ガションガション、と既に身体の一部となっている金属音が闇に響く。

都会の喧騒の中ならともかく、

夜になれば人っ子一人通らないような田舎では歩く度に鋼が擦れる音を消す事はほぼ不可能に近い。

だからボクは特に隠れる事もせず、玄関を出て真っ直ぐにその小さな影に歩み寄った。

ロックベル家から程近い丘の上、昔よく登って遊んだ木の根元にぺたりと座って夜空を眺めていた人物は

確かにボクに気付いている筈なのに、何も言わない。

ただ黙って前方の暗闇を眺めている。

いや、睨んでいると言った方が近いかもしれない。



「………兄さん、そんなカッコで外にいたら風邪ひくよ。夜は冷えるんだから」



肩を竦め、溜息をひとつ。

本当に溜息が出る訳じゃないけど、どうにも健康管理に無頓着な兄を持つと苦労する。

いくら日頃から鍛えているとはいえ、

秋も深まりつつあるこの季節に上半身裸のまま夜の屋外をうろうろする馬鹿が何処にいるんだよ。

綺麗に畳んであった洗濯物の山から見繕ってきた長袖シャツをばさりと黄色い頭の上に被せるように落としてやると、

兄さんは漸くボクの方を振り仰いだ。

月明かりに僅かに照らされるその顔は、不機嫌そのものだ。



「………わざわざ持ってきたのかよ」

「今すぐ連れ戻しに来たって訳じゃないんだから、お礼くらい言ってよね」

「………………………アリガトよ」



ここでも何気に目を逸らす辺り、兄さんはまだまだ甘い。

反論するだけ無駄と悟ったのか素直にシャツを受け取ってコードが剥き出しになった右腕に袖を通しながらも、

『こんなところ、おまえには見られたくなかった』と全身で言ってる。

それだけ感情豊かで───顔を見れば何を考えているのか丸分かりなのは兄さんの長所だけど。

本当の本当に苦しい時は全部自分の中に閉じ込めてしまうのだから性質が悪い。

………尤も、兄さんが嫌がるのを分かってて堂々と声を掛けるボクも性質の悪さとしては相当なものかもしれない。

ボクはこのまま引き返すつもりはないのを示すべく、

木の太い幹を挟んで兄さんと背中合わせになるようにガシャンと地面に腰を下ろした。



「………ウィンリィ、別に怒ってはいなかったみたいだよ」



そうして、ボク達の中で何かが変わるかもしれない──決定的な一言を無造作に紡ぐ。



ずっと、ずっと、気になってた事。

そういう意味で、これはいいチャンスだった。

兄さんと同じようにボクも変わらなければならない。



「…っ!! おまっ、見てたのかよ!?」



背中の向こうで明らかに動揺する気配がする。

それだけで答えは八割方出たようなものだ。



「何も見てないよ。兄さんが急に飛び出してったからカマかけただけ」



くすりと笑って種明かしすると、くぐもった呻き声を発してどさっと地面に倒れ込むような音がした。

………兄さん、面白すぎ。

(悪)知恵と錬金術を巧みに操り、大人相手に世間の荒波を渡り歩く兄さんでもこの件に関しては全然子供だ。

それが逆にボクをホッとさせる。

いつもいつも無理して大人であろうとする兄さんは、時に痛々しくさえ思えるから。

未だ「あー」だの「うー」だの奇声を発している少年(おそらく頭を抱えてごろごろしているのだろう)を見て、

コレがかの有名な『鋼の錬金術師』だと誰が信じるだろう。



「で? 兄さんはそのまま逃げて来ちゃった訳? なっさけないなー」

「なっ………何がだ────────!!」

「ボクが言ってもいいの? 兄さんウィンリィに」

「ままままま待て何も言うな一切言うな頼むからッ!!!」



凄い勢いで木の向こう側からこちらに回り込んできた兄さんが、

地面に座るボクの鎧の口元をがばっと掌で塞ぐ。

……別に本当にそこに唇や声帯がある訳じゃないから塞がれても声も何も関係ないんだけど、

気持ちは分からないでもないからここは敢えて折れてあげるのが優しさだろう。

大人しく黙ったボクに対し、真っ赤な顔のままぜいぜいと肩で息をする兄さんは大きく息を吐くと改めてボクを見下ろした。



「……おまえ、性格悪くなったな。昔はもっと可愛かったぞ」

「そりゃあ兄さんに鍛えられたからね」

「…………ぜってー、それだけじゃねーだろ」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

「褒めてねーっての」



至極明るく笑ってみせると、生身の左手でこつんと軽くアタマを小突かれる。

そして今度はボクの隣に並ぶようにしてどすっと腰を下ろした兄さんは前方に目を据えたまま重い口を開いた。



「………言っとくけどな。ほんとに、大した事はしてねーぞ。ちょっと……魔が差したっつーか無意識っつーか」

「分かってるよ。兄さんにそんな度胸ないでしょ」

「…………アル。おまえ、さっきからオレに喧嘩売ってんのか…………?」

「客観的事実を言っただけだよ。ここでウィンリィに手を出せるくらいならとっくの昔に出してるでしょ」

「……………………」



暫しの、沈黙。

互いに何を考えているのか。

分かってしまうのが生まれた時から一緒にいる家族のいいところであり。

悪いところでもあるのだろう。

本当に大切な事は───口に出さなきゃ伝わらない事もあるのに。

でも、今日は。



「……ねぇ、兄さん。ボクに遠慮してるんだったらぶん殴るよ?」



ボクも進まなくちゃならない。認めなければならない。

いつまでもボク達は幼い子供ではいられないのだから。



「確かにね、ボクはウィンリィが好きだ。これは昔から何も変わってない」



ボクにとってウィンリィは大切な────とても大切な女の子。

それはきっとこの先何十年過ぎても変わらない。

ウィンリィが誰を選ぼうとも、ボクがウィンリィを嫌いになる事なんて有り得ない。

それだけは確信できる。

ボクの言葉に兄さんが微かに息を呑んだのが分かった。



「でもね、それで兄さんがボクに気を使うのは別問題。ボクが鎧だから? フェアじゃない? …冗談じゃない」



立ち上がり、今度はボクが兄さんの前に回り込んで随分低い位置にある鼻先にビシッと指先を突きつける。

ええ今日こそ言わせて貰いますとも。

金の目をぱちくりさせる兄さんに向かい、一気に捲くし立てる。



「兄さんは命賭けでボクの魂を救ってくれた。そして今もちゃんとボクを『人間』として扱ってくれるじゃないか。

なのにそんなとこだけ『ボクが鎧である事』を理由に逃げるのはずるい。

っていうか、兄さんの場合単にヘタレなんだよこのバカ兄!!



ほんっとにこのバカ兄は鈍ちんなんだから!!

ウィンリィが誰を好きなのかなんて、誰がどう見ても明らかだろ?

単なる幼馴染? 家族愛? 整備師の義務?
 
本気でそれだけだと思ってるの?

初恋の相手を奪われるのは正直悔しいとも思うけど、

鎧だろうと生身だろうとボクの入る余地なんかないじゃないか。

ボク達はもう、ただの幼い子供じゃない。

いつまでも子供のままではいられないんだ。

そんなの、ずっと前から知っていた事。

気付いてないのは本人だけだ。



───いや、違う。



努めて気付かないようにしてるんだ。

気付いてしまうのを、恐れている。

自分の気持ちにも。相手の気持ちにも。

それはきっと兄さんもウィンリィも同じ。

二人とも、ヘンなところで似た者同士だから。

強情だから。

……とても、優しいから。



「………………」

「………………」



指を向けたまま銅像のように突っ立つボクと兄さんの間に、再び沈黙が落ちる。

時間が止まったかのような長い長い沈黙。

やがて、兄さんが大きく……何かを吐き出すかのように今までで一番大きく息をついた。



「───青春ってか? 恥ずかしー奴だな、おまえ」

「兄さんにだけは言われたくないよっ!!」



あまりと言えばあまりな物言いに思わずツッコミ返す。

恥ずかしい青春を地で行く兄さんに言われたらお終いだ。

意味深に待たせるだけ待たせて返す言葉がそれかと怒りでわなわなと肩を震わせるボクを余所に、

兄さんは何事もなかったかのように突き出したボクの手首に掴まると(ボクは手摺りじゃないやい!)、

掛け声ひとつで地面から勢いよく立ち上がった。

そして「そろそろ戻るか」とボクの横をすり抜け、ロックベル家の方へと足を向ける。



「ちょっ…、話はまだ…!」



ふざけないでよ。ここまで来て有耶無耶にするつもり?

慌ててその背中を追いかけようとして。



「………オレ、正直言って自分でもよく分からねぇ」



頭だけ振り返って…ボクを見上げる兄さんの目は、言葉とは裏腹にやけに大人びて見えて。

踏み出した足先が止まる。



「でも多分……ケジメなんだ、これは。単なるオレの自己満足かもしんねーけど」



何かを噛み締めるように。

静かに紡がれる言葉が風に吹かれて消える。



「───オレはおまえが言うようにずるくて、弱いから」


らしくない表情兄さん。たまにはねー。


そう、自嘲するように微かに眉根を下げる兄さん。



────ああ、そうだ。

とことん不器用で。素直じゃなくて。

だけどこれが兄さんなりの精一杯の誠実さ、なんだ。

今、その気持ちを認めてしまったらウィンリィと離れがたくなってしまうのを兄さんは自覚している。

彼女を見えない鎖で束縛してしまうのを恐れている。

ボクが二人に遠慮してしまうのを恐れている。

それを分かっているから、敢えて認めないのだ。



───兄さんは『軍の狗』で、ボク達の旅は危険と隣り合わせだから。

この道を選んだのは他でもない兄さんだから。



これから先何があるか分からない。

雲を掴むような果てしない旅はいつ終わるとも知れない。

だからこそ、自ら鎖を付ける事によってバランスを保っているんだ。

彼女が、これ以上ボク達の事で胸を痛める事がないように。

ボクも、ウィンリィも、兄さんも。

ただ前だけを見て進めるように。






それが、兄さんのケジメ。






ふう、とボクは両手を腰にやると改めて夜空を仰いだ。



本当に……この兄はいつだって自分の事は二の次なんだから。

置いてくぞ、と再び背を向けて歩き出した兄さんに並ぶべくボクもゆっくりと足を進める。



「ヘタレ兄」

「うっせ」

「いつまでも待たせたらウィンリィさっさと別の人と結婚しちゃうかもよ」

「その前におまえの身体取り戻すから問題ねぇ」



うわ。

さり気なくノロケですか。自信満々ですか。

これで全く自覚なしだってのが凄いよホント。



「……そうだね。そしたらボクも堂々と参戦できるし」

「勝手に言ってろ。つーかあんな凶暴女がいいなんておまえやっぱり趣味悪すぎ」

「少なくともボクは兄さんほどウィンリィを泣かせないよ?」



せめてもの、ボクのプライド。

素直じゃない兄の暴言をさらりと聞き流した、意地悪。

だけど。




「あいつを泣かせるのはオレだけでいい。でもその時はオレもあいつを────二度と泣かせねぇ」




例え最悪の事態を想定はしていても、決して諦めてはいない。

迷いのない真っ直ぐな声。

やっと聞けた本心にボクは今度こそ鎧の表情を緩ませた。





ねぇ。

その時は、ボクもちゃんと「笑う」から。

今よりもっと二人を応援できるように───心構えしておくから。

それはとても簡単な答え。

ボクは、大好きな二人が笑ってくれるのが一番嬉しいんだ。

二人に幸せになって欲しいんだ。

それが、ボクの幸せ。






だから、一緒に頑張ろう。必ずここに戻る為に。全ての決着をつける為に。






ロックベル家の扉を開けた瞬間、

「整備の途中で出て行くなんて何考えてんのよ、機械鎧に何かあったらどうするの!!」という声と共に

兄さんの顔面に直撃したスパナを空中キャッチしながらボクは声をあげて笑った。











すみません…エドウィンなのにまたウィンリィ出てない…っ!(汗)
久々に完全アル視点です。
原作兄が実際どう考えてるかは分かりませんが、
うちの思春期兄は大体コレが基本姿勢。

アルとしては自分を理由に二人が素直になれないのは辛いと思うんだよ。
だからここでぶっちゃけちゃいましたが、
こればかりはうちの兄の性格的にどうにもならないかと。
自分へのケジメというか。人体錬成という罪を犯した罰の一環というか。
例えウィンへの気持ちに気付いても、アルが望んでも、絶対にアルを置いてウィンに告れない。
『アルを人間扱いする』のとは別物なのですよ。
むー…改めて文章にすると難しい…。

とはいえこれも1話完結話の1つなので、全部が全部そのパターンに当て嵌りません。
こういう考え方もあるかなーという事で。
アルもこの時点ではまだメイに出会ってもいないので、
二人を応援しつつも兄がウィンを泣かせたら奪う気満々です(笑)。



(06.12.09.UP)