【龍の娘U】





 そこにあるのは、炎。

まるで生き物のように勢い良く燃え盛るそれが、徐々に廃屋を包み込んでいく。

「麻弥ッ!!」

 つい先程、そこから引きずり出されるようにして外に出た少女には、自分を呼ぶ京一の声すら耳に入っていないようだった。

取り乱したりはしない。泣きもせず、叫びもせず、もちろん怒るでもない。

ただ、その漆黒の瞳に真紅の炎を映していた。







「何でここにお前がいるんだ、蓬莱寺。授業はどうした、授業は。」

「その台詞、そっくりそのまま返すぜ。」

 夏も本格的になってきたある日。

この心温まる会話は真神学園の屋上の入口の前で示し合わせたかのように顔を合わせた、緋勇麻弥と蓬莱寺京一のものである。

念の為に言うと、とっくにチャイムは鳴っている。今は本来なら5時間目の授業が行われている時間だ。

選択科目の関係でこの時間は別々の教室で授業を受けている筈の二人だが、揃いも揃ってサボったらしい。

 京一を見て明らかに嫌そうな顔をした麻弥だったが、廊下での話し声は響くのを気にしたのか、取り敢えず大人しく並んで屋外に出た。

扉から数歩進んだところで、さぁ…っと吹きつける初夏の風が麻弥の艶やかな髪をふわりと舞い上げる。

麻弥はそれを片手で軽く抑えながら眩しい日の光に微かに眼を細めた。

「……………」

 見るとも無しにそれを見た京一の胸が思わずどきりと跳ねた。

校舎の屋上という自分にとっては見慣れた場所なのに、まるで一枚の絵のように美しい幻想的な雰囲気がそこにあった。

しかし次の瞬間にはその幻に鋭い眼光で睨みつけられる。

「私は先生の信頼があるからな。気分が悪いとちゃんと断って出て来たんだ、どこぞの馬鹿と一緒にするな。」

「…ああ、そーですかいッ。」

 だったら何で保健室に行かないんだよッ、と突っ込もうとした京一だが、結局諦めて竹刀袋を抱えたままごろんと手近なコンクリートの床に横になった。

麻弥はそんな彼を無視してさっさと手摺の方に向かって歩き出している。

京一はどこまでも蒼い空を眺めながらふぅ、と小さく溜息をついた。

『対:京一=どうせバレてるんだから開き直ってやるモード』の麻弥に何を言っても無駄だというのはこの数ヶ月で嫌と言う程思い知らされている。

それよりも、迂闊な事にまたしても麻弥の何気ない仕草に見惚れてしまったのが悔しくて仕方ない。

(だから皆こいつに騙されるんだよな…)

 改めて京一は思った。






 そう。この緋勇麻弥という人間は、実はとんでもない人物である。

客観的に見れば頭脳明晰、容姿端麗、品行方正。四文字熟語のオンパレード、それも超がつくレベルだ。

誰にでも優しく微笑み、透き通るような声で丁寧な言葉を使い、ともすれば儚げな印象を与える絶世の美少女。

誰もが護ってやりたい、と思わせる雰囲気をも持っている。事実、京一も初対面の時は完全にそう思っていた。

 しかしてその実態は───喧嘩騒ぎで転校を繰り返す(この真神に来たのは少し違う理由らしいが)、猫かぶり娘。

無敵とさえ思える古武道の達人であり、凄まじい《力》の持ち主。

重要なのはその性格だ。一言で言うと見た目と正反対、というところか。

そしてその事を知っているのは、現在真神にいる人間の中では不幸にも偶然現場に居合わせた京一だけである。

自業自得とはいえ己の身を持って知らされた佐久間とその手下達は入院中の筈だ。

 つまり、『仲間』である美里や醍醐、小蒔、果ては裏密、アン子やマリア先生も彼女の《力》は成り行き上やむを得ず知る事になったが、相変わらず麻弥はその性格は隠し通しているのである。

数々の事件と戦いを繰り返すうちに、自然と彼女は的確な指示を皆に与えるリーダー的存在になってはいたが、あくまでそれはいつもの可憐な美少女の範囲内だ。決して京一に対するような言葉も態度も使わず、必要以上の《力》も見せない。

 結果、男共は言うまでも無く。仲間の女性陣から見ても麻弥は頼りになる友人且つ憧れの存在となりおおせてしまっている。

ここまで出来すぎているとやっかみやら何やら買いそうなものだが、余程人を惹きつける何かを持っているのかもしれない。

麻弥曰く、

「いいかげん転校も飽きたしな、利用できるものは何でも利用する。男だろーと女だろーと惚れさせたら勝ち。」

 という事らしい。 

京一はバラしたら殺すと冗談とは思えない迫力で彼女に脅されているのだが、例え皆にその真相を話しても、誰も京一の言葉を信じない可能性の方が高いだろう。

 真神以外で最初に麻弥の感動的な台詞と天使の笑顔によって『仲間』になった雨紋などは、

「麻弥サンってカッコイイよなー。けなげに闘う聖女ってカンジでさ…」

 とぼーっと麻弥の背中を見ながら溜息をついていたものだ。

自分が協力を申し出た時に、麻弥がこっそり小さなガッツポーズと共に

「ピカチ○ウ、ゲットだぜッ!」

 とほざいたなどとは夢にも思っていないだろう。…京一も別に知りたくはなかったが。

というか、この辺りになると麻弥の外ヅラと中身のギャップにいちいち驚くのが馬鹿馬鹿しくなっていたのが本当のところだ。

大体、そんな戯言で済むならまだマシな方である。

麻弥の猫かぶりのとばっちり及び反動を京一は皆の知らないところでもろに受けているのだが、彼女の見事な変わりようと計算された行動によって、今までそれが明るみに出る事はなかった。

 天は二物を与えずと言うが、もしかしたらこいつは二物も三物も与えられた代わりに何かを悪魔に売り渡したんじゃねーだろーな、と半ば本気で京一は考えたものだ。






「ぐあッ!?」

 突然、屋上に蛙を潰したような呻き声が上がった。

寝転がった京一の腹に、いつの間にか近寄っていた麻弥の踵が見事に入った為である。

『力』を込めていないところを見ると手加減はしたようだが、これが京一じゃなかったら間違いなく病院送りになりそうな一撃だ。

素晴らしい脚線美を目の前で拝めたのはともかく、制服のスカートの下にはいつも通りしっかりスパッツを履いているので、京一にとっては二重に悔しかったりする。

「な、何すんだてめェッ!!」

「お前今、ロクでもない事、考えていただろ。」

「憶測でヒトを殺す気かッ!!」

 げほげほと勢いよく咽ながら上半身を起こす。

内心さっきまでの考えを見透かされたようでぎくりとするが、もし本当にここでそれを言ったらどうなるのか考えたくもない京一である。

 そんな京一を麻弥は眩しい笑顔で見下ろした。いつも他の皆に見せていると同じ、完璧な笑顔。

「これくらいで死ぬような奴はいらない。」

 その表情とは不釣合いな、一見非常としか言いようのない冷たい声が屋上に響いた。

────その言葉の意味するところは。

「……………紗夜ちゃんの事、か?」

「……………」

 京一の問いかけに彼女の整った顔がほんの一瞬、曇る。無言のままそこから離れ、麻弥は京一に背を向けた形で手摺に寄りかかった。

…それらが京一の指摘が的を得ていた事を証明していた。

 京一はつい先日、自分達の目の前で炎に飲み込まれた少女を思い浮かべた。

麻弥とその少女──比良坂紗夜の間に、何があったのかは京一もよく知らない。

ただ、彼女が自らの意思で麻弥を護って傷を負い……そして、帰らぬ人になったという事を知っているだけだ。

その時、麻弥は長時間実験に晒されていたらしく立つのもやっとという状態であり(但し彼女が素直にやられる筈もなく、京一達が地下の実験室に入った時点で彼女を攫った犯人と思われる奴は既にズタボロだった。恐らく紗夜が真神に知らせに来ている間にやったのだろう)、皆の薦めもあって脱出後その足で桜ヶ丘に直行したのだが、いろいろと心配する皆に向かって気丈にも微笑んで見せた。

────完璧な演技。絶対に、本当の自分を見せない。とてつもなく強い自分……そして弱い自分も。

「…本当に、馬鹿だよ。簡単に私の演技に騙されて。勝手に理想に祭り上げて。…勝手に、死んじゃって。」

 数分後、誰に言うでもない、静かな怒りを含んだ声が風に乗って京一の耳に届いた。 

これも言葉だけを聞けばなんて冷たい奴だ、と思うだろう。

だけど京一は気付いてしまった。その言葉は、麻弥が必死で自分自身に言い聞かせているものだという事に。

そうでなければ麻弥の声が微かに震えているのは何故だろうか。

────何故、あの時あんな表情をしたのだろうか。   

「麻弥、お前さぁ、もう少し自分に素直になってもいいんじゃねェか?」

 京一の、何気ない言葉に麻弥がゆっくりと振り返った。その目は案の定、少し赤い。

だけどそれを微塵も感じさせない、凛とした表情は変わらなかった。

「何言ってるんだ、さてはこの暑さで脳味噌が蒸発したか。」 

 相変わらずの言いように、京一は心の中で苦笑する。 

「紗夜ちゃんはきっと、お前と会えた事後悔なんかしてねェぜ。」

「…猿が分かったような事をぬかすな。」

「…ほんっとーに可愛くねェな…」

「お前に可愛いなんて思われたくもない、気持ち悪い。」

 好意的どころか友好的の「ゆ」の字もない会話。だけど、今はそれで充分だった。 

京一は再び腕を枕にして、ごつごつしたコンクリートの床に寝転がった。






「さて、と。」

 5時間目が終了するまで残り10分という頃。

麻弥はひとつ伸びをすると、スカートを風になびかせて屋上の扉に向かって歩き出した。

そのついでというように、目を閉じたままの京一に向かって振り返りもせずに言い放つ。

「じゃ、美里達が心配するから私は教室に戻る。…お前も、同じ寝た振りなら教室でやれ、京一。出席くらいは猿でもできるだろ。」

「………大きなお世話だ。」

 バタン、と鉄の扉が閉まると同時に京一はむくりと起き上がった。顔が自然と苦笑いの表情をつくる。

───狸寝入りなどすっかりバレていたようだ。

きっと、京一が何故ここに来たのかも気付いていたに違いない。

「チッ…やっぱ、そうなんだろうなぁ…」

 認めたくはないが、あんな事件があって…麻弥が心配だったから自分はこうしてここに来たのだ、と思う。

なんとなく、ここに来れば彼女に会える気がした。自分に何か出来る自信があった訳じゃない。ただ側に居てやりたかった。

…皆には見せない、本当の麻弥に会いたくてここに来ていたのだ。

いつからだろう。それを知っているのが自分だけだという事に、いつの頃からか優越感すら抱いていた気がする。

脅されていたから、という理由だけではない。お互い本当に本気でやり合えるかどうかは別にして、純粋な強さで見れば確かに今現在の京一では(自分でも情けないと思うが)麻弥に勝てる可能性は五分以下だ。

だけど、それだけじゃないから──今まで誰にも彼女の『本当の姿』を教えようとは思わなかった。

儚げで優しい、完璧な美少女。それとは正反対のガサツで乱暴で、冷徹な少女。

そして───もうひとつの彼女。弱い…《力》なんかいらない、と叫ぶごく普通の少女。

必死で隠そうとしているが、それに京一はいつからか気付いてしまった。

仲間の誰にも…遠慮などいらない筈の京一にさえ隠れて、一人心の中で泣いている彼女に。

『ありがとう』

扉の閉まる音で殆ど聴き取れなかったが、微かに聞こえた麻弥の呟きが耳に残る。

「そういやあいつ、初めて俺を名前で呼んだな…」

『蓬莱寺』でも、普段皆の前で使う『蓬莱寺君』でもない。

彼女は基本的に仲間を呼ぶ時は苗字に君、又はさん付けをする。

しつこく名前で呼んでくれと迫った小蒔などは名前にさん付けになっているが、これだって長い交渉の末だ。

それでも敬称を絶対取らない辺り、ある意味彼女らしい。

皆はそれを彼女の生来の上品さや丁寧さによるものと思っているかもしれないが(それが狙いでもあるのだろう)、本来の麻弥の口調を知る京一は、そこに少なからぬ彼女の壁を感じていた。

 だけどさっきは確かに、京一、と名前で呼んでいたのだ。もちろん君付けなどではなく。

それだけの事がやけに嬉しい自分に、苦笑するしかない。

「俺も、つくづく変わってるぜ。」

 散々な扱いされているのにな、と自分でも驚く。

単なるお人よしなのかもしれない。それともお節介と言うのだろうか。

だけどそれだけではないという事に京一は気付き始めていた。







「よっしゃぁ、骨董屋ゲット!!見てろよ、絶対あのぼったくり野郎に割引きさせてやるッ!!」

「…お前、ついさっき『一緒に東京を護りましょう…(にっこりと微笑み付き)』なんて言ってたよな…」

「それとこれとは別。つーか、今は仲間より金だ。大体あいつ、絶対脱税してるからちょっとくらい割引きさせたってバチは当たんねーよ。」

「それは否定しねーけどよ……」

「警察か税務署にタレ込んでやってもいいけど、ヤバイ系の武器とか腐りかけたピザなんかを下取りさせられるのはあそこだけだしなぁ…」

「ちょっと待てッ、そういやこの前旧校舎で俺に食わせたヤツは大丈夫だったのか!?」

「今、生きてるんだから大丈夫だったんじゃないか?私は食べないけど。」

「……………」

 数日後、港区の地下神殿での闘いが終わったその帰り道。

家の方向が同じなので自然と二人並んで帰る事になった京一と麻弥の会話は、相変わらずであった。

(本当にいいのか俺ッ!!こいつはこーゆー奴だぞ!?)

京一が今更ながら涙したのは言うまでもない。

 因みにその後予想通り麻弥に落とされた如月だが、それでも一切値引きを許さなかったうえ、どさくさに紛れて自分の武器まで買わせたのは尊敬に値するだろう。

その為にまたしても京一が人知れず麻弥の八つ当たりを受ける事になるのは、もう少し先の話である…。







        【なんだか訳の分からないままに座談会】

京一「本当にこんなふざけた主人公の話が続くとはな……」

麻弥「黄龍。」

    しばし中断。どうやら草人形が砕け散ったようだ。       

京一「…俺、なんか目一杯不幸な気がするんスけど。」

麻弥「気のせいだろ。」

京一「…おまけにクサイ。で、この展開からするとやっぱ最終的には俺と麻弥のらぶらぶになるのか?」

麻弥「私に聞くな。」

京一「お!?前回と違って否定しねぇってコトは……」

麻弥「八雲ッ!!(ドカバキグシャ)単に作者が何も考えてないだけだ。次がいつになるかも怪しいし。」

京一「………………(泣きながら気絶しているらしい)」





仲悪いです、この女主と京一(おい)。
はい、単にピカ○ュウネタを使いたかったんです。
当然如月はゼ○ガメ(そのまんまかい)。
シリアス目指してたんだけどなぁ…。