【龍の娘X】 何処までも続く蒼い空。 鬱蒼と茂った山道を抜けた其処にあるのは、またしても深い森。 「はぁ、はぁ…」 膝に手をつき、ここに至るまでの数十kmに渡る急な坂道を一気に駆け昇った為に上がった息を整える。 背中に背負った大きなリュックが弾みで揺れた。 (これくらいでバテてるようじゃあいつに笑われちまうな…) 赤茶色の髪をかき上げて額の汗を手の甲で拭い、すぐに頭に浮かぶのは一人の少女。 かつて───自分の隣で共に闘った、相棒。 誰よりも強く。美しく。優しく。 …そして自分には容赦なかった。 学校のクラスメイトや仲間の皆の前では可憐で儚げな美少女であったが、出会ったその日に正体を知られた相手にだけは何の遠慮もなく毒舌炸裂、冷徹無比、情け容赦なく拳と脚を繰り出した彼女。 いや───正確に言うと、皆の前でも「可憐で儚げな美少女」だったのはあの日までか。
あの頃は滅茶苦茶な彼女に振り回されてばかりだった。 何かというと彼女の猫かぶりによる被害(八つ当たりも多々あった)は自分に振りかかり、正直、何で俺ばかりとばっちりを食うんだと悲観的になった事もある。 それでも───自分は、彼女の傍に居る事を望んだ 冷たい素顔の更に下に隠された本当の彼女を知ってしまったから。 幼い頃から己の《宿星》に翻弄され。 《宿星》と闘ってきた麻弥。 必死で「普通の少女」である「弱い麻弥」を隠そうと、強くなろうとした彼女を独りにする事などできなかった。 自分は、彼女が認めた唯一の『相棒』なのだから。 そして───とうとう最後まで伝える事ができなかったけど、自分は彼女を─────。
きっと何度言っても言い足りない。 赤茶色の髪の青年…蓬莱寺京一は軽く頭を振ってひとつ息を吐くと。 再び背筋を伸ばし、前を見据えて歩き出した。
あの日。 上野寛永寺の本堂の前で、少女は静かに言葉を放った。 そこにあるのはその場に居た全員が息を呑むくらい、美しい笑顔。 いつもの儚げな雰囲気を取り払い、闘いの女神の如く凛と立つ少女…《黄龍の器》たる緋勇麻弥の姿に誰もが一瞬時を忘れた。 連戦により、彼女の白いセーラー服は所々裂け、血と泥で汚れていたがそんなもので彼女の美しさを損なう事はできないだろう。 それよりも、この闘いがいかに激しいものだったのか。 その身に桁外れな《力》を有し…今まで決して必要以上の《力》を見せなかった彼女ですら己の全てを出し切り、尚且つこれ程までに傷を負ったという事実が全てを物語っていた。 寧ろ彼女の場合、これまでの働きを思えば今立っている方が不思議だ。 実際仲間の誰もが回復が追い付かない程のダメージを負い、既に限界まできている。 それは麻弥に次いで多くの人外の者を葬った結果、現在片膝をつき、得物を支えにしてどうにか身を起こしている状態の京一とて同じで。
だが麻弥の言葉に、思わず京一は声を張り上げた。 つい先刻、やっとの思いで全ての元凶である柳生を倒した。 しかし時既に遅く、もう一人の《黄龍の器》として覚醒した渦王須は皆の目の前でその身を《黄龍》に乗っ取られ。 今も《黄龍》は結界と化した寛永寺の本堂の中で、本能のままに暴れ出すきっかけを待っている筈だ。 ───まだ何も終わってはいない。 確かに自分達は万全の状態とは言えないけれど。 今、自分達が奴を止めなければ東京は…世界は、取り返しのつかない事になる。 だがずっと彼女の隣にいた京一には分かってしまった。 先程の麻弥の表情と言葉の意味するものは────
「何を馬鹿な事を言ってるんだ、君は!」 「早まらないで、麻弥!」 「そうだよ、ボク達も一緒に行くよッ!」 「アミーゴ! ミー達はイッシンドウタイネッ!」 「麻弥さん!!」 「アネキ、水臭いでッ!」 ボロボロになりつつも次々と麻弥を止める声が京一の耳を素通りする。 その中で京一は最後の力を振り絞って立ち上がると、麻弥を取り囲む仲間達を掻き分け、ゆっくりと『相棒』の元へと歩み寄った。 「…どーゆーつもりだ、てめェ。」 少女の目の前に立ち塞がり、思いっきり睨みつける。
「お前なぁッ!!」 京一の手が反射的に麻弥の細い肩を掴む。
激しい衝撃が京一を襲い、京一は宙に吹き飛ばされた。 「わッ!?」 「うおッ!」 ドカッ。ズザザッ。 そのまますぐ後ろにいた醍醐と紫暮を弾き、派手に地面に転がる。 「緋勇さん!?」 「オネェチャン!!ドウシタノッ!?」 「ちょ、ちょっと大丈夫なの、京一!?」 「京一先輩ッ!」 ものの見事に麻弥の蹴りを受けてひっくり返った京一に、仲間達の間で動揺が走った。 どう見ても今のは本気の蹴り、だった。 鬼の一匹や二匹、葬れそうなくらいの。 そうでなくても立ってるのがやっとの《仲間》に、リーダーである彼女が何故そんな真似をするのか。 狙っての事か、たまたま醍醐達がクッションになってダメージは緩められたが、今の一撃は京一があの世に行っていたとしてもおかしくない程の威力だった。 それは少なくとも、皆の知っている彼女…「清楚で可憐で優しい、完璧な美少女」のする事ではない。
切れた唇もそのままに、駆け寄った霧島の助けを借りて辛うじて顔を上げる京一に向けられたのは───ぞっとするくらい冷たい瞳。
───この4月から京一以外の前では決して外そうとしなかった仮面が、外された。
少女のあまりの変化に声もなく固まってしまった仲間達を余所に、麻弥は身を翻すと一人本堂へと足を向けた。 肩の辺りで揃えられた漆黒の髪が風に舞い、白い制服が夜の闇に翻る。 しっかりとした足取りに迷いは微塵も見られない。 そしてその一歩毎に《黄龍》の作り出した結界が彼女を飲み込み。 徐々に少女の影が歪んでいく。
京一の絶叫がその場に響いた。 彼女がその本来の姿を皆に見せたという事は…もう、隠す必要がなくなったという事。 立ち上がって追い付こうにも、先程のダメージが見た目以上に効いていて足に全く力が入らない。 こんな時にまで、彼女の計算し尽くされた行動が活かされている。 ズシャッ。 京一は少し起き上がっただけで、崩れるように顔から地面に倒れ込んでしまった。
そんな自分がもどかしくて。 情けなくて。 悔しくて。 自分で自分を殺したいくらい、憎い。
《黄龍》を守護する《四神》としての血の為せる技か、逸早く我に返った如月が戦闘で傷付いた足も構わず麻弥の後を追った。 「麻弥ッ!」 それに触発されたかのように、辛うじてまだ動ける仲間達が次々と彼女の消えた空間へと走り寄る。
先程の彼女が、本当の彼女であったとしても。 緋勇麻弥は《仲間》だから。 今まで共に闘い、共に過ごしてきたのは紛れもない彼女だから。 彼女の力になりたい。 そう、彼女を大切に思う気持ちに偽りはない。 だからこそ最後の闘いとなる今日この日、躊躇う事なく全員がこの場に集まった。 それはきっと、彼女も分かっていたのだろう。 そんな事で自分を拒絶するような人間は、そもそもここにはいないのだから。
「なッ!?」 「きゃぁぁぁぁッ!」 バチィッ。 女性陣の悲鳴が湧き上がり、彼らは揃って巨大な《力》に弾き飛ばされた。 そこはいつの間にやらドームのような赤い光に包まれていて、中の様子は何一つ覗えない。 「───御門ッ!」 「…無駄です。私も先程から結界を破ろうとしていますが、これはそんな次元の問題ではない。彼女の言う通り、龍脈に選ばれた者…《器》しか受け入れないのです。」 「どうにかならないのか!?」 「あかん、わいの符術も全然効かへんッ!」 「ミサちゃんもダメ〜。」 「それなら僕達で一斉に《力》をぶつければ…」 「いえ…それもこの結界には意味がない…寧ろこれは、彼女が《器》としての《力》で自ら張った結界とも言えるでしょう。我々を巻き込まないように…彼女はもしもの時は《黄龍》共々、結界内に留まるつもりです。」 「何だって!?」 「そんな…ッ!」 「それじゃ、本当に麻弥は…」 「あいつは…全部自分一人で…!」 仲間達の悲壮な声が闇に吸い込まれていく。
あれは彼女が凶刃に倒れる前日。 あれは…こういう事だったのか。 麻弥は最初から分かっていたのだ。 こうなる事が。 それを覚悟のうえ───あの時、こちらの世界に戻ってきた。
あいつが負けるなんて有り得ない。 一人でも大丈夫だと、彼女は笑って言ってのけるだろう。
例え足手纏いでも。
1999年1月2日早朝。 東京上野寛永寺に轟音と共に光の柱が昇り。
既に日は傾きかけ、夕焼けに木々が赤く染まっている。 ドサッ。 京一は乱暴に背中のリュックを地面に降ろすと、真っ直ぐに前を睨み付けた。
ほんの僅かな情報を元に探し始めて、どれだけの月日が流れただろう。 だがここに至るまでの苦労も疲れもこの瞬間、全て吹き飛んでしまっている。
仲間総動員で心当たりを探しまくっていたところへ、彼女の退学届けが2学期終了の時点で既に学校に提出されていた事が判明したのだから。
幼い頃から桁違いの《力》の暴走…龍脈の断片を受け入れてきた彼女でも、《黄龍》を止める為に《黄龍》そのものを生身の身体に降ろして本当に無事でいられるのかはかなり疑問だ。 その場は止める事ができても、恐らく身体の機能は限界まで破壊され。 尚且つ隙あらば己を食い破ろうとする《黄龍》を完全に抑え付けれるようになるまで、どれだけの苦痛と精神力を必要とするだろうか。 その為には誰にも迷惑の掛からない場所と、長い時間が必要だろう。 更に、《黄龍》を宿した《器》はいつの時代も権力者に狙われる。 制御できない《力》でそれらを退け続けるのは自他ともに危険を伴うのは自明の理。 秋月家、御門家、拳武館のバックがあればある程度は被害も防げるだろうが、それで彼女が良しとするかは別だ。 これ以上周りを余計なごたごたに巻き込まないように彼女が姿を消すのは、ある意味予想通りだった。
京一の右手に握られた木刀が50m程先の滝のほとりで静かに佇む人物に突きつけられる。 瞬間、強い風が吹き抜けてその人物の腰まで伸びた長い黒髪が舞い上がった。 ───女神の如く整った、絶世の美貌が露になる。 それは、最後に見たあの時よりも益々磨きが掛かっていて。 もう少女とは言えないその姿は否応にも過ぎ去った月日を感じさせる。 だけどあの頃と同じ、忘れようのない《氣》は間違える筈もない。
───京一は、その人物に向かってにやりと笑ってみせた。
───振り返ったのは……眩しいくらいに美しい、笑顔。最早偽る必要もないそれ。
「……………馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、流石にここまでとは思わなかったぞ。」 「気付くのが遅すぎるってんだよ。」
もう一度逢えた時には必ず言おうと決めていた言葉。 何年越しになっただろうそれを、ようやく紡ぐ。
「……………」 「もう、幸福の青い鳥を手にしてもいい頃だろ?…これからは何があっても俺も一緒に闘うぜ。」
───本当に、昔の事になってしまったけれど。
「褒め言葉として受け取っとくぜ。言っとくが俺だってあれからただ闇雲に放浪してた訳じゃねェからな。今の俺なら《黄龍》だろうがゴジラだろうが余裕で勝てるッ!」 「言ってろ。」 「で? 返事は?」 「────後悔しても私は知らないからな。」 「へへへッ…望むところだ。」 「…………きっと死んでも治らないな、お前の馬鹿は。」
京一の胸の飛び込んだ麻弥の細い腕が、ゆっくりと京一の首に回され。 二人の唇が、どちらからともなく重なった。
恐らく彼女の命の炎が尽きるまで、本当の終わりは来ないのだろう。 だが彼女はもう決して独りではない。 その傍らには、彼女の生涯の『相棒』である一人の青年が常にいるのだから──────。
<了>
京一「うお、奇跡だッ!! 前作から3ヶ月しか経ってないのに続きが出るとはッ!!」 麻弥「…お前、絶対作者に毒されてるぞ…。(憐れみの目) 普通シリーズものの続きで何ヶ月も間が開いてる時点で問題だろーが。 前回、次が最終回とか言いながらコレが出るまでに5作も他の話を書いてたぞ、あの馬鹿。」 京一「…それは諦めてんだから改めて言うな。1年経ってるのだってザラなんだしよ。(溜息)」 麻弥「お前に言われたらお終いだな作者…。とにかく、これでようやく私の出番は終わったな。」 京一「しかしマジで長かったよなぁ…1作目が出てからもう2年以上になるんじゃねェか。 最初は突発完全ギャグだったのにシリーズが進む毎にどんどんシリアスになってくのが 馬鹿作者のプロットの甘さを感じさせるっつーか。(禁句) そういやこれって作者初の女主シリーズだったって知ってたか?」 麻弥「らしいな。途中抜けてるとはいえゲーム第壱話からスタートした珍しい話でもあるだろう。」 京一「おう。自分で書いておきながら第壱話のお前のキャラがあまりにも強烈すぎて、 その反動で『夢シリーズ』の少女漫画な天然女主が生まれたらしいぜ。 で、それから次々と新しい女主人公が生まれたんだと。 まぁそういう意味ではコレも貢献したと言えるのかもしれねーけどよ… しっかしお前、とうとう最後まで可愛くならなかったな。 ちッ、カップルものの最終回は18禁ってのがお約束だってのに─────」 麻弥「黄龍。」 京一「ぎゃぁぁぁぁぁぁッ!!(最終回なので油断していたらしい)」 麻弥「勝手にお約束を作るな、ボケ。私にそういうのを期待するだけ無駄だ。 そもそも私はお前を虐める為に生まれた主人公だったという事を忘れるな。(氷の微笑) ……という事で、今までこの話を読んで下さった皆さん、有難うございました。 もしまた作者の気まぐれでお目に掛かる事があれば宜しくお願いしますね。(最後の猫かぶり)」 やったぁ、自己最高記録の登場人物数!!(そこか) |