【C.Hの罠】 ───照明が、眩しい。 じわりと背中に緊張の汗が滲む。 「カオリ!!」 「ナ…リョ、リョウ!!」 クリスは狭い舞台の上で縦横無尽に走り回る男に必死で答えた。 Tシャツに薄手のロングコートという、暑いんだか寒いんだかよく分からない衣装を身に纏った金髪の男がクリスの声に振り返って片目を瞑ってみせる。 (この男は…っ) なんで芝居の最中にそんな余裕かましてるんだ馬鹿! 叫びたくなるのを辛うじて堪えるクリス。 ビュッデヒュッケ城の劇場で特別公演された芝居は今クライマックスを迎えようとしていた。 だいたいどうして自分がこの男の相手役なんかで舞台に立つはめになったのか。 天性の大根役者なのはクリス自身が一番よく分かっている。 だから今まで断固として劇場出演は断ってきたのだ。 それが世の為人の為、何より自分の精神安定の為。 誰がわざわざ好き好んで恥を曝すというものか。 なのに他に適役は考えらないとかなんとか、丸め込まれ泣き落とされたのが運の尽き。 いやそもそも、城の地下から謎の脚本が発見されたのが一番悪い。 トワイキンが偶然掘り起こした、遠い異国の『スィーパー(掃除屋)』が主人公だというその古ぼけた脚本は劇場支配人ナディールをいたく刺激したらしく。 その日のうちに特別公演が発表されたのは記憶に新しい。 しかもナディール曰く、その主人公役はよりによってハルモニアの工作員ナッシュにしかできないのだという。 だったら相手役は誰でもいいようなものだが、そのナッシュが相手役はクリスでないと絶対に嫌だと子供のようにゴネたのだからクリスにしてみれば災難もいいところだ。 やたら楽しそうに自分を誘うナッシュを睨んだものの、ナディールに泣きつかれ(無表情な仮面の男が本気で泣く姿はかなりの恐怖だ)、それを見かねた炎の英雄ヒューゴに頭を下げられ、離れたところから面白くもなさそうに見守っていたゲドにはこれ見よがしに溜息をつかれ。 あげくここでクリスがやらないのなら今後劇場を閉鎖する、城の人々の楽しみを奪ってもいいのかとまで脅されては選択肢などないに等しい。 「こっちだ、カオリッ!」 「わわっ…」 ナッシュに手を引かれ、舞台に瓦礫のように詰まれた大道具の影に引き擦り込まれる。 その瞬間、頭上でどかんと派手な音がして観客が湧いた。 客席から見えない舞台袖では火の紋章要員として抜擢されたジョーカーが疲れた顔をして肩を竦めている。 「ちっ!!」 大道具から上半身だけ出したナッシュが衣装の袖口から得意の飛び道具を煙に向かって発射させた。 そして更にお返しとばかり爆発が起こる。 よく舞台が無事だなと思わないでもないが、ジョーカーの隣には水の紋章要員としてロディが控えており、火の紋章発動と同時に水の紋章で相殺しているので見た目と音の効果ほど危険はないらしい。 「ここにいろ、カオリ!!」 「あ、ああ…」 …本当に楽しそうでいいな、お前は。 心の中で呟くクリスをその場に残して飛び出し、爆発を避けつつ反撃するナッシュ。 彼はさっきから持ち前の身軽さを活かしてアクションスターばりに動いている。 程よくアドリブを織り交ぜた軽快な台詞回しもばっちりだ。 主人公は30代前半の二枚目という設定らしいが、年齢より若く見えるナッシュもそこそこ整った容姿をしているので観客の女性から黄色い声なんかも上がっている。 …前々から彼の演技力は今までどういう生活していたのか問いたくなるくらい仲間内で群を抜いていたのだが、確かにこの役はナッシュに向いているのかもしれない。 はっきり言ってクリスはひたすらボロを出さないように頷くのみである。 ───カオリというのがクリス演じるヒロインの名前だ。 リョウという名の主人公の、助手兼相棒という設定らしい。 ぴちっとした短い上着とタイトなミニスカートである衣装から活発な女性だというのはなんとなく分かるのだが、なんだって掃除屋の助手がこんな格好なのだろう。 腐ってもお嬢様育ちなクリスは本当の街の掃除屋に知り合いがいる訳ではないので詳しくは知らないが、動き易さとか汚れを考えると普通はズボンとか作業服ではないだろうか。 ナッシュの着ている衣装にしてもヒラヒラするコートはあまり掃除に適しているとは思えない。 それを問うとナッシュは「こういうのは分解した武器を隠すのに最適なんだよ。」と妙に分かったような事を言っていたが。 というか何故、掃除屋が誘拐犯と戦わなければならないんだ!! 強いのだか無敵なのだか知らないが掃除屋が飛び道具を装備してどうする!! そしてヒロインの武器が巨大な金槌なのはどういう理屈だ!!! 今更ながら心の中で突っ込むクリスである。 異国の言葉で書かれていた脚本をナディール自ら徹夜で翻訳したらしいが、絶対大きく間違っているような気がする。 因みにストーリーを要約すると『クリスマス』と呼ばれる異国の聖なる日、子供達にプレゼントを配るのを仕事とする『サンタクロース』という老人が理由あって『ウミボウズ』という主人公の親友に誘拐され、それを助け出して説得する事によって『シンジュク』という街の平和を守るというのが今回の話なのだが…それで何故爆発やら戦闘やらがメインとなるのか甚だ疑問だ。 今まで劇場で上演されていた童話や悲恋ものとは正反対の演出に客の方はかなり喜んでいるのでそういった意味ではこの舞台も成功と言えるのかもしれないが、どうも割り切れないのはクリスの考え過ぎなのだろうか。 ついでに今となっては知る事はできないが、ナディールの「子供の教育に悪い影響を与えるだろう台詞はカットさせて頂きましたのでご安心を…」との台詞も気になるところである。 「ほほほーい。助かりましたよー。それじゃ仕方ないから子供達にプレゼントを配りに行きますかねー。」 「ああ。後はおれに任せろ。」 「…………そう、か………良かったな………」 怪しさ全開の真っ赤な衣装を着た『サンタクロース』役のギョームが舞台袖に下がる。 なんだか分からないうちに戦いの決着は着いて、めでたしめでたしとなったらしい。 よく見れば『ウミボウズ』役のハレックは少し離れた場所で気絶している。 ……あれは演技…なのか? ていうか主人公の親友じゃなかったのか、『ウミボウズ』は。 ぷすぷすと彼の身体から上がっている煙と血痕がやけに生々しいが、当のナッシュは平然としているところを見ると大丈夫……なのだろう。 トウタがあたふたしている姿が観客席の後ろの方に見えるが、敢えて考えないようにするクリス。 この芝居に常識や道徳を求めても無駄なのは嫌でも理解せざるを得ない。 とにかく、これでやっと自分も舞台から解放されるのだ。 ギョームを見送るナッシュの隣でクリスは心から安堵の溜息をついた。 主人公以外の役者がアレなので、ヒロインの大根役者振りが思ったより目立たなかったのは不幸中の幸いだと言えるだろう。 どちらにせよこんな訳の分からない舞台に立つのは二度と御免だが。 大きく、息を吸う。 後は自分の最後の台詞だけだ。 「リョ、リョウ。───わたし達も帰ろう。」 どうにか言えた。 これでナッシュが「そうだな、帰ろうシンジュクへ。」と言ったら舞台の緞帳が降りてくるはずだ。 が。 「………待ってくれ、カオリ。」 え、と思う暇もない。 気がつけば男の腕が自分の腰に伸び。 クリスはナッシュの見た目よりもずっと厚い胸板に引き寄せられていた。 彼の温かな体温がまるで薄い衣装など意味がないように直に感じられる。 「な、な、な……!?」 こんなのは脚本にない。 予想外の展開に顔を真っ赤に染め、口をぱくぱくさせるクリスはパニック寸前である。 舞台袖の方で緞帳を降ろす準備をしていた大道具係のセシルが目を丸くしているのが視界の端に映った。 タイミングを逃して彼女の手は完全に止まってしまっている。 更に遠くの方で「き、貴様っ、クリス様に何を───!!」「落ち着けボルス! 後でおれも手伝うから今は…!!」という声が聞こえたような気もするが、今のクリスはそれを確かめるどころではない。 そして問題を引き起こした張本人はクリスを腕の中に閉じ込めたまま、素晴らしい笑顔を浮かべて彼女を見下ろした。 「…忘れた訳じゃないだろう、カオリ。『クリスマス』は子供の夢を叶える日でもあるが、恋人達が気持ちを確かめ合う日でもある事を…な。」 「なに────」 確かに、何かのついでにナディールがそんな説明をしていたような覚えはある。 遠い異国の習慣だし何よりナディールの翻訳だしで、軽く聞き流していたので気にも止めていなかったが。 それにしても。 クリスを役名で呼び、いけしゃあしゃあとのたまう金髪男のなんと憎らしい事か。 これでは何も知らない人は劇の続きだと思うに違いない。 おそるおそる舞台の下に視線をやると案の定、今までのお笑いアクション路線とは異なる雰囲気に観客は嬉々としてこちらを凝視している。 (……やっぱり……) くらりと頭痛を覚えるクリス。 そしてここが舞台の上である以上、いくら大根役者のクリスでも主役であるこの男を簡単に成敗する事はできないのだ。 ある意味これはゼクセン騎士団長の生真面目な性格を逆手にとった、頭脳プレーとも言える。 喰えない工作員は最初からこれを狙ってクリスを相手役に抜擢したに違いない。 (舞台が終わったら覚えてろ、ナッシュ!!) 拳を握り締め、心の中で宣戦布告するが後の祭り。 とにかく今はこの状況を切り抜けなければ。 クリスは鐘のように踊る心臓を必死で抑え付け、脳をフル回転させた。 「ナ……り、リョウ。確かわたし達はあくまで相棒であって、恋人じゃなかったよな…?」 努めてにこやかに目の前の男に言い放ってみせる。 咄嗟に考えたにしては我ながら上手く返したと思う。 これは嘘ではない。 脚本にもしっかりそう書いてあり、だからこそしぶしぶながらもこの役を引き受けたのだから。 自分に可憐な恋する乙女役をやらせるなら、からくり丸Zにその役をやらせた方がましだとまで言い切るクリスである。 もし主役2人が恋人同士で、しかもその相手役がナッシュと分かっていれば何を言われても絶対に引き受けなかった自信があった。 ───別に、ナッシュを嫌っている訳ではない。 いろいろ胡散臭い奴だとは思うが世話にはなったし、それなりに信頼もしている。 でもなんというか……ちょっと苦手なのだ。 彼のエメラルドグリーンの瞳はクリスの事を何でもお見通しのようで。 どうも彼の前ではいつもの自分でいられない。 ナッシュもそんなクリスを面白がって顔を合わせればからかってばかりいるのだから、これで彼を全面的に信用しろという方が無理だろう。 第一、「カミさん」がいるのに自分をふざけ半分に口説くナンパ男の何処を信用しろというのか。 「馬鹿だな……本当に気付かなかったのか?」 しかし。 クリスの期待も虚しくナッシュは平然と返してきた。 その眼は反論してきたクリスを何処か面白そうに見つめている。 …どうやらとことんアドリブで進むつもりらしい。 「おれは…カオリを愛している。ずっと口に出せなかった。ああ、何も言わなくていい。お前の気持ちも分かっている……」 お互い素直じゃないよな、と。 クリスの耳元で囁くように熱い吐息と共に紡がれた言葉に、「きゃーっ」という女性客らしい黄色い声が飛び交う。 (う、嘘ぉ──────!?) そう来たか。 当のクリスは『白き英雄』『銀の乙女』と呼ばれるいつもの勇ましさは何処へやら、もう半泣きである。 所詮、天性の大根役者。アドリブにはとことん弱いのだ。 ささやかな反撃はこの男に口で勝つのは無理だと思い知らせてくれただけだった。 これは芝居なんだとどんなに己に言い聞かせても、ますます赤くなる顔をどうする事もできないのが余計に悔しい。 (というか、たかが芝居でなんだってこんなに熱の入った声を出せるんだこいつはっ!!) そうまでして自分をからかって楽しいのか。 絶対工作員よりも舞台俳優…いや詐欺師に向いている。 もうこの男の言う事なんか二度と信じてやるものか。 最後の抵抗とばかり、ナッシュを睨み付けようと顔を上げて。 (────え?) 意外にも、そこにあったのはクリスを真っ直ぐに見下ろす男の真摯な瞳。 つい先程までの面白がっていたような雰囲気は…ない。 これは……本当に演技、なのか……? 強張っていたクリスの身体からすとん、と力が抜ける。 クリスの視線を受けて微笑んだナッシュの唇が微かに動いた。 背中に回された腕が更に強く自分を抱き締める。 (…く…り…す……?) クリス以外の誰にも分からない、声にならない呼びかけ。 やがて男の片手がクリスの顎に添えられた。 整った顔がゆっくりとこちらに近付いてくる。 動けない。 身体がまるでいう事をきかない。 何故。 どうして。 ここが舞台の上だから───? (わたしは………) まるでそれが当たり前のように己の瞼が閉じられるのを、他人事のように感じられた。 何処か遠くで誰かが何かを叫んでいるような気がするが、もう何も耳に入らない。 そこにあるのは静寂とこの男の温もりだけ。 心が、震える。 彼の吐息と自分の吐息が重なるのが分かる。 互いの唇が触れるまで、あと数ミリ────…… 「………ってこんなとこじゃやっぱり嫌だ────────!!!」 ────ドゴォォォォン。 瞬間、頭の中が真っ白になり。 気が付けばクリスはヒロイン専用小道具『100tハンマー』を握り締め、目の前の男を思いっきり叩き潰していたのだった。 結局。 その日の舞台は主人公が気絶したままギャグオチという事で無事幕を下ろし、観客の評判も上々だったという。 ナディールに至っては「よくぞこの脚本の隠されたテーマまで見破ってくれた」と感動にむせび泣き、主役2人にまたの出演を懇願したが、ヒロイン役がもの凄い形相で却下してお流れになったという話である。 その後数日間、口もきこうとしないゼクセン騎士団長の機嫌を直そうと四苦八苦するハルモニア工作員(何故か目撃されるたびに剣傷が増えていた)の姿が城のあちこちで見られたとか見られなかったとか─────。 「だから、おれが悪かったってば。許して下さいこの通りです、クリス様っ。」 「煩い!! わたしに近寄るな!!」 「────でも、『こんなとこ』でなければ……いいんだろう?」 「………っ! もう知らない、馬鹿─────!!!」 ────ビュッデヒュッケ城は今日も平和である。 【すみませんすみません本当にやっちゃったよアホ話座談会】 ナッシュ「…いやしかし、本当にやる事になるとはおれも思わなかったなぁ…」 クリス 「…………作者が無謀過ぎるんだ。(心の底から溜息)」 ナッシュ「まぁな。分かる人だけ分かってくれっていうのも限度があるよな、実際。 以前日記で喚いていたとはいえ、皆が皆あいつの意見に賛成な訳でもなし。」 クリス 「確か、お前が某有名少年漫画の主人公に似ているという話だったよな。」 ナッシュ「ああ。なんでも『口癖』はともかく、雰囲気がそのままらしい。 主人公の武器にしても、おれも正規のガンナー程じゃないが『若い頃の経験』から 銃を全く扱えない訳じゃないだろうという予想を勝手に立ててたぞ。 ただ今回は仲間に銃を扱う奴がいなかったのと火薬は貴重品だろうという事で、 その辺はスパイクと紋章でムリヤリ代用させたんだ。 …他は適当なのに変なとこだけリアリティを持たせる奴なんだよ、あいつは。」 クリス 「ていうか、これの何処がクリスマス用小説なんだ? 芝居でちょっと言ってただけで全然それっぽくないじゃないか。」 ナッシュ「そりゃそうさ。そっちはあくまで付け足し、メインはいかにパクるかだったしな。 一度このネタが浮かんでからはクリスマスネタどころじゃなくなったんだと。 ここまでギャグに割り切った話も珍しいらしいぞ。」 クリス 「ギャグ………そう…だよな………」 ナッシュ「んー? クリス様はギャグはご不満ですか?」 クリス 「い、いや、そういう意味ではなくてっ!」 ナッシュ「心配しなくても、本番はちゃんと誰もいないところで言ってるだろう? せっかくのクリスの可愛らしい顔を他の奴らに見せるのは勿体無いしな。」 クリス 「だから、肩を抱くな─────!!(ばきぃっ)」 はい。本気で馬鹿です私。でも書きたかったんだよぉぉぉぉぉ(開き直りか)。 |