【夢の裏側】 それは、夢が終わる直前。明日からはまたいつもと変わらない生活が待っている。 ───『親友』として、『相棒』として。 「…俺さ、すげェ護りたいモノがあるんだ。」 「……………」 「俺が護る必要なんか、全然ないかもしれねェ。けど、護りてェ。…護ってみせる。」 ────本当は、まだ言うつもりじゃなかった。 けど、『今』のこいつになら言える。『今』しか言えない。 いや──もう自分の気持ちを隠す事は出来なかった。 京一はゆっくりと自分の隣に座る少女を振り返った。 街灯の僅かな明かりの中で長い黒髪の少女は黙ったまま、戸惑ったような表情を浮かべて京一を見つめている。 どんな格好をしていようと京一が見間違う事など絶対にあり得ない、大切な人。 その漆黒の瞳に吸い込まれるように。 京一は静かに顔を寄せた───────。
まだ新しいであろう2LDKのそのマンションは交通にも買い物にも便利な場所に存在し、一際豪華という程ではないがこざっぱりとした雰囲気の建物で、さぞかし家賃も高いだろうと思われる。 本人はいたって質素な生活をしているようだが、傍から見れば高校生の一人暮しには贅沢と言えるだろう。 前に遊びに来た事があるので迷う事はないが、エレベーターを降りて目的の部屋に向かいながら京一はふと疑問を浮かべた。 (そういやある人に紹介してもらったからタダだとか言ってたけど、どーゆー関係なんだ? 親戚とかならそう言うだろうし…) その8階建ての建物の7階に住んでいる人物…緋勇龍麻はかなりの容姿の持ち主である。 龍麻にその自覚は全くないが、誰もが目を惹きつけられずにはいられない。そして世間では『男』として通しているのだが。 (まさか……!!ってそんなワケねーな…) 本当の性別を知っている京一は一瞬お約束の想像をしてしまったが、すぐにその考えを苦笑しつつ打ち消した。 現在自分の背中で熟睡しているこの『親友』の性格は自分が一番よく知っている筈である。 …そのせいで自分がこれから先いろんな意味で苦労するであろう事も予想出来るのが哀しい。 「よッ…と。」 人一人背負ったままなので手間取ったがなんとかその部屋の鍵を開け(住人の鞄からキーを拝借した)、ズレ落ちかけた龍麻を背負い直した。 お邪魔するぜ、と心の中で一応断ってから玄関に足を踏み入れる。 学校帰りとはいえ時刻は既に夜8時を回っているので中は当然真っ暗だ。カーテンの開いた窓から微かに都会の灯りが差し込んでいるのみ。 と、後ろで小さく自動ロックがかかる音がして思わずどきりとした。 おまけに追い討ちをかけるように耳元では『親友』──いや、ずっと前からそれ以上の存在である女の寝息が────。 (し、しっかりしろ俺!!) 努めて深く考えないようにしつつ。 京一は学生鞄2つと木刀を廊下の隅に放り投げ、自分の靴を脱ぎながら龍麻の靴も脱がすと、記憶を頼りに奥の寝室へと向かって行った。
途中ハプニングはあったものの、結局学校からここまで背負ってきた為に強張ってしまった腕をぐるぐると回してほぐす。 幸い、旧校舎帰りではあったが日頃の鍛錬のおかげか京一の疲労は大した事はないようだ。 エアコンは体調を崩している今の龍麻にはあまり良くないと思われたので窓を開けると、気持ちのいい夜風が入ってきた。 取り敢えず少し窓を開けたままカーテンを引き、改めて部屋を見渡す。 前に来た時はちらりと見ただけだったが、他の部屋と同様に黒を基調にしたシンプルな部屋だった。 8畳くらいだろうか、予想通り京一の部屋に比べるとはるかに片付けられている。 女の子らしい小物などは一切見当たらない。プライベートまで性別を偽っているというよりは単に性格や好みによるものだろう。 …よく見るとキャビネットの上に旧校舎やら何やらで手に入れた怪しげな装備品類なんかも置いてあって一種異様な雰囲気もあるのはお愛嬌か。 「……………」 そして。京一は更に頭を悩ます事になった。 実のところ暗いままだと理性が飛びそうだったのでこの部屋に入ってすぐに灯りを付けたはいいが、明るくなったせいで新たな問題に気付いてしまったのである。 いや、ここに来る途中でも頭の隅で気付いてはいたのだが、やはり無視する訳にもいかないだろう。 そう──現在の龍麻の服装である。 彼女は学校では男子生徒として生活している。建前はアレルギーが酷いから、という事になっているがおそらく体型を隠すためなのだろう、夏である今でも真神学園男子冬服の学ランで通学しているのだ。 体育の授業も冬用のジャージの上下を着用している。 ついでに言うと同じ理由で水泳の授業は全て欠席、普段の授業の時も更衣室を皆と一緒には使わず、他の男共が着替え終わった後に着替えていたりするのだが、転校初日に佐久間達を殆ど一人で全滅させ、その翌日には醍醐を一発で沈めたという噂はあっと言う間に学校中に広まっていたので、それをネタにからかったり真相を確かめようとする命知らずはいないという訳である。 また彼女は古武道の達人なだけあって人の気配に敏感なので、みすみす正体をバラすようなヘマはしない。 だからクラスの誰も…『仲間』である醍醐や美里、小蒔ですら龍麻が実は女だという事を知らない筈だ。 ────京一が唯一人だけ、龍麻の正体を知ったのは本当に偶然だった。 龍麻本人も京一が知っているという事に今まで気付いていなかったようである。 しかし初めて背中を合わせて闘った日から、『男』としても京一を惹き付けてやまなかった(その時は勿論恋愛対象としてではなかったが)龍麻が京一の中で『親友』以上の存在になったのは、ある意味当然の成り行きと言えるだろう。 今はまだその時期じゃないと自制して、昨日思いがけず『彼女』に会うまで必死で気持ちを隠していたのだが────。 (にしても《ナルタキ トウコ》ってのはどっから持って来たんだ…ってのは取り敢えず置いといて、と。) 現在ベッドの夏用掛け布団の上に横たわり、余程体調が悪いのか、それとも安心しきっているのか、死んだように熟睡している龍麻は当然の如く学ラン姿である。 夏という季節に加え、微熱があるらしく汗が額にうっすらと浮かんでいる。 さっきまで旧校舎に潜っていた為に制服も埃っぽい。 …たまたま発剄の類を多用していたおかげか返り血がないのが救いと言えば救いだ。 つまり制服が皺になるというだけでなく、身体の為にもこのまま放って帰れる状態ではない訳で。 巧い具合にベッドの枕元には綿のパジャマがたたんで置いてある。 (仕方ねェ、非常事態なんだから怒るんじゃねーぞッ。) 京一はとうとう覚悟を決めた。 眠っている少女の、きっちり襟まで止めた上着の金ボタンに手をかける。 下に着ていたらしい白いTシャツが徐々に露になっていき、それだけで京一の心臓がまるで別の生き物のようにどくどくと脈打った。 半年前の京一ならガッツポーズを決めそうな美味しいシチュエーションではある。 しかし相手が龍麻、その上意識のない病人である以上間違っても何かする訳にはいかない。 ハッキリ言って今の京一には蛇の生殺し状態だ。なけなしの理性を信じて総動員するしか方法はない。 全部のボタンを外し、少し上体を持ち上げてまずはなんとか上着を剥ぎ取った。 (やっぱ、汗かいてるな…これも脱がさないとダメ、か。) 男としてはある意味天国と地獄を同時に味わっているようなものだが、いちいち理由をつけて自分を納得させるのは、若さとでも言うのだろうか。 それでもここで迷っていても仕方ねェ、と意を決して龍麻を抱えるようにしてその白いTシャツも一気に脱がす。 そして。サラシを胸元にきつく巻きつけた、陶器のような眩しい素肌が現れた。 布越しに微かなカーブが分かる。 「……………」 言わば、生まれて初めて本気で惚れた女の半裸(?)である。 昨日の格好は別として普段殆ど肌を見せない分、鎖骨のラインなど妙に艶かしいものがあり、京一の喉がごくりと音を立てた。 一方、そんな京一の苦悩も知らず龍麻は一向に起きる気配がない。 普段の龍麻ならどんなに体調が悪くても目を覚ましそうなものなのに、今日に限ってその様子はなかった。 抱えている為に間近に見える整った顔…形のいい薄い桃色の唇、龍麻の香りに京一の心臓はますます激しくなる。 こうなると俺を試しているのかと疑いたくなってしまうくらいだ。 昨日は辛うじて頬で止められたが、今日は────…と考えかけて慌てて頭をぶんぶんと振り、自分を叱咤する。 実際のところ龍麻は自分を包む京一の氣に心底安心しており、だからこそ熟睡しているのだが、京一がそんな事を知る筈もない。 (で、これって…どうすりゃいいんだ?) 一番の問題、包帯のような布。これだって汗を吸っているし、胸を押さえ付けているのだから楽に寝るには取るに越した事はないのだろうが、健康な男子高校生としてはそれはかなりヤバイものがある。 と。 「…うー…ん…」 ふいにそれまでベッドに力なく下ろされていた龍麻の両手がそろそろと持ち上がった。 (な────) もはや京一にとっては拷問以外の何物でもない。 抱き枕のつもりなのか、今まで厚着をしていた分寒くなったのか、京一の腕に抱えられていた龍麻がいきなり京一の首に腕をまわしてきたのである。 抱き寄せたという方が近いかもしれない。 ぼすっ。 抵抗する暇も余裕もなく。それでなくてもベッドの端から不安定な体勢で龍麻を支えていた京一は、ニュートンの法則に則って龍麻の上に重なるようにして倒れ込んでしまった。 (ば、馬鹿やろォ────────ッ!!!) 不可抗力とはいえ傍から見ればこれはどこをどう見ても、そういう体勢だ。 龍麻の体温がダイレクトに京一の身体に伝わってくる。学ランを脱いだ状態でここまで密着すると、サラシもその存在価値が低下する訳で。 (だ─────ッ!!耐えろ、耐えるんだ俺ッ!!) 京一の顔は既に真っ赤、心臓は破裂寸前である。 更にタチの悪い事に、自分の顔のすぐ横で寝息が聞こえるところをみると(とてもじゃないがまともに龍麻の顔を見れない)、これでも龍麻が熟睡しているのは確かなようだ。 いくら普段鍛えているとはいえ自分より体重のある人間が上に乗っていたら苦しいだろうに、素晴らしく大物というか大雑把というか。 いや、ここで目を覚まされても困るには違いないのだが。 (お前、ほんとにワザとやってんじゃねェだろ───…なッ!?) 次の瞬間。 ぐはッ、と思わず京一は息を詰まらせた。 …何時の間にやら、首の関節をキメられている。 恐るべし黄龍の器。恐るべし天然。どうやら眠っていても身体が無意識に防衛本能を発揮させたらしい。 古武道には寝技…もとい関節技も存在するようだ。 というか、京一に対する精神的安心感と肉体的安心感は別という事なのだろうか。 「……………」 数分後。 ふらふらになりつつも、どうにかこうにか龍麻の腕から抜け出した京一の目に、今度はベッドの足元にごく自然に置いてあった物体が映った。 ちょうど死角になっていた為に今まで気が付かなかったらしい。 ───10kgの鉄アレイである。普通の女子高生の部屋にはないであろうそれが2つ。 おそらく、今の龍麻なら軽くお手玉くらいやってのけるに違いない。 その横には先日の闘いでヒビが入ったと言っていたヒヒイロカネが鈍い光を放っている。 「…………………………………」 …結局京一はサラシを巻いた状態のまま、起こさないように細心の注意を払ってパジャマの上を龍麻に着せ、それから彼女を抱えていた手を背中の方からパジャマの中に差し込んだ。 見ないように見ないように、触らないように触らないようにと、暴走しそうになるのを必死でセーブさせながら引き抜くようにしてその布切れを外す。 続いてベルトを外して(当然京一の、ではない)慎重に制服のズボンを下ろし、履いていたソックスも取った。薄い水色の小さな布切れと白い脚に思いっきり動揺しつつもどうにかパジャマのズボンを履かせる。 少女を無事に布団の中に納め、彼女の制服を壁のハンガーにかけた時には京一が心身共に疲れ果てていたのは言うまでもない………。
言葉にすると、たった3文字の簡単な単語。 だけど京一は龍麻本人に、まだはっきりと言葉で伝えてはいない。 昨日、あんな形で会って。今日、龍麻が目の前で倒れて。…自分の気持ちを抑えられなくて。 とうとう気持ちを曝け出してしまったが、辛うじてその決定的な言葉を呑み込んだ。 龍麻が『男』として東京に来た理由を京一は知らない。 だが、今東京に何かが起きているのは分かる。そして龍麻が必要とされているのも。 ────今の自分はそんな龍麻に相応しいだけの力も自信もない。 謙遜でも自虐でもない。それが事実だ。 その容姿も然る事ながら、圧倒的な強さと人柄の良さで彼女に出会った誰もが性別に関係なく龍麻に惹かれていた。 龍麻と共に居たい、龍麻の力になりたいと思わずにはいられない、不思議な何かが彼女にはある。 そんな彼女に釣り合う程、自分はまだ人間的にも強くない。 そして何より。 『女』だという理由で誰よりも彼女自身に負けるのを恐れている。そんな確信があった。 今はまだ、その均衡を壊してまで京一の気持ちを押し付ける訳にはいかない。 京一が告白するという事は、別の見方をすれば彼女に『女』である事を強制するのと同じだから。 ただ───彼女が『男』だろうと『女』だろうと、京一にとって龍麻は龍麻であって、誰よりも大切な存在なんだと知っていて欲しい。 何があっても、龍麻には自分が付いているのだと知っていて欲しかった。 ────絶対、龍麻を護ってみせる。命を懸けて護り抜いてみせる。 全てが終わって彼女が本当の彼女に戻れる時、胸を張ってその言葉を言えるように。
ベッドの脇から龍麻を見下ろし、京一は囁いた。 彼女が京一の事をどう思っているかは正直、分からない。 天然記念物並に鈍い龍麻でも昨日のキスと今日の会話で少しは京一の気持ちに気付いたとは思うが(言い切れないところが龍麻の龍麻たる所以である。現についさっきもホ○と疑われかけた)、今までの様子からすると『親友』としか見ていない可能性の方が高いかもしれない。 ずっと男同士、男友達として接してきたのだから当然と言えば当然なのだが。 だけど。 その本人はというと相変わらず規則正しい寝息を立てている。 もう汗も引き、弱まっていた氣もかなり落ち着いてきていた。 日頃の疲れが一気に出たのだろう。 彼女が倒れた時は本当に生きた心地がしなかったが、この分だと明日には完全に回復するに違いない。 京一はゆっくりと龍麻の髪を撫でた。閉じた瞳と同じ色の、短いが綺麗な漆黒の髪がさらさらと流れる。 心なしか、眠っている彼女の顔がほころんだような気がした。 ───きっと、お前に認められる男になってみせるから。だからそれまで、ずっと俺の傍に居ろよ。 不敵な笑顔を浮かべ、上体を屈めてそっと龍麻の額に口付ける。 そしてそのまま電気を消して静かに寝室を離れ、京一は彼女のマンションを後にした。
なんとなく予想はつくが、今はまだそれを考えないようにして──────。
龍麻「という訳で、俺は全然喋ってないけど『真昼の夢』『夢の足跡』の番外編です。 あれは俺視点のラブコメ(?)だったんで、今回は京一視点という事で。 つーか、単に作者のネタ切れ苦し紛れというか……」 京一「それを言ったらお終いだろーが。しっかし、つくづく俺って損な役回りだよな…。 ちくしょーッ、こんなシチュエーションで額にキスだけなんて詐欺だッ!!」 龍麻「当たり前だッ!!本当に何かしてたら絶対、殺す!!(抱き付いた事は敢えて無視) 大体、何だよあの18禁スレスレの状況はッ!?(真っ赤)」 京一「…俺の言い分も聞かないで次の日しっかり黄龍かましたくせに。 こんな事ならもーちょっと……(ぼそっ)」 龍麻「秘拳・黄龍×2ッ!!」 しかし京一。あんな偉そうに大見得切って、第弐拾話はどうするんだ?(←天の声) 偉いぞ京一。よくぞ耐えた。 |