ねえ。

何故? どうしてそんな事を言うの?



「エドワードとお呼び下さい──お嬢様」



色とりどりの花。立派な木々。薔薇のつたうアーチと、白い屋根の東屋。

庭師によって整えられた中庭を風がさわさわと通り抜ける。

家紋の入った黒い制服に白い手袋、肩より少し長い金髪を後ろで纏めたロックベル家執事長の声はあくまで冷静だ。

同い年だけど頭ひとつ分あたしより背の高い(…背の高い?)彼は、

籐の椅子に腰掛けたあたしの隣まで静かに歩み寄ると淡々と続けた。



「今までも何度も申し上げました。私の事はエドワードとお呼び下さいますようにと。

そして弟の事はアルフォンスとお呼び下さいとお願いした筈です」

「それはお願いじゃなくて強制って言うのよ。あたしは納得していないわ」

「ウィンリィお嬢様……」



困ったように苦笑するのは、エドではなくその後ろに控えていたアルだ。

堅物の兄よりずっと物腰が柔らかい弟は、頭ごなしにあたしに強制したりはしない。

だけど彼もエドと同意見なのだろう、敢えてエドの言葉に反論を唱えはしなかった。

そんな2人を見上げてキッと睨む。


「あたし達、幼馴染よね? 昔はエド、アル、ウィンリィってお互い名前で呼んでたわよね?」


対する応えは無言。イコール、反論できないという事だ。当然だ。実際そうだったのだから。

なのに、あたしがたった数年間の留学から戻ってきた日から状況は変わってしまった。

──ロックベル家時期当主であった父が、急死してしまったから。



「私達は、ロックベル家に拾われた身です。新しく時期当主になられた貴女を呼び捨てにする事などできないと

何度も申し上げた筈です。同様に、私達を昔の愛称で呼ぶ事もお控え頂かなければ下の者に示しがつきません」



眼鏡の奥の眉をぴくりともさせず、何度も聞いた模範解答を寄越すエド。

彼がこの若さで現当主であるお婆様に家を任されているのは、それだけの実力があるからだ。

天から授かった知性・記憶力・判断力・決断力・護衛としての運動能力に加えて、

それらを磨き上げる努力と向上心は口先だけの名家の子息とは比べ物にならない。

更にエドの補佐役であるアルの見事なサポートが、彼の地位を不動にする。

本当ならこんな古くて広いだけの家で働くより、もっといい働き口があっただろうに彼らはここに残ってくれた。

それだけであたしは感謝してもしきれないのだけど。



「お嬢様も本当は分かっているのでしょう?」



やんわりと言うアルの言葉に俯く。

そう、分かってる。

あたし達はもう、昔のように無邪気にじゃれ合える立場じゃない。

来月のあたしの誕生日には、

現役引退するお婆様に代わってあたしはエドやアル達使用人の正式な主人となる。

そしてこの身の全てをロックベル家に捧げる事になるのだろう。

エド。アル。ウィンリィ。そんな風に笑って呼び合える事はもうない。

凄く近くにいるのに、決して交わる事のない平行線───

ちりり、と胸が痛む。



「───お嬢様、ご命令を。私達は、お嬢様の忠実なる僕なのですから」



胸が痛い。苦しい。お願い、その声でそんな事を言わないで。

そんな他人を見るような目であたしを見ないで。

あたしは───



「…エドワード。ロイヤルミルクティーを、頂戴」

「畏まりました───お嬢様」



同い年の娘に深く頭を下げ、振り返らずにこの場を立ち去る幼馴染の姿に眩暈がする。

あたしは、とてつもなく大きな何かを失った気が………した。






























「────おい」

「…………………………」

「いつまで寝てんだ、もう飯だぞ」

「…………ん…………あ………?」



肩を軽く揺すられて、あたしは漸く自分が眠っていた事を知った。

というか腕が痺れて痛い……この硬さは木? 机?

あたし、机に突っ伏して寝ていた………?



「……あ…れ………?」



ゆっくりと上半身を起こして未だ霧が掛かったようにぼんやりする頭を振り、

そこで漸く机の傍らに立つ人影に気付く。



「……エドワード? ロイヤルミルクティーの用意ができたの?」



───この時のエドの顔は、まさに『鳩が豆鉄砲を喰らった』と言うに相応しいだろう。

……この目でその瞬間を見た事がある訳じゃないけど。



「なななナンだそれはっ!! え、エドワードって……ミルクティーって、ねねね寝惚けてんじゃねーよっ!!」



何故だか異様に動揺し、警戒するように後ろに跳び退る三つ編みの少年の姿に、やっと我に返った。

ああそうだ。

ここは機械鎧のロックベル工房の、あたしの部屋。

あたしはただの機械鎧技師であり、整備師。

あんなのは夢に決まっている。



「……良かった。ちっこくて口の悪いエドだ」

「喧嘩売ってんのかてめえ!!!」



ちっこいという言葉に反応して、今度はあたしに掴み掛からんばかりに身を乗り出してくるエド。

それでこそ、短気で喧嘩っ早い───いつも通りのエドだ。

ふと机の上を見ると前の方の頁で開かれたままの分厚い本が目に入った。

先日、雑貨屋さん家のメアリーが「絶対面白いからウィンリィも読んでみなよ!」と半ば強引に貸してくれた小説だ。

富豪の娘とその家に仕える執事の禁じられた恋物語。

普段の自分ならまず買わないだろう類の本を

エドの整備も終えてたまたま暇になったタイミングに読んでみようと思い立ったはいいが、

慣れない恋愛小説など読んでる間に眠くなったらしい。



「……執事の名前が『エドワード』って意味では確かに面白いわよね」

「ああ!? さっきから何訳分かんねー事言ってんだよ!?」



苦笑しながらぽつりと呟いた言葉に、まだ先程の「ちっこい」についてぎゃーぎゃー喚いていたエドが吠える。

まるでチンピラだ。

勿論この本に出てくる娘の名前はウィンリィではないし、優秀な弟の名前もアルフォンスではないが、

メアリーはこの本の登場人物とあたしの幼馴染の名前が同じである事を踏まえて面白いと言ったのだろう。

頭脳はともかく、背が高くてカッコ良くてクールな執事と

チンクシャ暴れん坊豆ちびを比較して笑うのを耐える事ができる村人はそうそういないに違いない。

おかげであたしまで変な夢を見てしまった。



「……おまえ、またナンか失礼な事考えてるだろ」



いっそう不機嫌そうな声が耳に届く。

………野生の勘というか、こういう事には鋭いのよねこいつ。

あたしは本に向けていた視線を戻し、真正面からエドに向き直った。



「エド」

「お、おう!?」



50センチほどの至近距離で改まって名前を呼ばれ、明らかにエドがうろたえる。

近寄ってきたのは自分のくせに、なに今更動揺してるのよ。



「ウィンリィって呼んで」

「……は?」

「いいから。お願い」

「どうしたってんだよ、ヘンだぞおまえ」



本当に訳が分からない、という様子で目を瞬くエド。

分かってる。ヘンなのはあたし。あんなのはただの夢でしかないのに。

それでも。



「……ウィンリィ」



必死な様子に何かを感じ取ったのか。

静かに名前を呼んでくれたエドに、あたしはなんだか泣きそうになった。

そのまま両腕を伸ばしてエドの首に回し、機械鎧の肩口に顔を埋めるようにして抱きつく。



「なっ……!?」



唐突な行動にエドが硬直してるのが分かった。

ごめん、驚かせて。

でも今だけこうさせて。

あたしを安心させて。



「お願い。エドはずっと、このままでいて。あたしの大切な幼馴染でいて」



───いつかはエドも、あたしから離れていくのだろう。

機械鎧整備師と患者という関係も、エドが生身の身体を取り戻したら消えてしまう。

だけどせめて、あたしがエドの幼馴染であるという事だけは消さないで。

幼い頃から続く思い出──楽しかった事も辛かった事も全部なかった事にしないで。

他人行儀にならないで。

───あたしの知らない素敵な女性と結ばれても、幼馴染であったあたしを忘れないで。

胸が、痛い。

さっきの夢でも感じた痛み。

なんで?

なんであたし、こんなに苦しいの?





「………馬鹿か、おまえは」





長い沈黙が過ぎ───ふう、と溜息と共に放たれたエドの声が耳に落ちる。

強張っていたエドの肩からはいつの間にか力が抜けていた。

見た目よりずっとがっちりした身体からそろそろと自分の身体を離すと、

怒っているような、困っているような、なんとも複雑な表情をしたエドと目が合う。



「……どうせあたしは馬鹿ですよ」

「ああ馬鹿だ。大馬鹿だ。どーしよーもねーな」

「…………う。そこまで言わなくても……」



そりゃ国家錬金術師様にはどうあっても敵う訳ないじゃない。

自分で分かっていても、面と向かって断言されると結構クるものだ。

金の瞳をまともに見れなくなって目を伏せる。



「───ずっと幼馴染のままでなんて、いられる訳ねーだろ」



そこに思わず突きつけられた言葉に、がんと衝撃を受けた。

そんな……やっぱり迷惑なの?

あたしって邪魔な存在……?

耐えようとしても、自然と目に浮かぶものを止められない。

ダメだ。こんな顔、エドに見せられない。

床を見つめ、両手で作業ズボンを掴んで必死に涙を耐える。

笑って「そうだよね」って冗談っぽく言わなきゃ。




その時。

ふ、と影が落ちて俯いていた鼻のアタマに何かが触れた。

………え。

今のって?

考える間もなく、がばっと正面からエドの腕に抱きすくめられる。

優しさとかスマートさの欠片もない、抱擁。



「え、エド!?」

「おまえが先にやったんだろ」

「そ、そうだけど、さっきのはキ…っ」

「利子。馬鹿言ってこれくらいで勘弁してやるだけ、マシと思え」

「何それぇ!?」



ていうか、なんでそんなに偉そうなのよあんたは!

さっきまでアタフタして硬直してたくせに!



「今はただの幼馴染だからこれくらいしかできねーし、何も言えねーけど。
幼馴染、プラスアルファって選択肢もある事を忘れんな」



すぐ耳元で。あたしにしか聞こえない、本当に小さな声で。

それでも宣戦布告するようにはっきりと紡がれる言葉。

………待って、それって。



「あー腹減った!! ばっちゃん待ちくたびれてるぞ、さっさと下りて来ないとおまえの分もオレが食うからな!」

「ちょっ……待ってよエド、あたしの分残してよ───!!」



だけど、抱き締められたのも一瞬なら離れたのも一瞬。

あっという間に部屋を飛び出してバタバタと階段を下りていくエドの後を、あたしも慌てて追いかける。

「遅いよ兄さん、ウィンリィの部屋で何やってたのさ」「アホ、何もある訳ねーだろ!」という兄弟の賑やかなやりとりと、

「いいから早く席に付きな、冷めちまうよ」というばっちゃんの声が階下のダイニングから聞こえた。

ああ、これがあたしの家だ。

何処かのお屋敷のように広くはないけど、あったかくて、とても居心地のいい場所。

バタンと乱暴に閉めた部屋の扉の向こうで、

あの本の頁がぺらぺらと捲れたのがちらりと見えた。








───幼馴染って、フクザツ。

家族のようで、他人。近いようで、遠い存在。

だけど胸の痛みが嘘のように消えていくのを、あたしは確かに感じていた─────

















はい。珍しく乙女ウィンリィです。
巷で流行りのお嬢様ウィン&執事エドを書きたかっただけなのですが(完全パラレルではないのが無駄な拘り)
気付けばおまけの思春期パートの方が長くなってしまいました。
リゼンブールなのでこのウィンリィはまだ自覚してないんだけどねー。
エドにしてみれば「幼馴染=ずっとお友達でいましょう」はある意味死刑宣告かと。
そしてそこで引き下がらないのが俺様エドというか、どんだけ自信あるのかと。
まー双方無自覚なだけで周りから見ればとっくにバレバレなんだろうけどさ。
それでも鼻キス(※おでこじゃないのは届かなry)止まりなのがへたれ兄さんクオリティ(笑)。
やるだけやって逃げに入るワンパターンも兄さんクオr(全部それで済ますな)

余談ですが、最初に名前を呼ばれたエドが動揺してるのはミルクに反応した以上に
寝起きウィンの色っぽい眼差し+慣れない呼び方でごっつ焦ったからだと思われ。
エドはたまにアルをアルフォンスと呼ぶけど、
ウィンリィはまずエドワードとは呼ばない。アルフォンスも同じく。
ごくごく稀に呼ぶとしても、機械鎧を壊したエドが恐る恐る「ウィンリィさん」と呼ぶのと同じ感覚です。
ウィンリィは兄弟以上に兄弟を家族だと思ってるからね。
そういう意味でも、絶対に他人行儀にフルネームで呼ぶ事はないかなと。
逆にエドやアルの方からは……ごめん、これは一生「ウィンリィ」のみでお願いします。
同人界で良く見る「リィ」呼びは、呼ぶ方も呼ばれる方も別人のような気がしちゃうんだ……。
なので結婚しても兄さんには「ウィンリィ」と呼んで戴きたい。
あ、アレの最中に「ウィン……リィ…っ」とか掠れるのは全然OKですよ。
寧ろどんどんやry(やめい)



(08.09.28.UP)