【龍の娘V】 「あー畜生ッ、犬神のヤローこんな時間まで残らせやがって…普通ここまでするかよ。」 すっかり日も暮れた新宿の街を一人歩きながら、京一は本日何度目かの不満を零した。 確かさっき出た教室の時計はもうすぐ9時を刻もうとしていた筈だ。 来週には修学旅行という今の時期、夜風が心持ち肌寒い。 いくら京一が不真面目な生徒であり、自主休講と課題未提出の常習犯であり、更に言えば来年の卒業単位さえ危ういとはいえ確かにこの時間まで居残り補習させるというのは限度を超しているかもしれない。 だが、こんな時間になったのは単に京一がプリントを完成させるのが予定以上に遅かった(居残りさせられている身でありながら、いつものクセで半分も解かないうちに爆睡モードに入った)為である。 もちろん途中で脱走しよういう考えが浮かばなかった訳ではない。 実際、居残りを命じた本人は四六時中側に貼り付いていた訳でもないので、やろうと思えば例え放り込まれた生物室に外から鍵が掛けられていようと脱走は可能だった。2階の窓から飛び降りるなど、京一にとっては何の問題もない。 だが如何に京一と言えど、逃げれば留年決定、更に『再来年の』卒業まで毎日生物準備室の掃除をやってもらうと冗談では済まない声で脅されてそれを実行する程、チャレンジャーではなかったという事である。 それでも強制下校の時間になれば普通なら放免されるだろうが、よりによって生物教師が宿直の日に彼に捕まったのがそもそもの不運だったと言えよう。 尤も、生物教師の方にしても手の掛かる生徒を抱えて貴重な時間を割いたのだからお互い様だろうが。 ぐきゅるるるる。 やり場のない怒りとは別に、盛大な音楽が響いた。それが余計に京一のテンションを下げる。 「王華、まだやってるよな…」 育ち盛りの男子高校生にとっては、とうに腹の方も限界だ。自然と高校入学以来何度も通った路へと足が進んだ。 ───と。 「…あん?」 角を曲がり掛けた所で視界に予想外の光景が映り、京一は思わず間抜けな呟きを洩らした。 反射的にくるりと身体を反転させ、そのまま隠れるように壁に背を預ける。 京一のすぐ後ろを歩いていたサラリーマンが怪訝な顔をして通り過ぎたがそんな事にかまう程繊細な神経など存在しない。 50メートル程の距離と人の波に遮られてはいるが、そこに確かに在ったのは見慣れた白いセーラー服、肩の辺りで揃えられた漆黒の髪。すらりとした肢体。 こちらに背を向けていた為にこの位置からその顔はちらりとしか見えなかったが、その人物を京一が見間違う事などない。いつもの事ながら彼女を遠巻きに囲み、すれ違う人々の反応もそれを裏付けている。 ───人でごった返す夜の新宿でも一際目立つ、その姿……儚げでありながらいっそ神々しい雰囲気さえ醸し出している、絶世の美少女─────の、ニセモノ。 今を以って、究極の猫かぶり娘である彼女…緋勇麻弥の実態を知る人物は新宿に京一唯一人である。心を許した友人だからと言えば聞こえはいいが、バラしたら殺すと脅されているからというのが真の理由かもしれない。 因みに秘密を共有した佐久間は既にこの世に亡い。その手下達は先日ようやく退院したもののどうやら精神的ショックから記憶障害が起きたらしく、彼女が転校してきた日の事を全く覚えていないようだ。奴らにとってそれはかなりの幸運と言えよう。恐らくこれで一生分の幸運を使い果たしたに違いない。 それはともかく、どうしてこんな時間に彼女がこの辺をうろうろしているのか。しかも制服のままで。 確か今日もHRが終わってすぐに美里と小蒔と連れ立って家に帰った筈だ。 麻弥はその儚げで優しげな見た目に反して、その本性は乱暴かつガサツ、自分に敵対するものには冷徹極まりない。だが意味もなく夜の街をふらふらするタイプでもないのはこの数ヶ月の付き合いで分かっている。 大体、学校内では「頭脳明晰」「品行方正」「完璧なる美少女」、加えて仲間内では「的確な指示を出す頼れるリーダー」「争いを好まないが、実はかなりの実力を有する古武道の達人」「自分の為ではなく周りの人の為に闘う、けなげな聖女」である彼女が何処で誰が見ているか分からないのに地元でそんな危険を冒す筈もない。 京一は真相を探るべく、彼女に気付かれないよう気配を消したまま再びその角から顔だけを覗かせた。 その瞬間、正面から飛んで来た物体が京一の額にジャストミートした。 情けない事に、勢い余ってそのまま後ろに倒れこんでしまう。その横をころころと転がったのは───金属性の光を放つ、メリケンサック。 「〜〜〜〜ッ!!」 これが戦闘中とかならまだマシだったかもしれないが、本当に不意打ちだった為に防御も心構えもあったものじゃない。冗談抜きで、打ち所が悪ければ三途の川を渡っていただろう一撃だ。 あまりの痛さに座り込んだまま額を押さえる京一の目(ちょっと涙が浮かんでいる)に、形の良い長い脚が映った。 「覗き見とは感心しませんね…蓬莱寺君?」 案の定、京一を見下ろすのはついさっきまでこちらに背を向けていた筈の少女。 普段皆の前で使う丁寧な言葉使いと笑顔がやけに眩しい。 …彼女の実態を知ってる分、それが余計に怖い。 ふと思い付いて京一が先程麻弥がいた場所の方を見ると、その脇に暗くて細い横道があって。 ───地面に寝転がった男の足らしきものが数人分、覗いていた。 確かにこの時間にこの辺をうろうろしていて、麻弥のような少女がその類の奴らに絡まれない筈はない。恐らく麻弥はこの場で本性を現すのを躊躇しただろうが、余程しつこかったのだろうか。自業自得とはいえ、あまりにも最悪な相手に喧嘩を吹っ掛けてしまった見知らぬ男達につい同情してしまう京一である。 一方、麻弥は落ちていたサックを何事もなかったかのように拾い上げるとスカートのポケットに収めた。 その動作さえ見る者を魅了するかの如く優雅なのは詐欺としか言い様がないかもしれない………。
「当然だボケ。か弱い乙女の秘密をこそこそ探ろうとする猿に文句を言う資格はない。」 1時間後。 京一は麻弥と並んで馴染みのラーメン屋を後にしていた。 かなり人通りも少なくなった道に出た途端、猫かぶり娘の本性炸裂である。 「誰がか弱い乙女…っておわッ!」 ガッ。 つい京一の口をついて出た本音は最後まで言い終わらないうちに見事な飛び膝蹴りによって遮られる。 凄まじい風圧と共に竹刀袋に入ったままの木刀がみしりと音を立て、京一の背中を冷たいものが伝った。 「ちッ」 ふわりと着地すると同時に、麻弥の心底残念そうな声が小さく聞こえる。 どうやら本気で京一を沈めるつもりだったらしい…ひょっとするとこのどさくさに紛れて京一の記憶を飛ばそうとしたのかもしれない。 今に分かった事じゃないが、つくづくとんでもない娘である。 辛うじてその一撃を受け止める事ができたのは、メリケンサックの時と違って京一もある程度それを予想していたからだろう。 尤も、この見た目を踏まえて予想できる事自体が本来なら間違っているうえ、予想したところで回避できる確率は過去の実績から見てもかなり低いので情けない事には変わりないが。 念の為言っておくと京一とて、伊達に鬼道衆と死闘を繰り広げた訳ではない。 現にたった今、成功率は低いものの数ヶ月前なら決して受け止める事などできなかったに違いない一撃を受け止めている。 ───自分に都合の良い関係を築く為に「可憐で儚げな少女」をやっている関係上、皆の前では殆ど見せないが、彼女の真の戦闘能力はそれだけ群を抜いているのだ。 北区の骨董品店にはもっと強い武器があるのに、手甲は嵩張るという理由で未だにメリケンサックを愛用しているのも余裕の現れだろう。 …先程、顔馴染みである王華の親父がこんな時間に珍しく二人で来た事に対して何やら意味ありげな表情を浮かべ、京一にグッと親指を立ててみせたのがやけに虚しい。 まぁ、それこそ今更なのだが。 京一は大きく息を吐いて気を取り直すと、さっさと先を歩いて行く麻弥に走って追いついた。 「…で?」 並んで歩きながら極めて自然に本題に入る。彼女を見掛けた時からの疑問。今を逃す訳にはいかない。 「で?」 麻弥が整った眉をほんの少しだけしかめた。 「お前は何だってこんな時間まで旧校舎に潜ってたんだ?それも独りで。」 「…何の事でしょう、蓬莱寺君?」 猫かぶり娘の十八番、絶世の美少女の儚げな笑顔である。普通ならこれで落ちない男はいない。 が、京一に対してコレを使う事自体、珍しく彼女が動揺している事を現していた。 「いくらお前でも身体に纏わりついてる血の匂いと《陰気》を誤魔化せる程、俺は馬鹿じゃねェぞ。まぁ極薄いモンだから明日なら分からなかったかも知んねェけどよ。…不信に思われねーように美里達と一旦一緒に帰っといて引き返すたぁ手が込んでるじゃねェか。」 その辺のチンピラを数人倒したところでこんなものが纏わりつく筈もない。だがそのタイムロスがなければ、京一と彼女が鉢合わせする事もなかったに違いなかった。 ───もし他の誰かと一緒に潜ったのだとしたら、初めから隠そうとはしないだろう。 先程京一が彼女を見掛けて…敢えて自分から姿を現したのは、それを後日に他の奴らの前で問われたくなかったから。 「……………」 「俺達には危険だから絶対に独りで潜るなって言っといてそれか、リーダー様?」 「……………」 「大体、この前の───等々力不動で、全部終わったって言ったのもお前だったよな。」 だからもう、闘う必要はないと。普通の高校生に戻ってくれと。彼女はそう言った。 東京で起こった数々の事件の鍵を握っていた鬼道衆とその頭である九角はもういない。 それなら、自分を慕って集まってきた『仲間』達がこれ以上危険を冒す必要はないというのが彼女の主張だった。実際、あの日以来誰も旧校舎には潜っていない筈だ。 京一ですら、力試しと小遣い稼ぎを兼ねてまた行きたいと言ったのだが、キッパリハッキリ却下されてしまったものである。
都合の良い関係を築く為に、本当の姿は絶対に見せない「完璧な美少女」。 京一の前ではピカチュ○だの、ゼ○ガメだの言いたい放題の麻弥だが……彼女が仲間を思う気持ちは本物だから。 京一に対する八つ当たりや容赦のない攻撃はそんな自分を知られたくないという照れ隠しも多分に入っているのだと気付いたのは何時だったか。 ───自分を慕ってくれる仲間が傷付くのを、何よりも恐れているのは演技ではない。 九角の元へと向かった美里に対し、全てが終わった後に「お願いだから自分を大切にして」と涙を浮かべながら抱き付いた彼女はとても演技とは思えなかった。
とうとう麻弥は諦めたように呟いた。既に美少女モードは解除されている。 「お褒めに預かり、光栄だぜ。で、どうなんだ?」 「………私は、もっと強くならなくてはならない。今は、それしか言えない。」 「そのココロは?」 「世界征服。」 「……………」 真剣な声で、さらりと発せられた言葉。
予想外だったのだろう、京一の言葉に麻弥が弾かれたように顔を上げた。 先程出遭ってから始めて、真正面から京一を見つめてくるその綺麗な眼には戸惑いの色が浮かんでいる。 「本気か?」 「お前が本気ならな。」 「…………前から馬鹿だと思ってたけど、それ以上の馬鹿だな。」 「うっせ。」
でも、頼むから一人で無茶をするな。 ───俺が、側に居るから。
「俺を誰だと思ってんだ。伊達にお前の『相棒』なんかやってないぜ?」 「何時お前が私の『相棒』になったんだ。」 「とっくの昔。」 「知るか。」 「俺は知ってるからいーんだよ。」 「ほんっとーに馬鹿だな京一は。」
見慣れている筈なのに思わず息を呑む京一を余所に、麻弥はくるりと背を向けると走り出す。 「お、おい、麻弥ッ!?」 「心配しなくても、今日はもう素直に家に帰るよ。…また、明日な!」 それは、言葉にしない約束。了解の印。 ぱたぱたと走り去る素直じゃない彼女の背中に、京一は小さく苦笑を返した。
だけど俺はお前の『相棒』だから。 ───何があろうと、お前に付き合ってやるよ。 お前に対するこの気持ちは、もう引き返せないんだから。
「ま、待て麻弥ッ、話せば分かるッ!」 しかしその1週間後、修学旅行にて。 つい出来心で女風呂を覗こうとしたのをこの世で最も危険な人物に発見された京一は、原因不明の重態(美里の回復技でも治しきれず、当然天狗騒ぎにも不参加)により残りの日程を旅館で寝て過ごす事になったというのはまた別の話である…………。
京一「あ…お花畑が…オネ−ちゃんが…」 麻弥「(ドカッ)いつまで寝てるんだこのエロ猿。いいかげん起きろ。」 京一「ぐはッ!?………てめ、麻弥ッ!病人を足蹴にするとはそれでも主人公か!?」 麻弥「何が病人だ、痴漢を半殺しで許してやっただけ有難く思え。(氷の微笑)」 京一「………………。そ、それは置いといて。 ほんっとに最後にUが出てから1年経ってるとはナメてるとしか思えねーよな。」 麻弥「文句は完結してない話をほったらかして新しい女主人公を出しまくる作者に言え。」 京一「それは今更だけどよ…マジでこのシリーズ、完結すんのか?」 麻弥「それこそ私が知るか。一応Tを出した時からラストだけは考えてあったらしいが、 実際にそこまで書くかどうかも怪しいものだしな。」 京一「つーか京一×女主人公と言いつつ未だにその欠片すらねェのはどーゆー事だッ! やっぱ主人公の性格に問題があるとしか思えねェ!!(力説)」 麻弥「…私に喧嘩を売るとはいい度胸だな。」 京一「い、いやそれは…って、その台詞はパクリだろ!?」 麻弥「やかましい、もう一度死ね。」 そして今日も爆音が響くのであった。 何でこの京一ってばこんなにシリアスなんでしょーかね? |