【報告】 エド&ウィンリィ こつん、かつんと病院の薄暗い廊下に硬質な足音が響く。 左右でその足音が違うのに気付く人間はそう多くはいないだろう。 ひっきりなしに廊下を行きかう医者と看護師、軍人、その家族。ここはまさに戦場のようだった。 そしてそれは強ち間違いでもない。 ───アメストリス全ての人の命が懸かったホムンクルスとの戦いは漸く終わりを見せたが、犠牲者は多い。 直接ホムンクルスが手を降さずとも中央軍・北軍・東軍の死者・負傷者は相当数になるだろう。 助かる命を少しでも助け、街の混乱を治めるべく、今も多くの人間が至るところで動き回っている。 今回の事件で国軍の高官が軒並み捕縛された──幸か不幸か生き残った者に限られるが、本当の意味で柱を失ったこの国の立て直しはまだまだこれからが本番と言えた。 エドワードはひとつ息を吐くと、人気のない場所を縫うようにして狭い廊下を進んだ。 最低限の応急手当はしてあるものの、水色の病衣から覗く包帯だらけの上半身や顔の傷が見るからに痛々しい。 それでもエドワードには、病室を抜け出して一刻も早くやらなければならない事があった。 軍絡みの面倒な処理は全てマスタング大佐とその部下が引き受けてくれているのがせめてもの救いだろう。 尤も、大佐に関しては「普段サボって面倒事を押し付けてばかりなんだから、こういう時くらい一番役に立ちやがれ」というのがエドワードの言い分であったが。 そして弟と自らの病室──エドワードも右肩に埋まった機械鎧部品を取り除く手術を早々に受けなければならない為、一緒に入院する事になった──から10分ほど歩いたところにある、公衆電話の前で立ち止まる。 この電話は病院の普段封鎖されている裏口に近い死角にあり、人目に付き難いというのは以前ここに入院した時にリサーチ済みだ。 案の定、遠く離れた表の方からざわざわとした喧騒は伝わってくるものの周りに人影はない。 最初の入院の時は第五研究所に無断で忍び込んだあげくスライサーと呼ばれる殺人鬼と派手なバトルをやらかして右腕を壊した訳だが、同じようにボロボロなのにあの日の事がとてつもなく昔のように思えるのはエドワードの気のせいではないだろう。 「………………」 ポケットから無造作に取り出したコインを数枚電話の料金口に突っ込み、暗記している番号を脳内で呟きながらダイヤルを回して大きく息を吸う。 なんでこんなに緊張するのか自分でもよく分からなかった。 受話器の向こうから響くコール音が1つ、2つ、──── 『───エド!?』 わずかコール2つで繋がるや否や、叫ぶように問われた自分の名前にエドワードの目が丸くなる。 「おおおおおおおっまえ、ウィンリィ!? なんでばっちゃんじゃなくておまえが電話に出るんだよ!! 隠れてろって言っただろーが!!!」 動揺のあまり舌がもつれた。 いや勿論ロックベル家に電話したのだから彼女が出ても不思議はないのだが、まさか地下室に隠れている筈のウィンリィがいきなり出てくるとは思わなかったのだ。 ウィンリィのすぐ後ろにいるのか、こちらの様子を窺ってるらしきピナコと中年男達の「無事だったんだね」「遅いんだよ!」「まあまあ…」という話し声がぼそぼそと聞こえる。 『さっきラジオでマスタングさん達が勝ったって放送が流れたもの、もう隠れてる必要ないでしょ! それより無事なのよねエド!? アルは何処!?』 なるほど、そういう事か。住民自らド田舎を認めるリゼンブールにもラジオくらいはある。国営放送だって流れる。 一般国民にはこの先も詳しい経緯と本当の黒幕が知らされる事はないだろうが、ロックベル家にいる人々は全員真の敵を知っているのだ。 大総統が死亡し、大佐とアームストロング少将が軍を掌握したのだと知れば人質になるのを回避すべくこそこそ隠れている必要もなくなって当然だろう。 そんな事すらすぐに思い浮かばなかったなんて、自分で認識している以上に疲れていたらしい。 そもそも昨日から徹夜で一生分の命懸けの運動をしてきたようなものなのだ。ヤワな人間なら疲労困憊でとっくに倒れている。 もうあと半刻ほどで日も暮れる時間だが、現在起きていられるのも奇跡に近いかもしれない。 エドワードはホッと肩の力を抜くと、彼女が一番望んでいるだろう事を伝えるべくゆっくりと口を開いた。 「おう。オレはピンピンしてる。アルも無事だ。ちょっと…栄養失調でガリガリだけど、若いからリハビリしたらすぐに回復するだろうってさ。今は点滴受けながらぐっすり眠ってるよ」 『…点…滴……眠って………』 それだけで全て通じたのだろう。電話の向こうでウィンリィが息を呑んだ気配が伝わる。 僅かな沈黙が彼女の今の表情を如実に語っていた。 「お、おい、泣くなよ!? 泣くのはまだ早いからな!?」 『………な、泣かない、わよ、あんた達がここに帰ってきて、この目で見るまでは、まだ………っ』 気丈に振舞いながらもウィンリィの声が震えている。それがなんともはがゆい。 身体を取り戻して、今度泣く時は嬉し泣きさせてやると言ったのはエドワード自身だ。 本当ならば今すぐ弟を連れ帰って直接会わせてやりたいのに、電話でしか伝えてやれないセントラルとリゼンブールの距離がもどかしくて仕方ない。 ───同時に湧き出た「こいつを思いっきり抱き締めたい」という想いをどうすればいいんだろう? その自分の思考に驚き、驚いた事に苦笑し、頭を振って話題を変える。 ───そんなの、とっくに分かってたじゃないか。オレの気持ちも。どうすればいいかも。 「……で、アルの容態が落ち着くまでは暫くセントラルに入院しなきゃならねぇけど心配すんな。ばっちゃんにもそう伝えといてくれ。それと、おまえのボディーガードに付いててくれたブリッグズのおっさん達にも『さっさと北に帰って来い、仕事は山ほどある』って、アームストロング少将からの伝言を頼む」 『うん……分かった。伝えとく。そうだエド、エドのお父さんは無事!? カナマで会えたんだよね!?』 「あー…あいつなー………会えたのは会えたし、無事ではあるんだが………………どっか行っちまった」 『え…?』 別に父親の存在を忘れていた訳ではないが、そうとしか言いようがない。 エドワードとアルフォンスが他の怪我人達と一緒に応急手当を受けているどさくさの間に、件の人物はいつの間にやら消えていたのだ。 ブリッグズの誰かに金を借りている姿を見たとアルフォンスが言っていたが、全く何を考えているのやら。 父の話題となると無意識に顰めっ面になるのはエドワードにとって条件反射みたいなものかもしれない。 ちくりと胸の奥で疼いた予感に近い感覚は、敢えて気付かない振りをした。 「まぁ、クソ親父の事だからそのうちまたひょっこり顔出すだろ」 『そう…うん、そうだね。色々面白いお父さんだったし』 ウィンリィがくすりと笑ったような気がするのは一体何に対してか。 ……というかリオールで偶然会ったという話だが、あの宇宙人のようにトボけた父親と幼馴染の少女と弟がどんな会話をしていたのか、想像するのもなんだか怖い。 きっとエドワードにとって好ましい話ではないだろう。 更に眉を顰めたところで、通話時間のタイムアップを知らせる警告音が受話器の奥から響いた。 「…ってまずい、そろそろ部屋に戻らねぇとまたロス少尉にどやされる! じゃあなウィンリィ、機械鎧とかリンとか詳しい話は帰ってからするからアップルパイ焼いて待ってろ!」 そうだ。これから時間はいっぱいある。 もう、巻き添えを恐れて彼女に隠し事をする必要もない。 ウィンリィにはこの日何があったか、全てを知る権利がある。 何よりこの生身の右腕と、未だ機械鎧の左脚を見た彼女がどういう反応を示すのか。 簡単に予想できるようなできないような、楽しみのような怖いような複雑な気持ちもあるけれど。 『……うん! 待ってる!』 「おう!」 きっと今の彼女は満面の笑顔なのだろう。 電話から伝わる声に、知らず自分も笑顔になりながらエドワードはゆっくりと受話器を置いたのだった。 ───その姿をエドワードを探しに来た色ボケ軍曹ことブロッシュ軍曹(非番中)が目撃し、眠りから覚めたアルフォンスと見舞いに来たアームストロング少佐、芋づる式にブレダ少尉やマスタング大佐にまである事ない事報告された少年が顔を真っ赤にして暴れたのは言うまでもない。 絶対書きたかった…というか自分なりに補完したかった、約束の日の無事報告by電話。 |