【約束〜京一〜】





「ここか……」

 京一は肩に担いだリュックを地面に下ろしながらつぶやいた。

目の前には荒涼とした大地と岩々、そして無数の池が広がっている。

 中国に来て一ヶ月。偶然、修行にうってつけの場所が存在する事を知った。何日も険しい山道を旅して、ようやくこの山奥の秘境とも言える場所に辿り着く事ができたのだ。

「ひーちゃん………」

 少し気が緩むとすぐに、かつて生死を賭けて共に闘った親友…いや、愛しい女性の顔が頭に浮かぶ。

京一は自嘲気味に小さく笑った。自分で決めた事なのにまだ未練があるらしい。






 緋勇麻央。

古武道の使い手にして龍脈を支配する事のできる『黄龍の器』。

初めて会った時は無口で華奢な野郎だと思った。宿星に導かれ共に戦うようになっても(もっとも、宿星うんぬんを知るのはずっと後の事だったが)、態度、言葉使い、何より戦闘能力からいって男としか思えなかった。気が合って、一緒にいると楽しかった。親友であり最高の相棒、だった。あの時までは。

ある事件がきっかけとなって、奴が実は女だったと知った時の衝撃は忘れられないだろう。だが妙に納得する自分もいた。長い前髪に普段は隠された顔立ちは綺麗と言っても良かったし、今思い出すと確かに男としては不自然な所があちこちにあった。そして何故こんなにも自分が麻央に惹きつけられられたのか…その答えの一つが解った気がした。

 女だとバレた後も麻央はそれまでと態度を変える事はしなかった。

仲間達に対しては一言、「今まで騙していてごめん」と謝ったが、あとは言葉使いを改めるでもなく、相変わらず学ランで登校し、戦闘では先陣に立って得意の蹴りを放つ。さりげなく麻央を庇おうとした醍醐はものすごい目で睨まれていた。

 これが麻央の出した答え。何もかも今まで通りでいたいと無言で言っていた。重過ぎる運命は普通の『女の子』には辛いのだ。もしかしたら学ランは彼女の心を護る鎧だったのかもしれない。

 だから京一は最後の闘いが終わるまで麻央の親友であり続けた。背中を預けて闘った。麻央も京一の気持ちに気づいていたのか、京一に背中を預け、それまでと同じ態度で接していた。

 柳生、そして『陰の器』との決戦は熾烈を極めた。京一の技が殆ど効かない。仲間は皆満身創痍となり、一瞬諦めが頭を掠める。

そんな中、戦況に一筋の光を差したのはやはり麻央だった。皆を励まし、指示をとばす。そして自ら敵の懐に飛び込み、ぼろぼろになりながらも秘拳を連発した。京一は必死で彼女の元に行こうとしたが既に体が思い通りに動かなかった。気を失いそうになりながら、やっと辿り着いた時、麻央の身体から最後の氣が放たれ……全ての決着がついた。

 異空間から戻り、境内の外に出ると朝陽が眩しかった。麻央は京一の腕の中で静かな寝息をたてていた。美里の治療で傷は目立たなくなったが、学ランはあちこちが無残に裂け、白い肌が見える。

 思っていた以上に軽くて柔らかい感触に京一は愕然としていた。

極力考えないようにしていたが、そこにいるのな紛れもない女だった。

自分が心から惚れた女。全てが終わったら気持ちを打ち明けようと思っていた。彼女が自分を友としか思ってなくてもいい。ただ、伝えたかった。彼女が自分を偽る必要がなくなった時、それができると思っていた。だが…。京一は苦笑した。

 自分は、こいつにはまだ、相応しくない。肝心な時に何の役にも立たなかった。

相棒として、俺も力になってやるつもりだったのに。

麻央を護るどころか、護られてしまった。力の差は明らかだった。

こんな華奢な腕に、東京の未来を全て押し付けてしまった。

 その時、決意した。一人で修行しよう。以前、龍山のじいさん家からの帰りに冗談っぽく麻央に一緒に中国に行こうと言った事がある。あの時はまだ女だと知らなかったのだが、こいつと一緒なら修行も楽しいだろうと思ったのだ。麻央はやはり冗談だと思ったのか、それは退屈しないだろうな、と珍しく少し楽しげに答えていた。

…あの話を覚えているだろうか。忘れていたならいい。もし覚えていて、あれを本気だと思っていたとしても…今の自分にはその約束を守る事はできない。その資格がない。麻央を護るとまでいかなくても、最低、肩を並べられるまで強くならなければ告白はおろか、彼女の横に立つ事もできない。それを今日、嫌と言うくらい思い知らされた。

 だから、京一はその後も卒業式まで麻央に対してあくまで友人としての態度を崩さなかった。もしかしたら少しよそよそしくなっていたかもしれない。

麻央は京一の変化に気づいたのか、一度、僅かに悲しげな表情を京一に向けたが結局何も言わなかった。

 そして卒業式の次の日、京一は誰にも出発の日付を知らせないまま中国へと旅立った。何時になるか分からないが、強くなって…堂々と麻央に気持ちを伝える為に。

それまで逢えないのは正直、辛い。

いざ帰って来ても既に彼女には恋人がいるかもしれない。

 だが、これが自分なりのケジメだった。






「きょーいちーッ!!」

 聞こえるはずのない声に京一は目を見開いた。

そんなまさか。ここは中国、それも何処とも知れない山奥。

どうやらマジで精神修行に励まなければヤバそうだ。

幻聴だと無理に自分に言い聞かせ、声を無視していると、 

「京一ッ、聞こえないの!?」

 またしても何処からか声が聞こえた。たまらず、耳を塞ぐ。重症だ。

「秘拳・鳳凰ーッ!!」

 突然、後ろから襲ってきた強烈な氣が京一を5メートル程吹き飛ばした。

「どわぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」

 派手な音を立てて、たまたま前方にあった池に頭から突っ込む。あまりの事にパニックになりつつも、何とか京一が水面に顔を出した時には幻聴の正体が呆れ顔で池の淵から京一を見下ろしていた。

「呼んでるんだから、無視してないで返事くらいしなよ。」

「ひ、ひ、ひ、ひ、ひ、」

「何笑ってんだよ。」

 お約束の台詞を吐いた後、緋勇麻央は勝ち誇ったように説明する。

「お前が日本を出た後すぐに私も出たんだ。で、片っ端から京一が行きそうな所をチェックしてった訳。劉を道案内にしてね。」

 確かに、それどころじゃなくて今まで全く気づかなかったが、少し離れた場所で劉弦月がこっちをにやにやしながら見ている。劉ならこの広い中国でも修行場の予想くらいできるだろう。通訳としてもこき使われたに違いない。

「……ひーちゃん……なんで……」

 ようやく池から這い上がりながら(ダメージは大きいがどうやら少しは手加減してくれたらしい。そうでなければ沈んだまま浮かんでこれなかっただろう)京一は麻央を見上げた。グレーのパーカーに白いトレーナー、黒のジーンズ。思えば学ラン以外の麻央を見たのは初めてかもしれない。男物のようだが、よく見れば微妙な身体のラインが女である事をほんの少しだけ主張している。

「約束、したろ?中国で一緒に修行しようって。」

 麻央はそれが当然のように答える。

京一は思わず声をあげた。握り締めた拳が僅かに震える。

「俺はお前ほど強くねぇ!まだ、お前と対等になれないんだよッ!なのに、なんでそんな事言うんだッ!」

 せっかく決心したのに、そんな事を言われたら気持ちを押さえられない。

「馬鹿言うな!」

 京一の声に負けないくらいの大声。長い前髪の陰で麻央の目が光っていた。京一は驚いて少女を見返す。

「私がどれだけ京一に救われたか分からないのか!何時だって私の力になってくれた。女だってバレた時も誰よりも私の気持ちに気づいてくれた。最後の闘いの時だって京一がいたから、頑張れた…………」

 最後の方は消え入りそうな声だった。いつも自信に溢れ、堂々としていた麻央だが、こんな声を聞いたのも初めてだ。そういえば「私」という一人称を聞いた覚えもない。麻央は全てが終わり、高校を卒業して、やっと本当の『緋勇麻央』になれたのだろう。

普通の女の子に。

そして、自分を追いかけてきてくれたのだ。京一は胸が熱くなるのを感じた。

 今はまだ、対等に闘えないかもしれないが、きっと追い抜いてみせる。護れるようなってやる。いっそ、二人で修行した方が成果も上がるかもしれない。

そこまで考えて、自分のお気楽さに心の中で苦笑する。考えて、やっと決心したのに。

要するに、やはり、離れたくないのだ。一番大切な人だから。久しぶりに逢って再認識させられた。

少し戸惑った後、京一はそっと麻央を抱き寄せる。麻央の身体が微かに緊張した。

「ったく、何の為に黙って出発したんだか………」

「馬鹿、冷たいだろ、服が濡れる。」

「誰のせいだよ。」

 他愛のない会話が続き……やがて二人はお互いの顔を見つめた。







 劉は気づかれないようにその場を離れた。麻央が一緒に京一を探してほしい、と必死の表情で頼みに来た時の事を思い出す。ああやっぱり、と思った自分とひどく寂しい気分になった自分。どっちも本当の気持ちだ。

「でもまぁ、アニキ…いやアネキは今までずっと辛い経験をしてきたんやから、いいよな……」

 けど。ワイもまだ諦めへん。今日のところは大人しく引き下がったるけど、もうしばらく、二人について行って邪魔したる。京一とは別の所で、密かに決意を固める男がいたのであった。






まだこの頃は座談会もありません。
うぎゃ〜、昔書いた話ってなんか妙に恥ずかしい〜。
けどこの頃から既にシリアス→ドツキ漫才の図が完成してたのね…。