【1997年10月】 涼しい風が初秋の香りを校舎の屋上に運ぶ。 蓬莱寺京一は一人、コンクリートに寝転んで蒼い空を眺めていた。 もう5限目は終わった頃だろう。 昼休みからここに居たのだが、なんとなく授業を真面目に受ける気分じゃなくてそのままサボってしまった。 もっとも、自主休講は今日に始まった事ではない。 教師も友人達も困った奴だと呆れてはいるだろうが、知った事か。 どうせ教室にいても机を枕にして寝るだけだ。東京の空気は決して澄んだものとは言えないが、それでも教室よりは屋上の方がマシであった。 さて、これからどうしようかと身体を起こしながら思案する。 もうすぐ部活が始まる時間だ。 自分から望んだものではないが剣道部の新部長としては部活に出るべきなのは分かっている。 しかし正直、部活は楽しいものとは言い難い。 練習が辛い訳ではない。ただ、物足りないのだ。 喧嘩別れしたとはいえ、一流の剣客に師事を受けた京一には高校剣道など子供の遊びのように思える。後輩に稽古をつけようにも、自分の本当の力に付いてこれる奴はいない。 ふと、友人の顔が頭に浮かんだ。 醍醐雄矢。真神で自分とタメを張れるのはあいつしかいない。 醍醐もレスリング部の部長になったと言っていた。 面倒見のいい奴の事だ、きっと嬉々として後輩に稽古をつけているだろう。 何事も真面目で、自分とは正反対である。 そんな醍醐も転校して来る前は何やらあったようだが京一から訊くつもりはない。 クサイ台詞だが「今」のあいつを信じている、という奴かもしれない。
「困った奴だ。せめて部活くらい出ればいいんだが。」 HRが終わったのだろう、生徒達のざわめきが広がる中、聞き覚えのある声が渡り廊下の方から僅かに聞こえた。 京一が手摺から覗き込むと、やはりよく知る人物が並んで歩いて行くのが見える。 醍醐と桜井小蒔だ。確か小蒔も弓道部の部長になった筈だ。 二人ともこれから部活に出るのだろう。 小蒔といつも一緒にいる美里葵はおそらく生徒会か。 話の内容はともかく、こうして二人が仲良く歩いているのを傍から見ると、なかなか絵になっていた。 「ほぉー………」 京一は手摺に頬杖をついて、からかいとも感嘆とも言えない声を出す。 何時からだろう、醍醐の気持ちに気付いたのは。 もともと京一は勘が良い。 その上、醍醐は生真面目であり、女関係については純情な事、小学生以下だ。 醍醐本人は必死で隠そうとしているが、奴が小蒔に惚れているのは一目瞭然であった。 美里はもちろん、ちょっと親しい者ならすぐ分かるだろう。 気付いていないのは小蒔くらいだ。 そう、小蒔はどうやら自分に対する好意に少しも気付いてないらしい。 醍醐の事も『頼り甲斐のあるお兄ちゃん』と思っている節がある。 運動神経は動物並にいいくせにとことん鈍い。 醍醐もあんな性格だから思いを打ち明けるなんて事は難しいだろう。 横で見ている京一としてはじれったいったらない。 しかし、つくづく、なんであんな男女がいいのか不思議だ。 顔はまぁ可愛いと言えない事もないがスタイルはナイスバディとは程遠い。 美里なんかと比べると少年体型という言葉がぴったりくる。 そしてあの男勝りの性格。京一がちょっとからかっただけで容赦のない拳が飛んでくる。 まさか醍醐の奴、Mの気があるんじゃないだろーな、と考えかけて慌てて打ち消す。 あのガタイでマジだとしたら怖すぎる。 それでもなんだかんだ言って、『友人』としては京一も小蒔の事を醍醐と同じように認めていた。弓を持たせたらその辺のチンピラより強いのは確かだ。いつも明るくて(お気楽ともいうが)、そこに居るだけで場を和ませるのは一種の才能だろう。 小蒔には悲しい顔は似合わない。幸せになって欲しいとは思う。
廊下を歩いていた二人は京一に気付く事もなくとっくに見えなくなっていたが、ふいに浮かんだ単語に京一は自分でも驚いた。 何で自分が小蒔に対してそんな事を思わなくてはならないのだろう。 醍醐じゃあるまいし。娘を嫁に出す父親のような気持ちとでもいうのか? そりゃ、誰だって余程嫌っている奴でもない限り、すすんで不幸になって欲しいとは思わないだろうが、『幸せになって欲しい』は友人の気持ちとしては少しヘンかもしれない。 「…らしくねェよな、やっぱ…」 苦笑するしかない。 こんな時は。 「よっしゃーッ、ナンパに行くかッ!!」 思いっきり伸びをして頭のもやもやを吹き飛ばす。 気分が乗らない時は部活なんかやっても上達しない。そういう時は好きな事をするに限る。 そう結論付けると、京一は屋上の出口に向かって歩き出した。
おー、なんか青春って感じだね京一(笑)。 |