「──────っ!!」
声にならない声を上げて、あたしは目を覚ました。
そして薄暗い中……涙で霞む視界にここ数ヶ月で見慣れた天井を認識して、大きく息をつく。
「ゆ、め……」
声が掠れる。自分の声じゃないみたいに震えてる。
実際、未だに身体がガタガタ震えて心臓もばくばく早鐘を打っていた。
とりあえずそのままの状態でもう一度大きく深呼吸して、気持ちを落ち着かせようとして。
「……大丈夫か?」
「んぐっ…!?」
枕元から唐突に聞こえた自分のものじゃない声に、今度こそ息が止まりそうになった。
慌ててそちらに顔を向ければ、頭上からあたしを覗き込む人影がひとつ。
暗闇の中でもぼんやり浮かび上がる明るい蜂蜜色の髪は。
「え、エド!? なんで!?」
普段は三つ編みかひとつに括っている事の多い幼馴染の髪は、今は洗いざらしのようにTシャツの肩に下ろされていた。
それだけでなんだか印象がガラッと変わって見える。
……いや、問題はそこじゃなくて。
よくよく思い出せばエドがここラッシュバレーにいるのは理解できる。
例によって機械鎧をぶっ壊して修理にやって来た(幸い今回の故障は軽度だったので残すは最終調整だけだ)幼馴染達は、
あたしの雇い主ガーフィールさんの厚意によって今夜は工房に1室を借りて休んでいた筈だ。
でもなんで?
ここはあたしの部屋、よね?
エドとアルの部屋はここの2つ隣り、廊下の突き当たりの客室だったよね?
反射的に上半身をベッドから起こしたものの、状況が掴めず目を白黒させるあたしの前にすっとガラスのコップが差し出される。
カーテンの隙間から漏れる月明かりに照らされたそれは、やけにキラキラと光って見えた。
「ほれ」
「え……な、何?」
「水。飲んで落ち着け、まず」
「う、うん……」
何がなんだか分からないまま、エドの静かな迫力に押されて言われる通りコップを受け取る。
喉を滑り落ちる冷たい液体は今まであたしが飲んだどんな飲み物より美味しく感じた。
強張っていた身体からすーっと力が抜けていく。
一気に全部飲み干して、あたしは思っていた以上に心身ともに緊張していた自分に気が付いた。
空のコップを両手で持ったまま一旦膝に置き、ほー……っと息を吐くと、
ベッド脇でじっとあたしの様子を見ていたエドも明らかに安堵したようだった。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………で、なんであんたがここにいるの?」
落ち着いたついでに棚の上の置き時計を見れば、案の定まだ夜中と言っていい時間で。
どう考えてもこんな時間にエドが一人であたしの部屋にやってくる理由はない。
至極当然の質問に、今度はエドの方がオーバーなくらいびくっと肩を揺らした。
「いいいいいや、オレはぐぐぐ偶然! 喉乾いて起きて! 台所行って水貰って部屋帰る時、
ここの前通ったらなんか呼ばれた気がしたっつーか嫌な予感したっつーか!!
そしたら部屋の鍵開いてるしおまえうなされてるし決してヘンな事しようとか考えた訳じゃ!!!」
「………………」
ぶんぶんと手を振り回しながら暗闇でも分かるくらい真っ赤な顔をしたエド。
誰もそこまで追及してないのにあまりにも必死で弁解する様子に、つい笑みが零れた。
「当たり前じゃない、エドがあたしになんかするなんてこれっぽっちも思ってないわよ」
「…………………………ソウデスカ、ソレハアリガトウゴザイマス。
…って、それ以前に鍵くらい掛けろよ無用心過ぎるだろーが!!
オレじゃなくても誰か物好きが入ってきて襲われたらどうすんだ!!!」
「えーそんな人いないってば。工房の方の鍵はちゃんと掛かってるし、ガーフィールさんは男の子の方が好きだし」
「アホ!! それでも常識だろ!!!」
「勝手に入ってきたあんたにだけは言われたくない」
「それとこれとは別だ!!! 第一、オレなら鍵掛かってても錬金術で簡単に入れる!!!」
「威張らないでよ、それこそ犯罪でしょ。あーエドの将来が心配だわー。
国家錬金術師の次は泥棒になったとか言わないでよ」
「おっまえな───!!!」
夜中だというのにぎゃいぎゃい煩い幼馴染に、苦笑い。
エドの怒鳴り声が落ち着くなんて、あたしもいろいろ重症だ。
───でも。
「……ありがと、エド」
目が覚めてすぐにエドの顔が見れて、本当に嬉しかった。
───分かっていても、あれはただの夢だったと確信できてどれだけ安心したか。
「お…おう」
あたしの声のトーンに我に返ったように、エドも声を落とす。
それから思い出したように眉を顰めた。
「……………夢、見てたのか?」
「ん………時々、ね。オカシイなぁ、今日は絶対大丈夫だと思ったんだけど」
「もしかして………オレやアルに関係ある、か?」
「あ、え、えっと…」
うっかり口を滑らした事にしまった、と思った時にはもう遅い。
暗がりの中でエドの金の瞳が真っ直ぐにあたしに注がれているのを感じた。
何もかも見抜かれてしまいそうな、強い視線。
沈黙に耐えられなくて何か言うべく口を開こうとした時。
す、と影が近寄ってきたかと思うとあたしの頬に暖かいものが触れた。
エドの、生身の左手だ。
「え、エド?」
こっちが呆気に取られて固まってる間に。
いつの間にかあたしより随分大きくなっていた男の指が、掌が、
まだ目の端と頬に残っていた雫をぶっきらぼうに……だけど酷く優しく拭い取る。
「ちょっ……」
全く彼らしくない行動に言葉が出ない。
顔を半ば固定されてしまってるのでエドがどんな表情をしているか見えないけど、
自分の顔がどんどん火照ってきてるのが分かった。
あたしの動揺に気付いてるのかいないのか。
次にエドはあたしの手から空のコップを取り上げると、そのまま軽くとん、と肩を押してきて。
「え、え、え?」
あたしはぼふ、と再びベッドに背中から沈められた。
そして毛布が首まで被せられる。
「寝ろ」
やっと発せられた言葉は単純明快。
続いてどす、と床に重い物を落としたような音がした。
寝転んだまま頭だけを動かせば、ベッドに背中を預けるようにしてあぐらをかいてる幼馴染がいて。
「寝るまで、ちゃんと居てやっから」
「………………」
「オレも──アルも、おまえを置いていきなりどっかに行ったりしねぇから……寝ろ」
───本当に、お人好しなんだから。この幼馴染は。
笑みと一緒に思わず零れそうになったのは、涙。
こんな事で泣いたら怒られそうだと慌てて瞬きして誤魔化すものの、胸の奥が熱くなるのは止められない。
「ね、エド」
「……………何だよ」
「一緒に寝よ? 二人くらいなら入れるよ」
「おっ、おっまえなぁぁぁぁぁ!! 本当にオレをナンだと………っ」
「でなきゃ、そのままでいいから手……握ってくれない……かな……?」
「…………………」
「ちょっとでいいから………ダメ?」
「………………………今日だけだからな。それと、アルにも内緒だぞ」
「うん!」
背中を向けたまま、溜息ひとつと一緒に乱暴に差し出されたエドの左手を両手でそっと包む。
とくんとくんと、その腕に血液が流れるのまで伝わるような気がした。
(今日だけだから。ちゃんと、明日にはまたいつものあたしになってるから。──あたしも、信じるから)
そして。
確かな温もりを抱いて、あたしはすぐに深い眠りに落ちたのだった。
───翌朝。
アルに何か言われたらしいエドがお店で暴れているのをスパナで気絶させるまで、残り数時間───。
思春期エド、超拷問の図(笑)。
ウチにしては珍しく弱いウィンリィさんです。文中ではっきりとは言ってませんが時期は12巻以降。
つまり、エドとアルの命の危険(VSスカー)を実際に見てしまった後ね。
あれは両親の仇というショックも大きかっただろうけど、
それと同じくらい兄弟を失うかもしれないという悪夢は逃れられないんじゃないだろうかと。
どんなにしっかりしていても、ウィンリィは一般庶民な女の子だからねー。
兄さん、そんな彼女をちゃんと支えてくれたらいい、なぁ……。
コレ、裏用にしてホントにぎりぎりまで「慰め」させようかと一瞬考えたけどそしたら未来の夜這いネタと被りまくるのでやめ(略)
(06.09.01.UP)