【1998年11月〜前編〜】





 気付いて、しまった。







 あの時。小蒔が凶津に攫われた時。俺は必死で冷静さを装った。

親友の無事を願って懸命に涙を堪える美里や、自分のせいで小蒔を巻き込んでしまったと自らを責める醍醐の前で、俺が取り乱す訳にはいかなった。

だけど、石にされたあいつを見た時。血が逆流するような感覚に襲われた。

周りが見えなくなって、気が付いたら凶津に飛び掛っていた。

 あの時はただ、大切な『仲間』であるあいつをそんな目に合わせた凶津が許せなかった。

それだけだと思っていた。

 





 あの時。藤咲サンの家のエルが行方不明になって、皆で探しに行った時。

一人で一度家に戻ると言った彼女に、京一は一緒に付いていってやる、と明るく言った。 

確かに、いろいろ事件が続いている中、夜の道を女の子一人で歩くのは危険だ。

なんだかんだ言って、仲間思いの京一はそれを至極当然のように思ったのかもしれない。

 だけど。ボクは胸が苦しくなるのを感じた。

藤咲サンはグラマーで、大人っぽくて、それでいて実は優しくて、寂しがりやで。

ボクなんかよりずっと魅力的で。まんま、京一好みの女の子で。

───京一は藤咲サンのコト、好きなんじゃないか、と思った。

藤咲サンも前に京一のコト、「わりといい男」って言ってたし、まんざらでもなかったようで。

実際、二人が並ぶと凄くハマっていた。

 それを見るのが何故か辛かった。

京一が知らない女の子と並んでいるのを見た事なんか、数え切れないくらいある。

あいつは本当に女好きで、暇さえあればナンパに出掛けるような奴だったから。

 だけど呆れこそすれ、こんな気持ちになったのは初めてだった。  

自分でも訳が分からなくて、でもどうする事もできなくて。

胸のどこかに針が刺さったような感じのまま、二人を見送った。




 そして。そのまま二人は姿を消した。




 何処からか届けられた手紙と、一枚の写真。

その写真には京一が写っていて────赤で大きくバツが付けられていた。

 初め、その言葉の意味が分からなかった。頭が理解する事を拒んでいた。

だけど京一が姿を消しているのは事実で。

もし何も無かったのならどうしてボク達の前に姿を現してくれないのだろう。

 ……やがて、目の前が真っ暗になった。皆が話している言葉が耳を素通りする。

嘘に決まってる。あれでも京一は並の化け物より強い。殺したって死ぬような奴じゃない。

藤咲サンだっていたんでしょ?あいつが女の子を残してやられる訳がない。

何時だって自信たっぷりで、馬鹿やってて、きっとこれだってあいつのくだらない冗談なんだよね?

どれだけ否定しても、不安はどうしようもなく広がった。

 あいつと出会ってからの出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

初対面の時からボクを男扱いして殴られた京一。ラーメン屋で、慌てて食べ過ぎて丼をひっくり返した京一。旧校舎で敵に囲まれたボクを悪態をつきながらも、さり気なく庇ってくれた京一。

京一。京一。京一。お願いだから顔を見せてよ。

いつもみたいにボクをからかってよ。笑いかけてよ。お願いだから………。 





 思わず飛び出したボクを、醍醐クンが追いかけてきてくれた。

そして、涙でぐちゃぐちゃの顔をしたボクの肩を掴んで、京一を信じよう、と力強く言う。

その言葉に今更ながらはっとした。

本当に、その通りだ。ボク達が信じなくてどうするんだろう。

今までだって命に関わる事件が何度もあったけど、ちゃんと切り抜けてきたじゃないか。

今回だってきっと大丈夫に決まってる。その為にはまず、京一を信じなくちゃいけない。

自分を納得させて、ごしごしと涙を拭った。

泣いてる場合じゃないんだ。ボクは、ボクのやるべき事をする。

 それにしても、醍醐クンは凄い。

親友の京一の事、心配で仕方が無い筈なのに、こうしてボクの事まで気遣ってくれる。

本当に大人なんだなぁ、と改めて思う。 

「有難う、醍醐クン…」

 自然にお礼の言葉が出た。

「いや…」

 醍醐クンは一瞬、戸惑ったような表情を浮かべた。

「桜井、お前は……」

「え?」

「いや、何でも無い。行こう、龍麻と美里が待っている。」

 醍醐クンは何かを言いかけて止めてしまった。

いったい何を言おうとしたんだろう。結局醍醐クンはそれ以上何も言おうとしなかった。

だから、ボクも何も言えなかった。もしかしたらボクじゃ相談相手になれないのかもしれない…そう思うと少し寂しい気がした。

だけど今は、これからの事を考える方が大事だ。

京一を信じて─────。 







 やっと、決心がついた。

八剣とかいう奴に負けて、俺はそのまま皆の前から姿を消した。

自信がなかった。

あそこまで俺の技が通用しなかったのは初めてだった。

俺はあいつ等と共に闘う資格があるのだろうか。

あいつ等を護る事が出来るのだろうか。

そう思うと、仲間達の処に戻る事が出来なかった。

 だけど───明という少年に教えられた。

人間、護りたいっていう気持ちがあれば何処まででも強くなれる、と。

その気持ちが一番、大切なのだと。

 俺が護りたい奴は……命を賭けて護りたいと思う奴は、新宿に居る。

ここ数日、何故かあいつの事ばかり思い出した。

 初めは、単にあいつが仲間の中で一番付き合いが古くて、遠慮がなくて、うるさい奴だからだと思った。

だけど。底抜けに明るくて。誰よりも友達思いで。そしてあいつと一緒にいると退屈しなかった。

 一度だけ、ひょんな拍子に間近で顔を見た事がある。お互いの息がかかるくらいの距離。

思わず焦った。胸が昂ぶるのを感じた。あの時は一時の気の迷いだと自分に言い聞かせた。

 今は、解る。一度離れてみて、認識させられてしまった。

何故、こんなにもあいつの事を考えてしまうのか。

あいつに会いたいと思うのか。

…それによって失うモノがあるかもしれないけど、今はそれを考える時じゃない。

 ─────行こう。俺には為すべき事がある。







「───蓬莱寺京一、見参ッ!!」

 京一が、帰ってきた。手紙で呼び出された葛飾区の地下鉄ホーム。

京一は、まるで何事も無かったかのように、絶妙のタイミングで現れた。

 一時間後、夜の白髭公園。

新しい技を身に付けた京一と、新たに仲間になってくれた壬生クンのおかげで拳武館の刺客達を倒した今、京一がいつものようにひーちゃん達に軽口を叩いている。皆、京一と藤咲サンの無事を心から喜んでいた。

 ボクはそれを少し離れた所から見ながら、何も言う事が出来なかった。

嬉しくて仕方ない筈なのに、それだけじゃない。

 ボクの様子が変なのに気が付いたのか、京一がふと、こっちを見た。

次の瞬間。ボクは殆ど無意識に、京一の胸に飛び込んでしまっていた。

「おわッ、ど、どうしたんだよ小蒔ッ!?」

 とっさにボクを受け止めながら京一が驚いたような声をあげる。

皆もびっくりしてボクを見ているのが分かった。

確かに、ボクらしくないと自分でも思う。でもどうする事も出来なかった。

京一の制服にしがみ付きながら、涙を抑える事が出来なかった。

「…小蒔…」

 一瞬、京一がボクを抱き返してくれた。力強い腕。厚い胸板。男の人の匂い。

突然、我に返った。一気に顔が恥ずかしさで真っ赤になる。

「……この、馬鹿ぁぁぁぁっっっ!!」

 京一の胸から離れ、思いっきり顔面めがけて拳を振るう。

それがクリーンヒットし、京一は間抜けな声と共にあっけなく吹っ飛んだ。

「うわ…クリティカル…」

 ひーちゃんがぼそっと言ったけど、今のボクにはどうでもいい。

「何すんだてめぇッ!!」

 京一の怒った声が公園に響いた。それに対し、涙を拭いながら言い返す。

「ボクが…みんながどれだけ心配したと思っているんだ!!それだけで済んで良かったと思いなよッ!!」

 一息で言った。

そしてくるりと踵を返し、公園の出口に向かって走った。







────気付いて、しまった。あいつを、好きだという事に。







【1998年11月〜後編〜】





 3−Cの教室では、滞り無く現国の授業が進められていた。

病欠者はいない筈なのに空席がある。今に始まった事ではない。何の変哲もない光景。

その中で醍醐は、一つの事を考えていた。当然、授業など頭に入っていない。

ここ数日、考え続けている事。

大きく、息を吐く。───ようやく、結論を出せた。






 その日、京一は既に何度目か分からない自主休講を決行し、屋上で一人、手摺に凭れて風にあたっていた。

秋も過ぎたこの季節、昼下がりとはいえ風は心持ち冷たい。

 拳武館の件が解決して1週間が過ぎていた。

姿を消して心配をかけた事を仲間達に散々怒られたが、ようやく元の生活に戻りつつある。

もっとも、真の敵の正体が未だはっきりしない以上、平和とは言えない。

それどころか日毎、この東京に危機が迫っているのを肌で感じていた。

 キィ、と屋上の扉が開く音に振り返る。

「醍醐か…どうした、堅物のお前がトレーニング以外でサボるとは珍しいな。」

 京一は小さく笑って来訪者を迎えた。

醍醐は黙ったまま、京一の立っている場所へ近付いて来た。

険しい顔と只ならぬ雰囲気に、京一が更に問い掛けようとした瞬間。

京一の身体は吹き飛ばされた。

頬への渾身の一撃。《力》は一切使っていない。それでも京一に膝を付かせるには充分過ぎる威力があった。

「…てめェ醍醐!!何しやがるッ!!」

 全く手加減がなかった。切れた口を手の甲で拭う。

これが京一じゃななかったら間違い無く病院送りになるところだ。

ふら付きそうになる足を励ましてなんとか立ち上がると、木刀を目の前に突き出す。

「姿を消してた事なら、とっくに謝っただろッ!」

 他に殴られる理由はない。…今はない筈だ。

「その事じゃないッ」

 醍醐は鋭く否定すると、少し言葉をきった。

「…お前、俺に何を遠慮してるんだ?」

 思わず京一は息を飲む。その言葉の意味は……………

「俺達の絆は、そんなものだったのか。そんな事をして、俺が喜ぶとでも思ったのか。」

 静かに、醍醐は一言一言噛み締めるように言った。

「醍醐……」

「今の一撃で目が覚めたなら、それでいい。後はお前の好きなようにしろ。」

 それだけ言うと醍醐は京一に背を向け、出口に向かってゆっくりと歩き出す。

ふと、背中を向けたまま思い出したように付け足した。

「言っとくが、また泣かしたらこれくらいじゃ済まないからな。」

 返事も聞かないで扉から出て行く醍醐を京一はただ、見送る事しか出来なかった。

すまねェ、という言葉は醍醐に対して失礼なのは分かっていたから。







 小蒔は、小さく溜息をついた。

がらんとした教室で特に何をするでもなく、窓際の机に腰掛けて窓から見える景色を眺める。

部活を引退した今、放課後の学校に残る必要はないのだが、なんとなくすぐ帰る気にはなれなかった。

 いつも一緒に帰る葵は引継ぎが残っているからと生徒会に行ってしまった。

龍麻は古武道の師匠である拳武館の館長が海外から帰ってくるとかで、一人で葛飾区に向かっている。

醍醐は先程の授業中、突然教室を飛び出した後すぐに戻ってきたが、授業が終わった途端、HRも待たずにトレーニングジムに行くと言って出て行ってしまった。

ここ数日、何か悩み事でもあるのか考え込んでいたようなので心配なのだが、明らかに訊かれるのを拒んでいたので小蒔にはどうする事も出来なかった。

葵も龍麻も何も言わないところを見ると二人には分かっているのかもしれない。

やっぱり、自分じゃ力になれないのかと思うと気分が沈む。

 京一は……何処にいるのだろうか。

ここのところ、様子が醍醐以上におかしかった。正確には行方不明から戻って来てからか。

サボりはいつもの事なのでどうって事はない。

だけど、何か違和感があった。

傍から見ると普段と変わらないだろうが、どこか自分に対してよそよそしく感じる。

 胸が、痛い。

あの時、自分の気持ちに気付いてしまった。

もしかしたら勘の鋭い京一にバレてしまったのだろうか。

それで、京一に避けられているのだろうか。

……やっぱり、迷惑なのだろうか。

今の関係を壊したくはない。だから、暗黙のうちに拒絶しているのだろうか。

それが…京一なりの優しさなのかもしれない。

それなら自分に出来る事は一つしかない。今まで通り、振舞う事。

東京を護る、大切な『仲間』として、『友達』として。

今の関係が壊れるくらいなら、その方がよっぽどいい──────






 ガラッ、と教室の戸が開く音に小蒔が驚いて振り向くと、一人の男子生徒が立っていた。

「きょ、京一……」

 つい先程彼の事を考えていたばかりなので思わず焦る。

京一は戸を開けたまま、静かにこちらに歩いて来た。

よく見ると、左頬に朝には無かった痣がうっすらとついていた。

いつになく真剣な表情に、どう反応したらいいのか戸惑っているうちに、小蒔の座っている席まで来る。

「ど、どうしたんだよ、京一?」

 立ち上がり、動揺を隠して必死でいつものように振舞う。そう決めたのだから。

次の瞬間。

 小蒔は京一の腕の中に居た。京一が正面から抱きしめたのだ。

訳が分からず、パニックになる。顔が真っ赤に火照った。

「な、な、な、………ッ」

 何するんだよッ、という言葉が出ない。咄嗟に振り解こうとしたが、京一の腕はびくともしなかった。 

男の子って、こんなに力があるんだ、と改めて思い知らされる。

温かい胸に押し付けられ、京一の匂いに息が止まりそうになる。心臓が壊れそうなくらい激しく脈打った。

「俺、お前の事が好きだ。」

 突然、頭上から掠れたような、低い声が降ってきた。

「これは冗談なんかじゃねェ。二度と、お前を泣かせないと約束する……お前は、俺が護ってやる。」

 真剣な声。決して嘘や冗談じゃないのが分かる。

…小蒔は京一の腕の中で泣きそうになった。

喋ると涙が出そうだったので返事の代わりに京一の背中に、躊躇いがちに手を廻す。

京一は、何も言わずに更に抱き返してくれた。

 どれくらいの時が経っただろうか。

やがて、京一の力が緩んだ。顔を上げると、京一の端正な顔がすぐ目の前にあった。

「ボクも、京一の事…好きだよ。」

 瞳を見つめて、改めて返事をする。

やっと言えた。

きっと、だいぶ前から感じていた気持ち。一緒に居るのが当たり前過ぎて、気付かなかった気持ち。

だけど。

「京一は、ボクが護るね。」

 明るく笑って宣言した。護られるだけなんて、性に合わない。京一と一緒に闘いたい。

それが、自分だから。






 京一は小蒔の笑顔に一瞬固まった後、いつものように「へへへッ」と不敵な笑みを洩らした。

小蒔の小さな顔に右手を添える。

夕暮れの教室。二人の他は誰もいない。

 静かに、二人の顔が重なった。







 もうすぐ、東京に何かが起こる。

二人が出会ったのは宿星のせいかもしれない。

だけど、惹かれたのは決して運命なんかじゃない。

大切な、『仲間』。大切な、『友達』。そして、大切な…『愛する人』。

全てを護る為に、闘う。

それが、自分に出来る最大の事なのだから───────。






真神庵には2回に分けて投稿してたんですが、時期が同じなのでひとつにまとめました。
ここで初めて、京一が語った文と小蒔が語った文が出てきてます。
まだ慣れてないので難しかった…。
あ、何があったんだお前らってツッコミはなしです(爆)。
それを言ったら次に進めなくなるから。