【真昼の夢】





 時は1998年夏。場所は新宿のショッピング街。

緋勇龍麻は既に何度目か分からない溜息をついた。

無駄とは思いつつも隣ではしゃいでる若い女性──茶色の髪をアップにし、黒のノースリーブにミニスカートを身に付けたかなりの美人だ。OLといったところか──に話し掛ける。

「…お姉、もういいだろ…帰ろうよ…」

「なーに言ってるの、まだまだこれからよッ!」

 案の定あっけなく却下された。6つ上の姉はこっちを振り向きもせずに、ウィンドウショッピングを楽しんでいる。

「なら、せめて着替えさせて…」

「ダメよ、もったいない!!」

「……………」

 再び、溜息。そうなのだ。今現在、龍麻は真新しい膝上10pの水色のキャミソール型ワンピースに、白いボレロを着ている。素足には流行りのサンダル。

ご丁寧に長い黒髪のカツラまでつけて、ばっちりメイクも施されている。

どこからどう見ても、可憐な美少女がそこにいた。とてもさっきまでの『美少年』と同一人物とは思えない。

 無言の返事に振り返って、龍麻がまだ納得してないのを見て取ると、その姉、緋勇亜樹は断言した。  

「大体ねぇ、鳴瀧さんもヒドイわよ。いきなり転校させただけじゃなく、いくら男の方が都合がいいからって、花の女子高生に男のフリさせてさ。」

「…俺は、別にヒドイとは思ってないけど。」

 実は龍麻はれっきとした女だ。だけど理由あって、この春に一人故郷を離れてここ新宿の真神学園に転校してきた。

男子生徒、緋勇龍麻として。仲間の誰もこの古武道の達人を女だと気付いていない。

そう努力してきた。…一応。

「あーもうッ、何が『俺』よ、ますます男っぽくなっちゃって!!」

 そう言われると龍麻は苦笑するしかない。実際、男のフリをするのは思ったよりも苦痛ではなかったのだ。

実の父が付けたという名前も然る事ながら、身長171p、均整のとれたすらりとした体つき、美形ではあるがどこか中性的な顔立ち。

加えてそれまで一人称こそ『私』ではあったが、スカートよりはパンツルックを好み(というか、スカートは明日香学園の制服くらいしか持っていなかった)、髪も常にショートカット、何よりさばさばした気取らない性格だったせいである。

幼い頃近所に同い年の女の子がいなかった為、いつも1つ上の兄やその友達の男の子達と泥まみれになって遊んでいたのが大きな原因だろう。

そのせいか言葉遣いもあまり女らしいとは言い難い。何故か毎年バレンタインデーにはセーラー服を着ていてもチョコで鞄が一杯になっていたものだ。

ついでに言うと、空手を習っていた兄とよく取っ組み合いをしていたおかげで、本格的に古武道を習う前から喧嘩で負けた事もない(自分で吹っ掛ける事はまずないのだが、目立つ容姿のおかげでよく絡まれた)。

もちろん、龍麻本人は一応女の自覚があり、いたって正常な恋愛感を持っているつもりなのだが、男に対して恋愛対象というよりダチの感覚が強いのもまた事実であった。

 そして、本当に男子生徒として転校したのは正解だったと龍麻は思っている。

皆を騙している事には正直胸が痛むが、ここで自分を待ちうけていたのは過酷な闘いだった。

女だと分かっていたら、仲間の皆はヘンに自分に気を使うに決まっている。

醍醐なんかは自分が最前線で拳を振るうのに反対するだろうし、京一は自分を相棒とは認めてくれなかったかもしれない。

何より、女だからという理由で逃げたくはなかった。

もっとも、流石に体育の授業なんかは冷や汗をかく事もあるのだが。






「とにかくッ、あんたは元はいいんだから、たまにはお洒落しなくちゃオトコ、作れないわよッ!お姉さんに任せなさいッ!!」

「……別に、作りたいなんて言ってない……」

 というか、今は男として生活してるんだからマズイだろうと思うのだが姉にはそんな事は関係ないらしい。 

龍麻の将来を心配してか、この土日にわざわざ田舎から新宿のマンション(鳴瀧が用意してくれた)まで様子を見に来たのはいいが、折角来たんだからと無理矢理妹をショッピングに連れ出し、あれよあれよという間に着せ替え人形にしてしまったのである。

家から着てきたジーンズとTシャツとスニーカーは持っている紙袋の中だ。あまり豊かな方ではないがサラシも外している。   

 一緒に住んでいた時からこの姉は、自分の容姿に無頓着な妹を隙あらば飾り立てようとしていたのだが(それが逆に龍麻を男っぽくさせたきらいもある)、今日は特に気合が入っている。

万馬券を当てたのもその理由となっているようだ。

もし新宿で誰か知り合いに会ったらまずいからと最初は抵抗した龍麻も、「久しぶりに会ったのに…やっぱり本当の姉じゃないから私の言う事なんてきけないのね…」と泣かれては(嘘泣きなのは分かっているが)どうする事も出来なかった。

なんだかんだ言っても自分を実の子供のように扱ってくれた大好きな家族には逆らえない、龍麻である。

仕方なく、目立たないように目立たないようにと極力気配を消して歩いてはいるのだが。

「ねェ彼女達ィ───、暇ならお茶でもしない?」

 …また来た。龍麻はげんなりと首を振った。

どうも、さっきからいかにも軽そうな若者に声を掛けられて仕方ない。これで何人目だろうか。

気配を消していれば知り合いに会ってもぱっと見ただけではバレる事はそうないだろうが、別に隠れているわけではないので本人にその気はなくても目立つ事この上ないのだ。

自分がいかに人を惹きつける容姿をしているのか全く気付いていない龍麻にとって、それは戸惑いでしかない。

「悪いわね、私達、用事があるから。」

 その度に頼もしい姉が妹を庇い、鋭い眼光で退ける。姉曰く、こんな簡単に寄ってくる男にろくな奴はいない、という事らしい。

イイ男はこっちから引っ掛けるもの、とは彼女の持論である。

それはともかく、龍麻は姉に引きずられるようにして人でごった返す新宿の街をうろうろする嵌めになっていたのだが。

 その時、それは起こった。





 散々歩いた後、ジュースでも買ってくるから待ってて、と姉に言われてちょっとした休憩のできる広場の片隅で一人所在なげに立っていた龍麻だが、気が付いたらお約束のように数人の男達に囲まれていたのだ。

目つきの悪い、いかにも喧嘩慣れした不良という感じの個性のない男達。

普段なら囲まれる前に気付きそうなものだが、慣れない女の子らしい格好と、自分の気配を消す事に気を取られていたらしい。

よく見ると、先程言い寄ってきて姉にこっ酷く追い払われた男もいる。

「ようやく一人になったなぁ、ネェちゃん。」

「今度こそ、俺らに付き合ってくれるよな?」

「……………」

 ちらりと見ると、姉はまだ戻ってきそうもない。

そんな龍麻の目線の意味を不安ととったのか、更に男達が下卑た笑いを見せる。

「さっきのお姉ちゃんも戻ってきたら、たっぷりと可愛がってやるよ。」

 ふう、と龍麻は小さく溜息をついた。どうやら世の為、人の為にも一度本気で相手をする必要があるようだ。 

取り敢えず、男達に誘導されるまま、大人しく路地裏に向かう。

いくら何でも大勢人のいる場所で暴れるわけにはいかない。

(だからスカートって嫌なんだよ…)

 どこかテンポのズレた事を考えてたりもするのだが、男達はそんな龍麻の心の内も知らず、美しい獲物をどう料理するかで頭が一杯のようだ。

(さて、と。)

 ようやく人目に付かない所に着く。と、同時に龍麻は静かに紙袋を下に置いた。

ここなら少々力を出しても、誰も気が付かないだろう。

今まで消していた溢れる闘氣を解放しようとして───ふいに、覚えのある気配…強い陽の氣を感じた。

「か弱い女の子に寄って集って何をするつもりだ?」

(きょ…ッ!?)

 龍麻は慌てて口を抑えて驚きのあまり出掛かった言葉を呑み込んだ。

後ろから竹刀袋片手に飄々と現れたのは、今この姿で会うのは一番マズイ男、蓬莱寺京一。

休日だというのに何故か相変わらずの制服姿だ。

共に闘う仲間であり、相棒である彼なら間違いなく気配で自分が分かる。京一曰く、龍麻の氣は特徴があるらしい。

そして『男』として通している今、この格好は非常にやばい。物凄くやばい。

動揺を隠して一度解放しかけた氣を必死で消した。

「ああ?何だてめぇ、邪魔するのかッ!」

「ったりめーだろ、俺はいつだっておネエちゃんの味方だ。」

 いきなり現れて少女を庇うように前に出た赤毛の青年に男達がいきり立つが、当の本人は全く意に介していない。

龍麻に向き直ると、にやりと笑って宣言する。

「ちょっと、離れていろよ。すぐに終わるから。」

…どうやら、カツラとメイクのおかげで気付いていないようだ。ここにきて初めて、姉のメイクテクニックに心の中で感謝する龍麻である。

考えてみれば『男』である相棒がこんな所で『女装』していると思う方が無理があるから当然といえば当然かもしれないが。

 それはそうと、龍麻にとってはここでさっさと京一に任せて逃げ出すのが最良の方法なのだろうが、もともと喧嘩を買ったのは自分なので流石にそれは気が引けた。

仕方ないので取り敢えず京一に向かってこくこくと頷いてみせる。

それを了解と受け取ったのだろう、京一はもう一度目の前の少女に笑いかけると再び男達に目を向け───木刀を抜いた。






 当然の如く、京一の圧倒的勝利であっという間に闘いの幕は閉じた。

龍麻と共に生死を懸けて闘ってきた京一に、その辺の男が何人束になっても敵う筈がない。

「もう、大丈夫だぜ。」 

 見慣れた不敵な笑顔。最後の男をコンクリートに沈ませた京一は突っ立ったままの龍麻の方にゆっくりと歩きながら気さくに話し掛けてきた。

が、龍麻としてはボロを出さない為にも下手に口を開けない。

いくらなんでも声を出せばバレてしまうだろう。こいつが相棒の声を忘れていない限りは。

という事で長居は無用とばかりに感謝の形として頭をぴょこんと下げ、くるりと回れ右をしようとして。

「────ッ!!」

 京一に肩を軽く、掴まれた。

(やっぱ、バレてる───ッ!?)

 心臓がばくばく鳴り響く。しかし。

「どうかしたのか?どっか怪我してるとか?」

 どうやら京一の声は本当に心配しているようだ。さっきから何も喋らない少女を不思議に思ったのだろう。

龍麻は安堵すると同時に慌てて首を横に振った。今はバレていないとはいえ、やはりこれ以上京一と一緒にいたらいつバレるかヒヤヒヤものである。

うっかり声を出そうものなら、誤魔化しきる自信はない。どこぞの忍者なら声を変えるくらいは簡単にやってのけそうだが、生憎龍麻はそこまで器用ではなかった。それでなくても京一は妙に勘がいい時があるのだ。

 この場をどう乗り切るか───必死で頭をフル回転させようとした時。

よく知る気配を背後から感じた。……最悪だ。

「大丈夫よ。その子、ちょっと事故にあって…口が不自由なだけだから。」

 頼りになる姉、亜樹の登場である。 

龍麻が恐る恐る振り返ると、案の定、亜樹はにっこりと微笑んで路地の入り口からこちらを覗いていた。

何か嫌な予感がするのは気のせいだろうか。

「…あんたは?」

 京一の質問は至極もっともだろう。路地裏の奥に転がっている何人もの男達に気付いているだろうに、この美人は平然と近付いて来るのだから。

「私は…鳴瀧、亜樹。その子…冬子(とうこ)の姉よ。妹をタチの悪い奴らから守ってくれたのね、感謝するわ。」

(お姉───ッ!!何だよその名前は────ッ!?)

 龍麻は思わず心の中でツッコミを入れてしまった。 

昨日マンションでお花見の時の写真を見せたから、亜樹は京一の顔を知っている。

だから状況を察して彼女なりに考えてくれたのだろうが……さっきたまたま会話に出てたからって……鳴瀧、冬子……。 

 それでも京一がそうなのか?というようにこちらを見たので、龍麻には頷くしかない。

京一はそれであっさりと納得したようだ。…美人の言葉には簡単に騙されるタイプである。

「俺は蓬莱寺京一、真神の3年だ。偶然通りかかっただけだから、そんな大したコトしてねェよ。…けど事故…?」

「あ、大丈夫、一時的なものだから。口以外は何も問題ないしね。…それよりも。」

 亜樹は意味ありげな視線を京一と龍麻に向ける。

「随分と、仲が良くなったみたいね?」

「「!!」」

 言われて初めて気が付いた。京一の手はまだ龍麻の肩に乗ったままだったのだ。

慌てて2人揃って飛び退る。

「わ、わりィ!!」

「……………」

 京一の顔が心持ち赤い。普段、女の子を追いかけてばかりいるくせにヘンなところで純情だったりするらしい。

相手がかなりの美少女(本人には自覚は全く無いが)というのも原因だろう。 

 一方、龍麻は。これまた顔が真っ赤になってしまっている。 

京一のスキンシップは転校当初からのものだ。最初は女だとバレないだろうかとびくびくしたものだったが、今では完全に慣れてしまっていた。

なのに、これくらいの事でやたらとドキドキする。スカートを履いている事で、自分を女だと認識せざるを得ないからだろうか。

 亜樹は満足そうに一つ頷くと、更に爆弾発言を放った。

「えっと、では京一君。お世話になりついでに、もう一つお願いしていいかしら。実は今日、た…冬子に新宿を案内してたんだけど、急な仕事が入ってしまったの。もし良かったら私の代わりにあなたがその子を案内してあげてくれない?」

「え…お、俺がッ!?」

(嘘だろ───────ッ!?)

 本気で眩暈を感じる龍麻である。声を出さずに済んだのは、必死で抑えたというよりあまりの事に声が出なかったという方が近い。

要するに、この姉は京一を『イイ男』と認めたのだ。──完全に面白がっている。

「そうね、今が3時だから…5時間後、8時に新宿中央公園で待ち合わせしましょう。必ず、冬子を送り届けてね。コースは任せるわ。ハイ、これはデート費用。」

 もし良かったらと言いつつ、まだ返事をしてないというのに亜樹は財布から1万円札を取り出し、京一の手に無理矢理握らせる。

「お、おいッ、おネエさんッ!?」

「じゃ、キミを男と見込んで可愛い妹を任せたわよッ!」

 言うだけ言うと、信じられないスピードで狭い路地から走り去ってしまった。龍麻に引き止められる前に逃げようという事らしい。

そうして気が付いた時には、この展開に唖然とする2人の男女が残された。

「………お前のネエさん、なんかすげェな………」

 普段の京一なら美少女と堂々とデートできる事にそれこそ小躍りして喜びそうだが、流石にここまで保護者に仕組まれると調子が狂うらしい。 

京一がしみじみと言った言葉に龍麻は力なくこくりと頷いた。それしかできない。

(お姉の馬鹿─────ッ!!バレたらどーすんだよ────ッ!!)

 そうなったら、今まで築いてきた関係が変わる。それが怖い。だから知られたくない。

京一は、自分にとって既にかけがいのない『相棒』で、『親友』だから。

そしてそれは『男』の自分であって、『女』の自分ではないのだ。

…だがここで京一を置いて逃げる事もできなかった。

京一の事だ、無理矢理とはいえ引き受けた以上、心配して必死で自分を探すだろう。

京一はそういう奴だ。騙した上に、そこまでさせるのは気が咎める。それに……。

 ふと視線を感じて横を見ると、京一が複雑そうな顔でこっちを見ていた。

龍麻は余程深刻な顔をしていたらしい。いつになく、遠慮がちに尋ねてくる。

「俺としてはどーせ暇だったし、…トーコちゃんみたいな可愛い女の子とデートできるってのは願ったり叶ったりなんだけど。やっぱ、嫌か?」

(嫌とかそうじゃなくて……って、か、可愛いって………俺が?)

 面と向かって京一に言われ、何故か再び龍麻の顔が赤くなる。

普段男として生活しているのだから、そんな事を京一に言われるのも当然初めてだ。

つい反射的に首をぶんぶんと思いっきり横に振ってしまった。

途端、京一の顔がぱぁっと明るくなる。…やっぱり、単純な奴である。

「そっか!!じゃ、折角だから思いっきり楽しもうぜッ!」

────なし崩し的とはいえ、これで完全に龍麻の今日の予定は決まった。







「ほら、トーコちゃんッ」

 京一が差し出した缶ジュースを、ベンチに座った龍麻は微かに微笑みながら受け取った。

京一は満足そうにへへへッ、と笑うと龍麻の隣に腰掛け、自分もコーラに口をつける。

 場所は、新宿区中央公園。夏の太陽もようやく沈み、街頭がぽつぽつと点灯している。

現在の時刻は午後7時50分。昼間は大勢の人で賑わう公園もこの時間になると随分と静かだ。

「もうすぐ時間、か…」

「……………」

 何気なく言った京一の言葉に、龍麻の胸がちくりと痛んだ。

結局。半ば強制的に始まったデートは、思った以上に楽しかった。

喋れない(振りをしているだけなのだが)龍麻の為に、京一は実に自然にフォローを入れてくれたからだ。

あちこち目的もなく見て廻り、ゲームセンターでは真剣に勝負し、ここのラーメンは最高なんだぜ、と連れて行ってくれた王華で京一お勧めの味噌ラーメンを食べて。

いつも一緒にやってるのとあまり変わらないのに、それだけの事が何故か凄く楽しかった。

 だが。

(俺、どうしたんだろう……)

 龍麻は受け取ったジュースの缶を握り締めたまま、自分に問い掛けた。

俯いてしまったのでさらりと流れた作り物の長い髪の毛が、顔を半分覆い隠す。

───凄く楽しかったのに、それと同時に苦しかったのだ。

あまりにも楽しかったが為に、喋れないのがもどかしかったというのもある。

だが、それ以上に一つの事実が苦しかった。

京一がどんなに話し掛けても、笑い掛けても、それは『龍麻』に対してではない。

それは全部たまたま出会った少女、『冬子』のものだ。

恐らく二度と会う事がない、幻の少女。真昼に見た夢と同じ。それが今の自分だった。

京一にとっては、今まで数多くナンパした女の子と大差はないだろう。1週間もすれば忘れられてしまうに違いない。

 正直…姉の陰謀で京一とデートするハメになって、バレたらどうしようという気持ちと同時に何で気配を消したくらいで相棒が分からないんだよッ、という苛立ちもあった。それならとことん騙し通してやる、という意地と面白いから徹底的にからかってやる、という悪戯心がなかったとは言えない。

(…罰があたったのかな。)

 何故だか分からない。分からないけど、京一を騙したから。だからこんなに苦しいのだろうか。

ふと、龍麻は中学の時に読んだ中国の小説を思い出した。

 花木蘭。男装して父親の代わりに兵役に就き、9年もの歳月を男として過ごした少女。

彼女も親友である青年に自分の正体を最後まで告げなかった。

そして彼女もただ一度、皇帝の後宮に潜り込む為に『女装』したのだが、その時親友と鉢合わせしてしまう。

 …まるで今の自分と同じだ。

彼女は対になっている髪飾りの片方を親友に渡してまた会う事を約束する。

そして全てが終わったその時、本来の姿に戻った彼女は驚く親友にもう片方の髪飾りを示して………。

「………ちゃん。」

 ふいに声を掛けられ、龍麻はようやく我に返った。

顔を上げて隣に座った京一の方を見ると、京一はどこか遠くを見るような眼で前方を見ていた。

「…俺さ、すげェ護りたいモノがあるんだ。」

「……………」 

「俺が護る必要なんか、全然ないかもしれねェ。けど、護りてェ。…護ってみせる。」

 独り言のような、しかし確かな決意を秘めた言葉。 

龍麻には何も言えない。例え声を出せても、何を言ったらいいのか分からなかった。

やがてゆっくりと、京一が龍麻の方を振り返った。

薄暗い公園のベンチで街灯に照らされた京一の顔は今まで見た事がないくらい真剣で、思わず息を呑む。

 そのまま固まってしまった龍麻の顔に、静かに京一の顔が近付いた。



ごく自然な───頬への、キス。限りなく唇に近い場所。



「じゃ、お迎えが来ているみたいだし、俺はこれで帰るな。…また会えたらいいなッ!」 

 今日は楽しかったぜ、と手を振って走り去る京一を、龍麻はただ呆然と見送るしかできない。

ごとん、と封を開けていないジュースの缶がベンチの足元に転がった。






「…うまく隠れていたつもりだったんだけど、見つかっちゃった。京一君、渡したお金、全部返してきたの。初めっから自分が誘うつもりだったからって。イイ子じゃない♪」

「……………」

「…龍麻?」

「………あんの、スケベ男がぁッ!!あいつは女だったら誰でもいいのかッ!!!」

 そして満足そうに現れた姉と対照的に、真っ赤な顔をした龍麻の叫びが夜の中央公園に響いたのである。








 ─────後日。

「……自分の気配を『完全に』消せる『女』が東京にどれだけいるってんだよ。妙なところで抜けてるんだよな、あいつは。」

 真神学園の屋上でいつもの如く生物の授業を自主休講していた京一の、苦笑混じりの言葉を聞いた者は誰もいない。






 中国の伝説の少女は、最後には親友──愛する人と結ばれる。

そして龍麻も、いつの日にか現代の伝説の少女として────────────………

 





         【突発でも一応やってる恒例座談会】

京一「おおッ!なんか俺、カッコイイじゃねェか!!」

    ↑別の話でかなりカッコ悪かった分、この程度でそう思えるらしい。

龍麻「…いつから、気付いていたんだよ。」

京一「んなの、会ってすぐに決まってんじゃねェか。俺がひーちゃんの顔を見間違えるワケないだろ。」

龍麻「……俺が、女だという事は?」

京一「んー…もうちょい前、くらいからか。お前が隠そうとしてたから、黙ってたんだけどな。」

龍麻「………何で、分かった?」

京一「そりゃー、偶然とはいえそのムネを見れば………ってしまったッ」

龍麻「…………秘拳・黄龍─────ッ!!!(怒りと恥ずかしさで真っ赤)」





座談会で言ってた別の話とは、『龍の娘』です。
あの女主が強烈だったので突然こーゆークサイ話を書きたくなったのでした。
単に『鳴瀧冬子』という名前を出したかったというのもあります☆(おい)
あ、因みに花木蘭は実在の人物ですよ〜。