【タイセツナヒト】 1999年、8月。夏真っ盛り。 庭の木の陰では東京では珍しい筈の蝉が煩いくらいに自己主張しており、もうすぐ夕方だというのに茹だるような熱気が今も容赦なく日本を覆っている。 何かというと世紀末だとか20世紀最後だとか訳知り顔で説かれる昨今だが、この暑さは確かに異常なのかもしれない。 この僕でさえそう思わせる程、このところ暑い日が続いていた。
「……息してる……」 「それは聞かなくても分かる。」
大学が休みなのをいい事に、毎日のように人の家に上がり込んでは座敷でゴロゴロと転がっているその物体の名を、緋勇 真(性別・女)と言う。 …ほんの8ヶ月ばかり前に東京を大いなる災厄から救った英雄──《黄龍の器》の筈なのだが。 だらしなくも畳にごろんと寝転がった姿を見て、それを信じる者は誰一人としていないだろう。
つまり彼女は昼寝をする為だけに新宿から北区のこの店まで通っているのだから呆れてしまう。 去年の今頃はいろいろあってのんびりする余裕がなかったからというのが彼女の言い分だが、電車に乗ってここまで来る労力はどうなるのかという素朴な疑問は拭えない。 尤も、彼女がこの店に入り浸るのは今に始まった事ではないから、それこそ今更という気もするのだが。 因みに。一応、今では世間一般でいうところの『恋人同士』という肩書きが当て嵌まる僕達だが…いかんせん、それまでがそれまでだったので傍目には何の変化もあったものじゃない。
「…水の固まりって…それとボロいは余計だよ。」 「な、ちょっと奥義で噴水でも出してくれへん? 見た目にも涼しくなるやろうし。」 「…断る。僕の《力》は水芸じゃない。」 「ケチ〜守銭奴〜去年、散々オレに自分の武器を買わせたくせに〜。」 「その分、ピザだのミイラの手だのロクでもないものを腐る程売りつけられたけどね。」 「エッチな白衣を買い取る骨董屋もどうかと思うんやけど?」 「……………」
お互い性格を変える気は更々ないのだから当然と言えば当然なのかもしれないが、何か違うだろうという気もする。 僕は苦笑を浮かべると、一旦座敷を退出し。 再び戻ってくると、麦茶と氷の入ったグラスを未だ畳に寝転がったままの彼女の頬にぴたりと当てた。
「とにかく。その恰好でいつまでもゴロゴロしてると営業妨害で訴えるよ。」
その性格と言葉使いに反し、この娘は美少女(少女と呼ぶにはそろそろ無理がある年齢ではあるのだが、どうもまだ女性という雰囲気ではない)と言っても過言じゃない顔立ちと華奢ながらメリハリのある体つきをしていて。 少し癖のある栗色の髪が畳に散らばる様も、見方によっては艶かしくすらある。 それを分かってるのか分かってないのか。 彼女はようやく上半身を起こし、ごくごくと喉を鳴らして美味しそうに麦茶を飲み干すと、僕に不敵な笑顔を向けた。
「……………」
店と座敷を繋ぐ障子を、後ろ手に閉める。
ゆっくりと彼女の傍に膝をつき、白い肌に顔を近づけると、その首筋に唇を落とす。 紅い所有印がうっすらと浮き上がるのを横目に、そのまま剥き出しの鎖骨から肩へと手を這わせ。 キャミソールの肩紐をするりと外すと、その下に着けていた下着が露になった。
みるみる彼女の顔が真っ赤に染まり、緊張が走る。 次の瞬間。
「これって……」 「浴衣だよ。見て分からないかい?」
珍しく口をぱくぱくさせている真に、僕は改心の笑みを浮かべた。 そのまま浴衣の前を合わせ、帯を手に取る。 これも先程麦茶を取りに行った時に持ってきたものだ。
「!…それってもしかして…」 「ああ。昔、母が着ていたものだ。ちゃんと洗って干してあるから心配しなくていい。」 「そうじゃなくて!! オレが、そんな大切なもの…」 「言っただろう。『緋勇 真』に着て貰いたいんだよ。」
僕にとっては…誰よりも大切な人。 僕を飛水家の人間ではなく、ただの如月翡翠にしてくれた。 それが、彼女だから。
「……………うん!!」
庭の木に止まっていた蝉が、一際大きく鳴いた。
如月「……作者の気まぐれには慣れてるつもりだったが……」 真 「なに難しい顔してるんや。ホラ、とうもろこし買って来たで♪」 如月「………君は気楽でいいね。さっきまで畳で伸びていた人物とは思えないよ。」 真 「人生楽しまなきゃ損ってな♪」 如月「………ところで。さっき浴衣を着せようとした時、さり気なく《氣》を溜めなかったかい? かなり命の危険を感じたんだが。」 真 「あははははは。だっていきなりだったから、つい。如月が悪いんやで?」 如月「………………(溜息)」 諦めろ如月。下手に紳士過ぎるお前が悪い(笑)。by作者の心の声 ま、まぁ、暑さで茹ったアタマで急遽思い付いたアホ小話という事で。 |