かずっと下方にエドワードが位置するのは間違いない。 「じゃ、そろそろ夜も明けるし行くかー。その前にアルに声掛けなきゃな」 上半身を屈伸するように伸ばしつつ、木の下から巨大な土山の方に向かってゆっくりと歩いてゆくエドワード。 その背中を頭上から見送るランファンの口元がふっと緩んだ。 「……エドワード!」 「あん?」 何事かと顔だけこちらを振り返った少年に向け、趣旨返しのつもりで一つ忠告する。 「あまり、誰にでも優しくするものではなイ。特に女にはナ。誤解されてウィンリィが泣いても知らないゾ」 「へ!? 何を言って…つか、なんでそこでウィンリィが出てくるんだよ!?」 「自分で考えるんだナ」 逆光の中でも彼が真っ赤な顔で慌てふためいているのが分かった。 エドワードと彼の幼馴染だというウィンリィが一緒にいる姿をランファンが見たのはラッシュバレー及びセントラルのホテルにいたほんの僅かな期間であり、彼らの隣には常にアルフォンスもいたのだが、どうやら勘は正しかったらしい。 女に対して軽いようでなかなか本心を見せないリンと違い、なんとも分かり易い少年である。 それが微笑ましくもあり、彼にはこのままでいて欲しいとも思う。 まだ何やら下で喚いている少年をその場に残し。 座っていた木の枝から次の木の枝へと颯爽と飛び移り、この辺りで一番見晴らしのいい場所へと移動する。 すっかり夜の帳を脱いだセントラルの街並みを目に焼き付けて大きく深呼吸した。 ───これから始まる1日はとても長い1日になるだろう。 どうか、皆が無事でありますように───
|