【一番長い日〜前編〜】 「うー…」 あたしは小さく唸り声を出して意識を覚醒させた。 低血圧で朝に弱いあたしが目覚ましの鳴る前に起きるのは珍しい。何だか嫌な夢を見たような気がするけど、そのせいなんだろうか。 喉の調子も悪いし、風邪でもひいたかもしれない。 ぼんやりと目を開け、取り敢えず時間を知りたくて枕元の時計を探そうとして。 「…………………………へ?」 我ながらマヌケな言葉を発してしまった。 「ここ…何処?」 壁の時計で時刻は6時10分だと分かる。だけどようやく明るくなり始めた今、目の前に広がるのは…この春から住んでいるマンションのあたしの部屋じゃない。 グレーのカーテン。黒のパイプハンガー。漫画雑誌やらTシャツやらが散らかった床。 こんな部屋、あたしは知らない。…じゃない、何処かで見たような覚えはある。 あれは何時だったか、寝坊して待ち合わせに来ない馬鹿を叩き起こしに来た事があるような…。何とも言えない胸騒ぎを感じてそのまま視線を徐々にずらす。 「やっぱり─────ッ!?」 視界に入ったモノを見て、あたしの予感は当たった事が判明した。 ───そこには見慣れた紫色の包みが立て掛けてあったのだ。トドメは真神の学ラン。 「……………」 まっっったく身に覚えのない事に、自分でも顔が蒼白になっているのが分かった。 ───ばっ。 慌てて、さっきまで自分が潜っていた布団を捲る。 「………いない………」 どっかで見たドラマのように自分の隣にその人物が寝ていないのを確認し、あたしは少しだけホッとした。 もし、今この状態でそいつを見て──あまつさえ、ハダカだったりしたら──あたしきっと、パニクって奴ごとこの家を破壊してしまう。冗談抜きで。 あいつを嫌いな訳じゃない。嫌いだったら背中を預けたりしない。 が。恋愛対象として見たコトすらない男と同じベッドで朝を迎えて(それも全然覚えがないのに)平然としてられる程、あたしは世間擦れしていないのだ。 続けて…これが一番重要なんだけど…自分が今どういうカッコをしているのか確かめようと恐る恐る視線を下げて。
早朝の新宿にチャイムの音が響く。ここはあたし──『緋勇 麻稚(まち)』が一人暮ししているマンション。 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン!! もう、何だって自分の家に入るのにこれだけチャイムを鳴らさないと駄目なワケ!? 鍵がないから仕方ないとはいえ、ピンポンラッシュなんか今時流行らないっての!! 近所迷惑だって思われてるんだろうなぁ…これからのお付き合い、難しくなったらどうしよう。っていうか、女の子の部屋にこんな時間に『こんな奴』が訪ねてくる時点で、変な噂になるよね…。 鳴瀧先生、折角ここを世話してくれたのにすみません。そしてお義父さん、お義母さん、あたしは潔白です信じて下さい(泣)。 『あー…うっせェなぁ……』 ようやくドア越しに小さな声が聞こえる。あの馬鹿、やっと起きたな。あたしもそうだけどあいつの寝起きの悪さも相当なものだ。 『……………』 しばしの間。妙な沈黙が訪れる。やっぱ、嫌な予感は当たった…らしい。 その気持ち、よく分かるけどね。 『……なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁ!!?』 案の定、廊下までマヌケな絶叫が響き渡る。お前は松田優作か。なんて一昔前のツッコミを入れてる場合じゃない。 あたしはドンドンと扉を叩き、中でパニクっている奴に声を掛けた。 「京一、居るんでしょ!?さっさと開けてよ!!」 ガタンッ。ドタドタ。ガチャッ。 派手な音が聞こえ、オートロックの扉が中から開けられる。 「なっ…おま…俺…ッ!?」 「…話は後。とにかく、中に入れて。」 あたしは入り口で赤のタータンチェックのパジャマ姿のまま口をぱくぱくしている女の子…『あたし』を有無を言わさず押しのけて部屋に入ると、扉の鍵を閉めたのだった。
「……………」 リビングで、男女二人が向かい合って仲良く朝食を摂る。 メニューは京一を無視してキッチンに直行したあたしが手早く作った、スクランブルエッグとウインナー炒めとトーストとコーヒー。デザートにヨーグルト。 作ってる間に、ぼーっとこっちを見ていた…というかまだ状況を理解していない京一を洗面所に追いやって洗顔と歯磨きをさせておいた。 因みに《腹が減っては戦はできぬ》はあたしの座右の銘だ。京一の家じゃ勝手が分からないし、そもそもそんな余裕なかったしね。 「…ごちそうさま。」 コーヒーカップを置き、ひとつ息をつく。 「…さま。」 現在の時刻は7時半。京一もほぼ同時に食べ終わる。と。 「どーゆーコトだ、てめェ──────ッ!!」 「あたしだって知らないわよ、馬鹿──────ッ!!」 「『わよ』だぁ!?俺の声で気持ち悪ィ話し方すんな──────ッ!!」 「そーゆー事を言ってる場合か────ッ!!あたしだってそんなに口悪くないッ!!」 椅子を蹴倒し、詰め寄る『あたし』の姿をした京一に、『京一』の姿をしたあたしが負けずと言い返した。 確かに決して可愛い系とは言えないこの声で女言葉は聞いてて自分でも寒気がするけど、そんな事は今はどーでもいい。 ───何が哀しくてあたし…『緋勇 麻稚』と『蓬莱寺 京一』の心と身体が入れ替わる必要があるのか。 「…けどまぁ、こーゆー状態にするコトの出来そうな人物に心当たりがない訳じゃないのよね…」 「…………だな…………」 お互いにがっくりと肩を落とすのが情けない…。京一も私も思うところは同じだ。 昨日の旧校舎帰り、こっちを見て何やら意味ありげに笑った少女の姿が瞼に浮かぶ。 その時は特に気にもしなかったんだけど。 …ミサちゃん…頼むから他人を実験に撒き込むのは止めて…。 「…取り敢えず。ガッコに行って裏密を捕まえるのが一番の早道って事か…」 「そ。だから、あんたも着替えるわよ。」 勿論、ここに来る前にもミサちゃんの携帯(非常召集用)に電話したけど圏外とかで繋がらなかったのだから仕方ない。彼女の事だ、もしかして異界にでも行って…って深く考えるのは止めとこう。有り得るだけにシャレにならないし。 いくら何でも学校には出て来るだろうからこうなったら直接捕まえて元に戻る方法を聞き出すなり何なりするしかない。 あたしはまだパジャマ姿である『あたし』…京一の背中を押して、制服の置いてある寝室に向かわせた。 そもそも、人目に付くのを覚悟でここにやって来たのはその為なのだ。 「げ。やっぱ俺にスカート履けってか。」 「あたしだってわざわざ学ラン着て来たんだから文句言わないの!」 歩きながら嫌そうな顔をする京一にぴしゃりと言い放つ。そりゃまぁ、それでなくても真神の制服のスカートは短いから京一にしてみれば抵抗あるだろうけど…いや、ここで喜ばれたらあたし、京一の友達やめるけどね(キッパリ)。 つーか、あたしだって本気でびびったわよ、朝起きて自分の姿を見たら上半身裸でパンツ1枚だったんだから。 それも、どー見てもその身体は男の身体そのもので…簡単に言えば、バストがなくなって代わりにやけに厚い胸板になっていた訳で。 混乱から立ち直って学ランを着るまでにかなりの時間を費やしたけど、あの状況で、周りに不信に思われないようきちんと京一のトレードマークである木刀を持って出て来たのは自分でも偉いと思う。 ついでに言うと京一の学生鞄の中身は殆ど空だ。念の為今日の時間割り通り教科書を入れようと(あたしって変なところで真面目だなぁ…)机を漁ってみたけど、全て学校に置いてあったようでやるだけ無駄だった。 …と、今はそれどころじゃない。 「…何だよソレ。」 あたしが机の引き出しから取り出した大判サイズの紺色のバンダナを見て、京一が眉を顰める。 あたしはキッと奴を睨み付けた。本気で言ってるのかこいつは。何の為にあたしがここに居ると思ってるんだ。 「あんたなんかに乙女の柔肌を見せるワケないでしょ!!コレで目隠しするの!!」 「…もしかしてそれでお前が俺に着せるってのか?それって不公平じゃねェ?お前だって制服着てるって事は俺のハダカ見たんだろーが。」 「誰が好き好んでパンダ柄のパンツなんか見るかッ!」 「しっかり見てんじゃねーかよ!!」 「年中おネエちゃんおネエちゃん言ってるエロ猿と一緒にすんな!!男と女じゃ見られた重みが全然違うのよッ!」 「けッ、そーゆー事はナイスバディのおネエちゃん体型になってから言え、お子様が。」 ガツッ。 あたしの放った踵落としを頭上で腕を交差させて受け止める京一。 「……………」 「……………」 「…その身体、『あたし』じゃなかったら…こんなモノじゃ済まないからね?」 何事もなかったように、にっこり笑うあたし。 「…好きにしろ…」 ようやく不毛な会話が終了する。ったく、最初っから素直に聞いてよね。 そして『麻稚』のパジャマを脱がし、背後から回って衣装ケースから出したブラ(眠る時は苦しいから着けない主義なのだ)を着け─────。 「…『俺』、端から見れば完全に変態だな…」 「言わないでよ…あたしだって何で『京一』に着替えさせられなきゃいけないんだかと思うと泣けてくるから…」 ───目隠しをされた女子高生に、骨ばった指で下着を着けさせる学ランの男。 …何処ぞのアダルトビデオかい…。いや、実際に見た事はないけどさ(当然だ)。 先程の会話で一目瞭然なようにあたし達は決して色っぽい関係じゃないだけに、考えれば考える程嫌すぎる図だ。 「……………」 「……………」 ひゅるりと虚しい風が吹き抜けたような気がする…。 他人に服を着せるのは思ったより難しくて、ようやくセーラー服を着せ終わった時には妙にぐったりとしてしまったのも無理はないだろう。急な戦闘に備え、いつものように短いスパッツをスカートの下に履かせるのも忘れない。 「…これでよし…と。」 とにかく、済んだ事は深く考えないに限る。 げ、もう8時!?そろそろ出ないと遅刻だ。…まぁ、間に合ったんだから良しとするか。 朝からダッシュで来たかいがあったというものだ。京一の家がそんなに遠くなくて助かった。 「…あのさ、麻稚。」 幾分ホッとしつつバンダナを外したところ、何を思ったのか今度は京一が至極真面目な眼を向けてきた。 う、自分に見つめられるって変な感じ。 「…何よ。」 「俺、小便したいんだけど。」 「……………」 ビシィッ。 空気が凍り───沈黙が二人の間を支配する。 「ってオイ!?」 「………トイレまでは連れてってあげる。後は野生の勘で何とかしろ。それを外したり───余計な事をしたりしたら────身体が元に戻り次第、殺すよ?」 うふふふふ…と葵のように微笑みを浮かべるあたし。京一の顔と声だけに不気味さ倍増。 あたし達は人形じゃない。美形はトイレに行かないなんて話を信じる程(あたし達が美形かどうかというのはさて置き)、夢も見てない。 経験上こういう事態が起こるのは理解していたけど…割り切れないモノもあるのよ、世の中には。 ふふふ…嫁入り前なのに。よりによって京一に。…本気で恨むよミサちゃんッ!!(大泣) この世に生を受けて18年。心で泣けば泣く程、顔は笑うしかなくなるって初めて知った。 気が付けば今は京一の身体であるあたしから青い光がゆらりと立ち昇っている。 身体は違っても氣を操る要領は基本的に変わらないらしい。黄龍は無理でも、今なら素手で天地無双級の技くらい出せそうだ。伊達に鳴瀧先生に天才のお墨付きを貰ってないのよ、あたしは。 …何やら言い返そうとした京一が一瞬で黙ったのは言うまでもない。
「そういや、お前は朝からどうしたんだよ。」 ひと悶着あった後、どうにかトイレから出てきたこの男は思い出したようにほざいたのだった。 途端、あたしの顔にボッと血が昇る。 …人が必死で忘れようとしてたのに─────ッ!! そう、実はあたしも他人事じゃなかったのだ(涙)。 京一の家でこの問題にぶち当たり、切羽詰って、悩んで。結局諦めて。 見ないように、さ、触らないようにどれだけ苦労したか…あたしは純なのよ────!!(絶叫) 「あん?…ははぁ、さてはデカくてびびった────」 瞬間、盛大な地響きがマンションに響き渡った…。
だけど。無事にあたしが『あたし』の身体に戻れる時まで、果して『あたし』の身体は保つのでしょーか…(遠い目)。 前編なので座談会はナシ。言い訳その他は後編で。 |