───夜空には、星。

満天の星空とはこのようなものを言うのだろう。

何年経とうと、変わらないもの。









 がさ、と背後で遠慮がちな音がして。

私は後ろをゆっくりと振り返り、そして暗がりから現れた人物に笑みを向けた。



「泰麒か…」

「すみません。景王には驚かせてしまいましたか」



 渡り廊下から漏れる灯りの中で、見た目は私と大差ない年頃の少年がいかにも申し訳ないといった様子でぺこりと頭を下げる。

いつまで経っても変わらない奥ゆかしさというか、それがとても彼らしくて私は更に目を細めた。



「いや、大丈夫だ。それにそんなに畏まる必要はない。今くらいは景王というのもなしにして貰おう」

「…では、中嶋さん。お隣、いいですか?」

「どうぞ。大したお構いはできないが」



 くすりと笑って言う泰麒に、私もくすくすと笑い返しながら少しばかり身体をずらす。

ここは広大な金波宮の中でも何の変哲もない庭園の一角だが、宴の開かれている棟から微かに聴こえる音楽と庭を吹き抜ける涼やかな風が火照った身体に心地良かった。

僅かに香る木々の匂いが余計に気持ちを落ち着かせてくれるのかもしれない。



「ここは…気持ちいいですね」



 欄干にもたれるようにして夜空を見上げていた私の隣に並んだ泰麒もまた、腰まで届く長い髪を風に揺らして静かに呟いた。

星明かりを浴びて鋼色に淡く輝くその髪は、彼が人ではない類まれなる美しさをもつ生き物だという事を思い出させる。



「中嶋さん、なんて泰麒に呼ばれるのも久しぶりだな」

「そういえばそうでしたね」



 比較的付き合いは長く多い方とはいえ、慶と戴の間には虚海がある。

一国の王と他国の麒麟が二人だけで会話を交わす機会などそうそうあるものではなかった。

…別に秘密にしなければならないような事でもなく、実際身近な何人かは私達がそう呼び合う事を知っているのだが、公式でなくても泰王や景麒のいる場では流石に泰麒も他国の王を「中嶋さん」とは呼び難いらしく。

私もまた大っぴらにそう呼ばれるのは何か妙に照れ臭いものがあったから(彼に景王と呼ばれるのも同じくらい照れ臭かったのだが)、その呼び名は二人でいる時だけ使うといつからか暗黙の了解のようになっていたように思う。

 もしかしたら最初のうちのこれは幼い子供同士が親に隠れて遊びで使う合言葉のような…互いの共通点を認識し己の存在を確認する為の作業に近いものがあったのかもしれないが、今となってはその記憶も定かではない。



「中嶋さんも酔い覚ましですか?」

「うん。本当は私が席を外すのは良くないんだろうけど、ちょっと外の空気を吸いたくなって。…泰麒も?」

「ええ。どうも未だにお酒は慣れないみたいです。…やっぱり未成年だからかな?」

「私も同じだな」



 しれっと言ってから互いに顔を見合わせ、ぷっと吹き出す。

さっきまで居た宴の席でそんな事を言ったらあちこちから一斉にツッコミが入るに違いない。

尤も、ツッコミを入れる本人達の中にも同じような事を堂々と言ってのけそうな強者が何人かいそうだが。



「景台輔が心配なさってましたよ。ただ、今はその台輔も延王と延台輔に捕まって身動きがとれないようでしたけど。俺の酒が飲めないのかー!なんて声も聞こえたな」

「それは…早いうちに戻ってやった方がいいかな」



 相変わらず仏頂面の麒麟と、それを判っててからかう陽気な隣国の主従の姿が容易に思い浮かび、私は声を上げて笑った。

 義倉の共有から始まったいわゆる「大使館制度」が十二国の世界に広まり出して久しい。

その流れで自然と国同士の繋がりも深くなり、首脳陣による会議が何処かの国で開かれる回数も増えた。

複数の王や麒麟を迎えた王宮で親睦会を兼ねた宴が開かれるのもまた道理であり、それが今年は金波宮だったというのに過ぎないのだが、賑やかな催し物が苦手な景麒も絡む相手が大恩ある雁国の王で自国が主催となればあまり邪険にもできないだろう。

今回の宴に出席されている賓客の中には礼儀や作法に必要以上に煩い方はいないものの(というか王や麒麟にはどうしてこうも個性的な面々が多いのだろうか…)、私が席を外すのもそう褒められた事ではない。

幸い、暫く風に当たっていたおかげで大分酔いも冷めてきている。



「…それじゃ、景麒を救い出す為にもそろそろ戻るとするか」



 ぐん、と思いっきり伸びをしながら私はもう一度夜空を見上げた。





───何処までも星空は同じで。ただ、私を見下ろしている。





「───この空は、変わらないな」



 ふと、遠い昔を思い出した。

あの頃私はまだまだ駆け出しの王で。

お忍びで出掛けた堯天の街で多くの人に出会い、学んで。

戻ってきた王宮で星明りの下、景麒と向かい合って頑張ろうと誓った。

あれから何度この空を見上げただろうか。



「───そうですね」



 泰麒も何か思うところがあるのだろう。

私と同じように空を見上げて言葉を紡ぐ彼の表情は穏やかだが、若々しい外見に不釣合いな程の深みを湛えているようにも見える。



「星の一生は何十億年、何百億年にもなるらしいですから。それに比べたら僕達なんか本当にちっぽけな存在ですよね」

「本当に、そうだな…」



 今この瞬間にも何処かずっと遠い場所では星が生まれ、消えているのだろう。

だけど私達にはそれを確かめる術もなく、その変化に気付く事もない。

ちらりと聞いた話ではあちらの世界ではもう、月面基地や人口惑星が当たり前になりつつあるというけれど。

この限られた十二の国の世界に住む私達にはそれは遠い国の御伽噺と同じ。

それでも私達は生きて、変わらぬ星空を眺め続ける。

それで、いい。

私達にはここでやるべき事があるのだから。





───ここが、私の居る場所なのだから。







「泰麒はもう大丈夫なのか?」

「はい。少し外を歩いたら落ち着きました。いつまでも子供ではいられませんしね」

「それもそうだな。私も努力してみよう」



 宴の会場に向かってどちらからともなく並んで歩き出しながら、再び顔を見合わせて笑う。

それはなんて事ない軽口のようなもの。

だけど徐々に近付く賑やかな人の気配に何処かほっとしている自分がいる。

 身体の成長と時間を止め、人としては考えられないくらい長い時を生きて。

頭で理解しているのとは別に、自分と同じ道を歩む人達がいると実際に感じる事ができるのは、それだけで安心するものなのかもしれない。





「そうだ、中嶋さん。奏の卓郎君と延王と共に黄海にすう虞狩りに行かれたとか。戴でそれを聞いて、主上もできれば御一緒したかったと残念がっておられましたよ。供王もその時のお話を詳しく聞かせて欲しいとの事です」

「…うわぁ。そんなに噂になってるのか…」

「そりゃあ、もう。景女王の武勇伝は他国にもいろいろ響いているようですよ」

「……その『いろいろ』ってのが怖いんだけど……。洪瀚や祥瓊の渋い顔が目に浮かぶなぁ……」



 思わず眉を顰めた私の頭上で。

なんとなく、星達が賑やかに笑っているような気がした─────。










後日談と言いつつ数世紀単位で先の話です。
いやぁ…ゲームがアレなんで、陽子と誰かをカップリングするのも難しくてねぇ…。
梨ゲーム後日談のように相手が分からないように書くという手もあるんだろうけど、
皆さん個性的過ぎて誤魔化しようがありませんて(苦笑)。
そんな訳で、やっぱりラヴの欠片もない話となりましたスミマセン。
泰麒をマトモに書けたのは楽しかったんだけどなぁ。

泰麒とアルフォンスって声も同じだけど
根本的な性格も似ていると思う今日この頃…。