【一番長い夜】





 しん、という音がしそうなくらい静かな夜。

ベッドに身を投げ出してからどれくらいの時間が経ったのだろう。

うつ伏せになったままゆっくりと首を回すと、電気の消えた部屋で辛うじて視界に入った目覚まし時計の短針──蛍光塗料が塗られている──はそろそろ午前3時を差そうとしていた。

冬も深まりつつある今、暖房も入っていない部屋は冷たい空気が充満していて。

それでもなんとなく掛け布団に入る気分にもなれなくて。

あたし──緋勇麻稚はさっき帰って来た制服姿のままベッドに寝転がり、ただぼんやりとしていた。

───と。






 ピンポーン。

いきなり、前振りもなく非常識な音がマンションに鳴り響いた。

「……………」

 無視。こんな時間に女の子の一人暮しの家を訪ねるなんて馬鹿、知るもんか。





 ピンポンピンポンピンポーン。

「……………」

 だけど何処かの馬鹿は全く気にする事もなく、チャイムを鳴らし続けて。





 ドンドンドン。

「あんの、馬鹿…ッ!」

 あげく近所迷惑も考えずドアを力任せに叩き出されては流石のあたしも堪らず。

慌ててベッドから飛び起きるとダッシュで玄関に向かう。





 ドンドンドンドンドン。

「ああもう、分かってるってば!!」

 近付く程にはっきり感じるこの《氣》を間違える筈もない。

廊下の電気をつけ、チェーンを外すのももどかしくようやく玄関の扉を開けると。





「麻稚。寝よう。」




「……………」

「……………」

 たっぷり20秒の沈黙がその場を支配した。

あたしはにっこりと真夜中の来訪者に微笑むと、静かに《氣》を拳に溜める。





「寝言は寝てから言ってね、蓬莱寺クン?」

「ま、待て麻稚ッ!!冗談だって、タンマタンマッ!!」

「───冗談は時と場所を選べッ!!」





そして───午前3時5分。新宿の某マンション前に光の龍が立ち昇った。









「……お前なぁ、ちっとは手加減ってもんをしろよ……」

「うっさい、そんな事言うなら今すぐ追い出すわよッ!」

 結局。それから数分後、あたしはやむなく非常識極まる男…蓬莱寺京一を家に招き入れるハメになった。

さっきの騒動でご近所が騒ぎ出してしまったので(そりゃそうだ)、追求を逃れる為には仕方ないと言えば仕方ないんだけど。

自然、溜息が出る。

 一方、京一はというと普通の人間なら瀕死は確実な怪我から逸早く復活し。

来る途中に買ってきたのか、リビングに入るなり早速コンビニ弁当を頬張ってるのだからいい気なものだ。

因みに京一も今のあたしと同様、こんな時間に制服姿である。

「で?」

「ん?」

「何だって今ココにあんたがいるのかって聞いてるの!」

 そりゃー、あたし達は一応『相棒』で?

いつも馬鹿な事を言っては喧嘩して、お互い遠慮の欠片もなくバトルを繰り返している間柄…言ってみれば気を許した仲ではあったけど、少なくともこんな時間にこいつを家に入れた事はない。

これでもあたしはケジメには煩いのだ。

「ああ、それなんだけどよ。」

 京一は神速でハンバーグ弁当を平らげると、ペットボトルのお茶を飲み干して。

横で腕組みしているあたしに向かって、カーペットに胡座をかいたままにかっと笑ってみせた。

「泊めてくれ。」

「ヤダ。」

 即答。コンマ1秒もタイムラグなし。

「麻稚…お前、それでもトモダチか?」

 京一が何とも情けない顔をするが、知った事じゃない。

あたしはひとつ息を吐くと、キッと目の前の男を睨み付けてやった。



「ついさっきまで何日も行方不明やってた親不孝者は、さっさと家に帰ってご両親を安心させろ。
 以上。リーダーとしての命令!!」



 言うと同時にびしっと指をその鼻先に突き付ける。

───そう。京一はほんの数時間前…葛飾区の地下鉄で再会するまで、ずっと行方不明だったのだ。

死んだ、と言われていた。

結局それはあっちの勝手な誤解で、京一はこの通りしっかり新しい技を習得して戻って来て。

そして一連の事件に終止符を打ち、どうにかタクシーを捕まえて新宿に戻ったあたし達はそれぞれ自分の家に帰った筈だった。




「それがよ。俺ん家に入れなかったんだな、これが。」

「はぁ?」

 しかし。あっさりと応える京一に思わずマヌケな言葉を返してしまう。

「どうも俺が留守してた間、親父とお袋は旅行中だったらしくてさ。窓から何からしっかり鍵が閉まってんの。まぁ俺が長い間家を空けるのなんか昔から珍しくもねーしな。窓を割って入ったりしたらそれこそ通報されちまうじゃねェか。で、冬の寒空の下野宿するのもナンなんでココに来た、と。」

「何それぇ!? …ってだからどうしてココなのよッ!」

「他に誰がいるってんだよ。醍醐んトコだって親父さんがいるし、こんな時間に迷惑掛けれねェだろ。」

「あたしはいいのか、あたしは!!」

「そこはそれ、相棒のよしみで。」

「あんたねぇ!!」

 本気でアタマ痛くなってきた。こいつ、あたしを何だと思ってるんだ。

確かにあたしの家なら気兼ねも何もいらないだろうけど、だからといって普通夜中に女の子の一人暮しの家に押し掛けたりする?

…絶対、あたしを女だと思ってないなコノヤロウ。

分かってはいたけど。かく言うあたしもこいつをそういう目で見た事はないけど。

あたし達はあくまでトモダチで相棒で、お互い男女の恋愛感情なんかこれっぽっちも持っていないのは明らかで。

だからこそ、さっきの「寝よう」なんて冗談も冗談で済むんだけど。

どうせ京一の好みはあたしとは正反対の、素直で可愛いくてナイスバディの女の子なんだし?

………なんか、ムカつく。

「だいじょーぶだって。色気の欠片もねェヤツに手を出すほど俺も飢えてねェ………」

 ガキッ。

瞬間、あたしの必殺踵落とし(当然スパッツ着用中)が京一の頭上に炸裂した。

しかし京一も慣れたもので。今度はしっかり愛用の木刀でガードしてる辺り、侮れない。

それが余計にムカつく。

「〜〜〜勝手にしろ、馬鹿ッ!!」

 ばたんっ。

あたしは真っ赤な顔で捨て台詞を吐くと京一をそこに残し、寝室へと駆け込んだのだった。








 ぼすっ。

重力に任せてベッドにダイビングし、そのままクッションを抱え込んだ。

こんな事ばかりしてたらセーラー服が皺になるのは間違いないけど、それも敢えて考えないようにする。

どうせチャイムが鳴る前もこうしてたんだから今更だ。

───馬鹿。最低。

暗い部屋の中で、あたしの頭をぐるぐると同じ単語が回っていた。

何でこんな気持ちになるんだろう。

イライラは募るばかりで。





 とん。

ふいに、寝室のドアが小さく音を立てた。

向こう側から何かが寄り掛かったかのような、少しくぐもった音。

「………麻稚。」

 ドア越しに掛けられたいつものあいつらしからぬ静かな声に、一瞬身体が強張る。

「心配掛けちまって…悪かった。」

「……………」

「俺は、ここにいるから。」

「……………」

「もう、お前の傍を離れねェから。」

「……………」




「───だから、安心しろよ。」




───馬鹿。本当に馬鹿なんだから。

…知らず、あたしの頬を温かいものが流れていた。




「…ふ…ッ…」

 声が出そうになるのを抑え。

慌てて布団を被り、クッションに顔を埋める。





───どうしてこんなに勘が鋭いんだろう、あいつは。




 ずっと、怖かった。

京一を『始末』したという手紙が来た時も、皆の前では「あの馬鹿が死ぬ筈ない」なんて笑って強気な発言をしてたけど、本当は凄く不安だった。

生きてるって信じてたけど、不安は増すばかりで。

ここのところ、ずっと満足に眠れなかった。

目を瞑ると、京一が真っ赤な血に染まっている姿ばかり目に浮かんで。

それが現実になりそうで、眠るのが怖かった。

 そして今日、無事な京一と再会しても。

顔を見て早々、今まで皆に心配掛けた罰として思いっきり鉄拳を振るっても。

今度はそれが夢なんじゃないかって。

全部あたしに都合のいい夢だったんじゃないかって。

目を閉じて朝になれば、また京一が何処かに行ってそうな気がして。

今度こそ本当にあたしの前から消えてしまいそうで。

怖くて怖くて堪らなかった。




 皆、あたしを強いと言ってくれる。

頼りにしてくれている。信頼してくれている。

だけど本当のあたしはそんなに強くない。

背中を預けるヤツ……京一がいないと、何もできない。 




そして京一はそんなあたしに気付いていたのだ。

だから、ここにいる。





───この、最低男。

散々ヒトに心配掛けといて。

そのくせ、その気もないくせに女の子に優しいトコ見せるんじゃないっての。

この分じゃ家が閉まってた云々という話も怪しいものだ。

………その調子で誤解されても、知らないから。







 京一の《氣》がふわりとドア越しに感じられて。

久しぶりに感じる安堵感に一気に緊張の糸が切れたあたしは、気が付けばクッションを抱えたまま深い眠りに落ちていたのだった。








「────俺、お前が好きだ。」

 夢の中で微かに聞こえた言葉は、もしかしたらあたしの願望……だったのかもしれない。












「…………最悪。」

「あん?」

「どーしてあたしまで京一と一緒に学校をサボる事になるワケ!? 起こしてくれたっていいじゃないッ!」

「細かい事は気にすんなって。ほら、メシ出来たぞ。」

「あんたも何ヒトの家の台所を勝手に仕切ってんのよ!!」

「そだ、牛乳切れてたぜ。お前もっと牛乳飲んで成長させた方がいいぞ、そのムネ───」

「………あたしの話を聞け────!!」  

 すぱこーん。

大きなお世話とでも言うべき殺意を煽る台詞をすっぱり無視し、盛大に顔面に叩きつけられたスリッパの音がマンションの一室に鳴り響く。




───明けて翌日。

不覚にも昼近くまで寝過ごした(京一のヤツ、ご丁寧にもセットしてあった目覚ましを止めてくれたらしい)あたしと京一は相変わらずで。

「コノヤロ、俺の美貌に傷がついたらどうしてくれる!!」

「なーにが美貌よ、あんたこそいつまでも寝惚けてるんじゃないッ…ってそれより学校どーすんのよ!!」

「あーそういやさっき、美里から電話あったから今日は休むって言っといたぜ。」

「なッ…まさかあんたが電話に出たの!?」

「お前、爆睡してたんだから仕方ねェだろ。……あいつ、妙に分かったような事言って切りやがった。」

 くらり。

足元がぐらつく。目の前が真っ暗になるというのはこういう事を言うのかもしれない。

「うぅ……京一を泊めて次の日にサボりだなんて、絶対ヘンな誤解されてる〜……」

 よりによって葵。いや確かにあたしが学校を休んだりしたら真っ先に心配してきそうなのは葵なんだけど───確実に今頃、仲間全員に伝達がいっている。

皆の顔…特にこういう話題が好きそうなメンバーが次々と頭に浮かび、あたしはどうしようもない疲労感に襲われた。



───京一、コロス。



思わず拳を握り締めるあたしを誰が責められようか。





「あのなぁ、俺だって災難だっての。くそ、俺の清いカラダが疑われるとは蓬莱寺京一、一生の不覚ッ。」

「あんたが言うな、あんたがぁッ!!」

「こうなりゃいっそ、既成事実でも作るか?」




………………一瞬の、隙。掠ったように触れる唇。




「な、な、な、な…ッ」

「オハヨウの挨拶はお約束ってな。」

「何考えてんのよ、このエロ猿が─────!!」




 ゴッ。

鈍い音をさせて交差する拳と木刀。




「てめ、マジで俺を殺る気だったろ、この凶暴女!! 軽いアメリカンジョークじゃねーかッ!!」

「ここは日本だッ!! やっぱ一回本当に死んで来い、女の敵!!」







───やっぱりあたし達のバトルは、まだまだ終わりそうもない。






 結局これがいつものあたし達。

意地っ張りで素直じゃない、あたし。

お調子者のくせに肝心なとこでは全然本心を見せない、京一。

でも。






今はまだ────こんな関係があってもいいよ、ね?








               
【サイト用だよ座談会・辻褄合わせが大変だの巻(滅殺)】

麻稚「えーと。ども、お久しぶりです。幸か不幸か(オイ)、またしても登場の麻稚です。

   …って、あぁ!! この本文、ラストの会話がゲスト原稿と違う!?」

京一「おう。ナンでも、京女主本用に書いた時点では全く続かせる気はなかったんだとよ。

   大体それまで麻稚は『一番長い日』前後番外編に登場したけど突発扱いだったじゃねーか。

   今回もゲストに招かれて浮かれたはいいが、他の女主でネタが纏まらなくて切羽詰って、

   急遽苦し紛れで昔書いた俺達を引っ張り出して来たらしいぜ。

   で、そこで止めときゃいいのにあの馬鹿、ネタの神様が降って来たとかフザケた事言って、

   この話が公に世に出る前に(滝汗)続編を出しただろ。

   まぁ続編でも1話完結だから、それはこの話がなくても特に不都合はなかったらしいが、

   シリーズとして後で続けて読んでみると微妙に気になる点があった、と。仕方ねェから、

   まだサイトにアップしてなかったこっちの方を今回のアップを機にムリヤリ弄ったんだと。

   …ったく行き当たりばったりにも程があるぜ。」

麻稚「作者もあんたに馬鹿って言われたらお終いだよね…。で、気になる点って何だったの?」

京一「………どうしても知りたいか?」

麻稚「な、何よ複雑な顔しちゃって…」

京一「分かる人にゃ分かるだろーから言ってもいいけどよ…つまり、ラストの俺の態度だな。

   原本の方は麻稚をからかってバトルしても、周りには誤解されたままでもいいというか…

   畜生、惚れてるのがバレバレで馬鹿ップルがじゃれてるようにしか見えねェんだよッ!

   それで完結するならいいが、この後の続編で高見沢や美里に話を振られた時に麻稚との

   仲を思いっきり否定してるじゃねーか俺。実際関係も殆ど1作目から変わってねェし。

   だから次の話に続いて不自然にならねーように、この話のラストで皆の誤解には否定的、

   キスもあくまで軽い冗談、俺達は悪友のまま、という形にする必要があったんだとさ。

   ぱっと見ただけじゃどこが違うか分からねェし、作者の自己満足の範囲内の事だけどな。」

麻稚「…それであたし、京一に弄ばれてたワケか…不幸な女主まっしぐらだなぁ…(遠い目)」

京一「だから人聞きの悪ィ言い方すんな、俺のせいじゃねェっての!! じゃあ何か!?

   いっそあの時本当に襲ってやった方が良かったってのか!?」 

         ガッ。←踵落としと木刀が交差した音

麻稚「んなワケあるか!! 何処をどう取ったらそういう結論に行くのよッ!!」

京一「………分かってるだろ。俺は、もう麻稚しか見えねェんだぜ………?(低い声で囁き)」

麻稚「………京一………。それはあたしだって………ッ!(頬を染めて上目使いに)」

京一「……………」

麻稚「……………」   

        ガキィッ。←廻し蹴りと木刀が交差した音

京一「へへッ…油断させといてやるじゃねェか。(にやり)」

麻稚「お互い様でしょ。伊達に『相棒』やってないってね?(にこり)」

京一「へへへへへ…」

麻稚「ふふふふふ…」

       こうしてこの日も低レベルな闘いの火蓋は切って落とされたのだった。劇終。






    かなり存在を忘れていたのを発掘したのでまた忘れないうちにアップ(汗)。
懐かしいなぁこのノリ…幻水じゃあり得ないわ(笑)。
実はこの二人で最終決戦後の話、
R指定予定(!)で半分まで書いた話もあったのですが、
それが今後完成して公にアップされる事は…あるの…か?