【1998年8月】





「…ここ、か…?」

 京一のいかにも落胆したような声が鬱蒼とした山奥にむなしく広がる。

「う、うん…、たぶん…」

 応える小蒔の声もどこか不安げである。途端、京一がくってかかった。

「これのどこが、豪華別荘なんだよッ!!」

「しょーがないだろ、ボクだって叔父サンにそう聞いてただけで、来るのは初めてなんだからッ!!」

「京一…桜井を責めたって仕方ないだろう。お前だって乗り気だったじゃないか。」

「大丈夫よ、みんなで今から掃除すればなんとかなるわ。」

 醍醐と葵のフォローも京一には何の慰めにもならない。

「でもよォ…」

「じゃ、京一は今から一人で帰るんだな。」

「うッ…」

 なおも愚痴をこぼそうとした京一だが龍麻のぴしゃりとした言葉に流石に言い返せない。

もう既に時刻は夕方6時、夏とはいえ山の夜は早い。今から下山したところで、道に迷う危険がある上(それでなくてもここまで来るのに5時間はかかっている)、麓までたどりついても1日1本のバスはもう出ない。

何より疲れてるわ、腹が減ってるわでそんな気力もないのが正直なところだ。

「じゃ、早速始めようか。」

 こうして龍麻が肩に担いでいた大きなリュックを下ろしながら言ったのを合図に、彼ら真神の5人の夏休みの企画───小蒔の叔父が所有する郊外(とてつもない山奥)の別荘(正確には築10年以上は軽く過ぎ、尚且つ殆ど手入れのされていないボロボロの山小屋…しかも電気もガスも水道も通ってない!)で楽しく過ごす事───は一抹の不安を残しながらも始まった。






「ぶほッ、何だよこれは…」

 ジャンケンによって二つある寝室の掃除を任された京一は、ベッドの上に積もった埃を木刀で叩き出しながら勢いよくむせた。

「これじゃ外に薪でも探しに行ってた方がずっとマシだぜ…」

早くもげんなりする。因みに龍麻が薪となる枝を調達に(これは調理だけでなく、風呂を沸かすのにも使う。部屋の明かりはアルコールランプだ)、醍醐は15分ほど離れた所にある川に水を汲みに行った。どちらもかなりの重労働であるからジャンケンで勝った京一は楽そうな掃除を選んだのだが、そう甘くはなさそうであった。

因みに女性陣は台所周辺の掃除と、皆で分担して持ってきた食糧の下ごしらえをしている。

 これから食事にあり付けるまでの長い道程を考えるとやっぱ失敗したかな、と改めて思う。





 先月、鬼道衆との闘いが終わり、一応の平和が東京に訪れた。

だが、その最後はあまり気持ちのいいものではなかった。

徳川に利用され、罪人として闇に葬られた九角家。

そしてその血を継ぐ菩薩眼の娘、葵。どうやら深い関わりがありそうな龍麻。

 やりきれない気持ちを感じていたのは京一だけではなかったようで、夏休みまであと1週間という日、小蒔がある提案をしてきた。叔父の持っている別荘に皆で泊りがけで行こうという。受験勉強もあるし、男共と泊まるという事で最初躊躇っていた葵も小蒔の気遣いに気付いたのだろう、承諾して今回の旅行が決まったのである。

 京一としては折角補習が終わっても、いつものメンバーと山奥に行く=オネーチャン達とのひと夏の出会いに期待できない、という事で少々複雑ではあったのだが高校最後の夏休みをこいつらと過ごすのも悪くない、と思ったのも事実であった。

「しっかしなー…」

この状況では自然と愚痴がでるのも仕方ない。

少しくらい埃が残っててもいいか、とベッドに腰を下ろした時。



 どくん。

強烈な胸騒ぎを感じて京一は寝室を飛び出した。





「わッ、どうしたんだよ京一!?」

 突然大きな音を立てて台所にやってきた京一に小蒔が怪訝そうな声をかける。

葵は蒼白な顔をしていた。京一はそれを見て先程の感覚に確信を持つ。

「いいから、すぐ外に出ろ!!」

 有無を言わさず怒鳴ると、2人の背中を押して台所の裏口から山小屋の外に無理やり放り出し、自分も外に出た。

「な、何!?」

 小蒔の抗議も無視して既に薄暗くなった周辺を見渡す。

と、龍麻の声が遠くから聞こえた。

「みんなッ!!」

「ひーちゃんッ!!これは…ッ」

───薪を取りに行った筈の龍麻が森の奥の方から駆け寄ってくるのと同時に、地面が大きく揺れた。






 地震による山崩れ、とでもいうのだろうか。地面はひび割れ、木が次々に倒れる。

それでなくてもボロい山小屋はすぐに崩壊した。

 激しい揺れの中、更に土砂が頂上から雪崩のように襲ってくるのを、皆必死で走って逃れる。

力のない女達を護る為にも固まって逃げたかったのだが、視界が悪い上に倒れてくる木を避けたり、地面の裂け目に否応なく別れさせられたりで、ようやく土砂がおさまった時には気が付くと京一は暗い山の奥で小蒔と二人だけになっていた。

「おい、大丈夫、か?」

「はぁ、はぁ…うん、ボクは平気…」

 ずっと走っていたので息は荒いがどうやら二人とも無傷のようである。

「みんな、無事だよね?」

「…ひーちゃんがいるんだ、心配いらねーよ。もちろん醍醐もな。」

 根拠はないが、なぜか京一は確信できた。これくらいでくたばるような軟な奴はいない。

「そうだねッ、今までだっていっぱい危なかった事あったけど大丈夫だったし!!」

 小蒔も自分に言い聞かせるように明るく言う。そして思い出したように付け足した。

「ね、京一、何で地震がくるって分かったの?」

 どうやら本気で気が付かなかったらしい。

そういえばこいつは等々力不動尊でも一人、あの強烈な気配に気付かなかったっけ。

「ひーちゃんも美里も気付いてたみたいだけどな、凄い《力》を地下から感じたんだよ。きっとこの山も龍脈の活性化の影響を受けてたんだろ。…まぁ、今回は本当の自然現象みたいだけどな。ったく来た早々、ついてないぜ。」

 鬼道衆亡き今、次の敵襲かとも思ったのだがそれは言わないでおく。

「にしてもお前、鈍すぎだぞ?修行が足りねーな。」

「そんなの、分かる方がおかしいんだよッ」

 小蒔はむくれて倒れた木の上に座り込む。

それを見て京一は新たな問題に気付いた。

地震が起きてから軽く2時間は経っている。山小屋からかなり離れてしまった。

辺りは真っ暗、倒れた木々が散らばっているだけで何の目印もない。

がむしゃらに走ったので完全に登山用の山道からも外れてしまっている。

山篭りの経験のある京一でも知らない夜の山で動き回るのは自信あるとは言い難い。

「わッ!?」

 いきなりあがった声に振り返ると、何時の間にか少し離れた所で地面の亀裂を覗き込んでいた小蒔がバランスを崩したように身体をふらつかせたところだった。

「馬鹿、何してんだッ!」

 とっさに駆け寄り、危機一髪、腕を掴む。

が。ほっとしたのもつかの間、京一の足元の地面が崩れた。






「…う…ん……」

 小蒔は小さくうめき声をあげて目を覚ました。冷たい地面から身体を起こす。

ここは何処だろう。地震があって、山を走り回って、そうだ、地面の穴に何か落ちたような気がして覗き込んでたら足がすべって…。

「気ィ付いたか?」

「京一!?」

 真っ暗なのですぐに分からなかったが横に京一が座っていた。

「ったく…とんだ災難だぜ。」

 そうか、京一も一緒に引きずり込んでしまったのか。

「ご、ごめん…」

 確かに自分が悪い。と、京一は何やら物体を小蒔に差し出した。

「ウサギ…?」

「こいつもお前みたいに落っこちたんだろうな。ま、潰さなくて良かったぜ。」

 何か落ちたと思ったのはこの子だったんだ、とウサギを受け取りながら思う。

この子も怪我がなくて良かった。

怪我…?はっとして、改めて自分と京一を見る。自分は見た所、多少身体が痛いが大きな怪我はない。だが京一は。さっきは気付かなかったが、今は暗闇に目が慣れ、京一の姿がぼんやりと分かった。

「京一ッ、その腕…ッ」

 左腕が真っ赤に腫れ、ふくれあがっている。強い打撲の痕だ。もしかしたら骨折してるかもしれない。

「あぁ?…大したコトねェよ。ちょいとドジッただけだ。」

「でも……」

 小蒔は改めて自分の周りを見る。ただの地割れにしてはおかしい。ここはおそらく地下水脈の跡か、もともと空洞になっていたのだろう。さっきの地震で入り口が広がり、ちょうど井戸のようになったのか。

今いる底は直径2mくらい。上を向くと、満天の星空が見える。地上まで…約10m。

(きっと、京一はボクを庇ったんだ…)

胸が痛くなる。いつも馬鹿ばっかりやってるくせに、こういう時だけ『男』を見せるのだ。

地震の時だって、京一が気付いていなかったら今頃大変な事になっていた。

「それよりも、今日はここで野宿だな。」

「ええッ!?」

 あっさりと言った京一の言葉に動揺を隠せない。

「しゃーねーだろ、このカベじゃ上にゃ上がれねーし、どっちみちこんな真っ暗じゃ山ん中で遭難するのがオチだぜ。朝になればひーちゃん達が探しに来てくれるって。」

「そ、それはそうだけど…」

 これでも女の子なのだ。仲間とはいえ、よりによって女グセの悪い京一とこんな狭い所で一晩過ごすのは正直、抵抗がある。

そんな小蒔の様子に気付いたのか、京一はにやりと笑って言った。

「心配すんな、俺はオトコにゃ興味ねェ。」

「まだ言うかッ!!」

 出会ってから2年半、何回男扱いされたか分からない。ウサギを左手に抱えたまま、すかさず張り手が飛ぶ。

が、京一は軽く頭をずらして避けてしまった。

そして小蒔の顔のすぐ前まで顔を寄せる。頭上の星の明かりだけが頼りの暗闇の中、いつになく真剣な眼差しで低く囁く。

「…それとも、今、女扱いしてほしいのか…?」

「ばッ…!!」

 予想外の事に、顔が真っ赤になっているのが自分でも分かる。声が震えた。心臓が壊れそうなくらい速く脈打つ。

お互いの息遣いを感じる程の距離で見詰め合ったまま1分が過ぎた。そして。

「ぶわははははははは!!」

 京一の馬鹿笑いが狭い穴に響いた。

「じょ、冗談に決まってんだろーッ!!」

 固まったままの小蒔をよそに、京一は右手で地面をどんどんと叩いて笑い転げる。

……やがて小蒔は静かに、足元に落ちていた30cm程の小枝(自分達が落ちた時に一緒に入ったのだろう)を拾った。

弓はなくても矢があれば要領は同じだ。ウサギをそっと地面に降ろし、枝に《力》を込める。

「は…は…苦しい〜〜……、っておい小蒔ッ、何だそれはッ!?」

 気付いた時はもう遅い。思いっきり腕を振りかぶる。

悲鳴とともに京一はあえなく深い眠りについた。

おかげで小蒔もようやく安心して眠る事ができたのである。






「う……」  

 京一は目を覚ました。左腕がずきん、と痛む。

身体を起こし、上を見る。まだ夜明けには早いようで、薄暗い。日が昇るまであと1時間というところか。

 横を見ると、小蒔がウサギを抱いたまますやすやと眠っていた。

緊張感のなさに、思わず苦笑する。着ていたシャツを脱いで上に掛けてやった。

脱ぐ時に動かした左腕がズキズキする。どうやらマジでやばそうだ。

さっき小蒔にやられた分はともかく、早いとこ葵に治療してもらう必要がある。

 この穴に落ちた時、とっさに小蒔を抱きかかえて地面への激突を抑えたが、無理な体制ではまともに受身をとる事ができなかった。小蒔に修行が足りないと言ったが、あまり人の事は言えない。それでもこの程度で済んだのは《力》のせいか。 

 だが。正直、この怪我に救われた感もある。このおかげで…変な気を起こさずに済んだのかもしれない。

 あの時。緊張しているらしい小蒔を安心させてやろうといつもの冗談をかました。

だけど、つい調子に乗ってしまった。普段女を口説く時のように、顔を近づけてしまった。

高校に入ってからの付き合いは長いが、ここまで近寄ったのは初めてである。いつも皆でいるから(特に3年になってからは)、本当に二人っきりになったのも初めてかもしれない。

 思わずどきりとした。

意外に繊細な顔立ち。強い光を宿した瞳。形のいい唇。

星明りの中で見ると妙に色っぽくて、余計に神経を昂ぶらせた。

 肩に腕をまわし掛けて鋭い痛みが走り、我に返った。

自分は何をしようとしていた?相手は小蒔だぞ?

慌てて冗談だと誤魔化して、小蒔に先程の行動を悟られないようにした。どうやらそれは成功したようである。

小蒔が拾った枝に《力》を込めるのに気が付いたので、そのまま技を受けてやった。

それが一番いいと思ったから。 




 俺達は『仲間』で、大切な『友達』だから。

小蒔もそう思っているのは確かだ。この関係を一時の迷いで壊したくなかった。

もし、俺が手を出していたら、きっと小蒔は俺を軽蔑していただろう。

女なら誰でもいいのかと烈火のごとく怒るに違いない。

確かに俺は女好きだが決してそんな事はない。

あの時は…確かに小蒔に惹かれたと思う。…小蒔だから、惹かれたのだ。

 だけど。今更、誰が信じるだろう。自分でも信じられないのに。

そしてそれ以上に小蒔も……醍醐も傷つけたくはなかった。

面と向かって言う事はまずないが、二人とも本当に大切だから。






「おい、いいかげん起きろ。」

 京一の声に小蒔は一気に目を覚ました。

「え、今、何時!?」

 慌てて立ち上がると、何時の間に掛けられたのか、京一のシャツが地面に落ちた。

「寝ぼけてんじゃねーよ…」

 心底呆れたような声に状況を理解し、流石の小蒔も何も言えない。

案の定、京一は上半身裸で穴の側面にもたれて座っていたが、その顔は苦笑していた。

上を見ると、真っ青な空が見える。既に日が昇ってだいぶ経つのだろう、この深い穴も幾らか明るい。ウサギも小蒔よりは早起きだったようで、足元で鼻をひくひくさせている。

 突然、小蒔のお腹が思い出したように大きく鳴った。そういえば昨日の夜ご飯は食べ損なっている。

「ほんっとにお気楽な奴だな…」

 京一はシャツを拾って着ながら感心したように言う。

「うるさいなッ、仕方ないだろ!」

 つい、いつものようにやり返す。上着のお礼を言いそびれてしまった。

それに、寝顔を見られたと思うとなんだか照れくさくて京一の顔をまともに見れない。

「ま、もう少しの辛抱だ。」

「え、どういう事?」

 やけにはっきり言う京一に質問しかけた時。

「京一!小蒔!どこに居るんだ!?」

「小蒔!返事をして!!」

「怪我はないか!?」

 よく知る声が遠くの方から聞こえた。

「ひーちゃん!?葵、醍醐クンも!?」

「おう、ここだ!!何かロープみたいな奴を頼む!!」  

 京一の返事が届いたのだろう、ばたばたと走る音が近寄ってくる。

信じられない。

3人が無事だった事に改めてほっとする。だけどこんな山奥で、こんな早くに助けに来てくれるとは思わなかった。

京一はどうして分かったのだろう。それに、さっきから減らず口を叩いてはいるが何故かやけに疲れた表情をしているのは気のせいだろうか。





 数分後、感動の再会と共に、穴の入り口から下ろされた木の蔦によって小蒔はようやく外に出る事ができた。

 たった一晩だけの地下生活だったが地上の空気が気持ちいい。

明るい中で周りを見渡すと、昨日の山崩れの跡が生々しかった。完全に元の山のようになるには何十年もかかるだろう。

一緒に救い出したウサギを放してやると同時に、葵が「良かった」と抱きついてくる。

本当に心配させてしまったようだ。

すぐ横では自分の後に助け出された京一が醍醐と龍麻に小突かれていた。

「まったく…相変わらず無茶するな、京一は。居場所を知らせる為とはいえ、その怪我した身体で氣を限界まで放つとは。」

「俺達が気付かなかったらどうするつもりだったんだよ。」

「ま、いいじゃねーか、おかげで早く再会できたんだし。おっと美里、治療頼むわ。」

 葵が慌てて京一に奇跡の光をかける。

小蒔はようやく納得した。……本当に、京一は格好つけすぎだ。

「と、ところで、その…」

 ふいに醍醐が何故か顔を赤くして小蒔に話しかけてきた。

「何?醍醐クン?」

「いや、そのだな…」

 どうも何が言いたいのか分からない。醍醐クンらしくないと思う。

と、龍麻がおどけたように明るく言った。

「小蒔、真神一の女ったらしに何か変な事されなかったか?何なら、俺がトドメ刺してやるよ?」

「なッ…」

 言ってる意味が分かって顔が赤くなる。昨日のアップを思い出してしまった。

「そんなコト、あるわけ…」

 慌てて否定する前に、すかさず葵の治療を終えた京一が口を挟んだ。

「いくら俺でもオトコに手ェ出す程、落ちぶれてねェよ。」

 ───今度は綺麗に右ストレートが入り、京一はあっけなく吹っ飛ばされた。

「…さ、馬鹿は放っといて行こ!ボク、お腹空いちゃった!」

 龍麻、醍醐、葵はいつもの光景に苦笑する。






 結局その後、皆揃って倒れた木々の間を縫って下山した。

本来の道から外れてはいたが、夜と違って明るいので下山するのもそう難しい事ではない。

意外にも山に詳しい京一の知識が役に立った。

山小屋の荷物は土砂に埋もれてしまったので諦めるしかなかったが、幸い、龍麻と醍醐は財布を身に付けていたので何とかなりそうである(旧校舎で稼いだ金はかなりの額になる)。

 せっかくの高校生活最後の夏休みなのだから、このまま麓の民宿あたりで数日過ごすのも悪くないだろう。






 今はまだ、このまま、この関係でいたい。

いつか、誰かが誰かを選ぶ事になって、その結果、誰かが傷つく事になるかもしれない。

だけど、今はこのままで───────………






はい、夏休みのこの時期に鬼道衆を倒してるワケありません…(汗)。
投稿してからも長い間その事実に気が付かなかった私は大馬鹿者です。
ちゃんと攻略本で確認しろよ自分!!って感じですね(涙)。
初登場の男主人公ひーちゃんはこの時から密かにお気に入り♪←誤魔化すな